🌈9)─1・A─発掘された日本列島2023。古代遺跡から読み解く日本の多様な歴史文化。⦅16⦆〜No.18 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 古代の日本列島には、北は蝦夷地(アイヌの土地)・オホーツク海沿岸から南は琉球列島まで日本国内には多種多様な歴史文化が共存し、そこには単一性はなかった。
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 日本・アイヌ琉球は、中国大陸や朝鮮とは関係が薄い。
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 2023年10月17日19:57 YAHOO!JAPANニュース オーヴォ「【連載 列島を掘る!】 直近の成果が凝縮された『発掘された日本列島2023』を超解説~遺跡から読み解く多様な歴史文化:オホーツク海沿岸・琉球列島
 日本国内で行われている数多くの発掘調査の成果を国民に知らせ、埋蔵文化財の保護について理解を深める目的で文化庁が開催している「発掘された日本列島展」。今年で29回目だ。同展の図録の編集を担当した文化財調査官の大澤正吾さんが中身を詳しく解説してくれた。
 【動画】『発掘された日本列島2023』~遺跡から読み解く多様な歴史文化
 遺跡から読み解く多様な歴史文化:オホーツク海沿岸・琉球列島
 日本列島の歴史文化の多様さについて、遺跡を細かい視点で見ていくことで浮き彫りにしていく新企画。初年度には、北海道のオホーツク海沿岸の地域と琉球列島という日本列島の北端と南端を取り上げている。
●北海道のオホーツク海沿岸の歴史文化
 縄文時代の後には農耕社会の弥生時代が始まった。これが日本列島全体の歴史だと思われてきたが、実は違う。北海道地域は、本州とは違った考古学系の文化の歩みをしてきた。「狩猟採集の文化」が本州よりも長く続いた北海道地域では、時代区分も異なる。続縄文(ぞくじょうもん)時代、オホーツク文化期、擦文(さつもん)時代、擦文とオホーツクが融合したトビニタイ文化期があって、これらが少しずつ並行しながら最後にアイヌ文化期へと移行していく。
 今回注目したのは、アイヌ文化期以前まで人々が生活を続けていた竪穴建物だ。竪穴建物といえば、現在の地面からかなり下がったところから掘り込みが見えるのが一般的。しかし、北海道においては「竪穴建物の“くぼみ”が埋まり切らずに今でもそのまま残っている」という。
 加えて、竪穴建物の時期が、調査を待たずに「あらかた時期が想定できる」のも面白いところだ。「竪穴建物のくぼみの形、住居の形が時期ごとで異なっている。縄文・縄文続時期は円形や楕円(だえん)形、オホーツク文化期は六角形や五角形で大型、擦文時代は四角形でカマドが取り付くのでカマドの痕跡がある。それらを手掛かりにして、どういう風にアイヌ文化期まで歩んでいくのかが研究されています。他ではなかなかない調査研究方法です」
琉球列島の歴史文化 双方向的な交易の拠点と防御施設のグスク
 奄美諸島や鹿児島県側の島々も、北海道と同じように、本州が農耕社会になっても農耕をしなかった。それが変化し始めたのが、9~12世紀ごろ。農耕化と時期を同じにして、南北の双方向的な交易の拠点であったことがこの地域の大きな特徴だ。「この地域では、交易の拠点として大規模な集落が出てくる。交易の拠点となる遺跡には、北の本州から、あるいは逆の南の中国や沖縄といったさまざまな地域から、交易のために持ち運ばれた遺物が入ってきました」
 交易が活発化してくると、それと共に防御的な施設も整えられていく。これがいわゆる“グスク”と呼ばれているものだ。「防御的なものが備えられていく11~15世紀ぐらいまで」をこの地域では“グスク時代”と呼ぶ。
 グスクのあり方にも双方向的な影響が見られる。本州の中世の山城の影響を受けて成立した「本州系グスク」と沖縄のグスクの影響が強い「沖縄系グスク」があり、沖縄系グスクのあり方は「琉球王国の版図と関わる」ともいわれている。「説明を聞いていて話が複雑だなと思われると思うんですが、この複雑さこそが、琉球列島の大きな特徴。いろんなところの影響を受けて、いろんなものがあるという点では一つにまとめられるが、それぞれの内容を見ると個々に異なっているんです」
 北海道と同様に、写真で見るだけでも素晴らしい景観ばかりだ。「行ってみたいなと、一人でも多くの方が思っていただければ、私どもも遺跡も、地元の人もうれしいと思います」


