🎑38)─1─江戸時代は識字率が高かったのはウソである。歪なナショナリズム。〜No.94 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 江戸時代の日本人は、教養や知識など多方面で、西洋人や中国人はもちろん朝鮮人にも劣っていた。
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 日本人などは、褒められた人間ではない。
 日本人ごときは、賢くもなく、優れてもいないし、秀でてもいない、むしろ、はっきり言って世間知らずで、愚かで、馬鹿で、救いがたいほどのダメ人間である。
 読み書き算盤ができたのは少数で、大半はできず、仕事のみに明け暮れ無学文盲として生涯を終えている。
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 キリスト教世界では、大半の信者が日曜ミサを受ける為に教会に集まり、神父・牧師から「隣人愛の福音」を受けて知識を広め、教養を深め、知能を高めた。
 キリスト教世界の人々は、知的であった。
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 日本の歴史には、数多くのウソや捏造・歪曲・改竄が存在し、真実が少ない。
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 2019年10月17日号 週刊文春出口治明のゼロから学ぶ『日本史』講義
 【近世篇】
 『高識字率』の幻想
 1986年、当時の中曽根康弘首相の発言が国際問題となり、首相がアメリカ国民に対して釈明するという事件がありまいた。
 中曽根さんは自民党の全国研修会で講演した際、『(日本は)相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。(略)アメリカには、黒人とかプエルトリコとかメキシコとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い』と発言しました(『中央公論』1986年11月号)。
 この講演の別の箇所では『徳川時代は教育が奇跡的に進んでいて、識字率が約50%。その頃のヨーロッパの国々はせいぜい2、30%』とも発言していました。
 総理大臣の発言ですから、その影響は、とても大きかったと思います。江戸時代はリテラシー識字率)がものすごく高かったという思い込みが、日本人の中に生じてしまいました。いまでも『江戸時代の日本人は、世界で一番字が読めたんやで』という人が結構います。
 寺子屋はいつできた?
 江戸時代には藩校や寺子屋がたくさんあって、読み書きを教えたという話しはこの連載でも紹介しました。
 しかし、藩校などがいつできたかというデータをみると、急増するのが寛政年間、つまり1789年以降です。ちょうどフランス革命が起きて、19世紀に入る頃です。
 それ以前には藩校は80にも足りないぐらいでしょう。それが明治維新までに140校ほどが新設されています。藩校としては熊本藩時習館福岡藩修猷館(しゅうゆうかん)、薩摩藩造士館などがよく知られていますね。1830年以降、それまで40校程度だった私塾も1,000校まで増加します。寺子屋に至っては300校程度だったものが1万校近くも急増します。しかしこれらは明治維新からわずか3、40年前のことです。
 江戸時代には庶民も寺子屋で読み書きそろばんを教わっていたといっれも、実は江戸時代もかなり後期の話です。江戸時代の初期には、村や町では庄屋や町役人など武士の下で現地の行政を担う人たちが、読み書きできて程度でした。
 ヨーロッパの識字率
 角知行さんの『日本の就学率は世界一だったのか』によると、1850年の非識字率は北欧が10%。つまり9割の人が字を読めました。スコットランドプロイセンが20%以下。イングランドは中位グループで、30%から50%ですから読めた人は7割から5割です。
 これに対して日本の数字は、1965年に発表されたロナルド・ドーアさんの研究では、明治維新時点で男性の43%が修学、つまり読み書きができたと推計しています。これが中曽根発言の日本の識字率の元ネタだったのかもしれません。
 ところがヨーロッパの数字は女性を含めたもので、日本は女性の修学率10%(ドーア推計)を入れると、全体の識字率は3割を切ってしまいます。
 また近年の研究では、明治維新後に行われた政府の調査を利用して、義務教育以前の、日本人の読み書き能力を紹介したものもあります。
 それによれば、滋賀県では男性の9割(女性の5割)が自分の名前をサインできたのに対して、鹿児島県では6割の男子、9割の女子がサインできなかったといいます。
 軍による徴兵にあたっての調査(男性限定)では、仙台や三重県の津などのエリアでは非識字率は低いものの、沖縄や四国などでは半数以上の男性が読み書きができなかったという結果でした。女性はもっと低かったことでしょう。
 江戸や京都、栄えている地方都市の男性を中心に、字が読める人はそこそこいて、ヨーロッパにはそれほど遅れていたわけではないと思います。しかし世界のなかでも優れていた、というのは言い過ぎやで、というのが現在の研究者の認識です。
