🌏13)─6─明治維新は水戸学=朱子学の儒教革命であった。~No.42 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本は、飛鳥時代までは浄き「神の国」であり、奈良時代から江戸時代までは清き「仏の国」であり、明治時代から昭和前期時代までは潔き「徳の国」であり、敗戦から現代までは狡賢き「利の国」であり、そして現代から未来の日本は「何の国」なのか?
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 同じ祖先崇拝と行っても、中国や朝鮮は儒教に基づき人として祭るが、日本は神道の神として祀り仏教の仏として弔う。
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 明治維新の原動力は、尊皇攘夷朱子学儒教に強い影響を受けた水戸学であった。
 薩長倒幕派明治新政府は、水戸学=朱子学の過激派で原理主義テロリストであった。
 徳川幕府会津藩など佐幕派は、水戸学=朱子学の穏健派で国際協調主義者であった。
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 朱子学の毒が、日本の近代化によって日本に蔓延し日本人を汚染した。
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 明治の日本は表は西洋近代化で裏は朱子学儒教化で、国学と仏教は冷遇された。
 日本朱子学は、孔子の「怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず」から仏教(廃仏毀釈)と神道(神社合祀令)に対する宗教弾圧を行い、古事記国学は教育の場に閉じ込め、非宗教的拝礼儀式の国家神道を創設した。
 非宗教的拝礼儀式の象徴が、靖国神社や各地の護国神社である。
 その他に日本朱子学が新しく作り出したのが、明治期では日本国帝国憲法教育勅語、軍人勅語統帥権、官僚登用制度(日本型科挙制度)、修身教育などの近代的諸制度で、昭和前期では国民に対する国體の本義や軍人に対する戦陣訓などである。
 日本人の無宗教は、日本儒教が原因である。
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 2021年3月号 WiLL「ゴーマン中国人
 DNAは朱子学にあり
 牧歌的で、思いやりのあった中国が、なぜここまで変わったのか
 井沢元彦/石平
 朱子学の毒
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 石平 井沢さんはさまざまな著書で中国の危険性を訴えられています。特に『逆説の世界史』(小学館)『脱・中国で繁栄する日本 国を滅ぼす朱子学の猛毒を排除せよ』(徳間書店)では、朱子学の毒性の激しさを強く主張されていた。
 井沢 朱子学以前・以後で、中国はまったく別の国に変わったように思います。儒教孔子孟子の教え)は、英語だと『Confucianism』です。ところが、朱子学以降は『Neo-Confucianism』となる。つまり、『新儒教』です。
 私は孔孟以来の牧歌的で人道的な儒教を捻(ね)じ曲げた張本人が、朱子朱熹{しゅき}。1130~1200年)であると見ています。ところが、石平さんの『なぜ儒教は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(PHP新書)を拝読したら、孟子の頃からすでに儒教は変節し始めていたと指摘されていました。
 石平 そうです。ただ、私が本を書くきっかけになったのも、朱子学の残酷性に触れたからです。
 井沢 特に女性に対してひどかった。
 石平 『殉節(じゅんせつ)』といって、夫が死ねば、妻も同じく死を選ばなければなりませんでした。清王朝の260年間で、実に500万人以上の女性が犠牲になったと考えられています。こんな朱子学に中国と李氏朝鮮は400年以上も毒され、人間性の欠片(かけら)も見当たらないほど残酷な世界となった『論語』の世界とあまりにもかけ離れており、その疑問から執筆に至ったのです。なぜ朱子学が誕生したと思われますか。 
 井沢 『靖康(せいこう)の変』(『靖康』は年号。1126~27年)が大きかったと思います。宋は北方の遊牧民族国家であり、同盟国だった金を、同じ遊牧民族である遼(りょう)を利用して滅ぼそうとしました。宋=中国人からすれば、中国こそ唯一の国家にほかなりません。勢力を伸ばし始めた金は、中国にとって無礼な国に過ぎない。ところが、当時の宋は文化的な国家でしたが、軍事力は弱かった。自分たちで金を倒す力はない。そこで遊牧民族同士で争わせようとしたのです。
