🌏30)─2─日本の民主主義は西洋近代思想ではなく中国古代思想が深く関わっていた。~No.89 

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 日本儒教と中華儒教(中国儒教・朝鮮儒教)とは違う。
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 日本は、集団主義ではなく個人主義であった。
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 2023年12月6日8:01 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「「日本の民主主義」は中国思想と深く関わっている 儒教の精神は「封建主義」ではなく「個の確立」だ
 「日本の民主主義」が中国思想と深く関わっているのはなぜか。気鋭の論客たちが徹底討議します(写真:TOMO/PIXTA
 なぜ「無敵の人」が増え続けるのか。なぜ保守と革新は争うのか。このたび上梓された大場一央氏の『武器としての「中国思想」』では、私たちの日常で起こっている出来事や、現代社会のホットな話題を切り口に、わかりやすく中国思想を解説している。
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 中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)など、気鋭の論客の各氏が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズに、今回は大場一央氏も参加し、同書をめぐって徹底討議。今回はその前編をお届けする。
■「功利」を克服するために改良されてきた中国思想
 中野:最初に大場さんから、ご著書『武器としての「中国思想」』の趣旨や執筆の意図などについて、お話をお聞かせ願えますでしょうか。
 大場:わかりました。まず、この本を書いた動機は、基本的には中国思想が現代において、はたして使えるのかという、しごく単純なものです。また、「個の確立」が社会を成立させて動かすのである、というテーマのもとで執筆しております。
 思想以前の「功利」というものが社会を覆って、つねに人々を動かしている。その中でそれを克服するために思想というものがいかに誕生して、どのようにブラッシュアップをされていったのか。
 ここにおいて大事な思想史として、古代の孔子孟子は政治的な議論と、修養による「個」の確立を説きましたが、中世の漢や唐までは政治的な議論ばかり注目されていました。
 しかしながら、近世に登場した朱子学陽明学になって、1人ひとりの生き方を通じて、どのように世界にアプローチを仕掛けていくかという問題意識に移行しはじめます。そこで初めて思想的な問題において、「個」の確立に焦点を当てるという、流れがつくられました。こちらを1つの筋として、本書では執筆をしております。
 中野:ちなみに今おっしゃられた、中国思想観というのは、中国思想、儒学研究のオーソドックスな考え方なんですか、それとも大場さんの解釈なのでしょうか。
 大場:これは基本的にはオーソドックスな解釈になります。
 中野:わかりました。ありがとうございます。では、今のお話や書籍の内容を受けて、古川さんのご意見をうかがえますでしょうか。
■日本の民主主義の源流は儒教
 古川:はい。まず、個人的な雑談で恐縮なんですが、私は教育学者という肩書になっていますが、実は教育学部に入る前に、文学部の東洋史学科を卒業しています。
 当時は全然勉強していなかったので、まったくの「なんちゃって」でお恥ずかしい限りですが、卒論だけはわりあい一生懸命勉強したので、その内容は今でもよく覚えています。「儒教から民主へ」というテーマで、近代になって、儒教思想がどういうふうに、西洋からやってきた民主思想に連続していったのかという問題を考えました。
 大場さんも書かれているとおり、儒教というと、封建主義のイデオロギーであるというイメージが強いですよね。とくに日本ではそうで、儒教的なイデオロギーから脱却してこそ近代化を達成でき、民主主義を達成できるんだと言われてきました。しかし、大場さんは、いや、儒教の根本思想は「個の確立」なのだと書かれています。これはかなり挑戦的な主張だと受け取られるのではないかと思います。
