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中華文明には、好戦的な黄河文明と非戦的な長江文明がある。
日本文明は、長江文明の後継文明であって黄河文明の亜流文明ではない。
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2022年6月20日 MicrosoftNews 現代ビジネス「「中国北部・朝鮮半島から文明が日本に渡来」説は根拠のない創作 教科書が軽視する「長江文明」が稲作を伝えた
宇山 卓栄
日本の教科書が教えてきたアジア史は、いわば中国中心の見方だった。「殷、周、秦、漢、三国、晋…」と、紀元前からの中国の王朝名を中学一年生で暗記させられた経験は誰でもあるだろう。しかし、それではアジア全体の歴史のダイナミズムを感じ取ることはできない。アジア史はもっと雄渾で、さまざまな民族が闘争を繰り広げてきた。彩り豊かなその歴史を、民族・宗教・文明に着目して世界史を研究する宇山卓栄氏の新刊『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)からおもに日本と中国、朝鮮半島との関係について連載でご紹介する。今回はその三回目だ。→ 二回目はこちら
「世界四大文明」は中国の創作
エジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明の4つを「世界四大文明」とする括り方は恣意的に創作されたものです。「四大」などと誰が決めたのでしょうか。それを決めたのは中国の思想家の梁啓超です。梁啓超は1898年、変法自強運動で清王朝の改革を進めようとしますが、戊戌の政変で西太后に弾圧され、康有為とともに日本に亡命しました。
© 現代ビジネス
梁啓超は自らの詩集『二十世紀太平洋歌』で「地球上の古文明の祖国に4つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と記しています。梁啓超ら中国の進歩派知識人たちが「世界四大文明」という概念を意図的に広め、中華の優位性を再確認しようとしたのです。
しかし中国では、黄河文明とともに長江文明も栄えており、稲作が盛んであったことを示す遺跡が1970年代以降、浙江省余姚市の河姆渡遺跡などをはじめ、多く見つかっています。日本の稲作も長江流域から直接伝わりました。長江文明は黄河文明に匹敵するような豊かで巨大な文明であったにもかかわらず、教科書や一般の概説書では、ほとんど扱われていません。なぜでしょうか。
第一に、黄河文明を擁した漢民族こそが中国唯一の文明の発現者であるとする定型的な中華思想の歴史理解の中で、長江文明の存在を教科書などで意図的に扱わなかった、あるいは扱いたくなかったということが背景としてあるでしょう。高度な文明を持つ北方の漢民族が南方の長江流域の「未開の地」を文明化するという構図の中で、黄河流域を本拠とする秦以降の中国の歴代統一王朝が南方を征服支配したことの正当性が強調されるのです。
黄河文明の甲骨文字よりも古い文字
第二の理由として、文明には文字の存在が欠かせないにもかかわらず、長江流域には文字の存在がないため、正式な文明として認められないとされてきたことが背景にあります。しかし、これは間違いであることがわかってきています。
インダス文明の印章文字、メソポタミア文明の楔形文字、エジプト文明の象形文字、そして黄河文明には甲骨文字があります。長江文明には、こうした体系化された文字がないとされてきましたが、近年、多くの研究や議論の中で、長江文明の文字と見られる巴蜀文字の存在が指摘されています。
巴蜀文字は紀元前2000年頃から紀元前600年頃まで使われ、100種類以上の文字が今日見つかっていますが、まだ解読されていません。研究者によっては、これは文字ではなく、図符の類いであるとみなされていますが、その規則的で組織的な配列を見る限り、文字である可能性が高いとされます。複数の遠隔地の出土品(青銅器や武器)に共通する巴蜀文字の配列が見られることでも、何かを意味する文字であると捉えられます。図符と文字を組み合わせて、意味を構成しているとも考えられています。
巴蜀文字© 現代ビジネス 巴蜀文字
巴蜀文字が文字であるならば、紀元前1300年頃に使われていた黄河文明の甲骨文字よりも古いということになります。
