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現代日本人の生活の場から日本民族由来の諸文化が消え、人口激減と外国人移民(主に中国人移民)増加で消滅が加速化していく。
日本国内には、日本民族由来の諸文化を嫌悪して消滅させたいと願う日本人が少なからず存在する。
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2023年7月29日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「着物を着る人はもはや「絶滅危惧種」? 「日本人の着物離れ」に拍車がかかった意外なワケ
池田 訓之
古来より脈々と受け継がれてきた日本の伝統文化、着物。しかし、着物の市場規模はピーク時の約9分の1にまで減少、もはや着物を着る人は「絶滅危惧種」と言ってもいいだろう。日本人の「着物離れ」はなぜ起きたのか? 呉服店経営者で、著書『君よ知るや着物の国』がある池田訓之氏に、さまざまな角度から分析していただいた。
着物を着る人は「絶滅危惧種」なのか?
着物は日本で生まれ、日本人とともに育ってきた日本ならではの衣装です。私たち日本人は1000年以上着物を着てきました。着物は日常着であり作業着であり、晴れ着でもありました。家事をするときも着物、結婚式のときも着物、それが日本人にとって当たり前だったのです。
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50代~60代の人が小学生だった頃、身の回りに着物を着た大人はたくさんいたのではないかと思います。
私は現在60歳なのですが子どもの頃、祖母はいつも着物を着ていました。出掛けるときだけでなく、掃除や洗濯などの家事をするときはもちろん畑仕事をするときも着物です。袖にたすきを掛けててきぱきと動いていました。
父親は公務員だったので仕事に行くときはスーツ姿でしたが、帰ってくると着物に着替えていました。また、小学校の授業参観には着物を着てやって来るお母さんがたくさんいました。昭和40年代の日本はそんな風景がどこにでも見られました。ほんの50年くらい前までは着物は私たちのとても身近にあったのです。
しかし今、街中で着物姿の人を見ることはほとんどありません。着物姿の人を見掛けるとなんとなく目で追いかけてしまうのは、それだけ私たちの周囲から着物を着た人が消えてしまったということです。着物を着る人はまさに“絶滅危惧種”のような扱いです。
1000年にわたり脈々と受け継がれてきた「着物を着る暮らし」が途絶えてしまった原因は、戦後に西洋文化が一気になだれ込んできたことにあると私は考えています。とても分かりやすい例がサザエさんの家庭です。
漫画の『サザエさん』は終戦の翌年の昭和21(1946)年にスタートし、昭和49(1974)年まで続きました。まさに日本が敗戦の痛手から這い上がり、高度に成長した時代を描いています。
サザエさんのお母さんのフネさんは、着物に割烹着で家事をこなしています。ちょっとおしゃれして出掛けるときも着物です。そしてお父さんの波平さんは、仕事から帰ってくると着物に着替え、休日は一日着物で過ごしています。
一方、娘であるサザエさんとマスオさんの夫婦は、基本的には普段着もお出掛け着も洋服です。この2世代間で着物を着る暮らしの伝承がされなかったことが、今着物を着る人を絶滅危惧種に追い込もうとしている大きな要因なのです。
伝承されなかった「着物のある暮らし」
サザエさん一家は連載開始当初から28年間設定年齢が同じですが、昭和40年代に50代の親世代と20代の子ども世代に想定して考えてみます。
子ども世代(サザエさん夫婦)は終戦直前もしくは戦後に生まれ、日本が復興するのと一緒に成長していきます。戦後の日本の目標は欧米に追いつくことであり、庶民の憧れは欧米のような暮らしをすることでした。
センスの良い洋服を身にまとい、ダイニングテーブルで洋食を食べ、ソファでくつろぐ。そんな暮らしをすることが多くの日本人の理想であり、目標になりました。
アメリカのホームドラマが日本でたくさん放送されるようになったのもそれに拍車をかけたのではないかと思います。
こうして多くの日本人が求めるものは西洋式のモダンなライフスタイルとなり、そんな生活に着物はそぐわないと考えるのが当たり前になっていきました。着物を日常的に着ている親世代(フネさん夫婦)はその流れに飲み込まれ「着物のある暮らし」を子ども世代に伝えることをやめてしまったのです。
