🏞116)─2─江戸時代後期の軍事力と経済力によって幕末日本は近代的海軍大国に急成長した。~No.475 

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 徳川幕府は、軍事力と経済力を背景として外交で神国日本を西洋列強の侵略から守ろうとした。
 日本にとって真の敵とは、軍事侵略してくるロシアと宗教侵略してくるキリスト教であった。
 日本の近代化とは、国家の平和と民族の安寧を武力で守る事であった。
 ロシアは、江戸時代後期から、日本領土である北方領土=千島列島・樺太対馬などを外圧(軍事的恫喝)で日本から強奪しようとしていた。
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 2023年4月10日 MicrosoftStartニュース zakzak「本当に強かった日本 米海軍しのぐ軍艦29隻、幕末日本の経済力 急速な海軍整備に裏打ち 「日本人は極めて文明化されている」
 西欧侵攻を排除し、太平の世を確立した徳川幕府は、国内の銃砲統制、軍縮を断行し、日本の銃砲発達は止まった。明治以降、徳川幕府は「停滞と不正の象徴」のように喧伝されるが、江戸太平の世に日本の経済・産業・技術は発達する。
 ドイツの考古学者、ハインリッヒ・シュリーマンが幕末に3カ月滞在した日本について記した『シュリーマン旅行記』を見てみよう。
 「税関幕吏は、荷物を開けるよう指示した。荷物を解くのは大仕事だ。できれば免除してもらおうと、幕府官吏2人に一分(2・5フラン)ずつ出した。ところが、なんと彼らは、胸をたたいて『日本男児』と言い、これを拒んだ。おかげで私は荷物を開けねばならなかった」
 江戸役人のモラルは、シュリーマンに限らず、幕末日本を訪れた多数欧米人が記録している。
 「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されていると答えられる。日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達している。教育はヨーロッパの文明国家以上に行き渡っている」
 これも幕末の欧州訪問者の共通認識だろう。
 徳川18代宗家、恒孝氏によれば、江戸時代は公家権威、武家権力、民間経済力が分立した時代だった。民間経済が自由に発達し、幕府も管理通貨の如く小判などを扱い、元禄から安政の間で通貨流通量は4倍に増加(『金融研究』)した。
 欧米はこの間、軍事技術を発展させて、蒸気機関を開発する。ナポレオン戦争後には、欧州に産業革命が浸透した。
 ただ、欧米で蒸気軍艦が本格的採用されるのは、黒船来航の10年ほど前の1840年代である。幕末期の砲術家高島秋帆は遅れに気づき、32年には欧州の最新銃砲数百を購入し、研究を開始した。実は、幕末日本の技術の遅れは30年程度に過ぎない。
 40年のアヘン戦争で、英国は16隻の軍艦と陸軍4000で勝利した。48年、米国はカリフォルニアを獲得し、領土が太平洋岸に到達した。翌年、太平洋航路を開くため、「日本開国提案書」が米国議会に提出される。
 提案者であるニューヨークの法律家、アーロン・パーマーは「日本は東洋の英国になるだろう。日本は米国との国交により、蒸気船建造・維持の知識を得、最新陸海兵器を保有でき、侵略から国を守ることができ、日本は東洋の一等国に変貌できる」と記録している。
 これを受け、米国は51年、日本開国交渉を決定した。
 この動きは、「オランダ別段風説書」(=江戸幕府が、長崎・出島のオランダ商館長に提出させた、海外事情に関する情報書類)により、蒸気軍艦5隻動員の情報とともに幕府に通報される。当時の米海軍の蒸気軍艦は8隻で、国を挙げての大艦隊派遣である。
 53年に黒船が来航すると、老中首座の安倍正弘は「大船建造禁令」を解除し、各藩の軍艦建造を認め、55年幕府は蒸気軍艦をオランダから購入する。安倍は26歳で老中首座となった優秀な幕閣で、幕府では、年功序列などによらぬ大胆な実力主義人事が時に行われる。
 佐賀藩は53年、後の東芝創業者「からくり儀右衛門」を登用し、国産初の蒸気機関車・蒸気船の模型を製造した。63年には、蒸気船建造に着手し、65年に完成した。
 各藩は競って軍艦を購入・建造し、幕末日本の蒸気軍艦は29隻にもなり、米国海軍をしのぐ。この急速な海軍整備は、幕末日本の経済力の裏打ちによることも付記しておく。 (歴史探究家 内藤克彦)=おわり
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