さらに、巴蜀文字はそのルーツが長江下流域にあった良渚文化の文字にあると主張する学者もいます。良渚文化とは紀元前3300年頃から紀元前2200年頃、稲作で栄えた長江文明を代表する都市文明で、大洪水に見舞われて衰退し、黄河流域の人々により征服されたと考えられています。
『長江文明の発見』の著者としても知られる中国の考古学者・徐朝龍氏は、良渚の文字が都市の崩壊後、遺民により長江中・上流域に伝えられて進化を遂げ、巴蜀文字になったと主張しています。いずれにしても、長江文明は黄河文明に匹敵する独自の文字文化圏を形成していたと言えるのです。
巴蜀文字は、漢字の最古の祖型である甲骨文字とは系統が異なる言語とされています。かつて中国の研究者が、巴蜀文字は幻の夏王朝文字の生き残りとする見解を示しました。夏王朝は黄河流域を版図にした伝説の王朝で、この王朝で使われていた文字が長江上流域に伝播したと述べられていますが、ほとんど根拠はありません。長江文明の文字を黄河文明の文字の模倣に貶めようとする作為さえ感じます。
長江流域の稲作は紀元前9000年にはじまっていた
元々、黄河流域と長江流域とでは、言語や文化の異なる民族が住んでいました。黄河流域にはシナ・チベット語派の漢民族が居住し、長江流域には中国語と関係がないオーストロアジア語派が居住していました。オーストロアジア語派は東南アジアのインドシナ半島系の民族と同じです。
気候も大きく異なり、黄河流域は乾燥気候で麦作中心、長江流域は湿潤で稲作中心です。古代において両者の隔絶は明確であり、異国の異形文字を容易に取り入れるほどの親近性はどこにも見られません。漢字を使う人々を漢民族と定義するならば、元々、漢民族は黄河流域にのみ生存していたのであり、この一部の人々を指して原シナ人と呼ぶことができるでしょう。
長江流域の都市遺跡の多くは紀元前4000年頃のものとされ、焼きレンガの壮麗な建築物を擁する高度な都市文明が形成され、それは黄河文明を凌ぐ先進的な文明であったことがわかっています。このような豊かな都市文明を可能にしたのは稲作農業でした。紀元前9000年頃にはじまった長江流域の稲作文化が、その後の都市文明へとつながっていくのです。
長江文明の都市遺跡© 現代ビジネス 長江文明の都市遺跡
教科書や一般の概説書では、中国文明は黄河流域から発祥し、文化や人口が南方にも拡がっていったと解説されます。中心たる黄河流域に対し、長江流域は周辺であったと位置付けられていますが、この捉え方がそもそも間違っています。黄河流域と長江流域には、それぞれ独自の文明があったのです。
紀元前2200年頃、良渚文化が洪水で衰退して、黄河流域の勢力に征服されて以降、黄河文明が優位的となりますが、それ以前は2つの文明が併存していました。また、北方による征服で黄河文明の影響力は長江下流域に及びましたが、長江上流域の四川省方面には及ばず、黄河文明の甲骨文字に対して、巴蜀文字が使われ続けたのです。この地域においてだけ長江文明が維持されます。しかし、その後、この地域もまた、戦国時代の紀元前4世紀、秦によって征服され、漢字文化圏の版図に組み入れられることになります。
漢字というツールは文化侵略を容易にするため、甲骨文字から高度に発展し、他地域の異形文字を排斥してきました。厳格な規則性や多元的機能を持ち、また簡素で習得しやすく、伝達手段に優れた言語が言語戦争に勝ちます。漢字は表音と表意にともに優れた文字機能を持ち、部首を組み合わせて、さまざまな字義に変化させることが可能です。そして、書体を絶え間なく発展させ、字体を簡略化させることにも成功しました。
文字の支配力は武力よりも遥かに強い
漢民族は自らの文字を発展させることに執着し、漢字は良渚文字などの長江流域で使われていた文字よりも優位性を持ちました。その支配の力は武力よりも遥かに強く、効果的であることを漢民族はよく理解していました。これは明確な文化侵略と言うことができます。長江文明では、そうした文字への執着や努力が黄河文明ほどにはなかったため、あっさりと言語戦争に敗退したのです。
春秋戦国時代に長江流域で、楚・呉・越などの国が勃興します。これらの国の人々は長江文明の子孫であり、元々は長江人とも言うべき民族の独立性を保っていましたが、文化侵略により漢字文化圏に取り込まれていき、漢民族に同化していくことになります。
長江人と日本人は同一の起源?
