💖24)─4・C─日本陸軍主導、東南アジア占領地でユダヤ人保護。英傍受公電で裏付け。〜No.102 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アメリカやイギリスなどの連合国は、軍国日本が戦時中でもユダヤ人を保護している事を知っていて、ユダヤ人を助けた陸軍軍人の多くを東京裁判などの軍事法廷A級戦犯として処刑した。
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 ユダヤ人を助けたのは、陸軍、憲兵隊、特高であった。
 軍旗「旭日旗」は、希望の旗であり、命の旗であった。
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 日本軍は、戦場で人を殺す戦争犯罪をおこなったが、戦場で人を助ける人道貢献と平和貢献をおこなっていた。
 日本軍人は、悪い事をしたが同時にいい事もした。  
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 現代の日本人は、処刑されても人道貢献や平和貢献をした昔の日本人ではない、その証拠が安全圏にいてリスクを嫌ってウイグル人チベット人・モンゴル人・少数民族をジェノサイドから救おうとしない。
 しょせん、リベラル左派(マルクス主義者)や媚中派が声高に叫ぶ人権・人道・人命は見せ掛けのウソである。
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 同じヨーロッパ・ユダヤ人といっても、ポーランドユダヤ人とドイツ・ユダヤ人は違うし、アメリカ・ユダヤ人とも違う。
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 2021年1月9日 日本経済新聞「旧陸軍幹部の功績に光 ユダヤ人受け入れを指揮
 北海道に記念館オープン
 第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(1888~1970年)の功績を伝える記念館が北海道石狩市に開館した。「命のビザ」で有名な外交官、杉原千畝になぞらえ「もう一人の杉原」と呼ばれる。軍人であるため長年功績が語られなかった。
 「信念を貫き、自分が正しいと思うことをした」。地図や写真を交え、樋口の生涯を紹介するパネルが18枚並ぶ館内。江崎幹夫館長は「頭が柔...
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 2023年1月29日17:42 産経新聞「「陸軍主導で4万のユダヤ人保護 人権を優先、影響力も配慮
 岡部 伸
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 外務省から1942年3月31日 北部仏印ハノイの日本大使あてに、独伊の排ユダヤ政策と一線を画し、ユダヤ人に寛容な保護の継続を指示する政策を伝える日本の外交電報を英国が傍受、解読、英訳した最高機密公文書(英国立公文書館所蔵、岡部伸撮影)
 日本が統治した東南アジアなどで、1941年12月の対米英開戦後も独伊の排ユダヤ政策と一線を画し、ユダヤ人を諸外国人と同等に扱う寛容な保護政策が継続されていた。ユダヤ人の保護を指示する日本外務省からの公電が英国立公文書館で確認された。背景には、人種平等精神に基づく人権政策や欧米の政治経済に対するユダヤ人の影響力への配慮があった。
 日本、東南アジア占領地でユダヤ人保護 英傍受公電で裏付け
 日本人として最初にユダヤ人を救ったのは満州国ハルビン特務機関長を務めていた樋口季一郎陸軍中将だ。37年12月、ハルビンで開催を許可した極東ユダヤ人大会でユダヤ人の平等を保障し、パレスチナでのユダヤ人国家建設も認めた。さらに38年3月、満州との国境にあるソ連・オトポールで立ち往生していたユダヤ人難民を救出する英断を下した。
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 1月29日17:38 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「日本、東南アジア占領地でユダヤ人保護 英傍受公電で裏付け
 1942年3月31日 外務省からハノイの日本大使に送られた、ユダヤ人に対する寛容な保護の継続を指示する最高機密の公電の英訳。英国が傍受、解読した(英国立公文書館所蔵、岡部伸撮影)
 日本は第二次大戦中、枢軸同盟を結んだナチス・ドイツから再三、ユダヤ人迫害の要求を受けたが、英国立公文書館が所蔵する日本外務省から東南アジアの大使に宛てた公電で、占領地に逃れてきたユダヤ人の保護を指示していたことが確認された。専門家は、世界で反ユダヤ主義が広がる中で日本は難民を保護し、計約4万人のユダヤ人が生き延びたと指摘している。