 石平 ところが金は、宋の策略に気づいた。
 井沢 当然、激怒した金は宋に攻め入り、首都、開封を陥落させ、皇帝を捕虜にしてしまった。さらに皇族のほとんどと、官僚数千人を金に連行しました。中でも悲惨だったのが皇族の女性たちで、年長者は金の皇族や貴族の妾(めかけ)にされ、幼い皇女らは金の官立の妓楼(ぎろう)『洗衣院(せんいいん)』に入れて育てられ、上流階級を客とする娼婦に堕したのです。
 それまでの中国は、自分たちが一番だと思いながら、他国への思いやりを持っていました。他国への文化にも関心を示し、家族を大切にしていたのです。ところが、妻子がそんな目にあってしまった。これは大きなトラウマです。
 生き残った皇族は南方に逃れ、南宋をつくります。自国の力が弱いため、助けに行くことができない。軍事力では勝てませんか、頭の中で勝つほかない。徹底的な外国文化の蔑視、つまり『中華意識』が肥大し始めたのです。
 石平 その論理づけに朱子が関与した。『靖康の変』の4年後に朱子は生まれています。
 井沢 要するにインテリのヒステリーですよ。異文化には学ぶべきものは何もないと、とても独善的・排他的思想が生まれ、仮想現実に逃げ込んだのです。後年、『水滸伝』という作品が誕生します。ひ弱な宋が、108人の英雄にとって救われるなんて話は、まさに仮想現実そのもの。『靖康の変』が中国を変えた大きな分岐点として位置づけられることは間違いありません。
 科挙の弊害
 石平 『本来の中国が失われたのは宋以降』という議論は、中国国内でもなされています。宋以降、まさに原理主義的な朱子学支配下で、中国人の闊達性や人間性を奪われ、過酷な社会秩序を形成するようになる。しかも、国内のみならず、世界的にも拡大していく。それが『華夷秩序』です。朱子学がその理論づけをしたわけですが、金儲け、商売行為も目の敵(かたき)にしている。
 井沢 巨大な版図を持つ中国ですから、輸入に頼らず、自給自足で済む。ですから、そういう発想が生まれやすかったのではありませんか。もう一つ、周に滅ぼされた殷(いん)の移民が、土地を奪われたため、商売で生きるしかなかった。国を失ったユダヤ人と同じように、差別が根強く残ったのだと思います。
 石平 中国人の商売蔑視は『科挙』(598~1905年、隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験)が大きな影響を及ぼしたと思います。
 覚える内容も膨大な古籍をまるまる暗記するなど、なんの役にも立たない知識ばかり。しかも試験に受かるには10年、20年かかることもザラ。
 井沢 科挙があれば、魚屋や八百屋の息子でも官僚になれる。でも、日本はそうではなかった。だから、中国からすると遅れた国だと思われていました。
 石平 ですが、中国の優秀な若者たちはそのために、科挙試験に合格し官僚になる以外、人生の夢や目標を持つことができない。逆に言えば、官僚以外の職業は賤(いや)しいものだと見なされるようになった。
 井沢 日本の場合、『老舗』という言葉があるように、500年以上続く会社が存在しています。長く続けること自体、社会的に評価される。でも、中国や朝鮮半島では、そういう評価軸が存在しない。たとえば、どれほど菓子づくりが巧みな職人だとしても、お金が入れば、息子には店を継がせず、科挙試験を受けさせようとする。
 石平 だから、モノづくりが発達しません。日本は江戸時代、商人が金を儲け、武士に金を貸すまでになった。でも、中国ではそんなことはありません。支配階級は金持ちから奪えばいい。だから、資本主義も育ちません。この科挙制度をイデオロギー的に補強したのが儒教であり、朱子学でした。
 井沢 儒教イデオロギー化したのは、いつ頃だと考えていますか。
 石平 孟子の頃からだと思います。孔子イデオロギーも哲学も何もありません。お人好しで、人生経験が豊富なおじいさんが、愛弟子(まなでし)に囲まれ、日々の訓戒を語る・・・そういうイメージです。だから、孔子の教えは矛盾だらけです。論理的整合性はありません。
 井沢 そうですね。イデオロギーにはしていません。つまり『論語』は、『菜根譚(さいこんたん)』(中国明代末のもの。主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居{かんきょ}の楽しみを説いた書物 のようなもの。
