🌏58)─1─福沢諭吉による日本の衰退に対する警告。~No.195No.196No.197 

    ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の近代化は、和魂洋才による脱亜論と非西欧の「日本民族らしさ路線」で成功した。
 それは、現実に即した哲学と科学を取り入れた政教(政治と宗教)分離にあった。
   ・   ・   ・   
 2024年2月2日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか いまこそよみがえる、福沢諭吉からの警告
 的場 昭弘
 危急存亡の日本の中で、日本はどう舵を取るべきか(写真・Ryuji/PIXTA
 © 東洋経済オンライン
 大国の盛衰は、歴史の必然である。過去の歴史を見ても、永遠に栄光の座についている国などない。栄光の座についていた西欧は、やがて来るだろう衰退の運命を恐れた。栄光をつかんだ国は必ず亡びる。だからこそ、だれしもその栄光が長く続くことを望む。
 そのためには、過去の帝国の栄光がどうやって滅んだのかという理由を知ることだ。こうして、18世紀から19世紀に「文明の衰退論」が一種のブームとなり、さまざまな著作が現れた。
 18~19世紀「文明の衰退論」ブーム
 その先駆けが、シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(1689~1755年)の『ローマ人盛衰原因論』(1734年)である。モンテスキューは、こう述べている。
「ローマの繁栄の原因の一つは、その王たちがすべて偉大な人物であったことである。歴史の中で、これほど政治家や名将たちが相次いで現れたことは他に例をみない。社会が成立する時、制度を作るのは国家の指導者である。そして、次には制度が指導者をつくりだす」(田中治男、栗田伸子訳、岩波文庫、15ページ)
 しかし、いつの間にか国は崩壊していった。それはなぜか。それはそうした優れた人々がいなくなり、腐敗が国中に蔓延したからである。
 「ローマ人はあらゆる民族に命令するところまで到達した。それは戦争の技術によってのみならず、また慎慮、英知、不屈の精神、栄光と祖国とへの愛によることであった。皇帝たちの下で、これらの徳が失われていった時も、軍事的技術だけは残り、それでもって、彼らは、君主の弱さや暴政にもかかわらず、それまで獲得したものを保持した。しかし、腐敗が軍隊の中まで到達した時、ローマ人はあらゆる民族の餌食となった。武器によって打ち立てられた帝国は、武器によって維持されなければならない」(206~207ページ)
 日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか いまこそよみがえる、福沢諭吉からの警告
 © 東洋経済オンライン
 19世紀西洋諸国は、産業革命と資本主義という武器によって世界を制覇したが、このローマ帝国の衰退を語るモンテスキューの言葉に、幾分かの不安を覚えたと思われる。しかし、19世紀により強化される帝国主義的な西欧支配の前で、やがて不安ではなく、慢心へと進んでいった。
 日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか いまこそよみがえる、福沢諭吉からの警告
 © 東洋経済オンライン
 19世紀の政治家兼歴史家であったフランスのフランソワ・ピエール・ギョーム・ギゾー(1787~1874年)は、『ヨーロッパ文明史-ローマ帝国よりフランス革命にいたる』(1828年、安土正夫訳、みすず書房、1987 年)の中で、西欧文明の優秀さを、物質文明とキリスト教的精神文明だと主張しているが、まさに向かうところ敵なしの西欧の力は、この2つを持つ限り非西欧に対して盤石であると考えていた。
 イギリスの歴史家であるヘンリー・トーマス・バックル(1821~1862年)も『イギリスにおける文明史』(Hitory of Civilization in England、1857年)の中で、自然環境の苛酷さに打ち勝った西欧の力を誇示し、それが人間の想像力を生み出し、自由を生み出したのだと述べ、西欧文明の輝かしさを褒めたたえている。
 福沢諭吉の『文明論之概略
 福澤諭吉(1835~1901年)はこの2人の書物に影響され、『文明論之概略』(1877年)を執筆する。福澤は、日本が西欧の列強と対等に戦うためには、西欧のたどった道を学び、その文明を習得することが緊急の課題であると述べている。
 「ヨーロッパといえども、その文明の由来をたずねれば、必ずこの順序階級を経て、もって今日の有様にいたりしものなれば、今のヨーロッパの文明は、すなわち今の世界の人智をもってわずかに達しえたる頂上の地位にあるというべきのみ。されば今世界中の諸国において、たといその有様は、野蛮なるもあるいは半開なるも、いやしくも一国文明の進歩を謀るものは、ヨーロッパの文明を目的として議論の本位を定め、この本位によって事物の利害得失を談ぜざるべからず。本書全編に論ずるところの利害得失は、悉皆(しっかい)ヨーロッパの文明を目的と定めて、この文明のために利害あり、この文明のために得失ありというものなれば、学者その大趣意を誤るなかれ」(松沢弘陽校注、岩波文庫、29ページ)
 日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか いまこそよみがえる、福沢諭吉からの警告
 © 東洋経済オンライン
 明治維新の日本は、日本の未来に危機感をもつすぐれた人物が多く登場した時代といえる。ローマの繁栄がそのすぐれた人物が統治したことから生まれたように、日本がアジアの中で西欧に対して少なくとも独立し、アジアの雄として一矢報いることができたのは、こうした先見の明をもつ人々が、当時次から次へと登場したからである。
