🏯37)─2・B─下級武士は本業=お城勤め(本職)と副業(内職)で生活していた。金上侍。~No.71 

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 武士は武士を辞めて身分が低い庶民になり、百姓や町人は大金を払って身分が高い武士になった。
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⛩79)─1─幕末の庶民(百姓・町人)が、志を立てて剣豪になり、死して靖国神社に神として祀られた。~No.176 *
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 2023年2月9日 YAHOO!JAPANニュース ファイナンシャルフィールド「江戸時代の「下級武士」は意外と低収入!? 給与が足りず「副業」をするのは現代と変わらない!
 副業にチャレンジしている人が増加傾向にある昨今、江戸時代の下級武士も現代と同様に生活苦から、副業をせざるを得ない状況だったことをご存じでしょうか?
 江戸時代はどのような副業で生計を立てていたのか、現代と比べて違いはあるのか、詳しくみていきましょう。
 【画像】江戸時代はどのような副業で生計を立てていたのか、現代と比べて違いはあるのか、詳しくみていきましょう。
 江戸時代の下級武士は低収入で悩んでいた!?
 江戸時代の下級武士が低収入で悩んでいたことをご存じでしょうか? 下級武士は戦で手柄をたてて褒美をもらい、新しい領地を得ることで収入が上がっていました。
 しかし江戸時代は戦が減少した時代だったため、幕府や藩の役職に就いている下級武士たちは安泰でしたが、役職に就けない下級武士は貧しい暮らしをしていたのです。
■下級武士の仕事内容
 下級武士の生活は朝、城や城下の役所に出勤して仕事をした後夕方に帰宅する、いわゆる会社員生活です。仕事量に対して下級武士の数が多すぎたため、忙しさはありません。下級武士の仕事は、週1回や1日行ったら2日休みといった現代でいうシフト制のような働き方が一般的でした。そのため、空いた時間で内職をして生活費を稼いでいました。
 江戸時代の貨幣価値を現在価値にすると
 江戸時代の歴史は260年と長きにわたるため、貨幣価値について一概にはいえません。江戸時代の貨幣価値について、日本銀行が回答として挙げている貨幣博物館の見解も簡単には回答できないとしています。
 ただし1つの目安として、米価から計算した金1両の価値を江戸時代初期で約10万円としています。1両が10万円とすると他の貨幣価値は1両=4分(ぶ)=16朱(しゅ)=50匁(もんめ)=4000文(もん)です。1両10万円として、下級武士がどの程度生活が苦しかったのかみていきましょう。
 下級武士の給料は年収80万円と米
 江戸時代の武士は給料をもらっていましたが、武士のランクによってもらえる給料は異なりました。武士全体の平均年収は税金を引かれ約500万円(50両)といわれています。
 一方、下級武士は米を自分たちで食べる分だけを確保し、残りを現金に換えて生活していました。米を現金化した後の年収をみると約80万円(8両)といわれています。
 年収約80万円とすると月収約6万6000円となり、今よりもお金がかからない時代であったとはいえ、下級武士の生活は庶民の生活と同様に貧しい暮らしだったのでしょう。1両10万円の場合、1両は4000文となり1文25円の価値といえます。その場合江戸時代に売られていた食べ物や傘などの金額は図表1のとおりです。
 【図表1】
 日本銀行金融研究所貨幣博物館 お金の歴史に関するFAQ より筆者作成
 江戸時代に人気のあった副業
 貧しい暮らしをしていた江戸時代の下級武士は空いた時間を使って副業をし、生計を立てていました。江戸時代の下級武士に人気があった副業はどのようなものか紹介します。
■傘張り
 江戸時代の傘は現代に比べて高価でした。女性に人気の「蛇の目傘」は1本2万円ほど(約800文)で売られており、江戸時代に歌舞伎の小道具として使われたことをきっかけに、流行したといわれています。また、庶民向けの傘といわれる「番傘」でも1本5000~7500円ほど(約200~300文)の値段で売られていたそうです。
 そのため、人々は傘が壊れても捨てずに「古傘買い」に売りました。「古傘買い」は現代でいうところのリサイクル業者になり、紙を張り替えて再び売っていました。
 この傘の紙の張り替えを副業としていたのが下級武士たちです。副業する下級武士たちは、傘の傷み具合によって1本100~300円で買い、紙を張り替えて5000~7500円で売っていました。
■金魚の飼育
 江戸時代中期には、金魚の飼育がブームとなりました。金魚は国内での養殖が盛んになったことで、それまで高級ペットだった金魚が庶民的なペットとなりました。
 この養殖を行っていたのが副業に励む下級武士たちです。浮世絵にも多数登場するほど江戸時代の金魚は人気があり、流行のきっかけは下級武士が副業を始めたことだともいわれています。
アサガオ
 江戸時代後期には、変化朝顔がブームとなりました。変化朝顔とは突然変異から生まれた朝顔です。一般的な朝顔とは見た目が異なり、江戸時代に人気が高い植物でした。下級武士たちは変化朝顔や一般的な朝顔の栽培の副業も行うようになったそうです。
 現代と似ている江戸時代
 江戸時代の副業の話は現代の社会情勢に似ていると感じた人も多いのではないでしょうか。
 現代では副業が解禁される企業が増加傾向にあります。現代でも生活のために副業を始めた人は多いのではないでしょうか。時代が変わっても、副業の文化は変わっていないといえるでしょう。
 出典
 日本銀行金融研究所貨幣博物館 お金の豆知識江戸時代の1両は今のいくら?
 日本銀行金融研究所貨幣博物館 お金の歴史に関するFAQ (回答)
 独立行政法人造幣局 江戸時代(えどじだい)のお金(かね)のしくみ
 執筆者:FINANCIAL FIELD編集部
 ファイナンシャルフィールド編集部
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 天皇が統べる神国日本で、共産主義によるイデオロギー革命やキリスト教による宗教革命が起きず、そして中国・朝鮮・ロシアによる武力侵略が成功しなかったのは、貧困で困窮した多数の下級武士が存在したからである。
 敗戦後のマルクス主義史観・キリスト教史観・儒教史観による戦後民主主義教育の歴史教育が子供達に教えた「斬り捨て御免」は、ウソとはいわないが間違っていた。
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 下級武士は、1600年頃に定められた固定給(家禄・俸禄)の低収入で生活が苦しく、あまりの貧困生活から抜け出す為に武士身分を放棄していた。
 武士は、欧米の貴族や騎士ではなく、中国の士大夫や読書人でもなく、朝鮮の両班でもなく、マルキシズムボルシェビキが人民革命で打倒すべき支配階級・上流階級でもなかった。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・野伏せり・悪党、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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