💍25)─1─天皇家はお金持ちで特権階級・上級階級という日本人の勘違い。〜No.97No.98No.99 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 昔の日本人と現代の日本人は別人の様な日本人である。
 昔の日本人は、明治天皇と昭憲皇后を祭神とする明治神宮を創建し、神宮の杜を作った。
 明治神宮・神宮の杜は、奈良・東大寺の大仏造営に似ている。
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 2022年6月5日 MicrosoftNews 文春オンライン「「天皇家はお金持ちだし、秋篠宮家だって財産はあるんだから」眞子さん夫婦は“仕送り”を頼ればいいと思う日本人の勘違い
 秋篠宮さまは痩せ、母娘の関係は疎遠に…小室圭さんとの結婚が「円満な秋篠宮家」に招いた異変 から続く
 昨年、結婚に伴う国からの一時金を辞退した元皇族の眞子さん。そんな眞子さんを心配してか、「天皇家秋篠宮家から援助してもらえば贅沢な暮らしは十分できるんじゃないの」という声もあったが、残念ながらそれは的外れである。
 いったいなぜ小室眞子さん・圭さん夫婦が「天皇家の財産」を頼ることは難しいのか? ジャーナリストの奥野修司氏による新刊『 マコクライシス 』より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/ #1 、 #2 を読む)
 ©JMPA© 文春オンライン 「天皇家の財産」を頼ることはなぜ難しいのか
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 皇籍を離脱した者に支給される「一時金」とは何か?
 本来なら眞子さんが小室圭さんと結婚して皇籍を離脱すれば、一時金として1億数千万円が支給されたはずなのに、一時金を受け取ることに猛烈な批判があったことを配慮して、眞子さんは受け取りの辞退を決めた。結局、政府と宮内庁はこれを追認するかたちで、一時金を支給しないことを決定している。
 おそらく眞子さんにある程度の貯蓄があったからだろうと思われる。仮に眞子さんが成年後に受け取ってきた皇族費915万円(年間)をすべて貯金していたとすれば1億円近くになっているはずである。少なくとも預貯金がなければ問題になっていただろう。
 とはいえ、一時金は、「皇族であった者としての品位保持の資に充てるために」支出するお金である。皇族にはお付き合いから衣装まで、われわれ庶民には想像ができない金額が必要になる。
 例えば、ヨーロッパに行けば、皇室と親交のある王室もあり、きっと元内親王の眞子さんは招待されるだろう。そのとき、まさかカジュアルな服装で訪問するわけにもいかないだろうからそれなりの衣装は必要だ。それも元皇族としての品位を落とさないためにどうしても高額になる。一時金とは、一般人になっても、元皇族としての品位を保つために渡される資金なのだ。
 眞子さんが結婚して、皇族から一般人になったからといって、公人である皇族から完全に私人になったわけではない。「元皇族」という性格を併せ持つ、いわば準公人なのだ。一時金は、もらう、もらわないではなく、受け取るべきお金だったのである。それなのに、自ら辞退しなければならないところまで追い込まれた眞子さんは、お気の毒としか言いようがない。
 一時金をもらうことが「税金泥棒」とまで言われ、果ては「税金で生活しているくせに」と、ひどい言われ方をしてきた。要は、皇族は税金をもらって生活しているんだから国民の言うことを聞けということらしい。税金で生活しているのは政治家もそうなのに、政治家に対しては、「ろくな政治活動をしていないんだから税金を返せ!」なんて抗議はしない。税金をもらったら国民の言うことを聞かなくちゃいけないなら、公務員はまともに結婚できないことになる。こんな風潮が広がっていけば、税金で支えられている人間は「国民の言うことを聞け」から、やがて「政府の言うことを聞け」になってしまうだろう。
 典型的な例は日本学術会議の任命拒否だ。税金をもらっているなら国民の代表者である政治家の言うことを聞け、でないと任命できませんよというわけである。これも眞子さんへのバッシングと五十歩百歩だろう。これらバッシングする側に共通しているのは、使われた税金が自分のお金だと錯覚していることである。
 眞子さんと小室さんがこれほど非難されたのは、眞子さんが皇族だったからだ。おそらく憲法第1条に「天皇は……主権の存する日本国民の総意に基く」とあるのを誤解したのだろう。つまり、天皇と同じように皇族も国民の総意に基づくのに、眞子さんの結婚相手は国民の総意に反しているではないか、と。しかし、これは天皇制というシステムのことを定めたのであって、一皇族の生活に言及しているわけではない。それを曲解されたのだ。「眞子さんに一時金を払うな!」なんて本気で思っていた国民がどれほどいたのだろう。
 なぜ皇室は税金で維持されるようになったのか?