 ドイツのヒトラーは政権を掌握した1933年にユダヤ人弾圧を開始。満州や中国に迫害を逃れる難民が押し寄せ、近衛文麿内閣の「五相会議」は38年12月、人種平等の原則によりユダヤ人を排斥せず、諸外国人と同等に公正に扱う「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を作成。世界で唯一、ユダヤ人保護を国策として宣言した。
 しかし、同要綱は41年12月、日本の対米英開戦で無効となり、42年3月、代わって「時局ニ伴フ猶太人対策」ができた。特殊な事情がない限り、日本の占領地へのユダヤ人の「渡来」を禁止する内容だった。
 確認されたのは同月29日にタイの首都バンコクの日本大使、31日に北部仏印ハノイの日本大使にそれぞれ宛てた公電。外務省が「対策」を占領地の在外公館に伝えたのを傍受したもので、英暗号解読拠点「ブレッチリー・パーク」が解読。最高機密文書として英訳され、英国立公文書館が「日本のユダヤ人政策」として保管していた。
 ハノイ宛ての公電は「ドイツが海外在住ユダヤ人からドイツ国籍を剥奪したが、日本が特に(ドイツとの)関係を考慮する必要はない」とし、慎重に対応すべきとの認識を表明。「ユダヤ人を追放することは国是たる八紘一宇の精神に反するばかりか米英の逆宣伝に使われる恐れもある」とし、独伊の排ユダヤ政策と一線を画す考えを示した。
 その上で「ユダヤ人は外国籍保有者と同様に扱い、ドイツ国籍を持つユダヤ人は(ロシア革命で逃れた)白系ロシア人と同様に無国籍者として取り扱う」とし、ユダヤ人に寛容な保護の継続を指示していた。
 「猶太人対策要綱」が対米英戦勃発で廃止されたことで「外資導入と米英との関係維持を狙ったものであることが明らかになった」(丸山直起著『太平洋戦争と上海のユダヤ難民』)として日本がユダヤ人に好意的な政策を転換させたとの解釈が広がり、「日本はナチスに追随し、ユダヤ人迫害を開始した」(イスラエル・ハイファ大学のロテム・コーネル教授)など極端な主張が広がっている。(岡部伸)
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 『日章旗のもとでユダヤ人はいかに生き延びたか』(勉誠出版)の著者で日本のユダヤ政策に詳しいイスラエルヘブライ大学名誉教授、メロン・メッツィーニ氏は、英国立公文書館が所蔵する日本外務省が東南アジアの大使に宛てた公電について次のように語った。
 1940年、日本は、ナチス・ドイツと枢軸国同盟を結んだが、ユダヤ人に対しては、ホロコーストユダヤ人大量虐殺)で600万人近いユダヤ人を強制収容所で死亡させたドイツと全く別の政策を取った。
 日本国内、満州中国東北部)、上海や日本が統治した東南アジアやオセアニアなどの地域で合計約4万人のユダヤ人が迫害されず、生き延びた事実は、日本国内、海外でほとんど知られていない。
 この公文書は、日本が38年に始めたユダヤ人の命を救う上で極めて有益だった保護政策が米英開戦後も継続されたことを裏付ける貴重な史料だ。2つのユダヤ人政策に大きな差はない。占領地のユダヤ人の多くが英米蘭の敵国人であり、財産や資産を失ったものの、待遇はおおむね国際基準に沿い、日本政府、日本人の態度は公平で人道的だった。この事実は重要で、過小評価されるべきではない。
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 2022年3月1日 一筆多論「4万のユダヤ人救った日本 岡部伸
 第五方面軍司令官として北海道防衛の策を練る樋口季一郎(孫の隆一氏提供)
 「(先の)大戦中に日本が4万人以上のユダヤ人を救った」。イスラエルヘブライ大学の日本近代史研究者、メロン・メッツィーニ名誉教授は『日章旗のもとでユダヤ人はいかに生き延びたか』(勉誠出版)でこう主張し、「多くのユダヤ人を助けてくれた日本に対してユダヤ人が恩義に感じている」と述べている。
 日本はナチス・ドイツ、イタリアと三国枢軸同盟を組んでいたが、ドイツによるユダヤ人を根絶せよとの再三の要求を拒絶し、1931年から45年まで日本が統治していた地域に逃れてきたユダヤ人を保護した。
 満州国ハルビン特務機関長だった樋口季一郎中将の英断で旧ソ連と旧満州国境オトポールで立ち往生していたユダヤ人を救った。リトアニアカウナスでは杉原千畝領事代理がユダヤ人難民に「命のビザ」を発給した。メッツィーニ氏は満州、上海を拠点とした東アジアで、「約2万人が助け出された」と記す。
 戦時下で日本が統治した東南アジア、オセアニアにも2万人のユダヤ人が住んでいた。度重なるナチスの干渉にもかかわらず、大半の人が生き延び、東アジアと合わせると、「4万人のユダヤ人が日本に救われた」と強調する。
 日本人として最初にユダヤ人を救ったのは樋口中将だ。37年12月、満州ハルビンで開催を許可した極東ユダヤ人大会で、ユダヤ人の平等を保障し、パレスチナでのユダヤ人国家建設も認めた。
 メッツィーニ氏は「これらのことが終戦に至るまでの間、満州および中国北部におけるユダヤ人の独立性を保障した」と評す。
