🎑38)─2・A─捏造された嘘の“江戸しぐさ”を道徳教育として教えてはいけないワケ。〜No.95 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 江戸時代は、時代劇で描かれるほど幸せな時代ではなく、ブラックで不幸な時代であった。
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 江戸時代とは自助努力・自己救済・自己責任で誰も助けてはくれない冷淡・冷血・非情な社会で、日本人とは私欲・我欲・強欲・貪欲を剥き出しにしたエゴイストで、美しい日本などは存在しない建前の偶像に過ぎなかった。
 そして、日本には神よる奇蹟や恩恵や救済も癒やしや慰めもない無情な悲惨で過酷な国・地域であり、それは数万年前の旧石器時代縄文時代変わる事のない現実・事実であった。
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 昔の日本では、不寛容な一神教の啓示宗教と反宗教無神論イデオロギーは拒絶され、キリシタン弾圧と共産主義に対する思想弾圧が行われていた。
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 江戸しぐさとは、芝 三光(しば みつあきら)が創作・提唱し、NPO法人江戸しぐさが「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」と称して普及、振興を促進する概念・運動である。「江戸しぐさ」はNPO法人江戸しぐさが「紙類、文房具類、印刷物」「セミナーの企画・運営または開催、書籍の制作、電子出版物の提供、教育・文化・娯楽・スポーツ用ビデオの制作(映画・放送番組・広告用のものを除く)」に関し、商標権を有している。
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 2024年3月23日 YAHOO!JAPANニュース ABEMA TIMES「江戸になかった“江戸しぐさ”が教育現場に残る理由 “偽史”指摘から10年後も「学校だより」で存在感
 江戸しぐさとは?
 江戸時代の人々のふるまいとして、教科書にも掲載された「江戸しぐさ」。10年前にその存在を否定する声が歴史家などから相次いだが、現在も教育現場でたびたび登場することに、疑問の声が上がっている。
 【映像】“江戸しぐさ”の矛盾 あなたは気づける?
 「江戸しぐさ」とは、江戸の町で人々が互いに気持ちよく暮らすための知恵だということで、次のようなものがあるという。
 傘かしげ=傘をさした人同士がすれ違う時に、相手をぬらさないよう互いの傘を傾けること。
 こぶしうかせ=一人でも多くの人が座れるよう、みんなが少しずつ腰を上げて場所をつくること。
 江戸しぐさはかつて複数の教科書で紹介されたほか、現在も文科省が教員向けに「道徳教育アーカイブ」として公開している教材の1つ、「私たちの道徳」に掲載されている。
 これに対し、歴史家の原田実氏は10年前、著書『江戸しぐさの正体』(星海社新書)の中で、江戸しぐさのさまざまな設定が江戸時代にそぐわないことなどから「偽史である」と指摘。教科書からは江戸しぐさの記載が消えた。
 歴史家の原田実氏
 しかし、『ABEMAヒルズ』が調べたところ、今でも実際に小中学校で授業の中で取り上げられたり、図書館で子ども向けの文化・歴史図鑑として紹介されていたほか、道徳の教材として自治体の教育委員会が活用している事例があった。
 原田氏も「いまだに学級便りや校長先生の挨拶などでも、江戸しぐさは使われ続けている。彼ら彼女らがまだ情報をアップデートできていないのだ」と懸念を示す。
 江戸しぐさはどのような経緯をたどって今に伝わってきたのか。普及活動を行っているNPO法人日本のこころ江戸しぐさ」によると、江戸の商人たちが築き上げたルールが起源であったものの、町人は書き物が許されていなかったため口伝えで伝えられ、昭和の後半にその伝承者から聞き書きしたのが今の形になったという。
 三重大学・高尾善希准教授
 つまり、「当時の史料はない」ということになるのだが、この点について江戸時代史が専攻の三重大学・高尾善希准教授は「証拠も史料もない。私は10年間、東京都公文書館で史料編纂をしていたが、江戸しぐさに類するような思想も、それを支える団体も見なかった。加えて、江戸時代を研究する研究者仲間からもそんな話は出てこず、むしろ彼らは『江戸しぐさは後から知った。そういったものが生まれていると世の人から教えてもらった』と話すことからも分かるように『存在しない』のだ」と指摘した。
