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2023年4月11日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「監視カメラ社会・日本で、なぜか宗教施設では設置が進まない…これから仏像盗難が確実に増えるワケ
長野の善光寺 - 撮影=鵜飼秀徳
■午前8時、衆人環視のなか「お釈迦様の弟子」が…
長野市にある古刹、善光寺に祀られていた仏像「びんずる尊者像」が盗難に遭う事件が起きた。衆人環視のなか、大きな仏像を運び出すという大胆な手口に驚いた人も、少なくないだろう。
【写真】何度も文化財の盗難に遭っている鶴林寺
その実、仏像盗難は近年、多発している。人口減少社会に突入し、寺院の無住化が加速していることが背景にある。今後は国宝や重要文化財クラスの盗難も考えうる状況だ。宗教法人だけで解決するのは不可能で、国や行政の対応が急務になっている。
びんずる(賓頭盧)尊者は、お釈迦(しゃか)様の弟子のひとりだ。各地の寺院では、「十六羅漢」のひとつとして祀られていることも多い。賓頭盧像を拝むと、病気平癒のご利益があるとされている。そのため内陣(仏殿の中にあり、儀式をする中核の場所)から出して祀り、参拝者が患部と同じ場所をなでる「なで仏」として鎮座する場合もある。
例えば、東大寺大仏殿の賓頭盧尊者像は有名だ。仏殿に向かって右側の外廊下に尊者像が置かれ、多くの参拝者がご利益を求めて手を合わせる姿がみられる。
善光寺のびんずる像もまた、なで仏として一般参拝客が触れ合うことができた。祀られていた場所は本堂内の外陣だ。この尊像は善光寺の中でも特別な仏像といえる。びんずる像は少なくとも、300年前から安置されていた貴重なものだ。
多数の人々が長年触り続けたことで、鼻や口などの部分は摩擦で削られ、滑らかになっていた。そういう意味では、びんずる像は有形文化財、というよりも、人々の信仰の深さを伝える無形文化としての価値が高い仏像だったことがうかがえる。
毎年1月6日の夜に実施される「びんずる廻し」という行事の主役でもあった。びんずる廻しは、尊者が座る台座ごと尊者を引っ張り、本堂を3周するというもの。しゃもじが願主に渡され、びんずる像に触れることで無病息災を祈願する奇祭だ。また、夏には「長野びんずるまつり」が実施されていた。
「善光寺の顔」ともいえる尊像が盗まれたのは、4月5日午前8時過ぎのこと。この時間には堂内には大勢の参拝客がいたはずである。しかし、大胆にも作業着姿の男が、尊者像を毛布にくるんで持ち去った。
男は像を車に乗せ、逃亡。しかし約50キロメートル離れた松本市内で警察が発見し、男は逮捕された。車の中にあった像は無事、善光寺に戻された。
報道によると男は、「びんずるに恨みがあった。あんなものがあったら、地震や事件がおきる。どこかに埋めてやろうと思った」などと、意味不明なことを話しているという。男は熊本県在住で、犯行に及ぶためにわざわざ車で長野までやってきたらしい。宗教に傾倒していたとの報道もある。
「巌流島に埋めるつもりだった」との供述もしているが、理由がなんであれ、理不尽極まりないことだ。早期に発見され、大きな破損もないようなので、関係者はホッとしていることだろう。
しかし、速やかに解決できたのは著名な信州の善光寺であったから、ともいえる。仏像の盗難は、枚挙にいとまがないし、盗難に遭った事実が判明していないケースも少なくないと考えられる。
■令和の時代に入ってからも相次ぐ仏像盗難
仏像の盗難は近年の人口減少、地域の高齢化などと比例するように増えてきている。寺の住職がいなくなる「無住化」や、地域や檀信徒が高齢化して監視の目が行き届かなくなってきていることなどが原因だ。
令和の時代になってからも、仏像盗難の被害は相次ぐ。
奈良県東吉野村の天照寺では2020年11月、地蔵菩薩像と観音菩薩像2体の計3体が盗難に遭った。
京都市上京区の立本寺では2021年5月、月を神格化した月天子像が盗まれている。その後、ネットオークションサイト「ヤフオク!」に出品されているのを寺の関係者が発見した。同像は大分県の古美術商が出品しており、業者の間で転売が繰り返されていたという。古美術商も盗難に遭ったことを知った上で、転売していった可能性がある。翌2022年6月になって、無職の男が逮捕された。
一度だけではなく、繰り返し盗難に遭っている寺もある。聖徳太子の発願によって開かれたと伝わる鶴林寺(兵庫県加古川市)は国宝2件、重要文化財18件という国内有数の文化財保有寺院であり、「西の法隆寺」とも呼ばれる。しかし、寺の歴史は、文化財盗難の歴史でもあった。
鶴林寺の仏像の中で、最も古いのが白鳳時代(奈良時代前期)の金銅聖観音像だ。重要文化財にも指定されている至宝だ。この聖観音像は通称「あいたたの観音さま」と親しみを込めて呼ばれている。