 しかし、私はこれは、決して奇異な見方ではないと思います。というのは、日本でも中国でも、西洋近代の民主思想に共鳴して、それを積極的に取り入れようとしたのは、だいたい儒者なんです。ということは、なにかしら共鳴する契機が、もともと儒教の中にあるはずなんですね。それが私の卒論のテーマでした。
 考えてみると、そもそも儒教漢帝国イデオロギーになったのは、儒教が生まれてから500年以上後ですから、儒教が生まれた時代とは社会状況がまったく異なります。そして、儒教が生まれた春秋時代というのは、同時代のギリシアとよく似た都市国家の時代で、アテネのような民会が盛んに行われていたという研究もあります。
 したがって、孔子が『論語』の中で「君子」と呼んでるのは、まさにその民会に参加して都市国家の統治に参加する人々、つまりギリシアでいう「市民」のことを指しているんです。孔子は「君子」という言葉を、「有徳な人」という意味と同時に、もともとの意味である「為政者」の意味でも使っています。ですから、『論語』という書物は、要するに「民会に参加して国を統治する諸君は、身を修めて、徳のある人にならなきゃいけないよ」ということを説いてるものなんです。
 古川:他方、「君子」の反対概念である「小人」や「野人」は、ギリシアでいうところの「奴隷」です。これは孟子でもそうで、たとえば「君子なくんば野人を治むるものなく、野人なくんば君子を養うものなし」という有名な一節があります。まさに、ギリシアの市民が奴隷の生産労働によって労働から解放され、その自由と余暇において徳を養って政治に参加したのと同じ構図があるわけです。
 したがって、もともとの儒教の精神は、民主主義というよりは共和主義に非常に近いものなんです。だから、中野さんが書評のなかで、「孟子の思想は共和主義そのものだ」と書かれているのを読んで、私はびっくりしました。
 中野:やっと卒論のレベルに追いついた(笑)。
 古川:いやいや、そういう意味ではなく(笑)。読む人が読めば、やはり直観的にわかるものなのだなと思いました。
 そして、西洋でもルソーなどが古代の共和主義を民衆化(デモクラタイズ)するかたちで近代思想を導いたように、中国でも儒教を民衆化するかたちで、民主的な思想が出てくる。
 つまり、一般の人々も含めて、誰でも学んで身を修めれば君子になれるし、なるべきである。そして、そういう人々が集まって議論して、公論を形成していくのが、あるべき政治の姿である。こういう話になっていくわけです。
 だとすると、日本で民主主義を実現したいのだったら、まずもって儒教をベースに人々が学んで修養して「君子」になることを目指すということが大前提で、それが日本における民主主義の条件であるはずです。
 そのあたりのことを、儒学の素養があった明治の知識人たちはよくわかっていて、たとえば中江兆民は「市民(シトワイヤン)」に「君子」や「士」の訳語を当てています。私が『大人の道徳』で「市民」は「士民」と書くべきだと言ったのも、そういうことです。
 にもかかわらず、戦後の日本は、儒教を封建思想だとみなして、民主主義の条件をむしろ意図的に破壊してきました。
 ですから、大場さんが儒教の根本精神は「個の確立」だと主張されたことは、これこそが日本の民主主義の基盤であるということを、あらためてわれわれに教えてくれる、とても意義深いことだと思います。
■中国思想における「個」と個人主義の違い
 中野:ありがとうございます。では続いて施さんに、ご発言をお願いできますか。
 施:はい。私としては、新自由主義的なものからどうしても抜けきれない日本の現状、世界の現状を中国思想にひきつけて、非常に明解にわかりやすく論じている点が、とても勉強になりました。私自身、このあたりの知識があまりなかったので。
 ただですね、教養を求めるビジネスマンの方々にもわかりやすいように書いていらっしゃるので、少し言葉遣いが、そうした人たちに合わせて使っているようなところがあると思うんですよね。
 ですから、「個の確立」という言葉は非常にわかりやすいとは思うんですが、やはり普通、個の確立というと、西洋哲学の個人主義的なものにひきつけられてしまうというか。最近だったら、新自由主義や維新の会。ひと昔前だったら、小沢一郎さんとかも個の確立ということをずっと言ってきたと思うんです。
 個の確立という言葉が、大場さんが使ってる文脈と少しずれて理解される可能性はないかなと思いました。
 施:もちろん、本をきちんと読めば、個人主義的な個の確立のビジョンとは違うというのはわかります。孔子でいう「礼」をきちんと身につけ、徳を養って初めて自立した個人になれる。