 NPO法人日本のこころ江戸しぐさ」の代表が書いた『江戸の繁盛しぐさ』では、史料が残されていなかった理由の1つに「江戸っ子狩り」が挙げられている。明治政府が江戸のカラーを消すため、「江戸しぐさ」を目安に江戸っ子狩りを行ったこと、それにより多くの血が流れて全国各地に江戸っ子が逃げた、という旨が記載されている。
 これに対し高尾教授は「江戸っ子狩りは、ない。そもそも一般庶民を虐殺するという発想自体ない。『官軍が弾圧したから残ってない』という言い分は残っていないことを言い訳として使っているだけだ。我々歴史研究者は残ったものを通じて歴史を構築する。最初から歴史の捉え方、発想が違うと言わざるを得ない」と説明した。
 江戸時代に実在したかについて、NPO法人日本のこころ江戸しぐさ」は、「事実として認定されるような一級資料は見つかっていない」として、『ABEMAヒルズ』に次のように回答している。
 「江戸しぐさは、口伝として伝えられたものを聞き書きしたものであると解釈しており、検証等はしていない。学問として系統立てているものでもなく、今の世の中で人々の関わりに役立てられることがあれば良いと考えており、それ以上のことはない。また、何事にも人それぞれ色々な考え方や捉え方があることも十分承知しており、他の意見を頭から否定しない」
 江戸しぐさが現在も教育現場に残っていることについて、歴史家の原田実氏は「少なくとも教育現場からは、撤退させるべきだ。江戸しぐさは現代人のマナーとして実用的な面もあるが、それは現代人が作ったものだから。個人として江戸しぐさを大事にする人がいてもおかしくないが、教育現場で、事実として教えるべきではない」と強調した。
 また、ウェブなどで「江戸しぐさ」の存在を否定する情報に接した際に、混乱を引き起こしかねない点も指摘した。
 「この状況の中で教育者が現場で使い続けると、ウェブで情報を得られる世代の生徒にとっては『教育現場が信用できないという実例』になってしまう。これはかなり由々しき事態だ」
 江戸しぐさについてかつて取材をしていたノンフィクションライターの石戸諭氏は「教育現場で江戸しぐさを用いている人は『歴史的根拠がないものを広めてやろう』などといった悪気があるわけではなく、ちょっといい話、あるいはマナーを大切にしましょういう実例として使うケースがほとんどだと思う。マナーを教えること自体は否定しないが、これらを伝えるのに典型的な偽史である江戸しぐさを使う理由はない」と指摘した。
 『ABEMAヒルズ』は現在も文科省が教員向けに「道徳教育アーカイブ」として公開している教材の1つ、「私たちの道徳」に掲載されている点などについて文科省に確認し、以下のようなコメントを得た。
 「歴史的事実かどうかの調査を行ったわけではない。史実として教えるわけではなく、子どもたちに礼儀やマナーについて考えてもらうきっかけとして掲載した」「採用した時には捏造という意見があることは承知していなかったのではないか」「2018年度の道徳教科化に伴い冊子での配布は終了した」「(「道徳教育アーカイブ」には)資料として掲載。史実かどうか争いのある点については、訂正・追記の予定は現状ない」
 これに対し石戸氏は「訂正・追記を行う必要がある。どういう経緯で江戸しぐさが教育現場に入り込んできたのか、 どういう経緯で文科省が採用し、冊子まででき、教育アーカイブまで残すようにしたのか。詳細に検証した結果を公表してほしい。事実でなくても道徳教育で使うのにふさわしい考えもありえるが、それなら日本にはもっと質が良い物語がいくらでもある。江戸しぐさのようにそれ自体が事実ではない偽史を積極的に使う言い訳にはならない。今からでも文科省の責任で調査に乗り出してほしい」と述べた。
(『ABEMAヒルズ』より)
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 2015年6月26日 YAHOO!JAPANニュース「「江戸しぐさ」はやめましょう。:何が問題か。なぜ広がったか。
江戸しぐさとは
 江戸の町民たちが行っていた、日常生活のマナーだそうです。NPO法人江戸しぐさ」理事長 越川禮子さんが、主張しています。傘かしげ、肩引き、時泥棒、こぶし腰浮かせなど。公共マナーのポスターになったり、公共広告機構ACジャパン)に取り上げられたり、道徳の教科書にまで載っています。
■TBSの「NEWS23」でも話題に
 6月25日のTBSテレビ「NEWS23」でも話題になっていました。歴史の研究家らにインタビューして、江戸しぐさの矛盾点を指摘していました。偽史についての本を書かれている原田実先生も、江戸しぐさの問題を語っています。
 原田先生は、関連本も出されています。『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書) 』
