🌈89)90)─1─東日本は沼、西日本は池。日本は川、中国・朝鮮は河。~No.152No.153No.154No.155 

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 「日本は単一思考で、多様性が理解できない」はウソである。
 日本列島には、人間的差別ではなく地域的差別化が存在していた。
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 2023年 MicrosoftStartニュース Jタウンネット「沼は東に、池は西に。 全国の地名を色分けしてみたら、面白すぎる「地域差」発覚
 同じ日本列島の中で、「東日本」と「西日本」に、こんなにも違いがあるのはなぜだろう? と不思議に感じることはないだろうか。
 方言はもちろんだが、食文化もかなり異なるようだ。仔細に挙げていけば、きりがないほど......。
 2023年1月31日にツイッターに投稿され話題になったのは「地名の東西差」だ。
 添えられていたのは、こんな図である。
 「地理Bの旅」(@chiri_b_geo)さんのツイートより
 © Jタウンネット
 投稿者「地理Bの旅」(@chiri_b_geo)さんが作成した地図は、末尾に「池」がつく地名と「沼」がつく地名の分布を示すものだという。西と東で、その差は明確だ。東日本にはグリーンの「沼」のマークが集中しており、西日本にはオレンジ色の「池」のマークが密集している。
 このツイートには、7600件を超える「いいね」が付けられ、ツイッター上では、こんな声も寄せられている。
 (以下引用)
 「面白いですね。そう言われてみると、沼という地名はあまり聞きません。京都の巨椋池も深泥池も明らかに沼のような気がしますが、池なのです」
 「池と沼とは、同じようなものの呼称が東西で違うのか、あるいは池と沼それぞれの定義通りに、東と西で地形が違うのか......」
 「スゴい。東は沼る、西は池るなのですね」
 「地名分布の東西差、とても面白いです」
 (以上引用)
 東と西で、いったいなぜこんな差が生まれたのか? Jタウンネット記者は、投稿者「地理Bの旅」さんに詳しい話を聞いた。
 農業用ため池を調べてみたら......?
 投稿者「地理Bの旅」さんの仕事は地理関係だが、投稿した内容は基本的に趣味の延長だとのこと。地理院地図の検索機能を使って、日頃からいろいろな地名を検索して楽しんでいるそうだ。趣味と実益を兼ねた素敵な習慣と言える。
 この図を作成したきっかけは何だったのか? 記者が尋ねると、「地理Bの旅」さんはこう答えた。
 (以下引用)
 「以前から、地理院地図の検索機能で地名の分布を調べており、『沼』を調べたときに東日本に多いことに気づきました。同様に『池』も調べると西日本に多かったので、末尾が『池』・『沼』の分布を作成すれば面白い地図ができると考えました」(「地理Bの旅」さん)
 (以上引用)
 今回の地図は、「人間文化研究機構」(大学共同利用機関法人)が無償で公開している「歴史地名データ」や国土地理院の「地理院マップシート」を活用して作ったものだという。
 前者のデータベースで末尾が「沼」「池」の地名をリスト化し、後者でそれを地図上に追加する。 
 地理好きならではのノウハウを惜しげもなく披露し、「難しい操作ではないので、教育現場や趣味の地図作成などに幅広く活用されると嬉しいです」と「地理Bの旅」さんは語った。
 また、明らかになった「沼」「池」の地域差について、別のデータベースも参照したという。
 (以下引用)
 「農業用ため池データベース(各都道府県が整備)を調べてみると、ため池の名称の末尾が東西で異なる傾向にあることが分かりました。西日本ではため池に『~池』と付ける場合が多く、東日本では『~沼』という名称のものが多いです。
 農地開発の時期の違い、語彙の地域差などが理由として考えられますが、地名分布からの推論だけでは不十分だと考えています。明確な理由を考える場合は、古地図なども参照しつつ歴史的背景をふまえた考察が必要だと思います」
 (以上引用) 
 「地理Bの旅」さんが作ってくれた地図をきっかけに、東西差の歴史を辿っていく――なんと楽しそうな営みだろうか。
 「沼」と「池」以外にも、東西の違いを示唆するような未知のネタは、まだまだありそうだ。投稿者「地理Bの旅」さんも、「身近な地名をきっかけに、たくさんの方が地理や地図、文化の地域差などに関心を持ってくださると嬉しいです」とコメントした。
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 日本列島は、南北に長く、中央には人が荷物を背負って歩いて越える事を阻む一際高い嶺が連なる山脈が聳えている。
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 日本民族の伝統文化は単一の単純文化ではなく多種・多様・多元・多角の複雑文化で、東日本・西日本、関東・関西、東国・西国、北国・南国、日本界・太平洋・瀬戸内海、平野・山野・中山間、入り江・川筋、蝦夷アイヌ琉球・まろうど(客人)、その他、日本列島は細切れのように分離独立していた。