 石平 そうです。漢の時代、儒教が整理されていく中で、『五経』(『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』)を経典としましたが、『論語』は採り入れられなかった。いわば、キリスト教で『聖書』を認めないのと同じ。漢の時代、『論語』=儒教とは考えていなかったのです。
 井沢 『論語』を儒教の大系に組み入れたのが朱子だった。
 石平 五経では足りないと『四書』(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)を新たに経典にすべきだとしたのです。
 井沢 そもそも『五経』にしても、孔子が編纂(へんさん)したものと言われていますが、違いでしょう。
 石平 孔子は何も関係ありません。『詩経』は孔子が編んだと言われていますが、それだけのことです。
 井沢 仏教も似たようなところがあります。悟りを開いた釈迦が教えを説き、その教えを弟子たちがどんどん膨らませて大乗仏教とした。大乗仏教も、すべて偽典で、釈迦とは何の関係もありません。
 家族のためなら法も犯す
 石平 中国人の行動原理を理解するのに、重要なキーワードが『家族』です。井沢さんも指摘されていますが、『一族の繁栄のためなら、公はどうでもいい』という発想が強い。
 井沢 孟子のエピソードですが、弟子から次のような質問を受けました。『もし父親が国家の法律に触れるような罪を犯した場合、子たるものはいったいどうしたらいいのか』と。公を優先すべきか、私を優先すべきか、難しい問題です。孟子の答えは『父親を担いで外国へ逃亡せよ』でえす。また、羊泥棒をした父親を警察に告発した息子がいたという話を聞いた孔子は『父は子のために隠し、子は父のために隠す。本当の正直とは、その中にある』と答えています(子路第13篇・第18条)。
 たとえ国法上死刑に値するような罪を犯しても、それが親ならば子は父を絶対に刑に服させてはならない。それは『孝』に反するというのが、儒教の根本的な考え方です。
 石平 家族の倫理道徳と公は別物だと。賄賂文化も、ここから派生しています。官僚からすれば、賄賂をもらうことは、家族の繁栄のためにいいこと。賄賂をもらうことで社会的利益を損なうわけですが、それを悪とは考えない。
 井沢 中国文化を外から眺めて不思議に思うのは、『絶対神』が存在しないことです。孔子は『怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず』と述べている。つまり、神霊的存在や超自然現象などは扱わないということでしょう。
 たとえば、イスラム教ではアッラーという絶対神が存在し、その前では人々は基本的に平等です。キリスト教も同じ。フランス革命が発生した理由もここにあります。国王・貴族は絶対だという考えが根づいていたとしたら、平民たちがその国王を捕らえ、ギロチン刑に処するなんてことは到底考えられません。
 石平 日本の場合は、どう思われますか。
 井沢 吉田松陰(幕末の思想家・教育者。1830~59年)は、朱子学は『士農工商』という身分制度が厳然としてあるが、その上に天皇は絶対的に存在するものだとしたのです。天皇の前であれば、みな平等だと。これを私は『日本型民主主義』と呼んでいます。朱子学を改変することで、日本は民主主義を達成することができた。逆に言えば、『怪力乱神』を認めない社会であれば、人間には格差が必ず存在し、平等な精神が生まれない。
 石平 中国がまさにそうです。中国は絶対神の代わりに『天』を据えました。そして、その天の代わりに国を治める皇帝のことを『天子』と称するようにしたのです。
 井沢 でも、天は何も言わないでしょう。
 石平 そうです。天の意思がどこにあるのか、誰もわかりません。
 井沢 日本の朱子学者が批判したのは、まさにその点です。要するにケンカの強いやつが勝って、国を治めて、威張っているだけではないかと。それに対して、日本は神様のご子孫である天皇が君臨しているから、我々のほうが優れているとしたのです。
 石平 一方、中国は、皇帝を頂点に、官僚たちが皇帝の手足というピラミッド構造が固定化されます。だからこそ、中国では民主主義が実現できません。もう一つ、『易姓革命』が生まれた原因もそこにあります。
 井沢 天を主体にしているから、『乱れた世を救うために、天は皇帝の担当者の姓をAからBに易({か}替)えた』というわけですね。
 石平 皇帝を倒せば、次は自分が天子になれると、何度も王朝の交代が発生してしまった。いわば中国の歴史は、閉鎖された世界から抜け出すことができず、延々と同じことの繰り返しなのです。