 江戸しぐさに関する歴史的資料は何もありません。なぜ何もないかといえば、「江戸っ子大虐殺」があって資料が全て焼き払われ失われたと、NPO法人江戸しぐさ」理事長 越川禮子さんは説明します。資料は失われたけれども、口頭による伝承だと説明します。
 歴史学者によれば、そんな虐殺が行われた証拠は何もありません。番組としては、江戸しぐさに関して「疑問がある」という少し大人しいスタンスでしたが。
■TBSの「NEWS23」では説明されませんでしたが
 明治新政府による江戸っ子大虐殺が起き、江戸しぐさを伝えるものは、ことごとく抹殺されます。その中で、どうしてNPO法人江戸しぐさ」理事長 越川禮子さんには、江戸しぐさが伝わったのか。そこには、劇的な物語があります。
 ごくわずかな生き残りが、様々な困難を乗り越えて、江戸しぐさを伝え、理事長の越川禮子さんに伝わりますが、そこには歴史上の有名人や大きな組織が登場し、秘密結社なども現れます。
 とてつもない裏の歴史、ものすごい隠れた真実であり、これが本当なら、越川理事長は非常に特別な存在ということになります。
 ただし、歴史学的には、何の証拠もありません。
江戸しぐさはなぜ広がったか
 「江戸しぐさ」。なかなかすばらいネーミングです。そのマナー自体は、悪いことではないでしょう。マナーといったものは、法律や数学ではありませんから、絶対的なものではありません。しかし、マナーを教えたいとは思います。効果的に、感動的に、興味深くマナーを教えるための道具は何かないかと思っていた時、「江戸しぐさ」に出会ったのでしょう。江戸しぐさは、誰かに伝えたくなる、「イイ話」でした。
 原田実先生の本によれば、江戸しぐさが最初に世に出たのは、1981年読売新聞の「編集手帳」だそうです。これをきっかけに、徐々に広がっていったようです。歴史学者が取り上げたわけではありませんが、ちょっと良い話として広まっていきます。新聞に載ったのですから、信頼できる話とみんなが思ったことでしょう。
 歴史的検証がされることもなく、とても奇妙な物語が語られていることが確かめられることもなく、広まっていきました。
 難しい歴史学的検証は素人にはできなくても、奇妙で壮大な物語を聞けば、おかしいとは思えるはずなのですが。ただ、歴史に関する都市伝説を明確に否定するのは、簡単ではありません。
■都市伝説とデマうわさと反論
 世の中には、様々な都市伝説があります。
 フリーメーソン陰謀論の心理:テンプル騎士団、薔薇十字団、イルミナティ、都市伝説を信じる理由と危険性
 都市伝説の見抜き方:東大卒業式の式辞を実践してみた:安易に拡散リツイートしないためのネットリテラシー
 昔懐かしい「口裂け女」とか「人面犬」なら、子どもだましとわかります。まだ元気な芸能人なのに死んだというデマが流れることもありますが、それなら本人が出て来れば、すぐに解決です。
 しかし、反論に手間がかかるものもあります。
 テレビドラマ「水戸黄門」の「うっかり八兵衛」が、ドラマの中で「ファイト!」と言ったという話があります。これが嘘だと個人で確かめるのは、大変です。もしかしたら、言ったかもしれません。
 八兵衛役の高橋元太郎さんは、インタビューに応じて、そんなことはないと答えています。さらに、全話を確認したところ、そんな事実はなかったそうです。
 さらに、歴史的なことになると、確認はいっそう困難です。
 お笑い芸人8.6秒バズーカーのラッスンゴレライは「落寸号令雷」という原爆投下の号令だという作り話も広まりました。「落寸号令雷」が原爆投下の号令などとは、聞いたことがないと、研究者がインタビューに答えていました。ただ、その研究者が真実を知らないのだと反論することもできるでしょう。
 何かがあることを証明することはできても、ないことを証明することは、なかなかできません。フリーメーソンイルミナティが歴史の中で暗躍していたといった陰謀論、都市伝説はなかなかなくなりません。
■専門家はなぜ反論しないか
 これらのことに、歴史学者や学会がきちんと反論してくれれば良いのですが、学者や学会はそんなことはしません。専門家から見れば、あまりにも馬鹿げたことなので、そんなことに反論しても研究論文になりません。学問的業績になりません。しかも、研究者同士なら議論もしやすいのですが、学問的常識がなく、都市伝説を信じ込んでいる人を納得させるのは、とても大変です。
 研究者は、せいぜいインタビューに答えてて、そんなことはありませんねと語る程度です。あるいは、プロの研究者ではない作家(文明史家)の原田実先生のような方が、使命感をもって解説本を書いてくれるわけです。
■都市伝説の快感
 世界は複雑です。それをある種の陰謀論で説明できれば、シンプルです。人は、このようなシンプルな説明を求めてしまいます。また、学者もマスコミも知らないことを自分だけが知っていると思うのは、気分が良いことでしょう。