 人は、自分の生まれ落ちた社会の伝統、および、その中で培われてきた道徳を身につけて初めて個の確立が可能になるのだ、というのはしっかり読めばわかるんですけども。
 ただ、「個の確立」と一言で言ってしまうと、誤解を招く恐れがあるというふうに思いまして。そこを少し整理していただきたいなと思いました。
 中野:なるほど。ちなみに、儒教や中国においては、大場さんがおっしゃろうとしていた「個」というのは、なんと言われているんですか。
 大場:それこそ、「君子」ですね。日本だと「武士」になると思います。確固とした世界観を自分の中で持っていて、伝統の文脈の中でそれを引き受けて自分自身で世界を創造していくんだっていう、明確な意志を持つ。それが一切他律的な要素を持たないことで、完全な「個」が出てくる。
 それを中国思想の文脈では、君子とか、士大夫とか、あるいは日本だと武士っていう言い方をして。いわゆる社会的な地位とつねに一致していたんですけれども。現代日本においてそれを担保する社会的地位は存在しないので、ここの表現はたいへん難しかった。
 一方で、じゃあ君子になりましょうって、仮にこの本で書いたりとか、武士を目指しましょうと言うと、回顧主義的な主張をしてるようになっちゃうので。正直表現はたいへん悩んだ部分ではありました。
 施:ありがとうございます。よくわかりました。
 中野:次は佐藤さんにご意見をうかがえますでしょうか。
■思想でどこまで社会をつくれるか
 佐藤:中国史を踏まえた中国思想の変遷の本として、この本は実に面白い。大場さんの説明とも多少かぶりますが、この変遷を私なりに整理すれば、以下のようになります。
 最初はみんな、自由と秩序の間に適切なバランスをつくるにはどうしたらいいかを考えた。自由と秩序を両立できなければ、社会は際限ない弱肉強食になって収拾がつかなくなるか、息苦しい専制支配になるかのどちらかです。
 こうして「形名参同」「礼教国家」「律令国家」といった、さまざまなシステムが考案されるものの、理想的なバランスはつくることができないか、つくっても長続きしない。そこで発想の転換が起こる。今まではマクロの視点から自由と秩序の両立を図ったわけですが、逆にミクロから始めたんですね。人々が個人のレベルで自己実現を目指すことが、積もり積もって社会の調和をもたらす、そんな状態はつくれないかという話になった。
 社会の調和に貢献する自己実現ができる個人になることこそ「個の確立」であり、その境地に達した者が「君子」や「士大夫」である。この発想が朱子学を通じて陽明学へと流れ込んだ、私はそう理解しています。
 佐藤:ただし中国思想を現代日本に当てはめることで、世の中を良くする指針を提示しようとする試みが、どこまでうまく行ったかは、正直引っ掛かるところがあります。
 まず思想の力で、どこまで社会をつくれるものなのか。人間は理性的能力を駆使して、思い通りの社会をつくれるはずだという「設計主義」は、歴史において繰り返し失敗しています。むしろ社会のあり方が、人を特定の思想に向かわせるのではないか。主体的に思想を構築しているつもりでも、じつは社会の手のひらで踊っているというわけです。
 それから「自己実現をめざして、ひたむきに生きることこそ、自分の属する組織や、ひいては社会全体がよくなることにつながる」という結論ですが、この主張が成立するためには条件がある。すなわち「合成の誤謬」が起きないことです。みんなが個人レベルでひたむきに生きたら、本当に社会は調和するのか。逆に対立が激しくなって、社会はむしろ乱れるというのが、世の偽らざる真実ではないのか。
 もっとも私は、このような疑問ゆえに感銘を受けたんですよ。つまり人間は思想の力で現実を制御すべく、あるべき生き方や社会制度をいろいろ考えるものの、結局は現実の前に敗北する。人智の限界というやつですが、現実を制御する必要がある以上、思想を捨て去ることはできない。敗退の運命が待っているとしても、思想と関わり続けるのが人間の宿命なのだと腑に落ちたわけです。
 けれどもそうなると、思想が社会を制御するのではなく、社会が思想を制御するのではないかという点を、あらためて提起しなければならない。例えば韓非子の法家思想。これは秦国の思想となります。そして秦は天下統一に成功した。しかしこれは、秦が法家思想の力で天下を統一したことを証明するものではない。
■外的条件が思想を選ぶ可能性
