🌏41)─2─日本に対する白人国家の砲艦外交は、最初がロシアで次がアメリカであった。~No.129No.130No.131 @ 

明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ

明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ

  • 作者:鈴木 荘一
  • 発売日: 2017/03/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本に対して砲艦外交を仕掛けてきた白人国家は、アメリカ艦隊の前にロシア軍艦があった。
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 幕府は、ロシアの砲艦外交に対抗する為に、東北諸藩に北方領土防衛の派兵を命じた。
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 武士・サムライ達は、天下泰平で軟弱にはなっていなかったし、現代の日本人とは違って外圧に弱くはなかった。
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 軍事力の強化するには、地方分権的な諸大名連合政権=幕藩体制では不可能な為に、日本天皇の下に強力な中央主権体制を築く必要があった。
 その為に必要だったのが官軍=統一軍=皇軍による倒幕戦争であった。
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 天皇・民族・国の存亡の危機とは、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略であった。
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 下級武士と庶民が攘夷に立ち上がり、非人・エタなどの賤民や海の民・山の民・川の民などの下層民達が尊皇・勤皇となって天皇の下へ馳せ参じた。
 上級武士や中級武士は、我関せずとして動かなかったか、動いても消極的であった。
 それ故に、明治時代に権力を持った支配階級であった武士階層が消滅したのは当然の事であった。
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 2018年1月1日 読売新聞「明治は現代にとってどのような意味を持つのか。幕末・明治初期に外国人が見た日本を描いた『逝(ゆ)きし世の面影』などの著書がある、評論家の渡辺京三さん(87)に聞いた。

