⚔57)─1─孟子の思想は江戸時代の日本で華開き中国や朝鮮には根付かなかった。~No.242No.243No.244 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 江戸時代、諸藩は赤字財政で豪商や豪農から多額の借金を抱えていた。
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 下級武士は、商人や百姓から仕事を貰い内職(副業)で生活費を稼ぎ家族を養っていた。
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 日本と中国・朝鮮は違う。
 日本の儒教は、中国や朝鮮の儒教とは違う。
 中国共産党には、儒教道教など古典中国は存在いない。
 マルクス主義共産主義イデオロギーは、中国古典の思想・哲学・宗教とは相容れない。
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 日本人がお人好しで性善説になった原因は、孟子である。
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 現代の日本には、儒教など存在しない。
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 2023年10月10日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「「国富でなく民富こそ国力」と喝破した孟子の真意 「実質賃金マイナス」時代に必要な王道政治と士
 「実質賃金マイナス」時代に求められる政治とは (写真:SOPA Images/Getty Images)
 なぜ「無敵の人」が増え続けるのか、保守と革新は争うのか、人間性と能力は比例するのか。このたび上梓された大場一央氏の『武器としての「中国思想」』では、私たちの日常で起こっている出来事や、現代社会のホットな話題を切り口に、わかりやすく中国思想を解説している。
 【写真】中国が考える本当の領土?「国恥地図」実物
 本稿では、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を運営する思想家の青木真兵氏が同書を読み解く。
■近代の行き詰まりの中で
 僕たちはどう生きていけば良いのでしょうか。
 僕はこの問題意識の背景に、近代という時代の行き詰まりを感じています。この場合の近代とは有り体に言うと、工業化をベースとした国民国家の時代であり、西洋と東洋を対比させて考え、西洋は進んでいて東洋は遅れているという構図で理解される時代だといえます。
 周知のとおり、日本はアヘン戦争で清が大英帝国に敗れたことに大きな衝撃を受け、危機感を募らせました。その後、アメリカの黒船が来航したことをきっかけに日本国内は二分され、佐幕派倒幕派による内乱期に入ります。江戸幕府が倒された後は西洋文明を模倣し、天皇を中心とした国づくりをしていきます。
 しかし第二次世界大戦アメリカを中心とする連合国に敗れ、現在もなお経済、軍事的にアメリカに従属する状態が続いているといえます。ただアメリカの世界的な存在感が低下してきている今、これまでどおり西洋文明の模倣では太刀打ちできない状態に置かれていることは火を見るより明らかでしょう。
 そういう意味で、日本固有のあり方を模索しなければならない時期に入ってきているのです。ただ過去に一度、同じような状態になった時代がありました。今から約100年前の1920-30年代です。第一次世界大戦世界恐慌において西洋各国が打撃を受けるなか、日本は参照するモデルを見失い、独自の道を進み始めます。その結果が軍部独裁、国連脱退であり、翼賛体制下における大東亜共栄圏という支配領域の拡大。最終的に第二次世界大戦における完膚なきまでの敗北ですから、同じ轍を踏んではいけません。
■身体に染み込んでいる価値観
 国民国家、工業化を合わせた近代化というシステムは時代遅れになっていますが、もちろんこの状況は日本だけではありません。当のヨーロッパ諸国はこのシステムが時代遅れであることにいち早く気づき、各国できる限りの手を打っています。その根底には、近代化を支える「個」を基礎に置く民主主義があります。
 しかし日本社会の同調圧力の強さとともに語られる弱い「個」のことを考えると、日本社会には西洋社会のような強い「個」が根付かないのではないかと思ってしまいます。
 現在の日本社会において必要なのは、近代以降参照されてきた西洋的な「個」のモデルではなく、日本社会に適した「個の確立」なのではないか。そんなふうに思っています。それが以下のように、本書に通底する問題意識です。
 本書で扱う中国思想の流れは、「個」の確立と生活を通じた社会変革を軸としています。これを眺めることで、中国の歴史と思想の関係が分かると共に、実は中国思想が日本人の価値観や生活の中に、今もなお健在であることが理解されるはずです。
 そして、このことが理解されると、現在世界を牽引している潮流を相対化し、日本人が日本人の文脈で生き方を考え、「失われた30年」を克服する鍵が、中国思想を含み込んだ日本の伝統的価値観の中にあると思うかもしれません。もしもそのような鍵を見つけ出した人がいて、その人の仕事や生活の中に、中国思想が組み込まれた時、きっとそれは日本人の伝統的な価値観を目覚めさせ、社会を変革するダイナミズム(活力)を提供することでしょう。それはおそらく、世界に対して日本が堂々と自己主張する未来を引き寄せるに違いありません。(『武器としての「中国思想」』5-6頁)