長江文明における長江人が長江を下り、海路で日本にやって来て、稲作文化を伝えています。従来、稲作文化は弥生時代特有のものとされてきましたが、縄文遺跡からも稲作の痕跡が発見されています。いくつかの九州地方の縄文遺跡から発見されたのは1960年以降のことですが、どういうわけか今日でも教科書では取り上げられません。
© 現代ビジネス 長江 Photo by GettyImages
これらの痕跡により、約3000年前の縄文時代後期には大陸から稲作が伝わっていたことが判明しており、さらにこの時代よりもずっと前に原始的な稲作がなされていた可能性も指摘されています。
長江文明に見られる高床式の倉庫や水田、住居の構成などが日本の縄文末期から弥生時代の村にも見られるのは、大陸の稲作の影響を受けた例として考えられています。また、長江人と古代日本人の漁の仕方に多くの共通点があることも指摘されています。黄河流域には、こうした生活習慣はありません。
その他にも、長江文明の民が黄河文明の漢民族に追われ、南西の貴州省や雲南省に逃れて苗族となったとされますが、苗族の子孫の村が日本の古代の村と似ており、急勾配の山地に棚田を作ったり、味噌や醬油などの発酵食品を食べることも日本人と共通しています。日本人が雲南省の苗族をはじめとする少数民族の村で安らぎを感じるのは、同類の文化だからだとも言われます。
日本人はさまざまな方面からの民族の雑多な混合形であるものの、文明や民族の血ということにおいて、その多くを長江人に負っていると言えます。両者の遺伝子が近似していることからも明らかです。一方、日本は畑作牧畜の黄河文明からはほとんど影響を受けていません。したがって、この時期に中国の北方から朝鮮半島を経由して渡来人が多くやって来て日本に文明をもたらしたという、教科書や概説書にいまだに書かれている従来の説は、見直されるべきでしょう。
「弥生の渡来人」はいなかった
もし、稲作が本当に朝鮮半島から伝わったのであるならば、朝鮮半島に日本よりも古い稲作の痕跡が見つかっていなければなりません。しかし、日本に稲作が伝わった約3000年前よりも以前の痕跡は朝鮮半島では一切、見つかっていません。「弥生の渡来人」なるものが日本に稲作を伝え、弥生時代の文明開化につながったなどという従来の説は、何の根拠もありません。
朝鮮半島南部で見つかっている約2000年前から約1500年前の遺跡の水田跡は、その方式から見て、九州からの伝来と見られています。しかも、こうした水田跡は朝鮮半島の北部では見つかっておらず、南部にのみ存在するのは、それが北部からやって来たものではなく、南部からやって来たものであることを示しています。
© 現代ビジネス 古代米 Photo by iStock
日本の古代イネの遺伝子分析によっても、稲作は朝鮮半島を経由することなく、長江流域から直接、日本に伝来したことがわかっています。大阪や奈良で見つかった弥生時代後期の紀元前3世紀頃の米のDNA分析を行ったところ、その種の遺伝子型(RM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類)は朝鮮半島には存在しないもので、長江流域の種であることが判明しました。
黄河文明と長江文明を明確に区別せず、中国という枠組みで一括りにして「大陸から影響を受けた」とする捉え方に固執していることが、従来の説のような間違いが起こる最大の原因です。漢民族とは異なる長江文明という独立した文明圏の存在を視野に入れて、日本の古代史を大きく捉え直すことが必要です。
そもそも黄河文明と日本文明には大きな乖離があります。黄河流域は乾燥し、土地が痩せており、畑作で一度使った土地は使えず、牧畜や狩猟で土地を転々としなければなりませんでした。彼らは自然や土地に対して、エネルギー源を強制的に奪取する収奪型にならざるを得ず、日本のような循環型とは異なります。
一方、長江文明の民は水田耕作と漁撈によって循環型の定住をしており、長江人が日本にやって来た時、日本の先住民と争わず、宥和的な生活を営むことができ、稲作をはじめとする文明もまた自然に日本の地に浸潤していったのです。
© 現代ビジネス」
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人類の誕生と大移動は運命である。
日本人の祖先はアフリカのサルであるは宿命である。
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600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジー、ボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
数万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
