🏞102)─1─薩摩藩は討幕の軍資金を不正手段で蓄財した。〜No.402No.403 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 現代の日本人では、幕末の弱肉強食、強者必勝・弱者必敗、勝者絶対正義、法より力の国際情勢の中で日本を守り切れない。
 現代日本の高学歴知的エリートの能力は、徳川幕府佐幕派や朝廷・薩摩藩長州藩倒幕派などの武士達の足下にも及ばない。
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 2021年2月号 Hanada「堤堯の今月この一冊
 『薩摩という「ならず者」がいた。 誰も語らなかった明治維新秘史』
 佐藤眞著 K&Kプレス
 戦争には先立つもの、カネが要る。それを古代ローマの政治家キケロは『戦争の筋肉』と呼んだ、と著者に教えてくれたのは渡部昇一だった。
 開高健谷沢永一に訊ねた。 」
 『明治維新を知るには何を読めばよろしいか、長いものはダメ、短いものを教えてほしい』
 谷沢が坂田吉郎の『明治維新史』を送ったと聞いて、筆者もオンライン古書店から入手。一読、目から鱗(うろこ)の連続で、とりわけ薩摩藩が『討幕の筋肉』をいかにして調達したか、そのカラクリに一驚(いっきょう)した。
 幕末、薩摩藩は様式の船舶や兵器を積極的に買い込んだ。英米から購入した蒸気船は15隻、幕府が保有する蒸気船20隻におよばないものの他藩(たとえば長州藩は7隻)を圧倒的に凌ぐ。
 兵器でも、英国からエンフィールド銃4,300挺を一括購入。この銃を保有すると25人は旧式のマスケット銃を持つ1,000人を全滅させ得るとされた。
 これらの軍備調達費は、琉球を介した中国との密貿易、あるいは奄美大島産のサトウキビの専売制度による収入、さらには過去の財政改革による隠し金で賄(まかな)われたとされるが、坂田本は真のカラクリを教える。
 カラクリの考案者は賢侯・島津斉彬で、彼は幕府から天保通宝に似せた琉球通宝を鋳造する許可を得る。
 いったん許可を得ればシメ子のウサギだ。江戸の銭座(ぜにざ)から職人を連れ帰り、10万両足らずの琉球通宝を鋳造し終えたあとは天保通宝の偽金(にせがね)を鋳造しまくった。
 斉彬は志半ばで没したが(1858年)あとを継いだ弟・久光の時代、大久保一蔵(利通)の指揮の下(もと)、日に4,000人が昼夜兼行で贋金(にせがね)造りに励む。素材は鍋釜、燭台、寺の梵鐘(ぼんしょう)などをかき集めて鋳つぶし、文字どおり藩を挙げてのプロジェクトだ。
 薩英戦争(1863年)の跡始末で、英国は薩摩に賠償金6万300両を要求。『そんなカネはない。幕府に払って貰え』と答えた薩摩の代表はしれーっという。
 『ところで貴国の戦艦は素晴らしい。ぜひ1隻譲ってもらえないか』
 薩摩の金蔵には実に30万両の贋金が存在した。天保通宝は100文の価値があるとされた。1両は1万文だから、天保通宝100枚で1両となる。1万両ともなれば天保通宝100万枚で、とても運べない。
 そこで薩摩藩はこれを両替商・三井家に運びこみ、それに見合う手形を発行してもらう。小切手だ。なぜ薩摩藩が大量の天保通宝を運びこむのか、三井家のほうも察しいて、おそらくは安く買い叩いたに違いない。
 買い叩いた天保通宝を三井家は幕府に気づかれないように市中にバラ撒(ま)く。そのマネーロンダリングが行われたと筆者は推測する。
 贋金造りは天下の御法度だ。なのに『カネが足りなきゃ偽造すれば足りる』。いとも気軽に実行する斉彬の不羈奔放(ふきほんぽう)さもさることながら、藩を挙げて贋金造りに邁進する薩摩藩はいかにも特異だ。
 その特異性はどこから来るのか、それが本書の後半だ。筆者は鹿児島ラ・サール高校から東大文学部を経て編集者になった。高校時代の恩師・中村明蔵の筆者を手掛かりに、薩摩の現在にも通じる特異性を説いて、これがまた滅法面白い。
 司馬遼太郎翔ぶが如く』には書かれなかった『薩摩の謎』をあれこれと教えてくれる。」
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 日本民族は、「七転び八起き」精神で、捲土重来を期して転んでも貧困に落ち込んでもタダでは起きず、利用できるものは何でも使い、立っているものは親でも使った。
 日本民族は、同調圧力に支配されていただけに、人の誹りを受けないように卑怯・卑劣、嘘偽りには細心の注意を払っていた。
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 幕末・明治。日本は、ロシアを侵略者と認定し、清国(中国)と朝鮮はロシアに味方する敵と決めつけ、母国を守る為に軍国主義に暴走し、近代化として対外戦争ができる軍事力を付けていった。
 日本の攻撃的対外戦争とは、ロシアの侵略・ソ連共産主義の浸透に対する母国を守る積極的予防的自衛戦争でった。
 日清戦争は積極的自衛戦争で、韓国併合は予防的自衛戦争であった。
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 薩摩藩水戸藩と同様に宗教弾圧まがいの廃仏毀釈を行い、仏教寺院から荘園を没収し、建物を解体して売り飛ばし、金になりそうな仏像、仏教画、仏具、経典などを売り、集めた金を戦争をする為の軍資金にした。
 そして、集めた梵鐘や金属製の仏像・仏具を鋳(い)つぶして大砲などの兵器を造った。
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 武士・サムライには宗教心はなく、城を築城する際、墓石や石仏などを転用石として石垣の石に利用していた。
 神仏を守って死ぬ事(殉教)は愚の骨頂で、宗教や信仰などは方便でしかなかった。
 武士・サムライは、生きる為に戦うのであって、死ぬ為に戦っていたのではない。
 生きる為なら、宗教や信仰は捨てた。
 キリシタン弾圧は、こうして行われた。
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薩摩という「ならず者」がいた。 誰も語らなかった明治維新秘史