 僕も「日本人の伝統的な価値観を目覚めさせ、社会を変革するダイナミズム」を取り戻したいと考えています。しかしこの時の伝統的な価値観とは、「肉じゃがは日本の伝統料理だ」とか「万世一系天皇家」だとかいう、近代になってつくられたフィクショナルなものではなく、古代から影響を受け続けてきた身体に染み込んでいる価値観ということなのだろうと思います。僕は山村に住みながら私設図書館活動を続け、都市と山村を行ったり来たりしながら「ちょうどよい」生活を模索していますが、東アジアの環境に暮らすことで身体に染み込んでいる価値観の存在を強く感じています。
孟子が提唱した「王道」政治
 しかしその一方で、現在の中国の方と接すると、僕たちにはないバイタリティーを感じるのも確かです。今の日本社会が無気力になっているせいなのか、もともと中国社会の方がダイナミズムにあふれているのか。おそらくその両方な気がします。再び僕たちは、自分たちに合った「個」をつくっていくフェイズに入っているのだと思います。
 「個」とはどのようなものを指すのでしょうか。その1つのヒントになるのが、本書でも注目されている孟子の思想です。
 孟子は『中庸』の著者であるとされる子思の弟子で、子思は孔子の孫にあたります。孟子の生きた戦国時代は周という王朝による支配が崩れ、14国による群雄割拠の時代でした。中でも中国の東方にあった斉は、戦国時代に入る前から経済的な成功を収めて国を豊かにし、軍事力を整えて異民族との戦いにも勝利するなど、強国への道を歩んでいました。
 この背景には努力して生産活動を行い競争に勝てば結果に結びつく自由経済や、成績の良い者が出世できる流動性の高い社会があったといいます。このような風潮が戦国時代を準備したともいえます。
 諸国もまた経済発展を求めて利益追求に邁進します。経済的利益が重要視されると末端に至るまで利益や効率を追求するようになり、後にこの時代は誰もが利について話していると言われるまでになりました。こうした価値観を「功利」と言います。そして、能力のある人物が既存の身分秩序や伝統にとらわれず、経済力と軍事力によって国をまとめあげるやり方は、後世「覇道」と呼ばれることとなりました。
 功利がいきすぎると個人的な利益追求が強まり、果てしない欲求を満たすために人々は争うようになります。健全な自由競争は影を潜め、なりふりかまわない利益の奪い合いが始まり、やがて克服不能なまでに広がった格差と弱肉強食の社会が生まれました。(前掲書23頁)
■真の国力は「国富」ではなく「民富」
 しかし孟子はこのような弱肉強食の「覇道」ではなく、「生きている者を養い、死んだ者にはきちんとした葬式を出して、後悔が残らないような生活を保証する」という「王道」政治を提唱します。
 また孟子は、真の国力とは税収の多さである「国富」ではなく、国民の資産である「民富」であると述べたのでした。これを知ると、どうしても僕は現在の日本の状況を思い浮かべざるをえません。現在の日本の状況とは、物価高により昨年度の国の税収が過去最高を記録する一方で、実質賃金は14カ月以上マイナスが続いている状況です。まさに孟子の言う国富は増える一方、民富は苦しくなり続けています。
 さらに孟子は、自由経済の結果として人びとが都市に集中し失業者があふれ格差が増大した状況を脱するため、周王室で行われていた井田法の実施を提案します。
 井田法は、土地を「井」の字のように9等分して、真ん中の1区画を公田として国家が確保し、残りの8区画を8世帯の国民に分配するという土地整理法です。土地を与えられた8世帯は、みずからの土地で穀物や桑などを植え、そこで得た収入を無課税で丸取りできます。
 そのかわり8世帯共同で1つの公田を管理し、そこから得られた収入を税として納入するというものでした。つまり国民に現物を支給するのではなく、生産手段を提供したのです。
 これは都市から地方への人口還流を促すためでもありました。この状況も、東京一極集中、地方の過疎化が進む現代日本にも援用して考えられそうです。ベーシックインカムを導入するのではなく、耕作放棄地となっている土地に補助を出して地方移住を促すといった政策です。
 さらに孟子は、このような経済政策を前提にしたうえで「個」の再興も目指します。その「個」こそ、「士」と呼ばれる人たちでした。
 「安定した収入がなくても人のことを思いやる道徳心を持てるのは士だけである」という言葉がついています。つまり、人間は経済的な貧富に引っ張られて、人を思いやったりやれなかったりという振れ幅が出るのですが、これに対して「士」と呼ばれる人はそれがなく、常にそうした道徳心を持つことができます。要するに士とは、君子ほど確固とした徳はないけれども、利害に心を動かさず、自律した「個」を守ろうとしている人です。(60頁)
■少しずつでも社会に「士」を増やす
 もちろん孟子は王道政治によって貧困の解消と所得の安定を目指したうえで、「個」をつくる教育を重視します。人の持ち前である自然の心情である思いやり、羞恥心、謙虚さ、判断力を養うことを訴えるのです。この思想は中国近世の政治家王安石が継承し、日本でも徳川家康が武士を「士」にして日本を道義国家にしようと、国家形成の基礎に据えました。これも現代日本に置き換えることができそうです。
 まずは経済格差を解消し、消費を促すような王道政治を行うこと。そして少しずつでも社会に「士」を増やすこと。本書は閉塞感でいっぱいの現代日本社会において、グローバルな資本主義経済に正面からぶつかるのではなく、東アジアの文脈を踏まえた日本固有の闘い方があるのではないかと考えさせてくれます。
 青木 真兵 :「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター、古代地中海史研究者、社会福祉士
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2022-01-28
🏯目次)ー13ー江戸は世界七大帝国。武士道と金上侍。百姓と村八分百姓一揆。水争い。賤民と部落民。~No.1 * 
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