🌈9)─1・D・ハ─日本民族は、奈良公園に生息している野生のシカに似ている。⦅1⦆〜No.18 

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 日本民族琉球民族アイヌ民族の3民族は、漢族中国人や半島民族とは違うアジアンである。
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 2023年7月30日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「奈良公園のシカ、いつ、どこから来た? 実は「野生」で歴史は1000年以上!専門家が解説
 上浪春海
© AERA dot. 提供
 たくさんのシカがいることで有名な、奈良市奈良公園。シカはとても人に慣れていて、鹿せんべいを持った人のところへ怖がらず寄ってくる。観光用に飼われているのかと思いきや、実はみな野生のシカだという。いつ、どこからやってきたのだろう? 小中学生向けニュース誌「ジュニアエラ」6月号(朝日新聞出版)から紹介する。
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■観光用に見えるけれど実はみな、野生のシカ
 大仏で有名な奈良市には、奈良公園という広い公園がある。そこには人に慣れたシカがたくさんいて、観光客が売店で買った鹿せんべいを差し出すと寄ってきてうれしそうに食べる。このシカと予備知識なしに接した人は、観光のためにシカを放し飼いにしていると思うだろう。でも、それは正しくない。奈良公園のシカは、野生のニホンジカだ。
 奈良市の周辺は古代、開けたところで、約1300年前には平城京と呼ばれる都が置かれていた。現在も市の周囲には住宅地や農地が広がり、野生のシカが生息していそうな深い森はない。
 では、奈良公園のシカはどこからやってきたのだろう?
紀伊半島全域の野生のシカのDNAを解析
 シカは、古くから狩りの対象として人に利用されてきた。肉は食料に、角は漢方薬や工芸品に、革は武具などに利用された。また、シカは信仰の対象でもあった。奈良公園に隣接する春日大社は、奈良時代の768年に建てられ、祭っている武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、シカを神の使いとしている。
 奈良教育大学福島大学山形大学からなる共同研究チームは、奈良公園のシカはこうした人間活動によって大きな集団から切り離されてやってきたと考えた。では、もとの集団はどこにいて、いつごろ切り離されたのか。奈良公園を含む紀伊半島全域の30地点から294頭のシカの筋肉や血液を採取し、DNA(※)を取り出して解析したところ、奈良公園のシカは、紀伊半島のシカと共通点が多く、ほかの地域から連れられてきたのではなく、もともと紀伊半島にすむシカであるとわかった。
 グラフ この図は、縦長の細い棒を294本(=DNAを解析したシカの頭数)並べたもの。棒の1本は、その個体が緑・赤・青の遺伝的な要素をどれだけ持っているかを示している。奈良公園のシカは、ほとんど赤の要素しか持っていないことがわかる(画像提供/福島大学共生システム理工学類 高木俊人特任助教
 グラフ この図は、縦長の細い棒を294本(=DNAを解析したシカの頭数)並べたもの。棒の1本は、その個体が緑・赤・青の遺伝的な要素をどれだけ持っているかを示している。奈良公園のシカは、ほとんど赤の要素しか持っていないことがわかる(画像提供/福島大学共生システム理工学類 高木俊人特任助教
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 では、紀伊半島のなかで、奈良公園のシカにはどんな特徴があるのか。さらに詳しい解析を進めた結果、紀伊半島のシカの遺伝子の特徴は大きく三つあり、これを仮に赤、青、緑としたとき、西部には緑、東部には青の要素をもつ個体が多く、中央部では緑と青の要素が混ざり合っていた(グラフ参照)。ところが、奈良公園のシカはほぼ赤一色で、ほかのグループと混ざっていない。これは、奈良公園のシカがかなり前から緑や青のグループと切り離され、独自のグループとして、その中でだけ子どもを産み育ててきたことを示している。
■約1400年前、農地化と保護で奈良公園のシカは独自の集団に
 共同研究チームはさらに、三つのグループがいつごろ形成されたのかをシミュレーション(コンピューター上で実験すること)してみた。その結果をまとめたのが、「紀伊半島ニホンジカの歴史」の図(下記画像)だ。
 紀伊半島ニホンジカの歴史(画像提供/福島大学共生システム理工学類 高木俊人特任助教
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 図を見ると、人間の歴史とシカの歴史が関連していることが浮かび上がる。現在の奈良公園付近のシカが紀伊半島全域のシカと分断されたのはおよそ1400年前の古墳時代奈良時代。農業が発達し、奈良に平城京ができるなどした時代で、こうした活動によりシカのすみかである森林が減り、分断につながったと考えられる。紀伊半島全体でシカのグループがさらに分かれたのはおよそ500年前。戦国時代の激しい戦乱が、シカの分断に影響したと考えられる。