 佐藤:即物的な話ですが、秦は他国よりも優れた武器を大量に生産できたのではないか。もっと言えば、それだけの産業基盤を持っていたから、法家思想を取り入れたのではないか。法家思想は誰もが分をわきまえることを強調して、傑出した個人というものを否定しますが、私はここで2002年の中国映画『HERO』を思い出しました。天下統一の直前、秦に滅ぼされた国々の英雄が秦王暗殺をもくろむ話です。
 これらの英雄はまさに一騎当千、無数の敵をどんどん倒す。他方、秦の軍隊にはそういう人物がまったくいない。にもかかわらず、なぜ戦争に勝ってきたのか?  劇中の台詞によれば、秦の弓矢はほかのどの国のものよりも遠くへ飛ぶからなのです。
 こうなると、英雄は要らない、いや存在してはいけないという話になる。英雄がいれば、次に始まるのは英雄崇拝です。英雄を担ぎ上げ、王位につけたがる連中が出てきたらどうするか。傑出した個人を否定する法家思想が魅力的に見えてくるのも道理でしょう。
 佐藤:裏を返せば秦も、産業基盤が整う前は傑出した個人を肯定していたかもしれない。それが状況の変化により「レベルの高い凡人がたくさんいるのが望ましいんだ、飛び抜けたやつなんか要らない」ということになったのではないか。この場合、当事者は自分の思想の変化を自覚していない可能性すらあります。天下統一をめざして頑張っていたら、いつの間にか社会がそうなっていたと、秦王本人も驚いたのではないか。
 思想というと、自由な主体性をもって考えついたり、選び取ったりできるようなイメージがあるものの、これ自体が神話にすぎないのではないか。産業基盤をはじめとする経済的環境、あるいは国際環境といった外的条件によって、多分に支配されているように思えます。
 大場さんは高度成長期の日本社会について、孔子孟子の理想にわりあい近かったと書かれていますが、アメリカの覇権や冷戦構造がなければ、高度成長そのものがありえなかった。「日本的経営」に儒教的な側面が見られるのは確かですが、これも占領改革によって労働者の権利が強化されたことを受けて成立したものです。
 思想の限界とは、人間の主体性の限界です。それでも現実を制御すべく、敗北を承知で思想に踏み出すところに人間の尊厳がある。完全な君子になることはないかもしれないが、君子になる努力は続けなければいけない、そういうことではないでしょうか。
■変化に対応するための予備としての思想
 大場:おっしゃるとおりです。論語でも、孔子は不遇な時代にどう自分を処するかをよく考えていました。受け入れられれば進むけれど、受け入れられなければ退くという、「自分を予備に置く」っていう考え方をします。予備に置いたときに、理想の国の姿を心や頭の中に保全して、状況変化に応じてすぐ動けるように保存しておくんだって。
 たとえば戦後の経済の話もそうですが、明治時代の頃の自由民権運動を主導してた連中は、今でいう右左関係なく、孟子をやたら引き合いに出していました。王道政治をひっぱってきて、均質な所得と生活レベルを維持したら、国民が帝国臣民として、みんなで国家を支えるのであると。中江兆民三宅雪嶺であろうが、みんな同じことを言っていました。
 ここで注目すべきは、そうした思想が言論レベルで予備として温められ、政治に実践される機会を待っていたことです。昭和戦前期などを見ると、陽明学者の安岡正篤に学んだ商工省などの革新官僚たちが、統制経済を施行し始めたんです。これは、予備として言論レベルに退いていた思想が、実践として表舞台に躍り出た例になります。
 その革新官僚たちは戦後、それこそニューリーダーたちの言うような平等っていうものと非常に似ていたので、そのまま通産省の中で戦後の高度経済成長を主導していきました。
 つまり、外的な条件がそろったとしても、彼らにそうした思想がなかったら、この成果は生まれなかったかもしれません。だから、思想というベースがある中に、外的条件が合わさって初めて結果が出るのではないのかなっていう感じはしております。
 ですから、佐藤先生がおっしゃるとおり、ひたむきに生きているだけでは、いい結果は出ないかもしれません。でも、ひたむきに生きようとしなければ、時代のチャンスを生かせない。
 中野:私も、大場さんに伺いたいことがあります。私はこの時代のことを詳しくは知らないんですが、最近BSで見た、春秋戦国時代を一国ずつ解説する中国のドキュメンタリーがすごく面白かったんですよ。
 そこで考えたことは、秦が強くなったのは商鞅の変法のおかげですよね。でも変法を実施した国は秦だけじゃなくて、趙や楚もやってたんです。ただ、明確に成功したのは秦だけ。ほかは失敗しちゃってる。改革しなかったからダメだったわけじゃなくて、みんなやってたんですよ。でも楚みたいに貴族が強すぎて中央集権にできなかったり、改革を過激にやりすぎたり、中途半端だったり。