 もっとも、ヨーロッパの識字率のデータも1850年ですから、産業革命ネーションステート国民国家)化が進み、近代的な教育がかなり普及してきたころの話です。
 欧米では産業革命が始まると国家や地方自治体が小学校を作りました。工場には均質な労働者が必要だからです。
 それまでは、簡単にいえば、『人生=仕事=教育』でした。
 たとえば鍛冶屋(かじや)になりたい人は鍛冶屋のおやじのところへ徒弟修業に行って仕事を覚えるわけです。それが教育であり、人生であり、仕事だったのです。
 ところが機械を使った工場ができると、誰でも機械を操作できなければならないので、工場のマニュアルが読めるようにと学校ができます。
 学校では、すぐに工場で働けるような均質な労働力を作りはじめるのです。ディヴィド・ヴィンセントさんは『マス・リテラシーの時代』で、『ヨーロッパ社会の労働貧民層の子どもは、生活(ライフ)を通じた学びから人生(ライフ)に備える学びへ転換する必要があった』と述べています。
 産業革命によって、近代的な学校が完成するわけですね。
 いっぽう、江戸時代の日本は、まだ産業革命以前です。商家へ丁稚奉公に行き、読み書きそろばんを番頭さんから仕事のなかで教わるといった、人生=仕事=教育という世界に日本はあったのです。
 『江戸時代は一般の庶民にも高い文化があったんやで』という考えは、『高識字率』だけでなく、別の幻想も生み出しています。『江戸しぐさ』がその典型です。
 『江戸しぐさ』のまぼろし
 狭い道ですれ違うさいに、お互いに片方の肩を引いて通りやすくする『肩引き』。あるいは雨の日に、お互いに傘を外側に傾けてすり抜ける『傘かしげ』。舟(電車)で人が乗ってきたら、椅子に座っている人たちがこぶしひとつ分腰を浮かせて席を詰める『こぶし腰浮かせ』・・・。こういった『マナー』を以前耳にしたことのある人もいるでしょう。
 2005年に公共広告機構(AC)が、地下鉄構内やテレビCMでこれらの『江戸しぐさ』を公共マナーのキャンペーンに使い、広く社会に広めました。
 メディアも好意的に紹介し、2012年には、一部の中学校の公民の教科書にまで『江戸しぐさ』が掲載されます。
 『江戸しぐさ』を推進する人たちによれば、これらは、江戸時代に商人たちが生み出してた所作、知恵だとされていました。
 実はこの『江戸しぐさ』には、まったく事実上の根拠がありません。原田実さんの『江戸しぐさの正体』に、1980年代にあるひとりの作者によって生み出され、その後協力者たちによって次第に広がっていくさまが丹念に述べられています。『江戸しぐさ』は、新しく捏造された『伝統』だったわけです。
 同書の出版んおち、『江戸しぐさ』の名前は、表向きには急速に姿を消していきました。教科書も現在掲載を取りやめています。
 しかしいまもマナー講習や教育現場などで、この『江戸しぐさ』は『昔の人が編み出した、素晴らしい生活のエチケットやで』と、根強く説かれているのが現状です。
 『武士道』が、明治時代に創られた『伝統』であったのと同様です。フィクションと史実をしっかり分ける大切さを改めて思い知らされます」
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  江戸時代はおろか日本は全般において、自己責任、自力救済、自己努力が鉄則で、薄情であった。
 生きるも死ぬも本人の責任として、誰も助けなかった。
 捨てる神はいても、拾う神などいなかった。
 相互扶助、助け合い、相身互い、お互い様は、限定的な狭い範囲での事で、日本社会特有の事ではなかった。
 自分が助かる為『』なら他人を押し退ける、助かるのが一人となったら他人を殴り倒してでも自分が名乗り出る、「他人より自分」「他人など関係ない」「他人を蹴落とす」それが日本的な処世術である。
 そうした日本的な生き方を洗脳し作り変えたのが、キリスト教価値観を取り入れた戦後教育である。
 日本人が好む時代劇も、昔の古武士的価値観ではなく現代の紳士淑女的価値観に近くで書かれている。
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 戦前の修身教育は、皇国史観や忠君愛国に繋がる仁徳天皇光明皇后楠木正成二宮尊徳などであった。
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 日本には、キリスト教的な自己犠牲のボランティアは存在しなかった。
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 日本人などは、褒められた人間ではない。
 日本人ごときは、賢くもなく、優れてもいないし、秀でてもいない、むしろ、はっきり言って世間知らずで、愚かで、馬鹿で、救いがたいほどのダメ人間である。
 読み書き算盤ができたのは少数で、大半はできず、仕事のみに明け暮れ無学文盲として生涯を終えている。
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 キリスト教世界では、大半の信者が日曜ミサを受ける為に教会に集まり、神父・牧師から「隣人愛の福音」を受けて知識を広め、教養を深め、知能を高めた。
 キリスト教世界の人々は、知的であった。
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