 また、「この大会のおかげで、立ち往生していた数千人のユダヤ人が満州国への入国許可をもらえた」とし、オトポールで慎重な姿勢を取っていた外務省と違い、「ドイツの反ユダヤ主義に盲従しない」ことを旨とし、是々非々の判断で現実的な解決を求めた日本陸軍の功績を評価した。
 樋口中将の「困っている人を助けるのは当然」という「日本精神」による「個人的な判断」から決断したユダヤ人難民の救済は、近衛文麿首相ら五相会議が制定した「ユダヤ人対策要綱」につながった。
 極東ユダヤ人大会の翌38年12月のことだ。要綱は国策としてユダヤ人差別をしないことを決めた。メッツィーニ氏は「この決定こそが、何千人ものユダヤ人の命を救う上で極めて有益だった」と賛辞を贈る。
 実際、39年に第二次世界大戦が勃発したが、ベルリン、プラハ、ウィーンの日本領事館は日本への通過ビザを発給し続け、「多くのユダヤ人がナチス迫害から救われた」のである。
 米英加豪をはじめ、パレスチナにまで反ユダヤ主義が広がり、世界がユダヤ人に扉を閉ざす中で、日本だけが難民を受け入れたことは銘記したい。そもそも日本は19年の第一次大戦後のパリ講和会議で世界で最初に人種差別撤廃を提案した「人権先進国」でもある。
 メッツィーニ氏は「迫害されたユダヤ人に対する日本政府および、多くの日本人の態度は、公平で人道的であった。当時この事実は極めて重要であった。それが今日でも、ユダヤの人々が簡単に忘れることができぬことなのだ」と語る。
 「日本精神」で4万人を救った日本をユダヤ人が感謝してくれていることを誇りに思う。(論説委員)」
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 戦前の日本人は、親ユダヤ派としてポーランドユダヤ人を助けていた。
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ソ連ポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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 日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が超エリート層の高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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 現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
 現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
 つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
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 昔の日本人は、戦場で人殺しの戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人助けの人道貢献や平和貢献を行った。
 現代の日本人は、戦争犯罪を行わないが、人道貢献や平和貢献も行わない。
 事実、中国共産党ウイグル内モンゴルチベットで行っている人道に対する犯罪であるジェノサイドから目を逸らしている。
 興味も関心もないと公言する親中国派・媚中派の政治家や官僚が存在する。
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 杉原千畝が助けたポーランドユダヤ人難民とは、ドイツ軍占領下の西ポーランドではなく、ソ連軍占領下の東ポーランドから逃げてきたポーランドユダヤ人であった。
 イギリスのポーランド亡命政府とポーランド軍の密命を帯びたポーランド軍スパイは、陸軍の密命を受けて情報収集活動を行っていた杉原千畝に協力していた。
 ポーランド亡命政府とポーランド軍は、ドイツ軍と戦っていたが、同時に連合国の一員であるソ連共産主義勢力をも憎んでいた。
 ポーランド軍は、親日派として日本陸軍と繋がっていた。
 日本陸軍の主流派は、親ポーランド派であって親ドイツ派ではなく、親ユダヤ派であって反ユダヤ派ではなかった。
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 ロシア・ソ連と国境を接する北欧のフィンランドイスラム教国のトルコやイランは親日派であった。
 特に、イスラム教徒は、反宗教無神論共産主義を激しく憎み、日本陸軍に協力してトルコ・中央アジア満州までの長大なソ連封じ込めのユーラシア防共廻廊(宗教防壁の長城)を作ろうとしていた。
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