 あるいは、何かうまくいかないことを、全部世界を裏で支配する秘密結社のせいにしてしまえば、心は楽になるでしょう。
 しかし、そんなことをしていても、本当の問題解決はできません。
■子どもたちに教えるべきこと
 「学校の怪談」は、面白い話です。しかし、良い言葉をかければ綺麗な結晶ができるとか、秘密結社による陰謀論や、江戸しぐさとか、学問的に明らかに嘘の話を子どもに伝えてはいけません。おとぎ話にもメルヘンにもなりません。学問的には、「その証拠はない」としか言えませんが、子どもたちに学問的、科学的なリテラシーを身につけませましょう。
 STAP細胞は、本当はあるのかもしれません。たしかに、可能性は0ではありません。しかし、STAP細胞常温核融合も、世界中の科学者がこれ以上莫大なお金と時間をかけて研究する意味はないと判断しました。
 世界は驚異にあふれたワンダーランドです。子どもたちは、世界を見て、科学や歴史を知って、知識を深め感動し、さらに真実を目指して歩んでいくでしょう。常識を破る、パラダイムの大変換もいつか起こるでしょう。子どもたちには、チャレンジし続けて欲しいと思います。だから、怪しげな都市伝説に振り回されて、間違った世界観の中で、無駄な労力を使わせるわけにはいかないのです。
 まず私たち大人が、誤った都市伝説や陰謀論に振り回されない手本を示しましょう。
 *関連「人はなぜ嘘(流言・デマ・都市伝説)を信じてネットで拡散させるのか:ネットデマの心理学」(Yahoo!ニュース個人碓井真史)
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 「江戸しぐさ」はやめましょう2:質問疑問にお答えして:子どもに伝えてはいけない理由
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 「江戸しぐさ」が道徳教材に残る:文科省の回答への反論:コロンブスの卵は良くても江戸しぐさがダメな理由(「江戸しぐさ」はやめましょう3)
 碓井真史
 社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC
1959年東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。新潟市スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「めざまし8」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。
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 2015年7月9日8:47 YAHOO!JAPANニュース「「江戸しぐさ」はやめましょう2:質問疑問にお答えして:子どもに伝えてはいけない理由
■「江戸しぐさ」はやめましょう。
 先月の記事「「江戸しぐさ」はやめましょう。:何が問題か。なぜ広がったか。」は、多くの方々にお読みいただきました。
 「江戸しぐさ」とは、江戸時代の町民が行っていたマナーの数々と称するものです。そのマナー集を、現代においても活用しようとする人々がいます。この「江戸しぐさ」は、ずいぶんと広がり、教科書にまで載りました。
 ところが、この「江戸しぐさ」。その由来があまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)事実無根と批判され始めました。その結果、掲載していた教科書も、今後の掲載はないと報道されています。ただし、歴史に関する「都市伝説」を明確に否定することはなかなか難しく、相変わらず「江戸しぐさ」を広めようとする人々もいます。
 前回の記事では、「江戸しぐさ」の問題点を指摘しましたが、ご質問もいくつかいただきました。今回は、その質問疑問にお答えしたいと思います。
■「江戸しぐさ」とは:その内容が悪いのか
 前回の記事に対して、「江戸しぐさ」のマナー自体を批判しているのかとのご質問をいただきました。そんなことはありません。
 「江戸しぐさ」と称するものには、次のようなものがあります。
 傘かしげとは
 「傘をさした二人が狭い道ですれ違うときには、互いに傘をかしげて、通りやすくしましょう。」
 肩引きとは
 「狭い道ですれ違うときに、互いに肩をさっと後ろに引きましょう。」
 時泥棒とは
 「誰かの家を訪問する時には、アポイントメントをとって、きちんと時間を守って訪問しましょう。」
 こぶし腰浮かせとは
 「乗り物の長椅子に座っている時に新しい乗客が来たら、こぶしで腰を浮かせて、詰めあいましょう。」
 といったマナーです。別に悪くないです。いえ、積極的に行いたいと思います。
