🌈9)─1・A─日本民族のアイデンティティーは縄文文明であり非漢族系長江文明に繋がっている。⦅9⦆〜No.18 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代の日本には、空虚な理想的アイデンティティーは存在するが、実体を持ったリアルなアイデンティティーは存在しない。
 その意味で、現代の日本人は本当の意味でのアイデンティティーを持っていない。
 その傾向は、時間と共に深化している。
 特にアイデンティティーを拒否し否定し放棄しているのが、左派系の団塊の世代団塊ジュニアそして反天皇反民族反日本の薫陶を受けて成長している子供達である。
 現代日本の空気を支配しているマイノリティ・ファシズムの正体は、彼らである。
 アイデンティティーを持たない日本人が多く存在する分野が、メディアと教育の二分野で、彼らが推し進めたのがマルクス主義戦後民主主義教育である。
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 日本民族の古き良きアイデンティティーは、1980年代後半のバブル経済時の「農業不要論」と2010年代後半の人口激減時の「救うのは日本農業であって日本人農家ではない論」で完全消滅した。
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 日本神話の核である森の神話とコメの神話とは、記紀神話である天皇神話である。
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 キリスト教の歴史は紀元0年からであり、マルクス主義共産主義の歴史は1847(弘化4)年からである。
 対して、日本民族の歴史は数万年前の旧石器時代縄文時代からである。
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 『縄文文明の環境』  安田喜憲 著  吉川弘館
 「……
 民族大移動と日本人のアイデンティティ
 日本人のアイデンティティーは縄文文明にある。
 稲作農耕社会にも受け継がれた縄文文化
 稲作が伝播されることによって、縄文時代は終わった。しかし、縄文時代の文明原理は、稲作社会においても破壊されることなく受け継がれた。稲作は縄文時代以来の季節を核とする自然=人間循環系の文明を踏襲し、それに付加的に参入したにすぎない。
 そして、日本の稲作社会は世界でもまれにみる里山の森を核とした農耕社会をつくりあげることに成功する。森を破壊する家畜を拒否し、里山の森の資源を水田農業に利用する、森の農耕文化を生み出した。化学肥料が普及するまで里山の下草は、水田の重要な肥料だった。里山の文化については拙著(『森の日本文化──縄文から未来へ』新思索社、1996年)を参照いただきたいが、ここで強調うしたいことは、弥生時代以降の農耕社会に入っても、縄文時代以来の森の文明の伝統が受け継がれたということである。
 縄文時代は終焉をむかえても、縄文文明の森を核とした自然=人間循環系の文明原理は、ちゃんと弥生時代以降の農耕社会に受け継がれているのである。
 こうした縄文時代以来の森を核とした自然=人間循環系の文明原理は特に日本の山村の中に強く残すことになった。すくなくとも、高度経済成長期までは、日本の山村では縄文時代以来の文明原理が生活のすみずみにまだ残されていたといってよいのである。
 こうした縄文時代以来の文明原理が崩壊の危機に直面したのが高度経済成長期であった。この時を境に、縄文時代以来の自然=人間循環系の文明原理を、なだれをうつように崩壊していったのである。それを可視的に具現したのが山村の崩壊であった。
 稲作が伝播しても、明治維新が引き起こされても生き延びてきた縄文時代以来の自然=人間循環系の文明が、ここにおいて死を直面したのである。これは縄文土器が作られなくなってからじつに2500年目のことだった。
 人類史にみる同時代性
 『歴史の研究』という全12巻の大著を書いたアーノルド・トインビーの思索のもっとも基本的な出発点は、ギリシアの歴史家トゥキュディデスの生きた時代と、自らの生きる20世紀前半の同時代性の発見にあった。紀元前のギリシア文明と、20世紀前半の西洋文明の深刻なアナロジーの発見が、トインビーを文明の比較研究に駆り立てた。