 秦みたいに徹底してやって成功した国もあれば、同じく徹底してやって失敗した国もある。秦の場合、商鞅だって最終的には殺されるわけですからね。国によって違うんですよ。
 そのドキュメンタリーによれば、変法の発端は魏で、それによって強国となり、秦に衝撃を与えたのですが、自らが育てた優秀な知識人が国外に流出して、秦に行ってしまったんですよ。商鞅も魏出身だったはず。
 韓の国も、申不害の下で変法を断行し、権謀術策に長けた国民性へと改革し、強国になりましたが、そのせいで、韓の国内政治でも権謀術策が横行して不安定化し、弱体化してしまいました。
 趙の国も、武霊王が改革に成功して、一時は秦を脅かすくらいの強国になりました。でも、彼の先見性が理解されずに、結局は改革が失敗してしまう。国の成り立ち、地域の特性、それが大きく影響するんでしょうが、一筋縄ではいかない。どこが違いを分けるのか、それがものすごく面白い。これは現代にも通じる話で。
■改革の成否を分けるもの
 中野:この失敗のパターンを後知恵で考えると、やっぱり理想に走ったり、議論に走ったり、強引にやって失敗したのか。一般的にはそう解釈されますが、成功したとしか見えないケースもあります。厳しいか甘いかの態度で、やり方の不徹底が失敗を招くこともありますし、厳しく徹底した場合は反発が大きくなることもあります。何百年もの実験をしても解がないんです。
 秦は天下を統一しましたが、すぐにダメになってしまいました。変法というのは成功しているのか、失敗しているのか、失敗していることのほうが多いように思えます。
 答えはないかもしれませんが、状況や、天と地、人の利、運などにも関係しているでしょう。ここが非常に面白いですね。中国の古典や歴史が好きな人が多いのも、その面白さからでしょう。
 地理的な環境や経済的な状況、優秀な人材がいたかどうかも重要です。秦には優秀な人材がいました。商鞅もそうですが、軍事的にも白起将軍のようなすごい人材がいました。いたんですが、商鞅、范雎、韓非子呂不韋など他国から来た人たちも多かったようです。
 中野:しかし、人材がいても失敗することもあります。たとえば趙の名将李牧の足を引っ張るやつや、後ろから鉄砲を撃つやつ、これも全部パターンが一緒で。後世から見ると、「こんなやつの言うことを王様が聞くからダメになったんだ」、なんて話ばっかりなんですよ。司馬遷の『史記』や『三国志』でもそうですが、人間は変わっていないとよくわかります。しかし、とくに興味深いのは、やはり「変法」つまり「改革」ですね。
 大場:秦の改革が成功したことに関しては、秦の社会形態が特異で、中央の伝統から離れた遊牧部族に近いことが一因だと思います。つまり、基本的に家長の所有物としてすべてが扱われますので、部族長である秦王の命令が伝わりやすいという側面がありました。
 なので商鞅が入ってきたときも、変法がやりやすいうえに、商鞅にやるだけやらせて、最後はスケープゴートにして殺しちゃって、出来上がったものは秦王がもらうというのが、やっぱりうまかったなと思います。
■うまくいく変法は偶然にすぎないのか
 佐藤:変法、つまり改革とは、ウイルスの変異みたいなものではないでしょうか。ウイルスはしばしば変異するものの、ほとんどすべてが生き残りに失敗する。ところが、ごく稀に、環境にうまく適応するものが出てきて、次の支配的な株になる。
ならば、なぜその変異株が生き残りに成功したのか。いろいろ説明はできるでしょうが、突き詰めると「複合的要因、および偶然の組み合わせ」という身も蓋もない話になるのではないか。
 中野:そうすると、秦はろくに伝統もなかったから、変法しやすかったっていうことになる。伝統を守りましょう、という保守主義も怪しくなりますね(笑)。
 佐藤:アメリカもそうでしょう。歴史のない人工国家なので、「変法すること」が伝統になった感があります。
 大場:逆に考えてみると、なぜ東アジアで日本だけが近代化に成功したのか。
 西洋、とくにアメリカからの影響を受け、それを国家としてうまく咀嚼し、統合する分厚い中間組織が日本にはあったんです。
 一方で、中国を見ると、孫文が言ったように「すべての中国人は砂のよう」、つまり個々がばらばらで、皇帝の専制支配下でも統合力がなかった。そして朝鮮も官僚と庶民の格差が激しすぎて、社会組織が末端まで整備されていなかった。そういった状況では西洋からの影響を受け入れ、それを基に近代国家を構築するという土壌が日本とはまったく違っていたんですよ。