 実際にはなかったマナー
 ただし、江戸の生活文化を考えると、上に書いたマナーも含めて実際には行われていなかったマナーがたくさんあります。年賀状がない時代の「江戸しぐさ」なのに、年賀状のマナーもあります。
 ロクとは
 また、「ロク」と呼ばれる「江戸しぐさ」は、江戸っ子の優れた第六感だそうで、江戸っ子(江戸しぐさ伝承者)はこれで関東大震災を予知したといいいます。こんなことが本当にできれば良いのですが。
■江戸にはさまざまなマナーがあったでしょ。その紹介なら、良いのでは。
 実は、私も最初はそう思っていました。江戸時代にあったさまざまな美しいマナーを「江戸しぐさ」と呼び、それを現代にも復活させようとするなら、良いのではないかと。
 あるいは、江戸時代に何があったかはまったく問題ではなく、現代人が守るべきマナーを、江戸時代風の絵で表し、「江戸しぐさ」とか、「江戸っ子は〜」と表現するのも、良いのではないかと思っていました。それを、史実とは違うと批判するのは、野暮ではないと思っていました。
 しかし、それは誤解だとわかりました。「江戸しぐさ」は、たんなる比喩的表現ではなく、歴史的事実だとして広めようとする人々がいます。さらに、そこには都合よく捏造された嘘の歴史がちりばめられているようです。
 このような「江戸しぐさ」を広めることは、大きな問題があると感じています。
■道徳教育がいけないのか
 前回の記事に対して、道徳教育自体を批判しているのかとのご質問もいただきました。そんなことはありません。たしかに、道徳教育と称して、ただ為政者に都合の良い押し付け教育をしたり、個性を無視した理想像でこり固めようとするのには反対です。
 しかし、昔から言われているマナーや道徳は、心理学的に見ても意味のあるものが多いと、私は考えています。道徳教育に反対しているわけではありません。
■資料がなくても、伝承だけでも良いのではなか
 江戸時代の町民たちが「江戸しぐさ」を行っていたという資料は、何もありません。口伝えでも伝わらなかったのは、「江戸っ子大虐殺」が行われ、資料も証人たちも失われ、ただごくわずかな人だけに伝えられたからだと、NPO法人江戸しぐさ」は主張しています。
 さて、たしかに文献がないからダメと決め付けることはできません。しかし、「江戸しぐさ」には、「伝承」すらありません。つまり、研究者らを納得させられるような証拠は何もありません。
■間違っていても良いではないか。妖怪話のように。
 「ゲゲゲの鬼太郎」のような妖怪話、伝説の昔話は、楽しいものです。民俗学的に研究する意味もあります。長年、たたりがあると思われていたために、開発から守られた自然もあります。子どもがカッパが怖いと感じて、危険な川に近づかないのも良いでしょう。「鬼から電話」も使いようによっては、有効です(「鬼から電話」の効果と使い方:叱り方の心理学)。
 子どもたちも、大人になってから、あれはお話だったのだ、伝説だったのだと知っても、傷つくことはないでしょう。
 これらの話は、現代人は事実だとは考えていません。しかし妖怪話をもとに、現代の生物学や物理学が間違っていると子どもたちに教える人がいたら、批判されるでしょう。あるいは、本当はまったく存在しない伝承を作り上げて、自分勝手に新しい妖怪を伝統的な妖怪として作り上げてしまうのも、間違っているでしょう。
 「「人」という字は支え合って生きる人間を表している」といった金八先生の話も、漢字の成り立ちから見れば誤りですが、このような文字遊び、こどば遊びは、よくあることです。世間から批判されることではありません(「人」は支え合っていません。:武田鉄矢さんが金八先生の名言否定?とアイデンティティの心理学)。
 ただし、ここに捏造された歴史を追加し、事実として子どもに教えたら、当然批判されるでしょう。
■子どもたちに何を伝えるか
 「人には親切にしましょう。互いに愛し合いましょう。平和を作りましょう」。私は、この「ピース・インストラクション」を、M42 星雲(オリオン)からやってきた、宇宙の友人から直接聞きました。残念ながら、彼らからもらった証拠の数々は全て失われましたが、どうぞ私を信じてください。
 「江戸しぐさ」として世に広まったものは、実は「越後しぐさ」なのです。当時の越後(新潟)は、日本一の人口を誇り、文化的にも非常に優れていました。「越後しぐさ」は、漫遊中の水戸光圀(「越後のちりめん問屋」の隠居)によって関東にもたらされましたが、平賀源内の策略によって「江戸しぐさ」と改変されてしまったのです。資料は何も残っていませんが、私の先祖だけが、その伝承を受けました。
 さて、もちろんこれは作り話、ホラ話です(新潟が人口日本一だったことは本当)。でも、内容が良いのなら、問題ないでしょうか。碓井の「ピース・インストラクション」や「越後しぐさ」の話を教科書に載せたり、生徒向け講演会で話しても良いでしょうか。