 かつてない異常なスピードで、日々刻々と全地球的規模で変化する国際化時代の歴史観として、このトインビーの歴史観は再び脚光をあびはじめている。
 19世紀まで残った灌漑システム
 このトインビー流の文明の同時代性を、現代の日本にもとめるとしたら、それはいったい、いつの時代にもとめられるのであろうか。私は巨大なエジプト文明の崩壊後と現実の日本との間に、そのアナロジーをみる。
 まるで暦のように定期的なナイル川の氾濫を利用して発展したエジプト文明は、たいへん永続性の高い文明である。それは先王朝時代から数えて、じつに7000年近くの長きにわたって継続した。しかも、その文明を支えたナイル川の灌漑システムは、19世紀に入ってもなお、農村には残存した。
 一方、この日本にも、エジプト文明にまけない永続性の高い文明が存在した。それは縄文文明である。縄文時代は、じつに1万年近くにわたって継続し、その文化的伝統は、20~30年前の日本の山村のなかにまだ残存していた。
 ともに永続性の高いエジプト文明と縄文文明を特徴づけているのは、自然の季節的な循環を核とした社会である。その核となる自然は大変安定し、永続的であった。
 ナイル川の洪水は、まるで暦のようにと言われるように、定期的に安定していた。一方、日本の縄文社会も、豊かな自然、とりわけ森の資源に強く依存した社会であった。日本の森は、再生力に富む豊かな森であるとともに、四季の変化にともない、その森の恵みも多様性に富んでいた。
 エジプト文明と縄文文明は、ともに自然=人間の季節的な循環システムに立脚しており、自然と人間は循環的で、季節を媒介としてともに時間を共有していた。そうした社会は永続性が高い。
 *日本の山村の中に縄文時代以来の自然=人間循環系の文明の伝統が残った。(写真、白山山麓の山村)
 受け継がれた縄文の文化伝統
 ローマ時代末期からビザンチン時代に、エジプト文明は崩壊する。その文明の崩壊をもたらしたのは、地中海文明による侵略であった。天水農業を基本とする地中海文明は、人間が自然を一方的に搾取する自然=人間搾取系のシステムを基本とする社会であった。この文明の核となるのは家畜であり、水を媒介としたエジプトの灌漑システムを生かしきれなかったこのまったく異質の文明システムの侵略が、エジプト文明を崩壊に導いたのである。巨大なエジプト文明は、自然=人間搾取系に立脚した地中海文明の侵略のなかで、崩壊していった。しかし、エジプト文明の伝統は地中海文明の侵略の中で完全にたたれたわけではない。その文化的伝統は4世紀にキリスト教が伝播するまで命脈を保ちつづけていたし、サーキヤなどの灌漑農業のシステムはアスワンハイダムが建設されるまで地方の農村では維持されていた。
 一方、日本の縄文文明は、3000年前頃の気候の寒冷化のなか、大陸から稲作という生産様式に立脚したまったく新しい文明システムを持った人々の渡来の中で終末をむかえた。しかし、その自然=人間循環系の文明原理は、その後の弥生時代から歴史時代に入っても受け継がれてきた。そして、高度経済成長期以前の日本の山村には、いまだ縄文時代以来の伝統が残存していた。トチモチやドングリ団子など縄文時代の人々が作ったのと同じ方法で作る食物まで残存していた。山村の日々の暮らしは、まさに自然と人間が季節を媒介として循環的に営まれた縄文時代の人々の暮らしの延長線上にあった。
 ところが、山村の生活が危機に瀕し始めた。それをもたらしたのは、日本の急速な工業技術文明への傾斜であった。山村の崩壊は大都会の発展と裏腹の関係にあった。昭和30年代後半以降、山村は急速に崩壊していった。
 山村の崩壊が問いかけるもの
 山村の崩壊は、縄文時代以来、日本文化の基層を形成してきた、永続性の高い自然=人間循環系の文明の崩壊を意味した。その社会を崩壊に導いたものは、地中海文明の延長線上に位置する近代ヨーロッパに誕生した工業技術文明であった。
 ここに私は人類史における一つのアナロジーをみるのである。まるで暦のような定期的なナイルの洪水氾濫を核とした灌漑農業に立脚した自然=人間循環系のエジプト文明が、天水農業に立脚した地中海文明の侵略のなかで崩壊したように、縄文時代以来の森を核とした自然=人間循環系の文明が、地中海文明の延長線上に発展した近代工業技術文明の蔓延の中で、いま消滅しようとしている。20世紀後半の日本人はいま、地球上にまことに残り少ない自然=人間循環系に立脚する文明の崩壊の、まっただ中に生きているのではないだろうか。