 それにしても、なぜ皇室は税金で維持されるようになったのだろうか。
 日本が戦争に負ける直前の皇室には、現在の金額で数兆円といわれる財産があった。戦争に負けたことで、皇室に大金を持たせては権力を乱用するから危ないというわけで、日本を占領したGHQは、莫大な皇室財産に課税して解体し、国に移管させた。戦後の国民は、その財産を享受してきたはずだ。例えば、皇居外苑を散歩したとする。自由に出入りできるのも国に移管されたおかげなのである。
 皇室が税金で支えられるようになったのはわずか75年前のことである。それも皇室が自ら望んだことではなく(昭和天皇は認めたが)、GHQという外国の軍隊によって強制されたことを、当時の国民が認めたということだ。その結果、「皇室の藩屏」といわれた旧宮家臣籍降下させて直宮家だけにシェイプアップし、天皇家を中心とした皇族の生活と皇室の維持を税で賄うことにしたのだ。最初から税金で賄われていたわけではない。
 ちょうど眞子さんは一時金を辞退すべきだといった意見がかまびすしかった頃だったが、「天皇家はお金持ちだし、秋篠宮家だって財産はあるんだから、援助してもらえば贅沢な暮らしは十分できるんじゃないの」といったようなことが言われた。
 たしかに皇嗣になった秋篠宮さまの新居は、33億円もかけて増改築が進められていたし、新居が完成するまでの「御仮寓所」だって、なんと10億円もかけて建てたものだ。
 総面積が1378平方メートルというから、われわれ庶民からすれば、とてつもない大邸宅である。それも東京の一等地にあるのだから、いかにも資産家に見えるが、結論からいうと、秋篠宮家の住まいはすべて国有財産であって、私有財産ではない。
 秋篠宮家が動かせるのは皇族費だけである。秋篠宮家の皇族費は、いわば国から秋篠宮家に払うサラリーのようなものだ。
 余裕がない秋篠宮家の家計
 余談だが、かつて田島宮内庁長官が、孝宮さまの結婚について昭和天皇から持参金らしき金子を尋ねられたらしく、〈只今の所では納采の儀前に二〇万位、御婚儀近きまして三〇万位かと存じます〉と答えている。合計で50万円。1950(昭和25)年頃の50万円は、公務員の給与で比較するとざっと今の2000万円ぐらいだろう。
 もし秋篠宮さまも、同じように眞子さんに持参金を持たせたとしたら、どれくらいだろうか。おそらく高額な金額ではなかったと思われる。
 皇嗣になる前の秋篠宮家の皇族費は年間6710万円だった。皇嗣に就任して1億2810万円にアップした。一見高額のようだが、それほど余裕があるわけではないといわれる。
 皇嗣になる前に秋篠宮家で働いていた職員は24人(平成30年度)だった。それが皇嗣になって51人(皇位継承後)に増えているが、これは公的予算からまかなわれているとはいえ、それ以外に雇う運転士や料理人などの私的使用人も同じように増えるから、給料や社会保険料等は皇族費から負担しなければならない。
 また天皇家では接待費や通信費、水道光熱費といったものは国の費用(宮廷費)で支払うが、宮家では公務で使われた費用以外はすべて皇族費から払うことになっている。当然、皇嗣になってこうした私的使用人も増えていることだろう。
 悠仁さまは皇位継承者だから教育費は宮廷費から支払われるものの、眞子さんや佳子さまの教育費は、当然、秋篠宮家の皇族費から負担することになる。
 そんなことを考慮すると、持参金を含めて、秋篠宮家が眞子さんに十分な援助ができるほどの余裕があるとは思えないのである。
 皇室経済法施行法では、天皇が賜与できる金額は1800万円までで、それ以外の皇族は年間160万円以内と決まっている。しかしこれは一般的な場合であって、眞子さんに渡す場合は縛られないとしても、余裕を持って仕送りするのは簡単ではないかもしれない。
 皇族費は自由に使ってもいいとはいえ、われわれのように海外旅行をしたり、気分次第で車を乗り換えるといったふうに使えるお金ではなく、必要な予算が一定額あって、自由にできるお金はそれほど多くないはずである。もちろんそこから仕送りはできなくはないが、それほど潤沢ではないということだ。
 「でも、陛下か上皇さまのだれかが援助するでしょ?」という声もあるようだ。
 では、上皇上皇后ご夫妻に支援する余裕はあるだろうか。
 そもそも天皇家には「私有財産」がない
 そもそも天皇家には基本的に私有財産というものがない。日本国憲法第88条で「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」と定められていて、生活費を含めた天皇家を維持する必要経費はすべて国の予算をアテにしているのである。
 例えば、天皇ご一家がお住まいになっている皇居は、不動産価値20兆円ともいわれていて、天皇家が所有しているように思われがちだが、実は所有者は国であって、「皇室用財産」として皇族に無償で提供しているにすぎない。那須や葉山の御用邸も同じだ。
 戦前の皇室は違った。三井や三菱といった財閥もかなわないほど莫大な財産があり、敗戦後に日本を占領統治したGHQが、実質的に没収することで政治的権力を奪う方針を立てたことは述べたが、そのために日本国憲法の施行によって特別に財産税が課せられ、ほぼ9割が物納というかたちで国に移管されたのである。
 昭和天皇のお手元には1500万円の預貯金(現在の価値で数十億円か)だけが私有財産として残された。このお金を「内廷会計基金」に入れ、有価証券などで運用して増やしてきたのである。また、天皇家の私的費用である内廷費が余ればここに戻し、臨時で大きな出費があったときなどに流用してきたようだ。
 1959(昭和34)年の皇太子殿下と正田美智子さんの「ご成婚」もそうだ。
 詳しくは拙書『美智子さま ご出産秘話』(朝日文庫)を参照していただきたいが、宮内庁はこの日のために、内廷費(天皇の私的生活費)を節約したり、例の1500万円を元手に有価証券で増やしたりしながら、当時の金額で5000万円(現在なら5億円以上か)を貯めたというエピソードがある。国民にはあずかり知らぬことだった。
 正田美智子さんが結婚を受諾したとき、皇太子殿下は「柳行李ひとつで来てください」と言ったと伝えられているが、実際は柳行李ひとつどころか、持参した荷物は2000万円とも5000万円とも噂された。もちろん当時のことだから持参金もあっただろう。戦後の天皇家の財布は決して潤沢ではなかったのである。
 皇族も「相続税」からは逃げられない
 話を戻すが、眞子さんがアテにできるとすれば内廷会計基金のお金しかない。
 先にも述べたが、昭和天皇の遺産総額は約18億7000万円だった。このほとんどが戦後のお手元金1500万円を運用して増やした金融資産で、遺産相続人は新しい天皇(現上皇さま)と香淳皇后のおふたりである。香淳皇后の分は非課税だったが、上皇さまが相続した分から4億2000万円を相続税として納税している。
 2000年に香淳皇后が逝去されたが、上皇さまが相続した額は公開されていない。1989年に株価が史上最高値をつけて以来、半分以下に下落しているから、所有していた有価証券が想像以上に下落したのかもしれない。相続税額が公示されていないことから、おそらく上皇さまが相続した額は推定1〜2億円だろう。基本的に皇室が購入した有価証券はほとんど売買しないから上皇さまが相続した分も同じように下落している可能性がある。すると昭和天皇香淳皇后から相続した額は数億円程度まで減少している可能性がある。眞子さんに援助したくても、これでは余裕のある援助はできない可能性がある。