その結果、着物に割烹着をつけた母親と洋服にエプロンをつけた娘が台所に並んで調理をする風景がごく当たり前になり、やがて着物に割烹着の母親が世の中から去ると日本人の日常から着物が消えていくことになりました。
この本を読んでいる人が子どもの頃、おばあさんは自分で着付けができて普段から着物を着ていた人が多いと思います。日常的には洋服を着ていたとしても、ちょっとしたお出掛けには着物を着るなど、着物を着ることはさほど珍しいことではありませんでした。
一方母親は日常生活で着物を着ることはまずなく、着物を着るのは結婚式かお葬式くらい、しかも自分では着付けができないから美容院で着付けてもらう。そんな風景が記憶のなかにあるのではないかと思います。
現在50代~60代の人の母親世代がサザエさん、祖母世代がフネさんです。この2世代間で起きたことが日本の伝統的な衣装である着物を、日本人の生活から遠ざけてしまったのです。
市場規模はピーク時の約9分の1に
日本人の着物離れは市場規模にもはっきりと表れています。
矢野経済研究所『きもの産業年鑑』によると、昭和56(1981)年の約1兆8000億円をピークに減少の一途をたどり、令和2(2020)年は新型コロナウイルス感染症の影響もあり、ついに2000億円を切って1925億円に落ち込みました。
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令和3(2021)年は少し回復して2110億円となりましたが、ピーク時の9分の1程度まで落ち込んでいます。
新型コロナウイルスの影響で中止・延期されていた催事やイベントの開催が増え始めた令和4(2022)年は、着物の売上も若干の回復傾向にありますが、劇的なV字回復が望める状況にはありません。
しかもこのグラフからは見えない事情もあります。帯の一大生産地である京都西陣の帯の生産量は、昭和41(1966)年がピークでした。
昭和41年といえば戦時中の物のない時代に青春時代を過ごした女性(終戦の昭和20年に20代)が40歳前後になっている時期と重なります。戦後の復興で経済的に恵まれるようになり欲しいものを自由に購入できるようになったことで、若い頃に憧れていた着物を手に入れたいと望み着物を購入する人が増えたのです。
またその子ども世代が20代となり結婚適齢期を迎えています。娘がいる家庭では、自分のときにろくな嫁入り支度ができなかったからせめて娘には良いものをもたせたいと考え、嫁入り道具として着物を何枚も購入しました。
呉服産業全体が活況を呈していた時代でした。
「高級化」が着物離れに拍車をかけた
しかし西陣の帯の生産量は、以降は減少に転じます。もちろん西陣の帯だけの話ではありません。すべての生産地で同じことが起きました。
帯は着物とセットで身につけるものですから、着物の生産量が減ってきたらそれに合わせて帯の生産量も減っていきます。
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それなのに15年後の昭和56(1981)年には、呉服の小売り金額は最高額を記録しています。一見矛盾したように見えるこの現象には、きちんとした理由があるのです。
終戦時に20代だった女性は昭和56年には50代後半になります。高度経済成長期は過ぎたものの日本は右肩上がりで成長し裕福になりました。
当時は55歳で会社を定年退職するのが主流でしたから、夫とともに悠々自適な隠居生活を始めようとする人も多かったと思われます。そんな女性たちが楽しみの一つとして高級な着物を求めるようになりました。
1着30万円の着物を10人が購入した場合と1着100万円の着物を3人が購入した場合は、統計として残る売上額は同じ300万円です。
着物の売上枚数は昭和40年代以降確実に減っているのに、売上額は昭和56年まではなんとか確保できていたのはこのような理由です。
しかし着物の高級化は呉服業界にとっては諸刃の剣でした。高額な着物を購入する層は限定されますから、それ以外の人には「着物は高いもの」「特別な人が着るもの」というイメージが定着してしまい、日本人の着物離れに拍車をかけることになってしまったのです。
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