 最後の砦
 日本文明の根幹を数千年にわたって形成してきたのは、縄文時代以来の自然=人間循環系の森の文明であった。それは縄文時代以来、変わることなく日本文明の基層を形成してきた。弥生時代には水田稲作農業が導入された時も、日本人はコメを受け入れたが、自然=人間循環系の森の文明を破壊する羊や山羊などの肉食用の家畜は普及しなかった。このことによって、縄文時代以来の自然=人間循環系の森の文明の伝統が、断ち切られることはなく、弥生時代以降の農耕社会にも受け継がれた。
 こうした縄文時代以来、数千年にわたって日本文化の基層を形成してきた自然=人間循環系の森の文明が、危機に直面したのは、高度経済成長期である。それを端的に可視的に具現したのが山村のドラスティックな崩壊であった。縄文時代以来の文化的伝統、自然=人間循環系の森の文明の伝統をもっとも強く残していた日本の山村は、日本経済の過重なまでの工業技術文明への傾斜と都市化の波のなかで崩壊していったのである。
 日本の山村を崩壊に導いた工業技術文明は、自然=人間搾取系に立脚した地中海文明を母胎としていた。人類の文明の歴史は、言葉をかえれば、自然=人間搾取系に立脚した家畜の文明が、自然=人間循環系に立脚した森の文明を侵略し、征服する過程であったという側面をもっている。1万年近くにわたってナイル川の洪水氾濫を核として繁栄したあの巨大なエジプト文明もまた、縄文文明と同じく自然=人間循環系の文明であった。しかし、その巨大なエジプト文明も、自然=人間搾取の文明とでも言うべきローマ文明の侵略のなかで、もろくも崩壊した。そして、とどめを刺したのは4世紀のキリスト教の伝播だった。それでもわずかに地方の農村にはエジプト文明以来の灌漑システムが残っていたが、それを完全に崩壊させたのはアスワンハイダムの建設というやはり近代工業技術文明の産物だった。そして縄文時代以来の自然=人間循環系の森の文明の伝統を、もっとも強く保持していた山村も、自然=人間搾取系に立脚した西欧文明を母胎とする工業技術文明の蔓延のなかで崩壊した。私はエジプト文明の崩壊と日本の山村の崩壊のなかに、世界史上のアナロジーを見た。そこにみられるのは、自然=人間搾取系の文明による自然=人間循環系の文明への侵略と破壊であった。
 自然=人間搾取系の文明の侵略と破壊は、日本の山村が侵略されるまでに、数かぎりなくあった。まずアフリカが、つづいて中・南米がそしてアジアの自然=人間循環系の諸文明が、つぎつぎと侵略され崩壊していった。そうしたなかで、日本の農山村は、自然=人間循環系の文明の侵略から唯一残された最後の砦であった。
 しかし、その最後の砦も、もはや、崩壊の危機を通りこしてしまったと言っても過言ではなかろう。高度経済成長期のさなか、日本の山村が自然=人間搾取の西欧文明を母とする近代工業技術文明の蔓延のなかで崩壊を始めてから30年後、貿易摩擦の解消のためとうたわれる米の自由化を始めとして、自然=人間循環系の森の文明の伝統をかろうじて残している日本の農村さえも、大きく変貌してしまった。
 日本人のアイデンティティ
 山村が崩壊し、農村が危機に直面するなかで、私達日本人は、自然=人間循環系の文明に立脚した伝統的な森の文明のアイデンティティーを急速に喪失している。1万年以上にわたって日本民族アイデンティティーを形成してきた森の文明を忘れ去ろうとしている。それでいいのだろうか。しかも、森の文明の伝統的なアイデンティティーに変わる、新しいアイデンティティーはまだ見えてこない。戦後日本がここまで発展をとげることができたのは、縄文時代弥生時代以来の自然=人間循環系の森の文明の伝統がしっかりとその底流に生きつづけていたからではなかろうか。
 森の文明のひ弱さ
 西欧諸国の植民地化のなかで、伝統的な自然観や世界観を捨てさせられ、生活様式まで変更させられたアフリカの悲劇は、時間がたつにしたがい、ますますその深刻さを増している。それがアフリカのように侵略のなかで引き起こされなくても、自国の伝統的文化をかなぎり捨て、西欧文明の申し子の思想に転換した国々の混迷は、今も続いている。自らの伝統的な自然観や世界観あるいは生活様式を喪失したり、かなぐり捨てなければならなかった民族の悲しい彷徨(ほうこう)がつづいている。歴史とアイデンティティーを喪失した魂の悲しい彷徨がつづいている。