 余談だが、イギリスのロイヤルファミリーは戦前の皇室と同じで、個人資産や領地からあがる収入が数百億円といわれ、これはすべて非課税(現在は所得税を払っている)だった。日本の場合は相続税が大きく、このままでは代替わりのたびに内廷会計基金が目減りしていって、限りなくゼロに近づく。ゼロになればすべて税に依存するのだから貯蓄する必要もなくなってすっきりするという説もあるが、一歩間違えば、眞子さんのように、納得しない国民から反発をくらったときは身動きがとれなくなる可能性もある。
 こうしてみると、天皇家秋篠宮家も決して潤沢な資金があるわけではないことがわかる。短期間ならともかく、長期にわたって眞子さんを支援することはむずかしいということだ。 (奥野 修司)」
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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 仁徳天皇「私はすっかり富んだ。民が 貧しければ私も貧しい。民が豊なら私も豊ななのだ」(かまどの逸話)
 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。 
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 紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性世襲男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
 日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
 ゆえに、日本民族日本人は天皇・皇族・皇室、国體=天皇制度を守る為ならば死を厭わず、武器を取って戦った。
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 皇室の血族優先(ネポティズム)は、血縁・地縁による依怙ひいき、縁故、身びいきとは違う。
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 日本の歴史には3種類あって、1,日本民族の民話・伝承・寓話・宗教によるローカルな神話物語、2,アフリカを源流とする人類進化・文明発展史、3,記録が残る人間英雄伝説である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類文明史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語・人類文明史・人間英雄伝説の3つを均等に持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は正史で日本を武力統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
 現代日本建国記念日は、天皇神話物語であって人類文明史・人間英雄伝説ではない。
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 デュルケーム「(宗教の役割の一つは)共同体を維持する装置」(『宗教生活の原初形態』)
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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
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 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
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 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
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 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
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 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
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 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
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 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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 人類の誕生と大移動は運命である。
 日本人の祖先はアフリカのサルであるは宿命である。
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 600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジーボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
 10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
 数万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
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 日本土人である縄文人ヤポネシア人=石器人の子孫)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 日本民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ人は住んでいる島・地域によって幾つかに枝分かれして、それぞれ他の人種・民族と乱婚を繰り返し混血度を濃くして独自の微妙に違う生活スタイルで生きてきた。
 蝦夷地・北方領土アイヌ樺太アイヌ、千島列島アイヌカムチャツカ半島アイヌ、その他。
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 琉球民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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