🎑25)─3・B─民族言語のルーツ。旧石器人、縄文人、弥生人、古墳人はどんなコトバを話していたのか?~No.64 

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 日本の民族言語は、朝鮮半島の言語や中国大陸の諸言語とは違う。
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 日本民族琉球民族・アイン民族の祖先は、数万年前に日本列島に住んでいた旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)の原住民で、争いの少ない平和な社会を築いていた。
 そこへ、数千年前に大陸や半島で戦争・闘争・政争に敗れて逃げてきた弱者・敗者である弥生人(南方系渡来人)、古墳人(北方系帰化人)が原住民と乱婚を繰り返して生まれたのが血が汚れた混血で雑種の日本民族である。
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 2022年12月22日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「旧石器人や縄文人弥生人はどんなコトバを話していたのか?
■コトバの考古学
 日本列島の古代人には文字が無かったと考えられています。私個人は、たとえ記号のようなものでも何かあったのではないかと探りましたが、さっぱりその証拠には出会えませんでした。残念ながら漢字を導入するまで、やはり日本列島には文字が無かったようです。
 一方、漢字文化圏の古代中国にはさまざまな歴史やエピソードがことばで残されています。人類学的にも同時代の人間の脳力に大した違いはありませんので、文字で残されてはいないけれど、私たちのご先祖さまたちも孔子孟子のことばを論理的に理解することができたはずです。
 さて、言語には文法があります。
 私たち日本人の文法はSOV構文で、いわゆる主語+目的+動詞ですから、語尾まできちんと聞かないと、肯定なのか否定なのか疑問形なのか過去形なのか、などがわかりません。
 一方、中国語はSVO構文で、欧米語などと同じ主語+動詞+目的です。
 日本語と同じ構文を持つのは近隣では朝鮮語です。ですから中国文を読み下す時にはレ点や、一・二点、上下点にテニヲハを振らなければなりませんが、漢字導入後はなんとかかんとか工夫をして文字を獲得したわけです。
 平安時代になると「カタカナと平仮名」という表音文字も登場して日本語表記のバリエーションが一気に豊富になります。それより前の時代の「万葉仮名」は当時の発音をきちんと区別して残してくれているので、ことばの研究に大きく寄与したのは言うまでもありません。
 ただ、私が今回取り上げたいのは表記ではなく、「ことばそのもの」です。
 全く根拠のない私の直感だけで恐縮ですが、おそらく日本列島で発せられている「ことば」で最も古いのは「おい!・こら!・え?・わっ!・はい」などのようなことばだと思っています。
 それは遅くとも縄文時代にはすでにあったことばではなかったでしょうか。いずれも反射的な感情を表現する「音」ですが、「はい」というあらたまった返事は遅くとも弥生時代後半にはあったと考えて良いでしょう。
 それは『三國志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条(さんごくし ぎしょ うがんせんぴ とういでん わじんのじょう)』、すなわち俗にいう『魏志倭人伝』の風俗報告にあるからです。
 原文「・・・対応聲曰噫、比如然諾。」
訳「(上位の人に対する)承諾の返事は「噫(あい)」という。うけたまわりました、という意味だ」
 当時の魏使達には「アイ」と聞こえたのでしょうが、これは「はい」そのもの、もしくはその原型だったでしょう。
 もう少し時代を下ると、現代に残されている古語もあります。あなたの顔の部品にもありますね。
 「マツゲ」がそうです。これは「(マ)=目・(ツ)=の・(ゲ)=毛」 → 「目の毛」です。
 若い女性が「ツケマ」といったり「マツエク」などといったりしていますが、その語源は遅くとも奈良時代ぐらい、飛鳥時代古墳時代にまで遡ると思いますよ。
 私たちが使っている現代語にも、いつから使われているのかわからないぐらい昔からのことばが隠されています。形を残さない「音」であることばを研究するのは大変なことですが、面白いかもしれません。
 ことばではありませんが、激動の奈良時代に生きた聖武天皇光明皇后が聴いたであろう楽器の音は、正倉院に保存されている宝物楽器が伝えてくれています。
 「音の考古学」が成立すれば、これは面白いでしょうね。
 柏木 宏之
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