 江戸が育んだ『人間性』開花
 『明治』の持つ意味とは
 評論家・渡辺京三さん
 明治維新で、政府も啓蒙的思想家も、それ以前の日本を全否定する必要がありました。江戸時代は野蛮な時代、まさに『夜明け前』と言われて、それを戦後マルクス主義史学が受け継ぎました。
 ところが、幕末や明治初期に来日した外国人が記録にとどめた日本の姿を見てみると、全然違います。みんな『幸福感あふれた社会』と言っているんです。英国公使オールコックは、手工業の段階として日本は最高段階だと認め、農民の生活はヨーロッパよりずっと幸せだと言っています。
 16世紀末頃から日本は農業生産力も上がり、豊かになっていました。フォーチュンという英国の園芸家は日本の田畑を見て『フィールドでなくガーデンだ』と美しさに驚いています。
 8代将軍徳川吉宗の頃には本当に平和になりました。人々の生活は楽になり、楽しみも増えたのです。
 もちろん江戸時代にも不十分な点はありました。幕府、朝廷、藩がある二重、三重体制の国家でした。19世紀になると大塩平八郎の乱が起きるなど、いろいろな面で制度疲労もありました。だが、倒壊寸前といわけでもなかった。そういう時にペリーが来たんです。
 だから、明治維新とは何かと言えば、『緊急避難』です。ペリー艦隊は砲艦外交でした。維新の志士が求めたのは政治的統一であり、その前提となる蒸気船と大砲でした。荒々しい国際社会に羽織袴(はかま)で出て行くわけにいかず、武装のために近代産業が必要だったのです。何も、文明開化を求めたわけではなく、文明開化は後から来たんです。
 明治の知識人もそのことをわかっていました。夏目漱石は『日本の現代の開化は外発的である』と言いました。そうせざるを得なくて開化したために、日本の近代は、何か空虚で、根がないところがあります。西欧の帝国主義のただ中にあった、いわば『泥棒国家』のまねだったわけですから。
 ただ、そういうマイナス評価も、今だから言える後智恵なのでしょう。
 明治人が、産業、軍隊、学校制度、文芸、美術などを移植した活力は、今の人々を驚かせます。ヨーロッパの近代文明が、日本人にとって徳川時代を通じて求めてきたものと全く異質だったなら、受け入れたはずはありません。簡単に言えば、明治とは江戸時代を通じて育まれてきたヒューマニティーの目覚めでした。人間はこういうこともできる、こういう喜びもある、という文明的可能性の目覚めです。ヨーロッパの良きものに触れて疑問もない。そういう初々しいさが、うらやましくもあります。
 近代は自然を支配し、管理する道を歩み、大きな成果を得ました。ですが、今は自然との和解を目指す時代。西洋か否かはもう関係ない。先進国共通のテーマです」
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 1月3日 産経ニュース「【主張】明治150年 「独立自尊」を想起したい 国難乗り越えた先人に学ぼう
 明治の改元から今年は150年となる。日本が進むべき道を、先人の足跡に見いだしたい。
 異国の船が日本に押し寄せた幕末と現代は、よく似ている。
 開国を求めて横浜沖に船を泊めた米国のペリー艦隊は、母国の記念日に100発以上の祝砲を放った。砲艦外交にほかならない。攘夷(じょうい)の機運が高まり、薩摩藩と英国艦隊の薩英戦争などが起こって外国の砲弾が国土を撃った。
 現代、中国の公船が尖閣諸島周辺に押し寄せている。北朝鮮のミサイルがわが国の上空を飛び、あるいは日本海に落下している。
 ≪外圧にどう向き合った≫
 今年も北朝鮮と中国の脅威は増すことになろう。日本にかかる、あからさまな外圧には、幕末と現代に共通するところがある。国難に向き合い、明治人は何を目指したかを改めて学ぶべきだ。
 「今の日本国人を文明に進(すすむ)るは、この国の独立を保たんがためのみ」
 この時代の教育や言論の分野で指導的役割を果たした福沢諭吉が、明治8年の「文明論之概略」で記した。西洋文明も完全ではないが、遅れている日本は西洋に制されてしまう、という危機感をあらわにしている。
 追いつこう。がんばろう。小さい体で、額に汗を浮かべながら、明治人は刻苦勉励したのだろう。あらゆる分野で「西洋」をひたむきに学んだ。
 富国強兵策は、このような文脈で理解されるべきである。国の独立を保つために、ひた走った先人の姿を思い浮かべたい。
 国力は増し、日本は植民地にならずにすんだ。日清、日露という2つの戦争を明治人は戦った。2つとも、日本の国防にとって要衝の地となる朝鮮半島の安定化を目指すものだった。戦ってでも、日本の独立を守ろうとした。
 明治150年にちなむさまざまな展示会やイベントが、各地で持たれている。それらに足を運んでみるのもいい。明治人の書き残した言葉を読むのもよかろう。
 単なる回顧ではなく、先人の精神のなにがしかを学びたい。
 近代日本を独り立ちさせるために尽くす心根が、さまざまな事跡や文章から読み取れるだろう。
 明治がひとくくりに栄光の時代だったわけではない。急激な近代化により、伝統や環境の破壊が激しくなった時代でもある。
 急速な、ときには皮相な西洋化が進むなかで、明治の半ばには日本人のアイデンティティーを探そうとする人たちが現れた。
 ≪血潮は継承されている≫
 陸羯南(くが・かつなん)は、明治22年に新聞「日本」の発行を始めた。創刊の辞では、自らの根拠をなくし、西洋に帰化しようとしているかのような日本人を厳しく戒めている。
 「一個人と一国民とに論なくいやしくも自立の資を備うる者は、必ず毅然(きぜん)侵すべからざるの本領を保つを要す」
 陸のいう個人の自立と福沢のいう国家の独立は、同じものといってよい。福沢は「学問のすゝめ」で、「国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能(あた)わず」といっている。
 明治人は個人と国家の独立自尊を求めた。先人が残した誇るべき財産である。ひるがえって現代はどうか。
 最高法規である憲法について考えてみたい。
 占領下、連合国軍総司令部のスタッフが大急ぎで草案を作った憲法は、国権の発動である戦争を放棄し、交戦権を認めていない。国家の権利の制限である。
 日本人は平和を誠実に希求しており、およそ戦争を求める日本人はいまい。だが、権利を制限される形で制定された憲法をいつまでも頂くことが、独立国といえるだろうか。
 国の守りについて、手足をしばっているのは専守防衛という考え方だ。抑止力の一環である敵基地攻撃能力の保有について、正面から継続的に語り合う姿を見ることはない。拉致被害者を自力で救出する手段はないのに、ならばどうするという議論は起きない。
 とうに改正されてしかるべき憲法だが、現政権の下でようやく議論は緒に就いた。これを加速させたい。
