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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
現代日本人は歴史力がないだけに、本当の歴史が見えないし、見えても理解する事が出来ない。
つまり、現代の常識に凝り固まって融通性のない現代日本人は歴史に関して無能に近い。
そして、人間性や感性においても昔の日本人に比べて現代日本人は劣っている。
キリスト教価値観・マルクス主義価値観・中華儒教価値観などは無用の長物で何ら役に立たず、その中でも特に人民から見た共産主義史観は「百害あって一利なし」である。
その元凶は、ある意図のもとに歪曲・改竄・捏造された現代の歴史教育である。
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2019年11月21日号 週刊新潮「天皇がナンパ? 不倫に老いらくの恋!
『万葉集』 エロスの宇宙
『令和』を生んだ『万葉集』では、雅な花鳥風月ばかりでなく、色恋が多くうたわれているのをご存知か。古代の天皇のナンパから人妻の不倫、老いらくの恋まで。大嘗祭で改めて新元号が注目される中、最古の和歌集に収められた知られざるエロスの宇宙をご堪能あれ。
『万葉集』の特徴はエロにあり──。
断言するのは、古典エッセイストの大塚ひかり氏である。
元号の出典が初めて国書となったことから注目された『万葉集』。言うまでもまく、8世紀後半に編まれた約4,500首もの歌を収めた、現存する日本最高の和歌集である。
『もともと固有の文字を持たなかった日本は、中国の漢字を使って「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」を記してきました。勢い中国の文物の影響を受けざるを得ないわけで、「浦島太郎」など日本固有と思われがちな昔話も、実は中国の古典や仏典などにルーツがあったりします。そんな中で「万葉集」に日本独自なものがあるとすれば、エロなのです』(大塚氏、以下同)
中国の漢詩は恋歌が少ないことで知られているが、『万葉集』は異なる、という指摘です。
『大半は恋歌と言ってもいいでしょう。未婚男女の恋歌、人妻への恋歌、老いらくの恋にBL、つまり男同士の恋まで、あらゆる形の恋がうたわれています』
近著『エロスでよみとく万葉集 えろまん』で、そうした歌の数々を現代語訳した大塚氏に一番エロスを感じる歌を選んでもらうと、
『一押しは、上総にいた女性、珠名娘子(たまなおとめ)をうたった歌です。彼女はスタイル抜群で、ちょっと歩くと、男がフラフラついてくる。隣の旦那なんて、頼まれてもいないのに妻と別れて家の鍵まで渡したと。美人で、それでいて〝みだら〟という、男性からすると理想の女性かもしれません』
大塚氏による訳で、実際の歌をみてみよう。
〈千葉の南部の珠名は巨乳の女。腰くびれたナイスボディのいい女。きらきらと輝く姿で、花のようにほほ笑んで立てば、道行く男は自分の行くべき道を行かず、呼んでもいないのに門まで来る。隣のダンナはあらかじめ妻と別れて、くれとも言われていないのに家の鍵まで渡してしまう。皆がこんなに骨抜きになるもので、女は体をくねらせ寄りかかり、みだらにしていたのだった〉(巻第9・1738)
『万葉集』には、和歌が完全な七五調になる以前の長い歌も多々収められており、これもその1つ。あたかもラップのようだが、この歌にはこんな長歌(長歌のあとに添えられた短歌)がつく。
〈門口に男が来ると、夜中でも構わず出てきてセックスしてくれる〉(巻第9・1739)
この歌から複数の男と関係を持っていることが分かる。一体、どんな女性だったのか。
『彼女は遊女だったという説があります。当時の有名な遊女は、今で言う芸能人のようなもので、大貴族と歌を詠み合うこともありました。歌舞音曲に秀で、知的な遊女の地位は、室町幕府くらいまで高かったようです。もっとも、一般の女性だった可能性もあります。そういう女性の歌が堂々と国民歌集に載っていることが驚きです』
また、この時代には意外にも『人妻ブーム』が起きていた。そのことを示すこんな歌もある。
〈人妻にあんで触れちゃなんねぇだべ?そんだら隣の着物を借りて着ないっちゅうべ?〉(巻第14・2472)
大塚氏の解説では、
『隣の着物は借りるんだから、人の妻だって借りてよかっぺ、という発想です。これは都ではなく東日本でうたわれた東歌(あずまうた)という歌で、実際にどの地でうたわれたかは判りませんが、原文の読み下し文もギクシャクした印象で、なまっています。それだけ原型に近いのでしょう。』
当時、着物は貴重品。必要な時にあわせて隣近所で貸し借りしていたのかもしれないが、だから妻も、とは驚くばかりだ。
〝一夜で何度?〟と訊かれ
『万葉集』には、『ひとづま』が15例うたわれており、そのうちの1つは『ひとの夫』を指しているが、残り14例が『妻』の歌。性にまつわる内容がほとんどだという。