盗難の最初は江戸時代だ。盗賊が黄金色に輝いていた観音像を盗んで溶かし、換金しようと企てた。しかし、まったく溶けず、泥棒が腹いせに槌で腰を叩いたところ、観音像が「あいたた」と言葉を発したという。
驚いた盗賊は観音像を寺に戻し、二度と窃盗を働かないことを誓ったという。
だが、1964(昭和39)年に再び盗難。この時は六甲山中で発見された。あいたた観音は未遂も含めると計3度、盗難に遭っているというが、その都度戻ってきているのが奇跡的だ。
さらに鶴林寺では、2002(平成14)年には室町時代の聖徳太子絵伝(室町期)と、高麗時代の絹本著色阿弥陀三尊像(ともに重要文化財)など計8幅が韓国の窃盗団によって盗まれる事件が起きた。犯人は逮捕されたが、阿弥陀三尊像だけはいまだに返還されていない。
盗難後、海外に流出した可能性があり、文化庁が国際手配している文化財もある。島根県出雲市にある鰐淵寺所蔵の後醍醐天皇宸筆の御願文や、大阪府能勢町の今養寺の大日如来坐像(平安時代後期)などである。
鰐淵寺は、江戸時代までの神仏習合時代に、出雲大社と一体であった古刹であり、多数の文化財を保有している。私も現地を訪れたことがあるが、鰐淵寺は集落から外れた場所にあり、広大な敷地をもつ山寺だ。完全に防犯対策をすることは難しい立地環境だ。
文化庁は2014年に、国の国宝や重要文化財1万524件のうち、国宝1件を含む109件が盗難などで所在不明だと発表している。重文クラスであっても無住寺院の蔵の中に入ったままの仏像は全国に多々あり、極めて危険な状態だ。発見が遅れれば、転売されたり、海外へと流れたりしてしまう可能性がある。
■宗教施設では監視カメラの設置がなかなか進まない理由
こうした状況のなかで、仏像の「身代わり」を作る動きも出てきている。和歌山県立博物館では近年、本物の仏像とレプリカとを置き換える活動を始めている。その背景には、2009年から2010年の1年間に県内60カ所計160体もの仏像の盗難被害に遭っていたことがある。
博物館は和歌山大学や地元の工業高校と連携し、3Dプリンターなどでレプリカを製造。これを「お身代わり」として置き換えている。すでに30体ほどのお身代わりに置き換わっているという。
同博物館は「仏像を盗難から守るために」というポケットブックも制作。それによると、盗難に遭いやすい場所として、
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① 遠くからお堂や神社が確認できる
② 看板や地図でお堂が認知されやすい
③ 車でそばまで入ることができる
④ 進入路が人目に触れず、身を隠せる死角がある
⑤ 無住である
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と指摘している。
その上で「無関心がいちばん危ない。無関心なままでは、盗られたことにも、壊れていても気づきません。ぜひ、お住まいの地域の仏像や文化財が持つ優れた魅力にお気づき下さい」と警鐘を鳴らす。
国や行政の支援も必要だ。まず、地域の文化財の掘り起こしと、リスト化が第一だ。さらに、文化財としての価値が高い寺宝、あるいは、びんずる尊者像のように地域信仰の核になっている仏像などは、積極的に助成金をつけ、3Dプリンター複製や、文化財のデジタルアーカイブを進めてもらいたいものだ。
宗教施設では「信教の自由」「政教分離」の観点から、行政による監視カメラの設置がなかなか進まない現状がある。しかし、文化財の保護や保全は、そんなことも言ってはいられない喫緊の課題である。
この春、京都に文化庁が移転した。京都や奈良をはじめ、西日本は眠れる地域文化財の宝庫である。この機に宗教法人との連携を強め、文化財の保全に力を入れてもらいたいものだ。
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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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神社・仏閣など開放的な宗教施設を守ってきたのは、日本民族の崇拝宗教・神話宗教に対する畏敬の念からであった。
神仏に対する畏敬の念は、他国や他民族の宗教にも向けられていた。
数万年前の旧石器人(ヤポネシア人)や縄文人(日本土人)の子孫である日本民族は、漢族系中国人や半島系朝鮮人・韓国人と違ってカルト宗教、宗教原理主義、宗教テロリスト、宗教ファシズム、宗教的反社会集団、宗教的詐欺集団、その他とは無縁であった。
なぜなら、日本民族は道徳的「恥を知る」からではなく宗教的「バチ(罰)が当たる」を信じていたからでる。
つまり、御天道様は何から何までお見通し、神仏は見ている、である。
昔の日本民族は、現代の日本人とは違って宗教的「バチ(罰)が当たる事」はしなかった。
それ故に、宗教施設に監視カメラは必要がなかった。
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