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日本土人である縄文人(ヤポネシア人=石器人の子孫)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土、南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海(縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明の揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
数万年続いた日本列島の石器時代・縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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日本民族・琉球民族・アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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日本民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州・樺太、北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
アイヌ人は住んでいる島・地域によって幾つかに枝分かれして、それぞれ他の人種・民族と乱婚を繰り返し混血度を濃くして独自の微妙に違う生活スタイルで生きてきた。
蝦夷地・北方領土アイヌ、樺太アイヌ、千島列島アイヌ、カムチャツカ半島アイヌ、その他。
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琉球民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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2020-12-04
🚣3〕─1─黒潮は10万年前から台湾、与那国島、沖縄、奄美大島、日本列島ヘと流れていた。〜No.11No.12No.13
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日本列島先住民。
2021-12-19
🚣4〕─1─約4万年前のヤポネシア人(日本列島人)。ヤポネシア論。〜No.14No.15No.16 *
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⛵日本人の祖先は琉球人。
2021-12-21
⛵2〕─1─正しい沖縄・琉球の歴史。琉球人は日本民族日本人の原初の祖先である。〜No.2No.3No.4 *
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2020-01-28
⛵3〕─1─3万年前 日本人の祖先は手漕ぎ丸木舟で台湾から沖縄に渡った。 〜No.5No.6No.7 *
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2021-12-22
⛵4〕:─1─宮古島で出土の人骨、本土縄文人のDNAと同じ特徴。〜No.8No.9No.10 *
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2021-12-22
⛵5〕─1─日本民族は琉球人・港川人の子孫である。琉球は日本民族の生誕の地。〜No.11No.12No.13 *
2021-07-25
⛵5〕─2─沖縄・港川人のミトコンドリア情報は、縄文人にはあるが現代日本人からは見つかっていない。〜No.14No.15No.16
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境界の日本史。
2019-06-17
🗾5〕─1─境界の日本史。日本列島とは、地の果て、大地のへり、生と死の狭間。〜No.14No.15No.16・
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縄文人の遺伝子情報とは男系父系Y染色体である。
ゲノム解析。DNA研究。
2021-04-01
🗾6〕─1─韓国人・朝鮮人のDNA解析。〜No.17No.18No.19・
2018-04-25
🗾6〕─2─遺伝子情報。最新ゲノム解析。旧石器時代の古朝鮮人は日本の縄文人の子孫であった。~No.20No.21No.22・
2019-08-12
🗾7〕─1─最新のDNA研究が明かす極東アジアの異種・日本民族日本人の科学的根拠。〜No.23No.24No.25・
2019-08-19
🗾7〕─2─核ゲノム解析。西北九州弥生人は縄文人と弥生系渡来人との混血である。〜No.26No.27No.28・
2020-10-11
🗾7〕─3─縄文人遺伝子の呪縛。世襲制男系皇室の正統性は縄文人のY染色体である。〜No.29No.30No.31・
2021-03-21
