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「神の使い」奈良公園のシカは、1400年前の古墳時代、飛鳥・斑鳩時代から同じ集団内で繁殖しながら独自の遺伝子を生み出して生きてきた。
数万年前の南方系海の民・旧石器人(ヤポネシア人)と森の民・縄文人(日本土人)は、日本列島で遺伝子を独自の生み出し、血の繋がった日本民族・琉球民族・アイヌ民族に託した。
森の民・縄文人(日本土人)が子孫の3民族に託した念いとは、自然の中であるがままに生きて死ぬ、殺し合いをしない、争いをしない、戦争をしない、相互共生の「平和」である。
その念いを今日まで正しく受け継ぎ守っているのが、神話を正統とする万世一系の男系父系天皇家・現皇室である。
奈良公園のシカは「神の使い」であり、天皇は「神の裔」である。
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2023年1月31日16:43 YAHOO!JAPANニュース 毎日新聞「奈良のシカは「科学的にも特別」 1000年以上保護で独自遺伝子型
独自の遺伝子型を持つことが分かった奈良公園のシカ=奈良市で2023年1月28日午後2時11分、塩路佳子撮影
奈良公園(奈良市)のシンボルで、神の使いとして古くから保護されてきた「奈良のシカ」が、独自の遺伝子型を保っていると、福島大や奈良教育大などの研究チームが発表した。1000年以上前から人間に近い環境で生息してきた結果、独自性が維持されたと考えられるという。研究結果は31日、米国哺乳類学会の学会誌に掲載された。
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2000年から紀伊半島(奈良、和歌山、三重、京都南部)に生息するニホンジカを対象に調査した。計294頭から筋肉や血液のサンプルを採取し、母から子に遺伝するミトコンドリアDNAを解析。その結果、18種の遺伝子型を確認した。このうち奈良のシカは他地域のシカと近縁ではあるものの、独自の遺伝子型を持つ1種だけであることが明らかになったという。
さらに、核DNAで両親から受け継がれる遺伝情報を調べたところ、紀伊半島のシカは、奈良公園と東部(三重県)、西部(和歌山県)の大きく三つの遺伝的な集団に分けられた。奈良のシカは、半島に生息していた祖先にあたる集団から1000年以上前に分かれたとみられる。東部と西部の2集団は先祖の集団から約500年前に分岐したと考えられるという。
チームの福島大大学院生、高木俊人さん(27)は「奈良のシカが持つ独自の遺伝子型は、古くは紀伊半島のシカに広く分布していた」と指摘。狩猟や開拓などで周辺のシカが消滅する中、人間の保護によって独自性が保たれたとしている。
春日大社(奈良市)には、およそ1300年前に鹿島神宮(茨城県)の祭神が白いシカに乗ってやって来たという伝説が残る。これにより、奈良のシカは「神鹿(しんろく)」として地域の人々に大切にされてきた。春日大社の花山院弘匡(かさんのいんひろただ)宮司は「科学的にも『特別なシカ』であることが分かり、驚いている」と話した。大社を含む奈良公園には22年7月時点で、1182頭のシカが生息している。【塩路佳子】
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1月31日 MicrosoftStartニュース 読売新聞「「神の使い」奈良公園のシカに独自の遺伝子…1400年前から集団内で繁殖
奈良市の奈良公園のシカが、紀伊半島の他の地域に生息するシカにはない独自の遺伝子型を持つことを、シカの研究に取り組む福島大、奈良教育大、山形大のチームが突き止めた。1400年くらい前に周辺のシカから分かれ、集団内で繁殖したためと考えられるという。チームは「奈良公園周辺でシカが古くから手厚く保護されてきたことが科学的に裏付けられた」としている。31日付の米哺乳類学会誌に論文が載った。
国の天然記念物「奈良のシカ」(奈良市の奈良公園で)
© 読売新聞
奈良公園のシカは「ニホンジカ」で、約1200頭いる。768年創建の春日大社が「神の使い」として保護したことが起源とされる。明治以降は殺傷禁止区域が設定され、「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定された。
チームは奈良のシカの起源を探ろうと、奈良公園を含む奈良、和歌山、三重、京都の4府県30地点で、交通事故で死んだり、捕獲されたりした294頭からDNAを抽出し、遺伝子型を分析。これらのシカは元々、同じ集団だったと分かった。
さらに詳しく調べると、奈良公園の32頭には、他にはない独自の遺伝子型があることが判明。1400年くらい前に元の集団から分かれ、奈良公園の集団内で繁殖する中で生じた独自の遺伝子型が受け継がれてきたと結論づけた。
チームの兼子伸吾・福島大准教授(分子生態学)は「奈良公園周辺のシカの集団は古くから人の手で大切に守られてきたと考えられる。国天然記念物にふさわしい『生きた文化財』であることが科学的に確かめられた」と話す。
春日大社の花山院弘匡(かさんのいんひろただ)宮司は「奈良公園のシカが科学的にも特別であるとわかり、驚いている。自然と人と動物がどのように関わり、共生していくかを考えさせられる存在だ」と語った。
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1月31日 YAHOO!JAPANニュース 朝日新聞デジタル「奈良公園の鹿に独自の特徴 千年超の歴史、DNAと資料でしかと確認
道路を悠然と渡り、観光客にせんべいをねだる。国の天然記念物に指定されている奈良公園(奈良市)の鹿たちは野生ながら独特の振る舞いを見せるが、遺伝的にも独自性が高いことを示した論文が、国際的な学会誌に載った。