 井沢 ヘーゲルは『歴史なき歴史』という表現を使っていますが、その言葉はまさに中国史に当てはまる。習近平だって、皇帝そのものですよ。
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 中国の真の野望
 井沢 皇帝は民主主義を認めることは絶対にありません。自分たちの権威・権力を失うことになりますから。……
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 石平 ……厄介なのは、皇帝は天子である以上、中国で崇拝されているだけでは我慢なりません。周辺諸国もひれ伏して朝貢しないと、天子の証明とならない。
 井沢 まさに〝華夷秩序〟です。
 石平 皇帝の独裁権力を支える上で、〝華夷秩序〟はとても重要な装置なのです。
 井沢 そういう意味で、中国の真の野望は世界を征服することでしょう。国内でも平等がないということは、国と国の関係でも平等関係はあり得ない。中国がもっとも満足するのは、米国大統領が朝貢することです。それによって、大統領を米国国王に任じる。欧米は中国のこういった実態を、まるきり理解していません。
 石平 2017年11月、トランプ前大統領が訪中した際、習近平紫禁城に招待しました。習近平からすると、紫禁城の主(あるじ)は私であると。中国にとって紫禁城は天子が住む場所。そこに招待したということは、トランプ氏は習近平の家来であると全世界に示したかったのです。
 井沢 『中国』という名称自体が、『世界の中心の国』という意味です。周辺国はすべて野蛮な地域であると。
 石平 皇帝の権威を認めず、朝貢もしないとなれば、征服することは当然です。中国からすれば『侵略』という意識すらありません。天子ですから、天下のものはすべて自分にひれ伏すとしか考えていません。
 井沢 帝国陸軍は『暴支膺懲(ぼうしようちょう)』というスローガンを使用しましたが、膺懲とは懲らしめること。元はと言えば、皇帝が野蛮国を懲らしめる言葉です。
 石平 その精神が今も生き続けているのが、中国なのです。
 儒教共産主義の相性
 井沢 キリスト教徒であれば、『私が今生きているのは神様のお陰だ』と考える。しかし、儒教の場合、『絶対神』を認めていません。そうすると道徳の基準はどこにあるのかと言えば、『親』です。このように考えると、儒教の根源は、すべて孔子に行き着くのではありませんか。
 石平 むしろ儒教は、孔子の教えの中で、もっとも悪い要素を引っ張り出して、つくりあげたと言えます。そして、科挙制度が、その後押しをしたのです。
 井沢 では、『論語』の良さとはなんでしょう。
 石平 『礼』の大切さや『仁』(相手を思いやる気持ち)の教えなど、評価できます。実を言うと、『論語』を最も正しく解読した人は、伊藤仁斎(江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。1627~1705年)ですよ。江戸時代、徳川家康は武士社会の統治のために朱子学を導入しました。ですが伊藤仁斎荻生徂徠(江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者。1666~1728年)は朱子学の毒を見抜き、解体し、『論語』の原点に回帰していく。だから、仁斎の論語評を読めば、『論語』の素晴らしさがわかります。
 井沢 いわば逆輸入の形ですね。……
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 井沢 ……中国は無神論国家です。私が思うに、儒教共産主義の相性はとてもいい。
 石平 それは言えます。
 井沢 一つ目が『無神論』であること。二つ目が『少数のエリートが愚かな大衆を指導すべきである』と教えること。三つ目が『資本家は悪である』こと。今の中国は資本主義を完全には否定していませんが、ほかの二つは根強く残っています。儒学の土壌があったからこそ、中国の中に共産主義が自然と入り込んでしまった。
 ソ連は崩壊したから、中国もいずれ民主化の道をたどるだろう。現に資本主義を取り入れるようになったから。変化するだろうと思っている人もいますが、そんな単純な話ではないと思います。
 石平 マルクスレーニン主義が一番受け入れられる場所が中国だった。もう一つは北朝鮮です。厳格な朱子学李氏朝鮮にあったように、厳格な共産主義北朝鮮にあったと言えます。もっと言えばレーニンは〝ロシアの朱子〟だった。
 井沢 儒教的な支配体制における『士』が、共産主義における『共産党員』なわけですね。