 最近フランスで出版された中東出身でフランス・アカデミー会員のアミン・マアルーフ(Amin Maalouf)の書いた『迷える者の迷宮―西欧と対向者』(Le Labyrinth des égarés. L’Occident et ses adversaires,Grasset, 2023)という書物は、日本の栄光と衰退を考えるために興味ある内容を示唆してくれる。
 日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか いまこそよみがえる、福沢諭吉からの警告
 © 東洋経済オンライン
 この本の中で紹介されている非西欧とは、西欧に挑戦し、非西欧に大きな刺激を与えた国である。その非西欧の中で成功した国とは、日本、ソ連、中国、アメリカであるが、なんといってもその筆頭に来るのが日本なのである。
 本書は、日露戦争(1904~1905年)の勝利がアジア各地に与えた強烈な印象から始まる。ロシアは西欧ではないのだが、白色人種であることで、有色人種日本人の勝利の衝撃は大きなものであった。マアルーフは語る。
 「全世界が発見したこと、それはひとつの国民が、短い間で数世紀の遅れを追いつき、栄光へと歩み出たことであり、周辺的な、とるにたらない伝統的文化を出て、子供たちを無知と貧困から救い出し、彼らにほこりを与えたことであった」(57ページ)
それは日本という国が到達した栄光の時であった。だからこそ、非西欧地域で日本の勝利に、人々は勇気づけられたのである。
 非西欧で成功した国の日本
 しかし、その日本はやがてその非西欧に背を向け、アジアを侵略し、非西欧の希望の星であることを突然やめてしまう。そして1945年に、第2次世界大戦で西欧に決定的に敗北を期す。マアルーフは、この成長と発展、そして突然の方向転換を問題にする。
 これと同様の栄枯盛衰を、日本は再びたどる。アジアで唯一の経済的先進国となった日本が、また突然、成長と発展に逆噴射し、失われた30年を経て衰退し続けるのである。
 確かに、これはとてもミステリアスに見える。それは、恐ろしいスピードで発展すると同時に、恐ろしいスピードで衰退もするという、容易には理解しがたい謎の行動を日本がとっているからである。
 軍事と経済、その内容は異なるが、日本は戦前と戦後この2つの分野で世界を驚愕させてきた。それはその成長のスピードだけでなく、その衰退のスピードにおいても、まさに世界にとってこの成長は脅威であった。しかし、そこにある種の問題が含まれている。
 明治維新からの国家衰退
 この問題に対して、マアルーフは、こう述べている。
 「歴史家の中には、創設者の世代が去り、遂行すべき明確なビジョンをもたない別の世代のものに置き換わったことで、この逸脱を説明するものがいる」(73ページ)。
 ローマ時代のように、明治の初めには優れた人材が豊富にいたというのだ。彼らは世界に目を開き、野心的であった。
 ところが大正時代になり、明治維新から40年経つと、そうした人々がことごとくいなくなる。すると、そこに空虚な空間が生まれてしまった。この40年後の日本の状況は、今のわれわれからすれば遠い過去の話かもしれない。
 しかし問題なのは、1945年から40年後、すなわち1985年以降の日本に関しては、今の問題である。まさに、失われた30年の言われる時代はこの時代に始まるからである。
 1970年代の高度成長期の真っただ中で、自動車や電機製品などの生産で破竹の勢いをもって世界を凌駕していた日本。それはおそらく、戦争直後青年期を迎えた世代による創意工夫と野心が生み出した大いなる成果だといえる。当時の日本は世界に目を開き、野心をもっていた時代だったのだ。
 ローマがそうした優れた感性を持つ指揮官を失ったことで衰退したのだとすれば、こうした世代が鬼籍に入ってしまった今の日本が衰退するのは合点がいく。
 戦後西欧へ追いつき追い越せというフレーズが、経済的成長という目標につながったのだとすれば、新しく取って代わった世代は、もはやその目標を失ってしまったといえる。
 学ぶべき西欧を見失い、なおかつ自分で考えることもできなくなった世代は、大正時代の新しい世代にも似て、もはや野心も指標をもたない世代かもしれない。それが衰退を速めているのかもしれない。
 モンテスキューによれば、ローマは技術だけが残り、当面の間はそれだけでなんとか勝利を維持できたが、最後には腐敗が生じ衰退の一途をたどったという。
 いかなる方向へ国の舵を取るべきか
 1990年代まではなんとかそれまでの余韻で維持できたものが、2000年になって次第に衰退しはじめ、今や腐敗によって完全衰退モードに入っているのだろうか。政治や経済の分野で起こる不祥事や事件は、この衰退のほころびをより広げ、今や佳境に入っているかに見える。
 日本は驚異の成長の後、脅威の衰退に進み、そして破局へ至るしかないのか。
 もちろん、これは今や日本だけの問題ではなくなっている。日本の衰退の問題とは別に、数世紀世界を支配してきた西欧それ自体の衰退も進んでいるからである。
 西欧においても、すぐれた政治家が排出しているとはいいがたい。むしろエリート層の能力の衰退が顕著である。そうしたエリート層では、未來へのかじ取りができるはずもない。
 もう一度、福澤諭吉のあの警告を読み直してほしい。それは、「いやしくも、一国の文明の進歩を謀るものは、議論の本位を定め、この本位によって事物の利害得失を談ぜざるべからず」。
 福澤は危急存亡の日本の中で、日本の人々に議論の本位、すなわちいかなる方向に舵をとるべきかを、われわれに問いただしたのである。もって知るべしなのだ。
   ・   ・   ・