🌈9)─1・A─5000年前に起きた人類史のビッグバンは日本の森と縄文でも起きていた。⦅4⦆〜No.18 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 縄文人は、森の民として集落の周囲にクリ、クルミなど食料になる樹木を数多く植えて管理していた。
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 縄文文明は、人類史・世界史的な古代文明ではなく、辺境の地域文明である。
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 『縄文文明の環境』  安田喜憲 著  吉川弘館
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 森と縄文のビッグバン
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 三内丸山遺跡が語る縄文のビッグバン
 文明誕生一元史観の誤り
 人類の文明のルーツはすべてメソポタミアにはじまる。こう聞かされて、われわれはなぜか安堵感を覚える。人間には自らのルーツをどこか一ヵ所に定めたいという本能的な欲求があるように思える。だがこの欲求にそったルーツ探しは、時には大きな誤ちをおかすことになる。日本人のルーツや日本語のルーツ探しの学説が、時代と学者によっていかに変貌をとげてきたことか。私はルーツ探しの学説やそれを大上段にふりかざす学者はあまり信用しない。どこかにまやかしがひそんでいると思う。
 近年、爆発的に話題をよんだグラハム・ハンコック著『神々指紋』(翔泳社、1996年)も、結局のところ、人類文明のルーツは、1万2000年前に存在した超古代文明にもとめるというルーツ探しの学説である。しかも、すべての人類のルーツがアダムとイブにたどりつくという旧約聖書の神話とまったく同じように、キリスト教世界で誕生した近代ヨーロッパの科学のルーツ探しは、大半が一元史観なのである。
 このたどりつくところは一つであるという一元史観は、砂漠の民の一神教的世界観を強く体現している。無生命の砂漠の大地に、神が忽然と天地を創造されたように、文明もまたある一地点で忽然と誕生し、全世界に広まったという文明誕生一元説が、長らく人類文明史観を支配してきた。
 だがこの文明誕生一元説で人類史を解説してきたことによって、人類は大きな誤りをおかすようになったのではあるまいか。『神々指紋』が西洋において爆発的な人気をよんだ背景の一つには、中南米のマヤやインカの文明に先行する超古代文明の担い手が、ビラコチャという白人であるという一文に発しているように私は思う。全ての文明のルーツとなった1万2000年前の超古代文明の創造主は白人であったと、ハンコックは指摘している。
 文明誕生一元史観の背景には、白人至上主義、西欧中心史観がみえかくれしていることを読みとく必要があるのではないか。メソポタミア文明誕生一元説の背景にも、西欧中心史観が深い陰をおとしているのである。
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 おそらく5000年前の長江文明時代の祭壇の跡は、その後の時代にも意味ある場所とみなされ、墓地として再利用されたのであろう。……。
 いうまでもなく、長江文明メソポタミアやエジプトに匹敵する古代文明であったというためには、城壁で囲まれた都市空間の存在と、王とその王が祭祀を行う場所や建造物の存在が必要最低条件である。文字や金属器の存在も重要な要素であるが、そのまえにここが都市であったということを証明しなければならない。……。
 人類史のビッグバンは日本にもあった
 5000年前は人類史のビッグバンの時代だった。半乾燥の麦作農業地帯の大河のほとりのみでなく、湿潤な稲作農業地帯の大河のほとりでも古代文明が開化したのである。文明はメソポタミアで一元的に誕生し、世界に拡散したのではなく、メソポタミアでも長江流域でもほぼ同じ頃、個々別々に独自に多元的に誕生したのである。宇宙史のビッグバンはたった1回であるが、人類史のビッグバンは雨後の竹の子のように世界各地でくりひろげられた。そのビッグバンの契機となったのは気候変動だった。半乾燥の麦作農業地帯の大河のほとりでは、乾燥化による人口の集中化、牧畜民と農耕民の文化の融合が、古代文明の誕生をもたらした。では湿潤な稲作農業地帯の大河のほとりでは、いったいいかなる要因が契機となって古代文明を誕生させたのであろうか。
 5000年前の人類史のビッグバンは日本列島にも存在した。それは縄文時代中期のあの三内丸山遺跡の巨大遺跡の出現である。縄文時代中期の開始期はまさに5000年前であり、ビッグバンの時代に相当する。縄文時代中期は三内丸山遺跡の海岸地帯のみでなく、長野県・山梨県を中心とする内陸の山岳地帯においても、遺跡跡が急増し、宗教や呪術に関する遺物が急増し、高い内陸文化の発展がみられる。5000年前の縄文時代中期の開始期は、人類史のビッグバンの時代であるとともに、縄文のビックバンの時代でもあったのである。
 こうした縄文のビッグバンをもたらしたのは何か。私はその縄文のビッグバンの背景に、クリを中心とする高度な植物利用の技術革新があったと考えた。
 過剰なまでの人口を支えた食料源
 三内丸山遺跡縄文時代前期・中期の遺物遺跡ブロックと名づけられた北側の谷底に堆積した堆積物の花粉の化石を分析してみた。分析用の堆積物は、谷の下流部(A地点)と上流部(B地点)から採取した。花粉分析の結果は、驚くべきことに、クリの花粉の異常な高い出現率を示した。B地点ではクリの花粉の出現率は90パーセントを超えた(詳しい花粉分析の結果は梅原・安田『縄文文明の発見』PHP研究所、1995年を参照)。こんな花粉の構成をもった分析結果に今まで出会ったことはなかった。私は興奮した。
 クリは虫媒花で、花粉の生産量が少なく、天然の状態ではせいぜい10パーセント前後出現する程度である。ところが三内丸山遺跡の花粉結果では、ほとんどがクリで占められているのではないか。クリに次いで高い出現率を示すのがクルミだった。クリやクルミもともにアク抜きをすることなく食べることができるものだ。
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 縄文文化がピークに達した縄文時代中期の土偶の分布は、圧倒的に東日本に多いことがわかる。そこはまたクリの花粉が高い出現率を示すクリ文化圏でもあった。このクリ文化圏と土偶文化圏はみごとに一致している。このことからも、東日本の縄文文化の発展の背景には、ナラやクリなど落葉広葉樹の森の豊かな風土があっtsことがわかる。
 そして、この豊かな森とともに、豊かな海がある。サケ・マスなどに代表される海産資源の豊かな恵みが、東日本の縄文文化を発展させたもう一つの要因だった。
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縄文文明の環境 (歴史文化ライブラリー)
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは別種のアジア人であり、血の繋がりが薄い異種の民族である。
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 縄文人は、独自の宗教や特殊な呪術を駆使した高い内陸文化を発展させていた。
 それ故に、反宗教無神論マルクス主義者・共産主義者は宗教を頼りに生きていた縄文人を認めない。
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 日本民族とは、数万年前の旧石器時代縄文時代からの歴史・文化・伝統・宗教・言語・風土そして生活習慣を同じくする日本列島の住人である。 
 乱暴に言えば、日本人とは日本列島に住む人間であり、人種や民族に関係なかった。
 何故なら、日本民族・日本人とは、日本列島に流れ着いた・逃げて来た人種・民族、言語、宗教、その他一切に関係ない弱者、気候変動による難民(たとえば飢餓)、政争・戦争の負け組(敗北者、逃亡者、犯罪者、亡命者)、その他が乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種だからである。
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 日本人と言っても、戦前の日本民族と1980(昭和55)年後半以降の日本国民とは別人のような日本人であり、2000(平成12)年以降の日本人はハッキリと違うといえる。
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