 マナーの話自体は間違っていなくても、あとになって、その人がとんでもない嘘、ホラを広げている人と知ったら、子どもはどう思うでしょう。
 よくできた都市伝説、陰謀論は魅力的です。今、これらの話が流行っているように思えます。それは、昔流行ったネス湖ネッシー学校の怪談とは、違う様相を示しているようにも感じます。
 「お話」を楽しむことは良いことです。しかし、明治政府による江戸っ子大虐殺があったとか、秘密結社が世界を支配しているとか、現実の世界観を歪めてはいけません。事実をきちんと確認しない反知性主義は危険です。子どもには夢を持たせたいと思います。同時に、客観性や科学性を育てたいと思います。まず、私たちがその手本となりましょう。
 関連本、関連サイト
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○「江戸しぐさ」が道徳教材に残る:文科省の回答への反論:コロンブスの卵は良くても江戸しぐさがダメな理由(「江戸しぐさ」はやめましょう3)
○「江戸しぐさ」はやめましょう1:何が問題か。なぜ広がったか。
○原田実 著 『江戸しぐさの正体:教育をむしばむ偽りの伝統』
フリーメーソン陰謀論の心理:テンプル騎士団、薔薇十字団、イルミナティ、都市伝説を信じる理由と危険性
 碓井真史
 社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC
1959年東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。新潟市スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「めざまし8」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。
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 2013年8月18日 YAHOO!JAPANニュース「「日本しぐさ」とでも呼べばいい
 「江戸しぐさ」、ということばがある。NPO法人江戸しぐさ、なる団体があって、そこが商標権を有しているらしい(追記参照)ので、うかつに使ったら怒られちゃうかもしれないんだが、まあブログで書くぐらいは大丈夫だろう。「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」である、と当該法人のウェブサイトには書いてある。何だかわかったようなわからないような説明だが、2006年に公共広告機構のCMでも使われた(これ。その前年、地下鉄の電飾などの平面媒体やウェブでも実施されたらしい)。
 この「江戸しぐさ」に関して、批判の声があるらしい。簡単にいえば、証拠がない、江戸時代にそんな概念はなかった、歴史を捏造している、といった批判のようだ。少し前に話題になって、やはり批判された「水からの伝言」と同じ構図だと指摘する人もいる。「いいこと」をいうためとはいえうそをついてはいけない、という趣旨かと思う。
 事情をよく知っているわけではないのであまり深入りするつもりはないが、言いたいことがないわけでもないので、個人的な経験も交えて少しだけ書いてみる。
 江戸しぐさとちがって、江戸しぐさ批判は、団体があるわけでもないので、まとまった主張があるというわけでもないらしい。Wikipediaの当該項目にはいくつかの反論が収録されているほか、NAVERまとめがあった。ちょっと前にと学会が「トンデモ本大賞」で取り上げてたらしいのだが、書籍とかにはまだなってないのだろうか。
 あちこちぱらぱらと見ている限りでは、どうも批判の方に理があるように思われる。「傘かしげ」(雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと)や「肩引き」(道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと)など、江戸しぐさ」の例として紹介されているものは、件のNPOがいう「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」としてはどうにも小さい話だし、「江戸しぐさ」の秘密を守る「秘密結社」があったなんて話に至っては荒唐無稽以外の何者でもない。そもそもこんなものは常識の範囲内ではないか。
 少し個人的な経験を書く。