 50年後いや20年後の日本が、これらの国々と同じ混迷のなかにないとだれが断言できるであろうか。いやもうそろそろ魂の彷徨がはじまっているのではあるまいか。米ソの冷戦構造の終結とともに、国家と日本民族アイデンティティーがどこにあるのかが問われはじめた。にもかかわず、日本独自のアイデンティティーが見えないのである。
 地中海文明の延長線上に位置する西欧文明(それと同じルーツをもつアメリカを含む)はしたたかである。世界の諸国がつぎつぎとその民族固有の歴史と伝統をかなぐり捨てて、争って西欧文明の申し子としての道を歩んだなかで、彼らは自国の歴史と伝統文化を強固に守り続けている。自国の農業には手厚い保護政策を加えながら、他国へは食料の輸入を強く主張する食料戦略をとる。彼らは日々の基本となる食料を獲得する生業のなかにこそ、民族固有の歴史と伝統が強く残されていることをよく知っている。彼らは自国の伝統的な文化にこだわりつづけるのである。
 それはなにもヨーロッパやアメリカのみではない。中国もまた同じである。かつ異民族の侵略によって、自国の文化を根こそぎ破壊されるという苦い体験を持っている彼らは、あくまでも自国の文化的伝統にしつようなまでにこだわりつづけるのである。それこそが自らの民族のアイデンティティーであることを彼らはよく知っている。高度経済成長期以降、自らの伝統的な文化をかなぐりすてた日本においては、バイオテクノロジーやコンピューター産業が、日本人のアイデンティティーとして定着するには、まだまだ時間がかかるのだろう。1万年以上にわたって日本民族の歴史と伝統のなかに深くしみこんだ縄文時代の森の文明ほどに、これらの先端技術はまだ日本人の深層意識のなかに、アイデンティティーを形成するまでには深く浸透していない。そして、その先端技術が縄文時代の森の文明のようにこれから1万年近くにわたって、日本人の生業の基盤となり、日本人独自の自然観や世界観を形成しうるかどうかは、まだ未知数である。
 今、私達日本人は、自らのよって立つ縄文時代以来の自然=人間循環系の森の文明の中にこそ、日本人のアイデンティティーがあることに気づきそれを強固に守りつづける必要があるのではなかろうか。それが縄文文明の発見なのである。
 森とコメへのこだわり
 この30年間の日本の変貌にはすさまじいものがある。日本語一つを例にとっても、その変化の様はおどろくばかりである。きたるべき21世紀を目の前にして、日本はどことなく自信とエネルギーを失った感がある。加えて中国や東南アジア諸国のめざましい発展は、国際社会の中での日本の陰をさらに希薄なものにしつつある。これまでは乗り越えるべき目標があった。ヨーロッパやアメリカの先進的な技術や豊かな生活があった。しかし、それを手にした今、そして追いかけられる立場になった今、この日本人のうつろさはいったい何なのか。
 その原因の一つに、我々日本人が過去30年間、日本文化の核となるもの、日本民族の核となるものに、まったくこだわってこなかったことがあげられると思う。国際化の大合唱の中で、我々日本人は外面的には世界に対していい顔をしてきた。だが日本の国内においては、きたるべき21世紀の日本人のアイデンティティーとなるもの、21世紀を担う若者の育成などをおろそかにしてきたのではあるまいか。
 自国の文化や伝統さらには言語にもこだわることなく、次世代を担う若者においてもこうした自国の文化や伝統をほとんど無視してきた日本人の魂は、いつしか根無し草のようにただよいはじめたのではあるまいか。
 日本文化の核となるもの、日本民族アイデンティティーとなるものとは何なのか。
 縄文時代以来の日本人と日本列島の自然とのかかわりの歴史からはっきりいえることは、日本人は縄文時代以来、森とのかかわりにこだわりつづけてきた民族であり、同時にその延長線上のコメとのかかわりにこだわりつづけてきた民族であるということである。森の文明の伝統は日本の山村の中に、米の文明の伝統は日本の農村の中にすくなくとも高度経済成長期までは維持されていた。森とコメにこだわりつづけてきた。これこそが日本人のアイデンティティーだったのではあるまいか。
 森の文明と米の文明。これこそが日本人のアイデンティティーを代表するものなのではないのか。