『この時代には中国から律令制度が導入されています。それまでは人の妻とセックスしてもさしたる重罪ではないという感覚だったのが、突如、法律で罰せられることになった。その驚きからにわかに〝人妻〟へと注目が集まったのでは』
こんな歌もある。
〈人妻と俺も交わる。俺の妻に皆も言い寄れ。この山を治める神が昔から認めた祭だ。今日だけはつらいことでも目をつぶり、何も咎めいなでくれ〉(巻第9・1759 長歌の一部)
人妻との行為は山の神様からのお墨付きだったということになる。山の神は多産の神。山での性行為は豊穣を祈ることとイコールで、当時の人々が性を重要視していた表れだったと大塚氏は見ている。
〈その籠、ナイスだね。スコップもセンス抜群だね。超おしゃれな籠とスコップ持って、この岡で若菜を摘んでるそこの君、家はどこ?名前を教えて〉(巻第1・1)
これは『万葉集』の一番最初の歌、作者は5世紀末に在位したとされる雄略天皇である。
『現代風に言うとナンパの歌です。可愛いね、といった安易なものではなく、相手のセンスを褒めています。慣れている美女にはかえって効果的でしょう』
この雄略天皇、生活は傍若無人ぶりが際立っていた。
『セックス中に部屋に入ってきた臣下に、雷を捕まえろと無茶を言ったり、自分が狙った女が他の男とまぐわったのを怒って、二人を焼き殺したりと、その暴虐と独裁者ぶりが知られています』
『万葉集』には女性関係について、こんなエピソードが伝えられている。
『一晩お相手した女性の産んだ娘が自分にそっくりなのに〝一夜だから〟と認知せず、それを咎めた重臣に〝一夜で何度?〟と訊かれて〝7度〟と正直に答えています。その後、重臣が諫めて、ようやく娘を皇女、その母を妃と認めたのです』
先のナンパ歌もこう続く。
〈見てごらん、視界の限り、大和は俺が治める国さ。隅から隅まで俺の息がかかっているんだぜ。俺こそ教えてやるよ、家も名前もね〉
この時代、女が名前を教えることはすなわち、肌を許すことと同等、とまで考えられていた。現代の気軽な『名前教えてよ~』とは少々ワケが違ったようだ。
さらに、一風変わった風俗習慣もご紹介しよう。
〈人が見ている上着の紐は結んでいるけど、人が見えない下着の紐は開けている。こうしてあなたを待っている日が多いの〉(巻第12・2851)
下着の紐が解けるのは恋しい人と逢える前兆、というジンクスがあった。
『恋人が来るのを期待して待つというおまじないの意味に加え、恋人を待ちきれず、下着を脱いでしまうほどの欲望の発露が見て取れます。このような歌をもらった男性は、天にも舞い上がる気持ちだったことでしょう』
下着を脱ぐ、紐を解いて待つ歌は他にもあって、メジャーなジンクスだったことが窺(うかが)われ。
〈天の川に向き合って立ち、私を恋し続けたあの方が来る。下着の紐を解いて待っていよう〉(巻第8・1518)
これは山上憶良が詠んだ七夕の歌。彦星を持つ織姫という雅な感じもするが、奈良・平安朝の七夕は、バブル時代のクリスマスイブのように、恋人と結ばれる日と相場が決まっていた。ちょっとお洒落な行事を祝う恋人同士のイベント、その感覚は今も昔も変わらないのだ。
官僚の女性スキャンダル
白髪が生えても恋はする。『万葉集』の時代、エロスは若者ためだけのものではなかった。老いらくの恋もたくさんうたわれている。
〈乳母は赤ちゃんのために雇うものでしょ?あなたはおっぱい飲みたいの?乳母みたいな年の私を求めるなんて〉(巻第12・2925)
年下男に口説かれた妙齢の女性が逆に誘っているようだ。
『平安文学では、老人の恋は〝よからぬもの〟とされ、若者に不相応な恋をして笑いものにされるという設定が多く見られます。ですが、「万葉集」では、老いても恋はするもの、という肯定的な考えがベースにあったのです』
若い女を口説いて『白髪が生えているわよ』と笑われて反論する男の歌や、あの『かぐや姫』の竹取の翁が乙女たちにからあわれて、『俺も若い時はイケメンだったんだ』と言い返す歌などもある。竹取の翁にいたっては、乙女たちも『お爺さんの言う通りだわ』と非を認めたりと、老人の性に対する視線が、得てしてあたたかい。
〈平穏無事に生きてきたのに、年老いて、こんな恋に巡り逢うとは〉(巻第4・559)
これは大伴宿禰百代の歌で、彼は太宰府の三等官、いわば実直な地方官僚だった。彼にとってもまた、恋は遠い火の花火ではなかったようだ。
また、『万葉集』にはスキャンダルめいた歌も収められている。赴任先の越中で、愛人の〝左夫流(さぶる)〟(以下、サブル)という遊女にいれあげ、都の妻と別れる!と言い出した部下を、大伴家持がこんな歌で諭している。
〈奈良の奥さんが、首を長くして待っているだろうに、可哀想じゃないか〉(巻第18・4107)
〈みんなの手前も恥ずかしい。サブルに骨抜きになった君の出勤する後ろ姿、尻つきがない!〉(巻第18・4108)
この時代、『七出(しちしゅつ)』と言って、離婚するには7つの理由が定められ、それに1つでもあてはまらないと別れられなかった。つまり、簡単に離婚はできないと家持は言っているわけだ。
〈派手な紅は色あせるものだ。どんぐりで染めた黒っぽい、なじんだ服がやっぱりいいんだ〉(巻第18・4109)
どんぐりで染めた地味な服に妻を例えている。一方のサブルは相当な売れっ子だったようだ。