 だから、日本の近代化の過程と、中国や朝鮮のそれぞれの社会・政治的な背景が、どう近代化の過程に影響を与えたのかを考えると、非常に興味深いと思います。
 「令和の新教養」研究会
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 12月6日7:33 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本が独裁国家に転じれば、国民は幸せになれるのかーーネットで増える「民主主義否定論者」が見落としている事実
 全世界的に非民主的な強権国家の影響力が高まっている。強権的な国家はいわゆる民主主義のコストを負担する必要がなく、経済的に有利な状況にある。日本など民主国家の中からも、こうしたコスト負担を嫌悪する意見が散見されるようになっており、事態を放置すれば民主主義の機能不全につながりかねない。
 【写真】「クソリプおじさん」にどう接する?人気グラドルがたどり着いた結論
 「歴史の終わり」は来なかった
 フランシス・フクヤマ氏(2018年頃撮影)/photo by gettyimages
 一般的に民主国家を維持するにはかなりの負担がかかるとされている。議会を通じて議論を行なったり、政府が政策について国民に十分に説明し、賛同を得てからでなければ政策を実行に移すことができない。強権的な独裁国家と比べて、合意形成のプロセスに相当な時間や人員を必要とするため、一連の負担のことを「民主主義のコスト」と呼ぶ。
 これまでの国際社会は、圧倒的に西側民主国家の影響力が強く、経済規模も大きかった。豊かな先進国は総じて民主国家であり、その圧倒的な経済力を生かし、民主主義のコストを負担するという流れだった。
 つまり、経済的豊かさと民主主義はセットであり、そうであればこそ民主主義というのはグローバル社会における完成形と見なされていた。
 中高年以上で、一定以上の読書経験を持つ人なら、1990年代前半に出版されたフランシス・フクヤマ氏による「歴史の終わり」がベストセラーになったことを記憶しているだろう。フクヤマ氏は米国人でありながら、欧州のオーソドックスな哲学者であるヘーゲル弁証法を自在に読み解き、民主主義と自由経済が人類の歴史における最終形になるという鮮やかなロジックを展開した。
 知的書物としての内容の素晴らしさという点だけでなく、当時は現実社会もフクヤマ氏の主張に沿って動いているように見えた。
 旧ソ連は完全崩壊し、残った共産主義の大国である中国は、凄惨な文化大革命を経て改革開放路線にシフト。共産主義の国でありながら、限りなく資本主義的な制度に舵を切り始めており、時間はかかるものの、民主的な体制に移行していくと多くの人が予想していた(おそらくだが中国人自身もそう思っていたかもしれない)。
 だが2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した。
インフラがなくても経済成長が可能に
 図1
 以前の社会では経済成長を実現するには、先進国から多額の投資を受け入れ、鉄道や道路など、生活や産業に必須となるインフラをゼロから作り上げる必要があった。
 このため外貨による投資の受け入れが成長の絶対要件となり、こうした投資マネーを受け入れるためには、お金の出し手である西側先進国に対して妥協せざるを得なかった。当然のことながら米国を筆頭とする西側各国は、資金の供出と引き換えに民主化と市場開放を強く要求した。
 ところが世界の産業が工業からソフトウェア産業、知識産業に移行したことでこうした巨額の投資が不用となり、十分なインフラが存在しない国でも、急激な経済成長が可能となった。
 かつて内戦に明け暮れたカンボジアは、独裁政権でありながらめざましい成長を遂げており、最新のITサービスが次々と立ち上がっている。外に出ると、汚い道路はトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーで溢れかえっているが、そのトゥクトゥクはアプリを使っていつでも呼び出すことができる。
 中国は少し前まではハードウェアの製造が主流だったが、アリババに代表されるネット企業群は米国並みの技術力を持つに至っており、一連のソフトウェア産業が近年の高成長を担ってきた。
 民主主義の敗北は統計上の数字にも表れている。図1は世界における民主的な国と非民主的な国の人口推移を示したものである。政治体制については英国エコノミストの調査部門であるEIUが算定した民主主義指数を用いており、同指数の6以上を民主的、6未満を非民主的と分類した。