 石平 その流れを受け継いでいるのが、習近平政権です。対外的には共産党の絶対的な指導者が善であり、企業家・商売人は悪としています。……
 その一方、習近平が皇帝であることの正統性を保証するため、『人類共同体』という概念を打ち出しています。この共同体をまとめるのは一体誰なのか。『人民日報』は1面で、『習近平主席こそが世界の未来の道を示す』と書いていました。
 井沢 呆れて物が言えません。
 石平 2020年9月、国連の総会で習近平はビデオ演説を行いました『人類運命共同体』もそこで話しましたが、翌日、中国の国連大使が『人民日報』で『習主席のビデオ演説は国連の未来の方向性を決めた』と。
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 民衆も毒されている
 井沢 でも、そういった指導体制のウソを、中国人は気づいてはいないのでしょうか。
 石平 自分たちの利益にかかわることは、分別力が働きます。でも、それ以外のことは、無関心か、信じるフリをしたり、あるいは信じません。最高指導者が国連の方向性を決めているという話を聞けば、悪い気はしない、そういうとらえ方です。
 井沢 中国がいかに異質な国家であるか、そこをよく理解しないといけません。
 石平 国際的常識なんて、まったく通じません。特に日本人は『一衣帯水』『同文同種』という言葉に酔いしれて、中国に対する見方を誤りやすいのです。顔は似ていても頭の中はまったく違う。
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 石平 ……中国では本当のことを言ってはいけない。一族を守るためには、ウソをついても全然平気です。 
 井沢 そんなところにも儒教の影響が浸透しています。
 石平 儒教に毒されたのは皇帝だけではありません。民衆にも広がっているのです。だから民衆の心理には、絶対的な皇帝を求める気持ちがあります。中国国内には監視カメラが無数設置されています。民主主義社会に生きている我々からすると、そんな監視社会はとても耐えられません。ですが、多くの中国人は、そういう社会環境を良しとします。
 野蛮な連中は山間部から
 石平 不思議なのは、日本では朱子学の毒がそれほど回っていません。だからこそ、私も中華思想の誤りに気づくことができたのですが、それはなぜでしょう。
 井沢 天皇の存在がやはり大きかっと言えます。それと科挙制度を取り入れなかったことも重要なポイントでしょう。
 石平 江戸時代以前、儒学に対して日本は冷淡な態度をとってきました。むしろ、仏教を篤く信仰していた。そこも大きかったと思います。
 井沢 日本人は『怪力乱神』を信じる精神性があります。仏という『怪力乱神』が入ってきたときも素直に受け入れることができた。一方、中国人は究極のリアリストだと言えます。『天国・地獄があるなら、行ったことがあるのか』『神様がいるのなら、ここに出してみろ』と言う。確かに合理的に考えればそうですが、多くの人類は、見えない世界に対して信仰心を持ちやすい精神性がある。でも、中国の民衆は道教を信じていますが、エリート層になると、まったく神仏を信じません。『親から生まれたことは否定できないだろう。だから、親に対して孝を尽くす』と。
 石平 中国の古代文字、甲骨(こうこつ)文字は占いのためにつくらえています。殷の時代まで、占いによって政治の方向性は決められていました。ですから、中原で文明的な国家が誕生すると、山間部(主に陝西省)から野蛮な連中が中原に侵攻し、征服することを繰り返しています。殷の場合は周がそれにあたります。……
 井沢 まさに『歴史なき歴史』ですね。
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 石平 朱子学はまさにそう。野蛮国に追い出されたルサンチマン(怨念)から朱子学が誕生しています。……中国共産党の大幹部で、大学の図書館館長だった李大釗(りたいしょう)の誼(よしみ)も手伝って、毛沢東を司書補に引き立てたのです。毎日、図書館に来るのは、北京大学の教授、大学者たち。毛沢東湖南省なまりでそういった学者連中に話しかけるのですが、田舎者と言われ、まったく相手にされなかった。
 井沢 学者に対する恨みの体験がが文化大革命につながったわけだ。中国も韓国も『恨み』の気持ちが根深く残る。
 石平 それも朱子学の影響ではありませんか。江戸時代、家康が朱子学を導入し、寛政の改革を実施した、松平定信江戸幕府の老中。1759~1829年)のような原理原則的な人物も登場しました。ですが、朱子学の影響は武士階級にとどまり、町人たちは、それほど関係がなかったと言えます。むしろ、渋沢栄一に代表されるように商売道徳として、上手に活用した。
