💄14)─1─平安から鎌倉初期の上流階級の男は女性にかしずき妻や娘をサポートしていた。~No.28No.29No.30 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現代の日本人と昔の日本人は、別人にような日本人である。
 特に、マルクス主義価値観・キリスト教原理価値観・中華儒教価値観に毒された現代日本、リベラル左派系戦後民主主義教育に再教育(洗脳)された現代日本人はそうと言える。
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 2022年12月20日 MicrosoftStartニュース 婦人公論.jp「かつては大貴族もお産のお手伝い?子どもの食事も進んで作り、女たちにかしずいていた平安や鎌倉の男性たち
 大塚ひかり の意見
 世界経済フォーラムが発表した、男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数(2022年)において、日本の総合順位は146か国中116位と、先進国の中でも低かった。しかし、古典エッセイストの大塚ひかりさんは「古典作品をジェンダーの視点で読み解くと、日本という国が一変して見える」と言う。たとえば平安中期のころ、大貴族だったとしても、男性がお産の手伝いや子どもたちの料理を進んで作っていたとのことで――。
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 調理やお産の手伝いをする大貴族
 平安文学に描かれる大貴族は、私の子ども時代なら「女々しい」と言われそうな仕事を、妻や娘のために進んでしていました。
 『源氏物語』より少し前に成立した『うつほ物語』には、妻が妊娠すると、
 「女の子が生まれるかも」("女御子(みこ)にてこそあれ)と期待して、
 「"生まるる子、かたちよく、心よくなる"と言われる食べ物」を、包丁やまな板まで用意して、"手づから"と言わんばかりに、妻に付き添って調理してあげる大貴族が登場します(「蔵開 上」巻)。
 女の子が生まれるかも……と期待しているのは、娘を天皇家に入内させ、生まれた皇子を即位させてその後見役として母方の一族が繁栄するという「外戚政治」が行われていたから。それでなくても、男が女の実家に通っていた当時、家土地が娘に伝領されることは多く、娘は大事にされていたのですが、大貴族の場合、政治の道具として欠かせないために余計に娘の誕生が望まれたのです。
 『うつほ物語』には東宮の妻となった娘が第三皇子を出産するため里下がりした際、"御手づから"まかないをする大貴族も登場します。左大臣という政界の実力者である彼は、親しくお仕えする女房を御前に召して、産後に必要な食事を万事、調理して娘に差し上げます(娘は東宮妃なので父以上の地位です)。女房が思い通りにできないと、"御手づから"調理、正妻腹の息子たち、つまり娘の同母兄弟も出仕しないで姉妹のために控えており、
 「何か私どもも致しましょうか」
 と父大臣に尋ねると、父は、
 「そなたたちはまだ未熟だろう。この爺はたくさんの子を生んだ、孫の母(つまり正頼の妻)もいたわり馴れている。こういう人(産婦)をこの折によくいたわって、気を配れば、容姿も特段損なわれぬものだ。東宮がよく思ってくださっているようだから、やつれさせずに参内させたい」
 と言って、いろいろと素晴らしい食べ物を作って差し上げた(「国譲 中」巻)。
 上流階級の男も妻や娘のサポートをする
 いかがでしょう。
 この大貴族は、産後の娘のために滋養のあるものを"手づから"用意するだけでなく、その母……つまりは自分の妻が子を生むたびに何度も同じようにしてきたと言うのです。その様子を息子たちにも見せ、教えている。
 上流階級の奥方が料理などしないのは前近代のどの時代にも言えることですが、平安中期に限っては、上流階級の男が、産前・産後の妻や娘のために調理をしていたらしいのです。
 注目すべきは、娘の食事の世話をするのが母親でも姉妹でもなく、父親で、それを教える相手も息子たち……と、すべて男で固められていること。母や姉妹といった女たちは大切にかしずかれる存在だったのです。
 『ジェンダーレスの日本史――古典で知る驚きの性』(著:大塚 ひかり/中公新書ラクレ))
 © 婦人公論.jp
 お産の介助をしていた鎌倉初期の大貴族
 夫が妻の出産の手助けをすることは鎌倉時代に入っても続いていたようで、二条と呼ばれる実在の女性による赤裸々な告白録『とはずがたり』には、後深草院の愛人だった彼女が、別の男の子どもを生む際、その男が介助してくれた様が描かれています。
 産気づいた二条があまりの苦痛に起き上がると、その男は、
 「あのさ、出産の時は腰とか抱くらしいけど、そういうことをしていないから滞っているのかも。どうやって抱けばいいの」
 と言って二条を抱き起こします。その袖にすがりついて、ほどなく赤子が生まれたのでした。
 "あなうれし"
 と言って、
 「重湯を早く」などと男が言うので、事情を知る女房たちは、
 「いったいどこでこういうことを習われたのでしょう」
 と、感動し合ったのでした(巻一)。
 この二条の恋人は作品では"雪の曙"というハンドルネーム的な仮名が与えられていますが、大貴族でのちに太政大臣となる藤原(西園寺)実兼であることが知られています。
 『とはずがたり』によれば、彼は枕元の小刀で臍の緒を切って、赤ん坊を抱っこして外へ出た。それっきり二条はその子に会うことはありませんでした。
 二条が、
 「女の子でさえあったのに」("女にてさへ、物したまひつるを")と、生まれた子が女子であったがために、なおさら離ればなれになるのを惜しんだのは、この時代の娘の地位の高さを表しています。
 ※本稿は、『ジェンダーレスの日本史――古典で知る驚きの性』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。」
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