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日本国・日本民族のは、哲学と思想はあったが、宗教とイデオロギーはなかった。
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日本の哲学と思想の特徴は、日本的に想う事であって西洋的に考える事ではない。
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2024年1月29日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本人による初の哲学書『善の研究』はどうやって生まれたのか…西田幾多郎が悩み抜いた「経験」の正体
日本の思想家をして名をはせる西田幾多郎は、1911年に日本人による初の哲学書『善の研究』を発表した。
この書は多くの言語に翻訳され、今も世界中の読者に読まれている。
「実在とは何か」「善とは何か」「宗教とは何か」…
西田が『善の研究』に込めた思いとその執筆過程をたどってみよう。
(※本記事は『日本哲学入門』 から抜粋・編集したものです。)
西田幾多郎が1911年に出版した『善の研究』のなかでまず問題にしたのは「実在」、つまり真の存在、真の意味で「ある」と言えるものは何かということであった。西田がそれを問題にしたのは、西洋の哲学においてその問いに対して十分な答が出されていないと考えられたからである。『善の研究』には、西洋の哲学との対決という意味が込められていた。西田がなぜそれを問題にし、どう答えたのか、そしてその問いは戦後、どのような形で問題にされたのか。
『善の研究』は西田の存命中もくり返し版を重ねたが、戦後も、とくに1950年に岩波文庫版が出て以降、さまざまな人に読まれつづけている。多くの研究書も出され、英語やフランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、中国語、韓国語など、多くの言語にも翻訳されている。
なぜ『善の研究』はこのように長く読み継がれ、人々に刺激を与えつづけてきたのであろうか。いくつかの答を挙げることができるであろうが、まず何より、そこにまさに自立した思索の営みがあったからだと言えるであろう。
西田はこの書において、西洋の哲学に正面から向き合い、その議論のなかに身を投じ、十分な解決が与えられていない問題をめぐって、どこまでも思索を深めていった。『善の研究』で問題にされている「実在とは何か」、「善とは何か」、「宗教とは何か」といった問題は、そのような意図に基づいて論じられたものであった。
そうした問題をめぐる西田の格闘は、当時の人々にも大きな影響を与えた。この書が刊行された翌年にまだ少壮の学者であった高橋里美(のちに東北大学教授)が「意識現象の事 実と其(その)
意味──西田氏著『善の研究』を読む」と題した論考を発表した。そこで高橋は「本書は恐らく明治以後に邦人のものした最初の、また唯一の哲学書であるまいかと思う。……その思想の内容に関しては、始めてこれに接して驚喜し、再三接するに従って畏敬の念に堪えない()」と、この書から受けた感銘を記している。『善の研究』はそれ以後も多くの思想家が自らの思想を形成するための足場とも、道しるべともなった。この書がそのような力を発揮しえたのは、西田がそこで当時の哲学が直面していた問題と真剣に取り組み、彼独自の思想を生みだしていったからであろう。『善の研究』が長く読み継がれている理由はまずそこに求められる。 西田の思想の独自性ということとの関連で、しばしば『善の研究』は東洋の思想、とくに禅の思想を西洋哲学の術語を用いて表現し直したものであると言われることがある。しかし、それは正確な理解ではない。西田はあくまで西洋の哲学と正面から向きあい、それがはらむ問題を見定め、格闘した。
もちろん『善の研究』の本文からも容易に見てとることができるように、西田は東洋の思想、とくに儒教や仏教について深い理解を有していた。しかしそれらについて積極的に論じることはしていない。それはこの書の課題ではなかった。
しかし同時に、「実在とは何か」、「善とは何か」、「宗教とは何か」といった問題を自らの力で考え抜いていこうとするときに、東洋の伝統的な思想もまた、西田にとって大きな手がかりになった。言わばその二つの流れが交差するところで、言い換えれば、西洋と東洋のはざまで西田の思索はなされたと言ってもよい。
それまで誰も立ち入らなかった場所に自らを置くことによって、西田は新しい思索の世界を切り開いていった。その試みは現在でも輝きを失っていない。だからこそいまもなお多くの人々の目がそれに注がれているのである。西田の著作が多くの言語に翻訳され、海外でも多くの研究が発表されているのもそのことによる。
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