 井沢 先ほど話したように朱子学は日本型民主主義の源流ともなった。日本において、朱子学は100%悪だとは言えません。
 石平 朱子学の論理を生かして、明治維新が実現できたと。
 信長軍vs帝国陸軍
 井沢 ところが、明治以降になって朱子学の毒が回ってしまった。天皇を絶対視するようになり、特に帝国陸軍が組織的に硬直化します。そこから昭和の敗戦につながる。
 石平 ご指摘のように、科挙制度と似たような教育制度は、むしろ明治以降に導入されたと言えます。
 井沢 国家公務員試験がまさにそう。試験に受かれば、どんなに年齢が若くても日本のトップ官僚になれてしまう。朱子学の悪い部分が明治以降に出てきます。陸軍士官学校出身者でなければ、どれほど頑張っても少佐以上に出世できない。つまり、どれほど優秀な人間でも、実力で指揮官にはなれない。
 さらに兵器にすべて菊の紋章(皇室を表す紋章)が入っていたため、たとえ劣悪な兵器だとしても切り替えることができなかったのです。使いこなせないのは練習が足りないからだとなる。これも朱子学の悪影響の一つです。
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 石平 日本は一日でも早く中国の影響から脱しなければなりません。ですが、本居宣長(江戸時代の国学者・文献学者・医師。1730~1801年)が言うように『漢心(からごころ)と大和心(やまとごころ)』の相剋(そうこく)が、今も続いていると言います。
 井沢 中国文学者の高島俊男さんが指摘していましたが、漢語とは永遠に縁を切ることができません。『くされ縁』という言葉がありますが、『くされ』は大和言葉で、『縁』は漢語です。日本語から漢字をすべて追放したら、同音異義語だらけで意味がわからなくなる。韓国では漢字の使用を禁じましたが、同音異義語だらけになり、多くの語彙(ごい)が消えてしまったのです。名前だって漢字表記ですから、漢語とは簡単に縁を切ることはできません。
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 高学歴知的エリートとは、朱子学儒教的教育で量産された「金太郎飴」のような最優秀人材である。
 朱子学儒教的教育社会とは、超有名大学の難関試験を合格し優秀な成績で卒業した学歴偏重社会の事である。
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 同じ儒教でも、日本の儒教と中華(中国や朝鮮)の儒教は全く別な儒教で、日本は異端の論語儒教で、中華は正統な朱子学儒教であった。
 日本の儒教と言っても、江戸期の儒教、明治から昭和前期までの儒教、敗戦から現代までの儒教は、三者三様で別物である。
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 日本人と中国人・朝鮮人は、姿形がにていても思考・感情・行動様式は正反対に近い程に違い、東アジアに住んでいても別種のアジア人である。
 東洋は、西洋以上に多種多様な人間が住んでいる。
 日本と中華(中国や朝鮮)は一衣帯水、同文同種ではなく、日本人と中国人・朝鮮人が幾ら腹蔵なく話し合っても分かり合う事は絶対にない。
 ただし、中国人と朝鮮人は余り話し合わなくても分かり合う事ができる。
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 渋沢栄一は、私・個人ではなく公・世間、社会・国家を考えて商売道徳から「論語と算盤」と説いたが、商売蔑視・労働侮蔑の儒教はもちろん個人の利益優先や金儲け主義を拒否していた。
 その証拠が、財閥を作らなかった事である。
 渋沢栄一は、何処となく二宮金次郎二宮尊徳)に通ずるが、現代日本人とは繋がりづらい。
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 儒教における易姓革命を、否定したのが正統性の男系父系天皇であり、肯定するのが正当性の女系母系継承である。
 朱子学儒教は、放伐禅譲易姓革命を正統化している。
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 儒教マルクス主義共産主義社会主義)は、反宗教無神論イデオロギーで一致し、両者とも陰惨な宗教弾圧を行っていた。
 中国共産党を支えているのは、共産主義儒教である。