 私が「江戸しぐさ」ということばを知ったのは数年前のはずだが確かな記憶はない。ひょっとしたらACの広告で見たときかもしれない。別に歴史の専門家でも何でもないので、特段の問題意識もなく、へえ、そんなことばがあるのか、初めて知った、ぐらいに思っていたわけだが、そこで提唱されていることの少なくとも一部についていえば、心当たりがあった。
 端的にいえば、私の親、特に母親から受けたしつけの中に含まれていたのだ。たとえば、傘をさしていて狭い道ですれちがうときは傘がぶつからないように傘を動かせとか、傘をさしてなくても人とすれちがうときにぶつかりそうなら体を少しななめにしろとか、電車などで混んでるときは少し詰めて座れとか。しかし、母は東京出身ではあったが大商人の家などではなく貧乏歯医者の娘だったし、それらを「江戸しぐさ」と呼ぶこともなかった。もちろん「秘伝の知恵」でなどあろうはずもない。人の多い街中で暮らすためのただの常識だ。
 それらが江戸時代まで遡るかどうかは別として(遡ったとしても別に驚かない。リーダーの行動哲学だったとは思わないが)、そうした「常識」は、母が独自に作り上げたものではないだろう。母が生きた昭和の頃には、少なくとも一部の人々の間で共有されていたと想像する方が自然だ。東京以外でどうだったか知らないので東京だけかどうかもわからないが、きっと他の地域にも何らかあったのではないか。
 もちろん、そうした「常識」が社会の隅々にまで浸透していたとは思えない。あるいは、私が母からしつけを受けたころには失われつつあったということなのかもしれない。思い出すのは、いわゆるシルバーシート、つまり高齢者等の優先席が導入されたときのことだ。確か70年代だったと思うが、その当初から、反対論があったという記憶がある。曰く、「こんなものが必要とされる世の中は嘆かわしい」「シルバーシートなど設けたら、そこ以外の席は高齢者に譲らなくなってしまう」など。そもそもシルバーシートが設けられたのは、高齢者が席を譲ってもらえない、つまり思いやりがない人がいるという状況がふつうにあったからだろうが、同時に、そうした制度が逆に社会から思いやりを奪うと懸念した人もいたわけだ。
 要するに、いわゆる「江戸しぐさ」が「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」であるとは思えないし、それらが「江戸しぐさ」と呼ばれたということもなさそうだが、呼び方は別として、そうしたマナーが過去にまったく存在しなかったわけでもないということではないか、といいたいわけだ。
 かのNPO法人は、会員からそう安くもない会費をとっているほか、「江戸しぐさ」ということばを商標登録したうえで、書籍やセミナーなどのビジネスを行っている。そうした「事業化」のために、江戸時代に遡るという「伝統」が必要だったのかもしれない。それにしては「江戸しぐさ」という呼称が一般に知られていなかったという事実は、伝統だったという主張とは矛盾するわけだが、「秘伝だった」ということにすればつじつまを合わせられなくもない。いってみれば、記録がほとんど残ってないから実態がよくわからない忍者みたいな存在だ。考えてみればこのNPOは学術研究を行っているわけではなく、非営利法人とはいえ「江戸しぐさ」なるコンテンツを使ったコンテンツビジネスを展開する事業体なのであるから、その意味では「江戸しぐさ」も日光江戸村の忍者ショーと同類といえるのではないか。そう考えると、少しわかりやすくなる気がする。
 とはいえ、はっきりいって、そんなことにはあまり関心がない。「水からの伝言」と同様、学校教科書に載っているのだとすればそれは問題があると思うが(実際一部の教科書に載っているとWikipediaに書かれていて、それには重大な懸念を抱く)、仮にそうだとしても、「水に人間の言語を解する能力がある」といった科学を根本から覆すようなでたらめというわけでもない。こう書くと批判されそうだが、いいたいのは、「江戸しぐさ」にいかに根拠がないかをこまごま指摘して事足れりとするのではなく、「江戸しぐさ」によって実現したかった目的が「江戸しぐさ」を言わずとも実現できることを示すことが重要ではないか、ということだ。
 「江戸しぐさ」の提唱者は、それによって、市街地におけるマナーを向上させたいと考えたのだろう(大商人の経営哲学とかについてはよく知らないがここでは無視する)。これは、悪いことではない。実際、街を歩いていて感じる人々のマナーは、駅での整列乗車などシステム化された領域を除いては、低下しているのではないかと思うことがよくある。江戸発祥である必要も大商人の哲学である必要もないが、たとえば狭い道で傘をさしたまますれちがうときにどうすればいいか、電車で混んでいるときにどうすればいいかなどについての「常識」は、もっと広く共有された方がいい。歴史的事実を捏造するのはよくないが、目的が街中でのマナー啓発なら、その2つを切り離して、マナー啓発をそのまま主張すればいい。