奈良国立博物館新館前の換気口の周りに集まった鹿たち。おなかを芝生につけて休む=2019年8月5日午後5時53分、奈良市登大路町、平田瑛美撮影
© 朝日新聞社
福島大、山形大、奈良教育大の研究チームが発表した論文のタイトルは「歴史的な宗教保護地区がいにしえのニホンジカの遺伝子系統を守ってきた可能性がある」。
研究チームによると、遺伝子の解析から、奈良公園の鹿たちが紀伊半島の鹿集団から分かれたのは約1千~2千年前、特に約1400年前の可能性が高いと推定された。公園内の春日大社の造営(768年)にかなり近い。
研究チームは、人間の活動が野生動物の集団構造にどう影響するかを調べようと、古代からの歴史資料が多く残る近畿地方、中でも紀伊半島に着目した。
2000~16年に紀伊半島の8地域30地点から集めた鹿294頭の血液などから遺伝子の特徴を調べると、半島東部、半島西部、奈良公園の三つの集団で構成されていることがわかった。
さらに、遺伝子が突然変異を起こす頻度をもとに、各集団が共通の祖先の集団から分かれた年代を解析した。
その結果、6世紀ごろ(古墳時代~飛鳥時代)に半島にいた祖先の鹿の集団から奈良公園の鹿たちが分かれ、16世紀ごろ(室町時代~戦国時代)に半島東部の鹿集団から半島西部の鹿集団が分かれたとみられることがわかった。
春日大社の神は、鹿に乗って常陸国(茨城県)からやってきたとされる。今も「神鹿(しんろく)」と親しまれる奈良公園の鹿が、奈良時代から守られてきたことを科学的にも裏付ける成果だ。
チームの兼子伸吾・福島大准教授(分子生態学)は「DNAと歴史の一致に驚いた」と話す。
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日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
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日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
日本の世襲とは、そういう意味である。
日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造の絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
その象徴が、最高神である女性神・天照大神を祀る天皇家・皇室である。
日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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人は、二人の両親から産まれてくる。
日本民族の祖先な数は?
日本人の命が尊いわけ。
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祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
14世代前では、8,192人。
23世代前には、419万4,304人。
25世代前では、1,677万人。
27世代前では、1億3,422万人。
だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。
30世代前には、5億3,687万912人。
40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
100世代前の、祖先の人数は?
指数関数的な増加。
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祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
それが、命の重みである。
そして、日本の家である。
昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
この世は、生きるに値する。
命は、等しく尊い。
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日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
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祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
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日本民族の言霊信仰とは、民族中心神話に基ずく自然崇拝であり、宗教的精神的な自然への畏怖つまり畏れと敬い事である。
それは、数千年前の弥生時代・古墳時代から断絶する事なく繰り返されてきた正統世襲男系父系天皇による一子相伝の宮中祭祀、さらには数万年前の石器時代・縄文時代からの日本民族が受け継いだ自然の精霊と生命の永遠に対する崇拝宗教につながっている。
日本民族の伝統宗教とは、精霊崇拝宗教、八百万神の神話宗教、祖先祭祀宗教であって、信仰宗教、啓示宗教ではない。
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小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
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