💄27)─1─戦国時代~江戸幕府。武将たちを陰で支える女性の秘められた戦い。〜No.56 

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 2019年9月8日号 サンデー毎日「今週の新刊
 読んでたどる歴史  本郷和人
 『将軍家康の女影武者』 近藤龍春 著
 武将たちを陰で支える女性の秘められた戦い
 経済的に十分な余裕があり、しかも一夫多妻が許されている。そういう状況であれば、男子たる者、華やかに閨房(けいぼう)を営みそうなものである。ところが戦国大名や織豊期の大名などを見てみると、夫人の数は思いのほか多くない。キリスト教徒でないにもかかわず、明智光秀石田三成のように、一夫一妻ということもある。武将たちが戦乱による血のたぎりに任せて女性を求める、という攻撃的なイメージは誤りで、そういう時代だからこそ家庭を大切にし、そこに安らぎや癒やしを求めるものなのだろうか。
 ただし天下人ともなると話は別で、織田信長豊臣秀吉徳川家康は多くの妻妾(さいしょう)を蓄えた。わかりやすいのは秀吉で、とにもかくにもお姫様。出自へのコンプレックス丸出しで、織田家など武家名門のお姫様を好んだ。これに対して家康は一ひねりが必要。若い時分は子のある未亡人。中高年になると、逆に若い娘を近づけるようになる。未亡人の方は徳川家繁栄の礎となる子どもを確実に産んでくれそうな女性、という解釈で良さそうだ。一方で年を取るにつれ、自らが失った若さの価値が、彼の中で高まるのだろうか。
 本書は56歳(人生50年の時代の56)の家康が側室に迎えた、於奈津の方の活躍を描く。没落した家に生まれた彼女は、ふとした契機で家康の目にとまり、その知力と胆力で寵愛(ちょうあい)を勝ち得ていく。家康は於奈津を関ヶ原の戦い大坂の陣に帯同し、その意見に耳を傾けた。彼女は一身を敵兵の標的として、影武者の働きも示した。
 戦いのない世を作るため、逆説的な言い方だが、女性も果敢に戦っていたのだな、と思い知る。『男』が強調される戦いの世での、『女性』の重みを知らしめる一冊になっている」
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 武士は、主君の許可を得て、上役や同輩の娘か姉妹を家同士の絆として妻に娶っている以上、妻に暴力を振るって傷を負わせ泣かし、家庭不和をもたらす事はできなかった。
 武士の妻にとっては、主君や親の命令で好きでもない男の元に嫁いだが、跡取りの子供を産めば役目は済んだとしてそれ以上の肉体関係を嫌悪し、愛してもいない亭主には外で女遊びでもする様に家から追い出した。
 男は、女遊びの小遣いを貰えれば喜んで出かけたが、金をケチって安く遊び商売女から性病をうつされ早死にする事が多かった。
 家を支配したのは、女性であって男性ではない。
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 江戸時代では、子供を産める女性は大事にされた。
 江戸・京・大坂は、男性が多く女性が少なかった為に女性が特に大事にされた。
 その証拠が、三下り半である。
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 江戸時代の町には、遊郭や岡場所など女遊びをするいかがわしい悪所が必ずあった。
 つまり、性風俗は乱れていた。
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 商家では、家業は息子に継がせても、家財は娘に引き渡し養子を取ったて守った。
 息子が産ませた子どもが、本当に息子のかどうかはわからず、妻が別の男の子を産んだのかも知れない。
 娘が産んだ子は、父親が誰であれ、確実に自分の孫である。
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 日本の最高神は、天皇家・皇室の祖先神である女性神天照大神である。
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 縄文人は、命を賭けて子供を産み育てる女性の底知れない神秘を大地母神産土神として崇めていた。
 その証拠が、縄文時代土偶である。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人は、縄文人のDNA・Y染色体を受け継いでいる。
 縄文人のDNA・Y染色体は、朝鮮人では極少数の人々が持っているが、漢族系中国人にはない。
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 日本に非人道的な女性蔑視、女性軽視、女性愚弄が根付き性差別が酷くしたのは、男尊女卑を絶対真理とする儒教の毒が日本全国に蔓延し、日本人を道徳で拘束した江戸初期からである。
 そして、明治の文明開化によってキリスト教の宗教的家父長主義が近代教育として普及した事で決定的となった。
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 明治政府は、儒教朱子学)で近代社会を建設する為に、明治天皇の名で「教育勅語」を発布し、無宗教無信仰の「国家神道」を広めた。
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 合戦続きの戦国時代。大名や武士は、殺し合いの戦場から生きて帰宅したとき、殺伐とした心を癒やす為に家族や夫婦の安らぎを求めた。
 日本の男性にとって最も気が滅入り億劫で関わりたくなかったのが、女性の嫉妬やヒステリーであった。
 日本の男性が家にいるより仕事場やゴルフ場などの趣味の場に行きたがるのは、女房・女性がいる家では休めず息苦しいと思い込んでいるからである。
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 日本民族日本人は、女性好きと女性恐怖の二面性を持っている。
 人を呪い殺し祟り・厄をもたらすのは、男ではなく女であった。
 魔物の主流は、西洋や中華では男性であったが、日本では女性であった。
 それ故に、女性に暴力を振るい虐待し死傷させると呪われる・祟られると怖れて「弱い者イジメは男の恥」との自縄自縛で身を守った。
 日本男性が、西洋の男性に比べて仕事優先で女性・家族に冷たいのはこの為である。
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 日本のモノ作りは、男が女から仕事場・作業場に逃げたからである。
 日本の職人芸・凄技は、日本人男性の女性からの逃避行で生まれた。
 仕事場・作業場を女人禁制として女性を遠ざけたのも、女性差別・女性蔑視ではなく、男性の避難場所を確保する為であった。
 その為に、あれこれと苦し紛れの見苦しいまでの女人禁制の理由を並べたてた。
 女性が入り込むと、立ち入ると神聖さが穢される、とはバカげたくだらない言い訳である。
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 縄文人の子孫である日本民族日本人・琉球人・アイヌ人は、雑多な人々・異民族と乱婚を繰り返してきた混血の雑種民族である。
 その残滓が、全国で今も盛んに行われている夜祭り、宵宮・宵祭りであり、今は犯罪として禁止され姿を消した夜這い(よばい)である。
 それは、不倫でもなければ不貞でもなかったし、性犯罪でもなかった。
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