 21世紀は地球環境問題が頻発し、人口爆発の中で食料危機が多発する可能性が指摘されている。そうしたきたるべき危機の時代の到来を目前にして、森の文明の伝統は地球環境問題の解決に、米の文明の伝統は食料危機の解決にきっと役立つと思う。その森の文明と米の文明の伝統にこだわりつづけ、日本人のアイデンティティーとしてしつかりと醸成(じょうせい)し、きたるべき21世紀の激動の時代にたち向っていくことが必要なのではあるまいか。
 私達は今、中国の長江文明の研究に情熱をそそいでいる。それは長江文明には日本人のアイデンティティーを形成する米の文明のルーツがあるからである。本著では縄文時代以来の日本の森の文明の伝統を述べたが、米の文明については詳しく述べることができなかった。この点については、長江文明の研究成果が出たあとにあらためて報告したいと思っている」
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 2022年10月5日 MicrosoftNews 朝日新聞デジタル「「八甲田300年の森に迫る危機」 風力発電考える講演会、10日青森
 © 朝日新聞社 風力発電の建設が計画される尾根には、幹回り3.5メートル前後、樹齢約300年のブナの巨木が林立していた=2022年5月13日午後0時9分、青森県八甲田山系・七十森山(青森市七戸町)、中山由美撮影
 講演会「八甲田300年の森に迫る危機~自然保護と風力発電を考える」が10日、青森市のアピオあおもりで開催される。
 八甲田山で計画中の国内最大級の陸上風力発電事業をめぐり、環境とエネルギーについて考えようと市民団体「Protect Hakkoda」が主催、日本自然保護協会と「東北の山の今と未来を考える実行委員会」が後援する。温暖化防止で再生可能エネルギー導入が急がれる中、地球環境から地域の自然まで、いかに守るかを議論する。
 初任地が青森で、極地を取材する朝日新聞中山由美記者は「北極・南極からみえる地球異変」、日本自然保護協会の若松伸彦博士は八甲田山の希少な植生と各地で進む風発事業の自然破壊について、織朱實・上智大学院教授は「再生エネルギーと環境アセスメント」のテーマでそれぞれ講演し、意見交換する。
 午後1時半~3時半、参加無料、予約不要。問い合わせは電話(080・1856・2070)へ。オンラインでも配信される予定で、詳しくはツイッター(@ProtectHakkoda)へ。
 同団体は、大規模な森林伐採と自然破壊を伴う風発事業に反対し、八甲田山の自然を守ろうと署名を「Change.org」のサイトで募り、クラウドファンディング「READYFOR(https://readyfor.jp/projects/protecthakkoda)」で支援を求めている。」
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縄文文明の環境 (歴史文化ライブラリー)
世界と戦う日本人が知っておきたい日本のアイデンティティー
「日本文化論」の変容―戦後日本の文化とアイデンティティー (中公文庫)
西洋人の神道観―日本人のアイデンティティーを求めて (平川〓弘決定版著作集)
西洋人の神道観 ---日本人のアイデンティティーを求めて
台湾アイデンティティー
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 現代日本人のアイデンティティーは、戦後の左派系日本国憲法によって作られ、バブル経済崩壊後の衰退の中で定着した。
 つまり、日本人のアイデンティティーといっても日本民族と日本国民とでは全然違う。
 その意味で、昔の日本人と現代の日本人は別人と言っても日本人である。
 つまりは、現代の日本人には確固たるアイデンティティーなど存在せず、持っているのは「なんとなく」という朧気で曖昧な存在である。
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 現代日本の政治的エリートや進歩的インテリは、知識としてアイデンティティー、ダイバーシティー、その他の外国由来用語を外国の思想・哲学・イデオロギーで知っていても、本質、実態を理解できず、たんなる使い勝手の良い便利なカタカナ記号として口にしている。
 つまり、安易にアイデンティティー、ダイバーシティーを語る高学歴者を信用しない方が良いし、それがリベラル・革新ならなおさらである。