 国難に毅然として立ち向かった明治人の血潮は、現在の日本人にも流れている。現代の国難を乗り越えるため、明治人が見せた気概こそ必要ではないか。」
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 平和的な文明開化・近代教育・殖産興業だけなら、徳川幕府による開国だけで十分であり、日本民族日本人同士が殺し合う攘夷や倒幕も必要なかった。
 血を流す西洋化・近代化は無用であった。
 「時代の夜明け」なども戯れ事で無意味であった。
 つまり、平和的な近代化は徳川幕府でも達成できた事である以上、明治維新も、明治新政府も、明治そのものが不要であった。
 日本が、植民地・奴隷状態にあったアジア・アフリカなど非白人社会の手本になる必要もなかった。
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 日本が、世界から猿真似と馬鹿にされ軽蔑され嘲笑されながらも必死に優れた西洋を取り込んだのは、一刻も早く軍事力を強化してロシアの侵略に備える為であった。
 日本が必要とした近代とは、軍事力を強化する為の論理的科学技術と合理的教育であって、人間は何でどう生きるべきかというキリスト教的西洋的思想哲学ではなかった。
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 日本は、キリスト教が秘めている不寛容と残酷さを警戒していた。
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 中世キリスト教会や白人キリスト教徒商人は、日本人を奴隷として売買して大金を稼いでいた。
 中世キリスト教会は、奴隷制を否定しなかし、非白人非キリスト教徒の差別・迫害・弾圧・虐殺・人身売買を禁止していなかった。
 中世キリスト教世界では、異教徒虐殺の十字軍や異端者への宗教裁判と魔女狩りが奨励された。
 日本が出会ったキリスト教とは、そうした中世キリスト教であった。
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 キリスト教を禁教とし、キリシタンを弾圧した豊臣秀吉徳川家康らは、中世キリスト教会の非人間性という偽らざる実態に恐怖したからである。
 キリスト教価値観による日本人罪悪史観は、明らかな冤罪、無実、無罪である。
 豊臣秀吉徳川家康徳川幕府キリスト教禁教及びキリシタン弾圧を非難する者は、日本人奴隷交易を正しい事・合法的取引だったと容認する者である。
 日本人の本性が薄情・冷淡・冷血・残酷・非情である事は、この事で証明できる。
 日本の歴史は、日本人奴隷交易という事実を書き残している。
 ヨーロッパにもその証拠が残っている。
 日本人が、キリスト教に親しんで近づいてもどこかよそよそしく、キリスト教絶対神を崇めても改宗して信仰しないのは、敬遠したくなる、釈然としない想いが心の奧底にあるからである。
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 同じキリスト教といっても、現代のキリスト教会と中世のキリスト教会は別物である。
 悪いのはキリスト教ではなく、キリスト教を隠れ蓑として悪事を働く敬虔なキリスト教徒である。
 それは、現代のイスラム教とイスラム原理主義者・イスラムテロリストにも言える事である。
 悪いのは、神様ではなく人間である。
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 日本の歴史は、明治期の薩長史観、大正期の西洋史観、1945年のアメリカの東京裁判史観及びソ連マルクス主義史観、そして1980年代の中国共産党・韓国の近隣諸国配慮・譲歩史観、1990年代のバブル経済崩壊後の日本最低・無能史観などによって、改竄・歪曲・捏造されてきた。
 それが、現代の学校歴史教育の根幹となっている自虐史観=日本人悪逆非道な極悪人史観である。
 特に最悪なのが、共産主義者が押し付けている天皇憎し日本憎しのマルクス主義史観である。
 日本の美しさは、1960年安保や70年安保で惨めに敗北した戦後ベビーブームと団塊の世代マルクス主義的怨念・憎悪で醜く改竄されて、現代に至っている。
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 敗北したマルクス主義者の怨念・憎悪が、次世代の反天皇反日的日本人を生み出した。
 そこに隠れているのが、反天皇反日派の中国共産党である。
 反天皇反日的日本人は、親中派として日本不利・中国共産党有利の為に活動している。
 中国共産党は、ソ連コミンテルンの指令に従って日本を滅ぼすべく1920年代から暗躍していた。
 ソ連コミンテルンの指令とは、日中全面戦争と日米全面戦争を誘発させる事であった。
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 マルクス主義における搾取・差別・迫害・弾圧の暗黒史観を捨てるべきである。
 マルクス主義を信奉する者、特に共産主義を盲信する者は日本に益するところはない。
 そうした知的エリートは日本には要らない。
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 日本には、古代から、マルクス主義が訴える支配者と被支配者、裕福層に虐げられた貧困層=人民という階級闘争は存在しない。
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 日本は、相対的価値観で二項共生・二項協和・二項共存であった。
 西洋や中華(中国・朝鮮)は、絶対的価値観で二項対立・二項断絶であった。
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 観光という漢字は、岩倉具視が新しく造った漢字、つまり和製漢字である。
 漢字圏で使われる近代的用語の70%が日本生まれの和製漢字である。
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 中国共産党結党当時の理論は、日本人が造語した和製漢字が使われていた。
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 日本と中国・朝鮮との自然や社会そして住環境は違う。
 同じ人間と言っても考え方や思いは違い、幾ら話し合ったとしても分かり合う事もできない。

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