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 日本土人である縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 旧石器人(ヤポネシア人)は、南方系海の民であった。
 縄文人(日本土人)は、森の民であった。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族である漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 10月16日 「【連載 列島を掘る!】直近の成果が凝縮された『発掘された日本列島2023』を超解説〜新発見考古速報:下里見天神前遺跡・北大竹遺跡・騎西城跡・騎西武家屋敷跡
 発掘された日本列島2023
 日本国内で行われている数多くの発掘調査の成果を国民に知らせ、埋蔵文化財の保護について理解を深める目的で文化庁が開催している「発掘された日本列島展」。今年で29回目だ。同展の図録の編集を担当した文化財調査官の大澤正吾さんが中身を詳しく解説してくれた。 
 新発見考古速報:下里見天神前遺跡・北大竹遺跡・騎西城跡・騎西武家屋敷跡
 近年の調査の中で特に注目されるものを地域の推薦で紹介している。2023年には縄文時代から近世までの10の遺跡が推薦されており、そこから大澤さんがイチオシの遺跡&遺物を3つ解説する。
●下里見天神前遺跡(群馬県高崎市)の馬形埴輪と人物埴輪
 下里見天神前遺跡から古墳時代後期の円墳が3基見つかり、そのうちの1基から馬形埴輪(はにわ)や人物埴輪などが出土したが、その出土状態が非常に珍しい。「通常、古墳から埴輪が出土する場合、埴輪は古墳に立て並べるものなので転落してきたものが多い。この遺跡ではそうではなく、古墳の周囲に巡る溝の中から、集積された状態で出土しました」
 古墳から埴輪が出土した場合、その古墳に対して使ったものと考えるのが普通だが、墳丘に立て並べられていた埴輪と、周溝で集積されていた埴輪では、その特徴が異なっていた。「集積されたものは、埴輪が出土した3号墳のために用意されたものではないということ。他の古墳に立て並べるために置いてあったものが、何らかの理由で放置されたとも考えられます」
 埴輪に施された細工を確認しやすいところもイチオシ理由だ。「古墳から出てくる埴輪は、色を塗ってあっても剥落していたりし、状態がここまで良い場合はさほど多くない。この埴輪は非常によく彩色が残っています。当時の人がどういう装いをしていたのか、形だけじゃなくて、色使いも知ることができる重要な資料」
 赤色された馬形埴輪のくらと人物埴輪の斑点やみずら(髪の毛)
●北大竹遺跡(埼玉県行田市)の子持勾玉
 二つ目は、埼玉県の北大竹遺跡から出土した子持勾玉(まがたま)だ。「北大竹遺跡は特別史跡の埼玉古墳群、埼玉の首長墳と呼ばれるものの近くにある遺跡。三つの時期分の祭祀(さいし)に関わる遺構が見つかっていて、いずれも子持勾玉や石製模造品、マツリの道具が大量に出土しているのが特徴」
 子持勾玉とは、大型の勾玉の腹や背などに小さな勾玉を付けたもの。「そうすることによって、祈りの力や再生力を高めるといわれている。数があればあるだけ、そういう力が強まると考えたのかもしれません」
 三つの時期の遺構全てから「子持勾玉と須恵器の大甕」の組み合わせで出土したことに加えて、一つの遺跡から出土した子持勾玉の数としては「日本で最多の45点」を数えるのもイチオシ理由。「子持勾玉は非常に面白い形をしていて、見ているだけで面白い。気に入った子持勾玉を見つける楽しみ方もあると思います」
さらに、当時の大首長のマツリの姿も感じてほしいという。「有力な古墳時代後期から飛鳥時代にかけての首長が、どういうマツリをどういう規模で行っていたか、具体的に知るために重要な資料」
 さまざまな形の子持勾玉
 子持勾玉と大甕の出土状況
騎西城跡・騎西武家屋敷跡(埼玉県加須市)の兜と障子堀
 三つ目は、「当時の城攻めの様子がはっきりと想像できる遺構と遺物」の両方が見つかった戦国時代のお城、騎西城跡・騎西武家屋敷跡だ。「遺物では兜(かぶと)、火縄銃の弾丸、刀、兜の前に付ける飾りの“前立て”などが出土した。この騎西城は1563年に上杉謙信によって攻略された。攻略した側は上杉謙信、守り側が小田原に本拠があった北条方。その時の戦闘に関わる遺物と考えられています」
 兜の鉢の形などから、「越後形」の兜であることが判明している。「(越後の)上杉方が城を攻略しようとして、攻めかけている時に何らかの理由で落とした。攻め手側、守り側、どちらのものか分かるので面白い」。そもそも「お城から、(戦闘中に落とした)兜が出土すること自体が極めてまれ」だ。