 現代を生きる彼らが語るアイデンティティー、ダイバーシティーとは、会話上のアヤに過ぎず意味が無いからである。
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 反宗教無神論・反天皇反民族反日的なイデオロギー勢力とキリスト教などの宗教勢力によるマイノリティ・ファシズムが、日本民族アイデンティティを破壊し、日本人を白痴化しようとしている。
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 1万年続いた縄文時代以来の自然=人間循環系の森の文明=民族文明が、反民族反宗教の科学エビデンス至上主義によって根絶寸前まで追い詰められている。
 それは、歴史・伝統・文化・宗教に根差したナショナル・アイデンティティーの消滅と歴史・伝統・文化・宗教なきアンチ・アイデンティティーの創作である。
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 日本列島の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族と漢族中国人・半島系朝鮮人とは、別種のアジア人である。
 日本文明は、長江文明の後継文明であるが独立した固有種文明であり、黄河文明の亜流文明ではなかった。
 日本文化は、朝鮮文化との共通性は限りなく少なかった。
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 同じ日本人と言っても、昔の民族主義日本民族と現代の国際主義日本国民とは別人である。
 その違いは、昭和20(1945)年を境として生まれ、平成2(1990)年前後あたりからハッキリ表れてきた。
 その契機となったのが、キリスト教価値感とマルクス主義価値感による反天皇反民族反日本的戦後民主主義教育である。
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 日本民族は、天地創造主である唯一絶対神によって「塵芥や泥をかき集めて創られた神に似せたコピー生物」はなかった。
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 日本民族は、数万年前の旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)の子孫で、雑多な人種・民族が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種であるある。
 けっして、中国大陸や朝鮮半島で生まれた純血種民族ではない。
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 日本神道は、縄文時代の自然神=精霊崇拝に世界中の神話・宗教・伝説・寓話・民話が雑多に加わり混じりあい、それを古代中国の古道教が一つの曖昧な形にまとめ上げた民族宗教である。
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 数千年前の弥生時代古墳時代に日本に流れ着き上陸し住み着いた中国大陸人や朝鮮半島人は、災害難民や政争・戦争で負けた敗北者亡命者や犯罪を犯した逃亡者などのひ弱・貧弱な弱者・負け犬であった。
 日本列島では、南方・大陸・半島の異邦人が繰り返し移動してきたが、日本人が南方・大陸・半島へ移動しなかったか移動しても少人数に過ぎなかった。
 何故か、それは、日本列島は争いのない穏やかな平和であったが、中国大陸や朝鮮半島はウソとだまし合いと殺しあいの地獄であったからである。
 日本は、中国や朝鮮に恩義を感じる必要もないし感謝することもない。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 西行法師「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮参拝して)
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 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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