 民主的に分類される国の人口と、非民主的な国に人口の両者とも増加という状況だが、非民主的な国のシェアは上昇している。これはあくまで人口なので、この数字が直接的に世界に対する影響力を示しているとは限らない。では、同じような指標でGDP(国内総生産)を比較するとどうなるだろうか。
 強権国家の経済的台頭
 図2
 図2は同様に、民主主義指数おける分類と各国のGDPを示したものである。ここでは、さらに細かい区分を用い「A:完全な民主国家」「B:欠陥のある民主国家」「C:民主制と独裁制の混合体制」「D:独裁国家」という4つで比較した。
 経済力という点で比較すると強権国家の台頭は明らかだ。Aの「完全な民主国家」に属する国のGDPはあまり伸びていないが、独裁国家(D)や欠陥のある民主国家(B)のGDPが大幅に伸び、全体での比率を高めている。
 中国は完全な独裁国家でありながら、世界で2番目の経済大国であり、特殊な存在とみなすこともできる。むしろ私たちが注目すべきなのは、2番目のカテゴリーである「欠陥のある民主国家」に属する国々である。このカテゴリーには、シンガポールインドネシア、タイ、ブラジル、インドといった成長著しい新興国が軒並みカテゴライズされている。
 人口のみならず、GDPの絶対値という点でもこれらの国々のプレゼンスは大きく、民主主義のコストの是非について深く考えさせられてしまう。
 シンガポールは1人あたりのGDPが日本よりも高く、極めて豊かな国として知られているが、1965年にマレーシアからの独立を果たして以降、建国の父と呼ばれるリー・クアンユー氏とその息子であるリー・シェンロン氏が長く首相を務めるなど、独裁的な国家としての側面も併せ持っている。言論の自由も制限されており、民主主義指数は、「欠陥のある民主国家」の中でも最下位に近い。
 一方で手厚い教育制度や、子どもに対して優しい社会環境、外国から優秀な人材を積極的に受け入れる人材戦略など、画期的な政策を実施しており、日本からも子どもの教育目的に多くの人が移住している。
 特段、政治に関心を持たず、現実問題として子どもによい教育を施したいと考えるビジネスパーソンからすると、日本とシンガポールとでは社会環境に圧倒的に差があり、同国は魅力的な場所に映る。
 非民主化すれば格差は広がる
 先ほど取り上げたカンボジアも、2023年5月、野党を弾圧する中で制限選挙が行われ、与党が圧勝。長く独裁者として君臨してきたフン・セン首相は、息子のフン・マネット氏に首相の座を譲るなど、同族支配が続く。
 シンガポールやマレーシアなどの国々はかつて「開発独裁」と呼ばれ、経済成長のために国民の人権が犠牲になっているという批判的ニュアンスで語られていた。その実態は今も変わらないが、日本から教育目的で移住する人が増えるなど、状況は大きく変わった。
 各国の国内情勢も同じである。シンガポール国内では、一部の民主主義者が体制批判をしているものの、多くの国民は豊かな暮らしを享受している。政権に対して反発することのリスクを天秤にかけると、批判を行うメリットは乏しい。こうした状況は民主主義にとってやはり脅威といえるだろう。
 日本国内では、経済の落ち込みで生活が苦しくなっていることが影響しているのか、ネットなどを中心に民主主義を否定する意見が目立つようになっている。民主主義を否定している人たちは、「民主国家では弱者が過剰に保護される」「合意形成のために経済成長が犠牲になる」などと主張している。
 民主主義にそうした面があるのは確かだが、ネットで民主主義否定を声高に叫んでいる人たちは重大な事実を見落としている。
 もし日本が非民主的な国になった場合、彼らのほとんどは支配する側ではなく、支配される側に回るのは確実である。しかも被支配者側になってしまえば、内容の如何を問わず、政治体制について批判することは即処罰の対象となり、ネット上で自由に意見を言うことなど出来なくなってしまう。
 民主主義の弊害を説く人はどういうわけか、(ネットで自分の意見を口にするなど)自分が支配者側にいるような感覚を持っているのだが、それはあくまで願望に過ぎない。
 民主主義はコストがかかりすぎると主張するのは簡単かもしれない。しかしながら、ひとたび非民主的な国に転落すれば、万人に門戸は開かれず、特権的な立場の人とそうでない人の、埋めようのない格差が生じるのが偽らざる現実だろう。
 加谷 珪一
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