 ソ連は、「絶対神の前では万人は平等」というロシア正教によって崩壊した。
 イギリスやオランで誕生した資本主義には、資本論によるマルクス主義ではなく、プロテスタントカルヴァン派における神の絶対的権威、予定的恩寵・救済、禁欲的信仰生活を内に秘めている為に商売や株価などに「神の御手」という言葉がよく使われ、取引の契約は絶対神への宗教的誓いで結ばれる。
 人が欲得でつくった法律的契約は、人が新たに法律をつくったら破棄され無効になり不成立となる。
 つまり、法律は不変ではない。
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 歴史は繰り返すは、中華世界の中国や朝鮮では当てはまるが、日本では当てはまらない。
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 中国共産党政府に忖度する親中国派・媚中派とは、中国に傅く朝貢派である。
 日本の親中国派・媚中派は、政治家や官僚の保守派、メディア関係者、学者・教育者達、企業家・経営者など財界に多い。
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 中国軍は、核ミサイルの照準を日本に合わせ、日本人の命を人質に取っている。
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 中国や朝鮮半島は、古代からいつ日本に侵略してくるか分からない敵であった。
 日本が、中国や朝鮮半島を研究し学んだのは侵略されない為であって、友好関係・善隣関係の為ではなかった。
 日本民族は、漢籍などの古典を熟読して学んでいただけに、中国や朝鮮半島の「仇(あだ)を恩で報いる」を「胡散臭い」として額面どうり信用していなかった。
 中国との国交があったのは、寛平6(894)年に遣唐使が廃止されるまででそれ以降はない。
 朝鮮は、反日国家新羅が668年に半島を統一してから数年後には国交を断絶した。
 日本朝廷は、唐と統一新羅との国交を断絶し、中国人商人に対して博多・太宰府での官製交易を認め、中国人仏教僧の入国は歓迎した、朝鮮人は何人たりとも入国を禁止した。
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 一部の平和を好む現代日本人が理想国家としているのが、文治主義による官僚政治を行った宋王朝である。
 自分達は戦争したくないから、アメリカと中国共産党政府を戦わせ、アメリカ軍が中国軍を撃滅して日本を守ってくれる事を切望しているのである。
 それは、日本の歴史上存在した事がない中国的な戦わずして勝利を得るという「漁夫の利」戦略であり、中国の伝統的戦略である「夷を以て夷を制す」である。
 その成功例が、日と米英が戦った太平洋戦争であった。
 それを忠実に実行したのが朝鮮で、滅ぼすべき敵である日本に大国をけしかけて戦争を起こさせていた。それが、日清戦争日露戦争であった。
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 現代の日本人は、時代劇は好きだが歴史が嫌いで、歴史力・文化力・宗教力は乏しく、戦略力・戦術力はない。
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 水戸学は、宋の朱子学を採用して神国日本という『大日本史』を完成させ、幕末の尊皇攘夷、外国排斥・外国人差別イデオロギーを生み出し、明治のインド発祥の仏教を害悪として排除する廃仏毀釈を実行させ、漢心(からごころ)による皇国史観を打ち立て、大正以降の愛国心教育を強権を用いて推進させた。
 水戸学には、国学の大和心(やまとごころ)は含まれていない。
 明治以降の大和魂とは、漢心であって大和心ではない。
 日本民族は、水戸学=朱子学で別人に変わった。
 その猛毒な水戸学を、大和心を通して毒性を弱め、中和させ、無毒化し、有益に変えたのが天皇の祈りである。
 そうして生まれたのが明治の近代天皇制度である。
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 明治の官僚登用試験は、科挙を参考にしてつくられた。
 エリート軍人官僚を生み出す陸軍大学や海軍大学は、初期は欧米を手本として実戦、戦争(戦略・戦術)、地政学、政治、外交、経済、科学技術そして宗教、哲学、礼儀マナーなど人間形成の為に多方面教育を行ったが、大正期以降は勝利戦史の前例主義で記憶のみえを重視する人間性軽視の科挙的軍事教育が主流となった。