 つまり、かつての「江戸」しぐさを取り戻せ、ではなく、街中でのよりよいマナーを身につけよう、ということだ。当然、「江戸しぐさ」と呼ぶ必要はない。江戸発祥だという証拠はないんだし、歴史と関係なく、地域とも関係なく、これから日本全体で普及すればいいということだしというわけで、ちがった呼び方をすれば丸く収まるんじゃないかな。せっかくだから「日本しぐさ」とでも名付けたらどうか(もちろん別の呼び名でもよい)。折しもクールジャパン政策なるものが推進されているではないか。日本人のスマートなふるまいは、まさしくクールジャパンの中核をなすものだと思う。
 もちろん、「江戸しぐさ」も、教科書に載せるとかでなければ、どんどん活動していただいていいと思う。私たちは(少なくとも私は)、日光江戸村の忍者ショーだって好きなのだし。
 ※追記
 登録商標のデータベースを見ると、「江戸しぐさ」での登録は3件ある。「焼のり,干しのり,味付けのり」については株式会社井上海苔店(出願日2008年3月26日)、「飲食物の提供」で株式会社オールフロンティア(出願日2008年9月17日)、 「紙類,文房具類,印刷物」及び「セミナーの企画・運営又は開催,書籍の制作,電子出版物の提供,教育・文化・娯楽・スポーツ用ビデオの制作(映画・放送番組・広告用のものを除く。) 」で特定非営利活動法人江戸しぐさ(出願日2009年1月21日)。件のNPO法人は最後なんだね。「江戸しぐさ」関連の書籍は1992年には出てるらしいので、前の2社に登録されちゃって、あわてて「本家」も登録したってところなのかな。それとも「関係者」なのだろうか。
 山口浩
 駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授
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 日本列島とは、同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境の中を、家族や知人さえも誰も助けずに身一つ、自分一人で逃げ回って生きてきた。
 日本人は生き残る為に個人主義であり、日本社会は皆で生きていく為に集団主義である。
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 吉村均「日本人は自然の力を人間の世界の外に排除して、その代償として、決まった日
に来てくれたら、歓迎してもてなし、送り返すまつりをおこなう必要があった」『日本人なら知っておきたい日本の伝統文化』
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、旧石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人に、南方揚子江弥生人(渡来人)、北方満州系古墳人(帰化人)が乱婚を繰り返し混血して生まれた雑種(ハーフ)である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりの事であり、日本の個人主義とは自分の仕事に誇りを持つ事である。
 つまり、日本民族日本人とは集団主義者であると同時に個人主義者でもあった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の旧石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本民族文化における自然観とは、縄文時代以来、自然と人間が対立しない、自然との繋がりを大切に文化である。
 それを体現しているのが、自然物をご神体とする神社である。
 日本民族の美意識は、「わび、さび、簡素」だけではなく、濃くて派手な縄文系、シンプルで慎(つつ)ましい弥生系、統一された形式としての古墳系が複雑に絡んでいる。
 それを、体現しているのが神社のしめ縄である。
 それは、「全てが、控えめにして微妙に混じり合っている」という事である。
 谷崎潤一郎「言い難いところ」(『陰翳礼讃{いんえいらいさん}』)
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 日本民族は、旧石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
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 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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