 もう一つの注目点は、北条方の城で多く確認されている障子堀。「堀の底を障子の桟みたいに細かく四角く切る堀が見つかっていて、非常に見応えがあります」
 騎西城跡・騎西武家屋敷跡から出土した十六間筋兜(じゅうろっけんすじかぶと)
 堀の底を細かく切った騎西城跡・騎西武家屋敷跡の障子堀
 文化財調査官の大澤正吾さん
 発掘された日本列島2023
 『発掘された日本列島2023』文化庁(編)、B5判72ページ、税込み1980円
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 10月14日 「【連載 列島を掘る!】直近の成果が凝縮された『発掘された日本列島2023』を超解説〜我がまちが誇る遺跡
 発掘された日本列島2023
 日本国内で行われている数多くの発掘調査の成果を国民に知らせ、埋蔵文化財の保護について理解を深める目的で文化庁が開催している「発掘された日本列島展」。今年で29回目だ。同展の図録の編集を担当した文化財調査官の大澤正吾さんが中身を詳しく解説してくれた。
 我がまちが誇る遺跡:宮城県名古屋市・八尾市
 単発の遺跡の調査で分かったことにとどまらず、継続的に調査研究をする中で「ストーリーとして分かったこと」、あるいは「継続した調査によって初めて分かったこと」を紹介するのが「我がまちが誇る遺跡」のコンセプトだ。
●全国屈指の貝塚密集地帯、宮城県仙台湾貝塚
 宮城県仙台湾周辺の貝塚は、「学史上も非常に有名な貝塚群。縄文時代貝塚研究をリードしてきました」。貝塚は、有機質の遺物が貝層によって残るという特性がある。「普通の土だと溶けてなくなるものも残っているのが大きな特徴」
 見どころは、骨角器など有機質の遺物の豊富さ。「非常に細工が細かく造形が優れています」。何より大事なのは、「この貝塚研究によって、どう縄文時代の生活が復元されてきたのか。そういうところをご覧いただきたい」
 仙台湾の史跡里浜貝塚の貝層
 仙台湾貝塚から出土した骨角器や釣り針
●日本窯業の源流、名古屋市の猿投窯とやきもの文化
 名古屋市は“窯業”がテーマだ。瀬戸物や常滑焼といったやきものの大元の源流は、愛知県名古屋市の猿投窯にあることが分かっている。猿投窯で生産が始まったのは古墳時代中期。「須恵器の生産から始まって、そこから緑釉陶器、灰釉陶器、山茶碗の生産を続けて、その工人たちが瀬戸に移動して瀬戸焼が始まりました」。さらに、その先では、「その瀬戸の工人の影響下で常滑焼が成立。その常滑焼の技術がさらに伝播(でんぱ)して、中世の代表的なやきものにつながっていきます」
 猿投窯から出土したものを時代順に並べて紹介しているが、見どころは。「焼き上がったものは出荷されて各地の消費地に向かっていくので、窯に残されているものは不良品。それでも緑釉陶器のキレイさは目を見張るものがあります」
 猿投窯の窯詰めの様子
 緑釉陶器(名古屋市博物館蔵)
●古代史の情景に思いはせて、八尾市の物部氏と幻の西京
 最後は大阪府八尾市。古代史上で重大なイベントに関わってきた“物部氏”をテーマにした遺跡だ。「八尾市付近が物部氏の河内における拠点でした。古墳時代中期頃の河内の地域は渡来人がたくさん入ってくる地域で、渡来人を率いた役割として物部氏がいた」。渡来系の人々が河内の開発に関与していたことを示す遺物や、物部氏の河内における拠点の建物と考えられている大型建物が発掘されている。
 大規模な群集墳である高安千塚古墳群の一つ、大石古墳の副葬品の装飾付須恵器。群集墳に葬られた人たちも物部氏と関わりがある
 物部氏の物語はさらに続く。「物部氏は仏教の受容をめぐって蘇我氏と対立して敗れる。その後の古代史上のイベントとして八尾地域に登場してくるのが、称徳天皇道鏡。彼らがこの地に由義宮(ゆげのみや)、由義寺(ゆげでら)を作って、西京(さいきょう)という都を作ろうという計画がありました」
 道鏡は、物部氏の一族である弓削(ゆげ)氏の出自とされる。由義寺は長らくその存在が分かっておらず幻の寺とされていたが、近年の発掘調査によって塔が見つかり、存在していたことが明らかになった。「西京の都は最後まで完成することはなく、称徳天皇崩御し、道鏡が失脚する中で、計画も立ち消えになった。その西京の造営がどこまで進み、どこで頓挫したのか、という実態が徐々に明らかになりつつあります」
 由義寺の塔の建築資材である凝灰岩切石や鉄釘
 版築層の上層部が由義寺の塔
 文化財調査官の大澤正吾さん
 発掘された日本列島2023
 『発掘された日本列島2023』文化庁(編)、B5判72ページ、税込み1980円
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