🗾7〕─4─核ゲノム解析。縄文人は原初の東アジア人の一分派である。弥生の大乱。〜No.32No.33No.34・
2021-03-22
🗾7〕─5─日本人DNA分析で判明。渡来系弥生人は母系、土着系縄文人は父系。〜No.35No.36No.37・
2021-07-25
🗾8〕─1─沖縄・港川人のミトコンドリア情報は、縄文人にあるが現代日本人からは見つかっていない。〜No.38No.39No.40・
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HTVL-1。母親の遺伝子。女系母系X染色体物語。
2018-11-14
🗾9〕─1─母親の遺伝子。子供の記憶・思考・知力は母親から受け継いだ能力。父親の遺伝子は蚊帳の外。~No.41No.42No.43・
2019-09-08
🗾9〕─2─HTVL-1の母子感染者は九州・沖縄・台湾に多く、中国東部や韓国に少ない。〜No.44No.45No.46・
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オセアニア伝統航海術。
2018-04-24
🗾10〕─1─地球で生きるもう一つの道、「心のなかの島」オセアニア伝統航海術の知恵~No.47No.48No.49・ @
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針文化。最古の釣り針。
2019-12-31
🗾11〕─1─約6万1000年前からの針文化。日本の針供養。~No.50No.51No.52・
2019-12-30
🗾11〕─2─沖縄で2万3千年前の世界最古の釣り針が出土した。~No.53No.54No.55・
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ヤポネシア人と石器時代。
2021-05-23
🗾12〕─1─日本の石器時代。~No.56No.57No.58・
2021-04-04
🗾12〕─2─日本に最古の石器を残した旧人デニソワ人。~No.59No.60No.61・
2021-10-21
🗾13〕─1─後期旧石器時代(約2万3千年前)の沖縄、貝製ビーズに赤色顔料。~No.62No.63No.64・
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縄文時代
九州における幾つものカルデラ大噴火(桜島・阿蘇山・他)で、九州の縄文人は死滅し、四国・中国地方も甚大な被害を受けて人口が激減し、縄文文化の中心は西日本から中部・関東に移った。
縄文人=日本土人。
2019-08-16
🗾14〕─1─縄文人こそ日本列島・琉球・蝦夷・北方領土の先住民(日本土人)。〜No.65No.66No.67・
2021-05-11
🗾14〕─2─日本民族の祖先は南方系海洋民の縄文人。縄文時代の人口。~No.68No.69No.70・
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縄文人のムラ。
2020-07-15
🗾15〕─1─縄文時代のムラは墓を中心にして環状集落であった。~No.71No.72No.73・
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縄文時代の日本。
2021-11-11
🗾16〕─1─縄文時代の日本の中心は中部高地から関東平野で西日本は不毛な僻地であった。~No.74No.75No.76・
2021-11-18
🗾16〕─2─国内最古の縄文土面出土、青森 従来より千年古く。~No.77No.78No.79・
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縄文遺跡群。
2021-07-29
🗾17〕─1─北海道・北東北の縄文遺跡群、世界文化遺産登録決まる。~No.80No.81No.82・
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縄文文化。
2018-04-29
🗾18〕─1─縄文文化は、世界の古代文明に匹敵する日本固有の優れた平和で安定した古代文化であった。~No.83No.84No.85・ @
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縄文人の食事
2018-04-28
🗾19〕─1─1万年間。縄文時代の食生活は豊かで、縄文人は栄養豊かで長生きしていた。~No.86No.87No.88・ @
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縄文の特産品・加工品。
2018-04-27
🗾20〕─1─縄文人は、日本列島から朝鮮半島南部に移住して日本独自の土器や石器を持ち込んだ。水田稲作。日本産天然のアスファルト。6000年前。~No.89No.90No.91・ @
2018-06-22