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 日本人は、古事記より新約聖書論語を愛読するが、日本神話・日本仏教・キリスト教ほど儒教は好きではない。
 日本人は、日本の八百万の神々、イエス・キリスト、仏様に魅力を感じても、孔子孟子老子などの中国の偉人には興味がない。
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 日本全国に、神道の神社、仏教の寺院、キリスト教の教会などが数多く存在するが、儒教孔子廟は数えるほどしかなくそして日本人に見向きもされていない。
 日本における学問の神様は、菅原道真(御霊=怨霊)であって孔子ではない。
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 中華儒教華夷秩序では、真面な人間は漢族系中国人だけで、日本人や琉球人など周辺の異民族は唾棄すべき獣であった。
 それ故に、日本人を倭人と軽蔑していた。
 倭人とは、差別用語である。
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 女性神最高神として戴く日本と男性の天・天帝を戴き神仏を否定・排除する中国・朝鮮とは、水と油の様に交わるところが全くない別な国であった。
 中国には個人的私的な徳はあっても、公や他人に対するキリスト教の慈愛も仏教の慈悲もなかった。
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 昔から日本は、何時なんどき侵略してくるか分からない恐ろしい中国・朝鮮そしてロシア・ソ連に包囲されていた。
 明治時代。ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略から日本を守る為には、日本神道や日本仏教では戦わず祈るばかりで役に立たなかった為に、儒教原理主義朱子学に基づく近代的軍国主義国家を目指し戦争ができる国に作り変えた。
 大正時代に入ってからは、凶悪・凶暴なソ連共産主義の反宗教無神論イデオロギー侵略から天皇が統べる神国日本を守る為に朱子学軍国主義をさらに純粋化させ神話的民族主義を強めた。
 世界は、日本が自衛の為に採用した近代的軍国主義と神話的民族主義を人類に対する犯罪として否定し、武力を用いて粉砕し消し去った。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、人種差別主義者として非白人非キリスト教徒日本人をアフリカ人同様に奴隷とした。
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 日本人共産主義テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を消滅させ、日本国を滅亡させ、日本民族を死滅させるべく、昭和天皇や皇族を惨殺するべくつけ狙った。
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 古代から、日本民族は、天皇を中心とする国體を守り抜く為に民族総玉砕を覚悟して、全世界を相手に一人孤独に死闘を繰り広げていた。
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 日本を、助けてくれる外国人や弁護してくれる国は、地球上の何処にもいなかった。
 日本国内にも、そうした日本人がいたし、現代日本ではさらに多くいる。
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 日本人は、しょせん幾ら論語を読んでも「論語読みの論語知らず」で、その傾向は現代日本人に強い。
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 世間知らずの日本人には、キリスト教の隣人愛はもちろん、儒教の「朋(とも)有り、遠方より来たる、また楽しからずや」の朋=友が理解できない。
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 日本人のキリスト教徒は、全人口の1%にしか増えない。
 が、日本人は儒教よりキリスト教が好きで、論語より新約聖書を愛読する。
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