〈サブルが大切にしていた家に、鈴もつけない早馬が下って来た。町をどよめかせて〉(巻第18・4110)
奈良から〝不倫〟相手たるサブルの家に本妻が馬で駆け付けた様である。この歌を解説してもらうと、
『この時代、女性にも相続権が認められていて、母から娘に家屋・財産が譲られることも多かった。遊女として売れっ子だったサブルは稼ぎもよかったでしょうから、自分の家を持っていたんですね。家に転がり込んだ都のエリート役人が、そこから堂々と出勤していた。そこへ本妻が乗り込んで大騒動になったわけです。今なら週刊誌、ワイドショーで騒がれるようなネタです』
さながら、富山県庁に出向したエリート官僚の女性スキャンダル・・・といったところか。
『「万葉集」は、うたわれている題材も様々で、〝エロ〟が数多くあるのはもちろんのこと、ウナギ、松茸、はては糞尿の臭いまでも詠まれています。後世の和歌の常識からみれば、そんなものまで・・・と驚くような、生活に根ざした歌が数多くあります。それこそが文字のない時代の、原初の歌の形だったといもいえます。だからこそ面白いのです』
4,500首中、作者のわからない歌が2,000首近く。匿名性が高く、エログロ、スキャンダルあり・・・となれば、現代の週刊誌からSNS、それもとびきり面白いものと相通ずる。本書を秋の夜長の友とするのも、また一興ではなかろうか。
本文引用歌
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『万葉集』は、陽の男らしい益荒男(ますらお)=日本男子と、陰の女らしい手弱女(たおやめ)=大和撫子と、中庸の男女・同性による淫靡な性愛=軟弱による、日本民族歌集である。
この三竦みの「うた心」が、皇室の生命源であり、天皇の御稜威・大御心であり、天皇制度の核になっている。
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日本の「うた心」は、西洋のキリスト教価値観でも、中華の儒教価値観でも、近代のマルクス主義価値観でも理解不能な未開で野蛮行為であった。
それ故に、キリスト教とマルクス主義(共産主義)は、「うた心」の理解を拒絶し、力尽く・暴力で破壊し消滅させようとした。
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日本民族日本人とは、雑多な人種・民族が乱婚を繰り返してきた混血の雑種民族である。
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『万葉集』の「うた心」とは、人類は家族、人は皆兄弟、つまり「八紘一宇」の愛である。
八紘一宇の愛とは、乱婚による托卵に通じていた。
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縄文時代は、不倫も同性愛も罪ではなかった。
明治時代までは、男女混浴が当たり前であった。
子宝の温泉とは、温泉地の男と性行為して妊娠する事であった。夫は、妊娠して帰宅した妻を山神の子を宿したと喜び、生まれた子供を自分の子として大切に育てた。
自分の子であっても本当は神の子である信じ込み、怒らず・叱らず・虐待せず、褒めて褒めて褒め抜き、神の子に相応しい立派な大人になるように厳しく躾をしながら大事に育てた。
それ故に、ムラや地域、国や世間、親や大人は、神の子である子供を自己犠牲的に育てた。
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西洋キリスト教文明圏では、高貴な王侯貴族の女性は権力を維持する為に大勢の領民・国民が見ている前で出産していた。
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縄文時代では、ギリシャ神話の男性神が人間の女性に子供に生ませるように、恵みの産土神や優れて賢い客人神が常世の世界(神の世界)からムラに訪れ女性に托卵して去って行った。
縄文時代のムラは、血筋的に男系社会で、女性が外から訪れた渡来人の子を生んで混血系縄文人を増やした。
原始社会での外来者をもてなす最高の方法は、愛する妻や娘を一晩から数晩、夜伽(よとぎ)として差し出す事であった。
異邦人からの托卵=乱婚による混血は、遺伝子の劣化による奇形児の誕生を防ぐには最良の方法であった。
縄文時代は、平和に数万年続いた。
弥生時代では、中国大陸や朝鮮半島の権力闘争や領土拡大戦争に敗れた弱者=渡来人が日本列島・縄文のムラに逃げ込み住み着き縄文人を弥生人に変え、血縁を神聖化して数多くの国を作り、別の血縁国に対する大乱を起こした。
国の拡大と統一は、開放的大陸では宗教であったが、閉鎖的日本では血縁・血筋であった。
弥生時代は、戦いで数百年続いた。
日本民族日本人には、弥生人より縄文人の遺伝子が古層に流れている。
アイヌ人や琉球人は、殺し合いの弥生化する事なく平和な縄文人から変化してきた。
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