🗾20〕─2─海を渡った縄文の特産品・加工品。天然アスファルト。琥珀。翡翠。黒曜石。~No.92No.93No.94・
2021-08-21
🗾20〕─3─諏訪は旧石器時代・縄文時代に良質な黒曜石(星糞)の一大産地であった。縄文海進。 ~No.95No.96No.97・
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縄文の土器・石器。
2018-10-19
🗾21〕─1─縄文土器・土偶は、世界美術史における驚愕すべき美術品・工芸品である。~No.98No.99No.100・ @
2020-07-16
🗾22〕─1─縄文・弥生時代の石器・土器・土偶には、多様で豊かな地域性がある。~No.101No.102No.103・
2021-04-24
🗾22〕─2─日本考古学史上最大の謎「縄文人土偶の正体」がついに解明~No.104No.105No.106・
2021-06-15
🗾22〕─3─縄文土偶は食用植物を象った祭祀用精霊像であった。~No.104No.105No.106・
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縄文の交易
2020-05-18
🗾23〕─1─山梨県は縄文王国。縄文人は全国で黒曜石などによるバーター交易を行っていた。~No.107No.108No.109・
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古代アメリカ大陸に渡った縄文人。
2022-05-20
🗾24〕─1─1万6000年前、縄文人は手漕ぎ丸木舟で古代アメリカ大陸に渡った?~No.110No.111No.112 *
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古代文明の道。
2020-01-14
🗾25〕─1─アイアンロード。鉄器の古代文明の道。トルコ・ヒッタイト人から倭国・弥生人まで。~No.113No.114No.115・
2020-02-26
🗾25〕─2─弥生人と文字。硯。~No.116No.117No.118・
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中央アジア系帰化人と古墳人。
2019-11-26
🗾26〕─1─中央アジア系帰化人。カザフ人。~No.119No.120No.121・
2021-04-05
🗾27〕─1─朝鮮半島の地質学的先史時代。石器時代。朝鮮半島の古代人出現は紀元前4万年。~No.122No.123No.124・
2021-07-27
🗾28〕─1─2千年前のシベリアは暴力時代。シベリア民族誌、日本人の起源と山の神信仰。土偶の謎。~No.125No.126No.127・
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科学的男系父系Y染色体神話。
2019-08-18
🗾29〕─1─日本の文化や芸術を洗練し面白くした粋な道楽人は縄文人(Y染色体)であった。〜No.128No.129No.130・
2020-01-02
🗾29〕─2─人類は男系父系Y染色体集団で世界へ移動して行った。〜No.131No.132No.133・
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船乗りの縄文人。黒潮文化。対馬暖流文化。環日本海文化圏。
2022-05-22
🗾30〕─1─3000年前の海洋民・縄文人はサメに襲われていた。~No.134No.135No.136 *
2018-04-23
🗾31〕─1─日本民族日本人は、南方系海洋民、揚子江流域民、北方系山野民、西方系草原民が乱婚にて生まれた混血の雑種。~No.137No.138No.139・ @
2019-10-10
🗾31〕─1─素潜りの南方系海人。鵜飼と稲作の倭人。太平洋沿岸の根明な黒潮文化。日本海沿岸の根暗な対馬暖流文化。~No.140No.141No.142・ *
2019-11-23
🗾32〕─1─日本の伝統的祭りは、船乗りの縄文人が行った母性的自然神祭祀が起源となっている。〜No.143No.144No.145・ *
2020-05-19
🗾33〕─1─環日本海文化圏の要は縄文時代の日本列島であった。〜No.146No.147No.148・
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2022-03-20
🗾34〕─1─将来の期待という生き方。狩猟採集→農耕牧畜→生産工場・養殖場→偽装肉・ニセ肉。〜No.149No.150No.151
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2022-05-07
🗾35〕─1─チリでマグニチュード9.5の史上最大の地震が起きた。3800年前。〜No.152No.153No.154
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