 今回の研究について、福島大学准教授の兼子伸吾さんはこう感想を述べる。
 「陸続きの紀伊半島で、シカの集団がこれほど遺伝的に違っているのは意外な結果です。そこに人間が関わっていることのもつ意味は大きいと思います」
 中心になって研究を進めた福島大学特任助教の高木俊人さんは、奈良公園のシカには大きな特徴があると指摘する。
 「シカは移動距離が長く、繁殖期には100キロメートルも移動するといわれています。なのに、奈良公園という狭いエリアで集団の独自性が守られているのは、ほかにはない珍しい事例といえます」
 シカは近年、全国各地で急速に増え続け、農作物を食べるなどの被害も報告されている。今後、人間は野生動物とどう関わるべきなのか。奈良公園のシカの研究は、そのためのヒントも与えてくれそうだ。
 (取材・文/上浪春海)
 ※DNAは、生物の細胞の中にある直径が2ナノメートル(1ミリメートルの100万分の2)ぐらいの細い糸のようなもの。そのDNAのところどころが「遺伝子」として働き、必要なたんぱく質を作るための暗号となっている。DNAは細胞の中心にある核の中だけでなく、細胞内のミトコンドリアという小器官の中にもある。
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 日本民族の中国大陸・朝鮮半島からの日本列島への民族大移動は、歴史上存在しない。
 日本民族は、辺境の日本列島の日本国にしか存在しない。
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 人類の誕生と大移動は運命である。
 日本人の祖先はアフリカのサルであるは宿命である。
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 約258万年前から約1万1700年前 更新世新生代第四紀の前半。
 600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジーボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
 100万前 ホモ・エレクトスが陸伝いに日本列島に歩いてきて住み着いた。
 10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
 3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 縄文時代 1万2000年~2000年前。縄文人(日本土人)。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
 この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族アイヌ民族は生まれていない。
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 日本土人である縄文人(日本土人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 旧石器人(ヤポネシア人)は、南方系海の民であった。
 縄文人(日本土人)は、森の民であった。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 日本民族は、旧石器人(南方東南アジア系ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(南方揚子江系渡来人)、古墳人(北方満州帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ人は住んでいる島・地域によって幾つかに枝分かれして、それぞれ他の人種・民族と乱婚を繰り返し混血度を濃くして独自の微妙に違う生活スタイルで生きてきた。
 蝦夷地・北方領土アイヌ樺太アイヌ、千島列島アイヌカムチャツカ半島アイヌ、その他。
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 琉球民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 多種多様な人種、民族との乱婚による混血度・雑種性が、最も濃密なのが日本民族で、次ぎに濃いのが琉球民族で、最も薄いのがアイヌ民族である。
 同一の縄文人から分かれた日本民族琉球民族アイヌ民族の違いは、この「乱婚による混血度・雑種性」の濃度にある。
 例えるなら真珠で、アコヤ貝の体内に取り込まれた砂粒などの異物(日本列島の土人である縄文人)に貝が分泌する独自の炭酸カルシウムでホワイトオパールにも、ブラックオパールにも、偏光色オパールにもなる。
 さしずめ、日本民族は偏光色オパールであり、ホワイトオパール琉球民族であり、ブラックオパールアイヌ民族である。
 そこには、漢族中国人や半島系朝鮮人は含まれていない。
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