 日本列島は、高い山々や激流のような河川で分断され、日本列島土人の相互交流は少なく独自に生きていた。
 それは、伝統・文化だけではなく、民俗生活、神話宗教、方言言語、田舎料理、生活習慣、風土風趣、因襲、因習、その他、日本民族の「生き様」を見れば明らかである。
 日本民族には、差別や偏見、排除や排斥は無縁であった。
 それが、日本のムラ共同体である。
 日本民族の価値観とは、自然に対する観察力なった。
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 日本産には、国内旅行の土産となる伝統的な地域の特産品や差別化された地方の物産品が数多く存在し、それが日本の多様性の証明である。
 それを生み出したのが百姓と武士であり、育てて広めたのが宗教家や商人と職人の町人達であった。
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 グローバル志向の強いエセ保守やリベラル左派は、偏狭にして視野狭窄の単細胞ゆえに、数万年前からの日本民族の伝統・文化・歴史・宗教は無縁であり、理解できない。
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 日本と中国・朝鮮は違う。
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 7月9日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「じつは知らない、東日本と西日本の「大きな違い」とは…日本は「ひとつ」ではないと言えるワケ
 〔PHOTO〕iStock
 「宮本常一民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が刊行された。
 【写真】女性の「エロ話」は何を意味しているか? 日本人が知らない真実
 『忘れられた日本人』で知られる民俗学者宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは? 
 日本は「ひとくくり」にできない
 ――ここまで「歴史観」「世界観」とうかがってきました。そのほかでは、『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』のなかで、「多様性の『日本』」という章があります。
 畑中 「日本とはなにか」について、答えを出したかのような、なんとなく納得した気になる見解はありふれています。じつは民俗学という学問は、日本はいろんな共同体が違う祭りをしているとか別の慣行をしているとか、観察や伝承を通じて、日本列島の共同体の多様性や個別性を明かしてきたのです。
 日本が一様ではないということですね。まずひとつひとつの共同体は違っていて、階層ごとに文化が異なるだろうということは考えればわかることですが、意外と強調されていません。
 たとえば、わびさびは室町時代に公家・武士のあいだで培われてきましたが、一般の生活者・庶民のあいだに染み込んできた文化ではない。つまり、文化は階層性を帯びているわけで、ひとくくりにできません。
 ほかにも、東日本と西日本では社会のしくみが違っていたのでないかということも、宮本は指摘しています。
 〈東日本については同族集団、同族結合が基本であり、縦の主従関係を基本にした家父長制的な傾向の強い上下の結びつきを特徴とし、それに対して西日本の場合、フラットな、横の平等な関係を結びあうのが特徴だとする。縦の主従関係が東日本に見られるのに対して、寄り合いや一揆のような横の組織は、西日本に発達するという考え方である。東日本では年齢階梯制は非常に希薄で、年寄り組、若者組、娘組のような年齢階梯制が見えないことも強調する。〉(『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』より)
 ――家父長制が日本全国にあったわけではなく、東日本にかぎられた特徴だったのですね。日本はひとつではないことを、丹念に見ていった宮本民俗学の成果ですね。
 畑中 さらに、宮本は女性の役割にも着目していました。
 近代以降の社会で女性たちは重い役割を持たされてこなかったという見方が一般的です。「こういう仕事をしていればいい」「家を守ればいい」といったように、明治時代に決められて固定化された役割が戦後にまで及んでいたイメージがあるでしょう。
 では、戦前社会ではどうだったのか。武家社会以上に女性の役割は重く、女性が奉公も移動もしていました。男性が収穫してきたものを街に売りにいくのは女性でした。女性たちは物がいくらで売れるかなど市場価値を見定めて購入者とやりとりしていたわけですから、村落の経済を担っていたと言うこともできるのです。
 「庶民はどう暮らしていたのか」の歴史
 ――宮本常一の思想のエッセンスを語っていただきました。あらためて、いま彼の思想を知っておくべき理由とは? 
 畑中 ここ数年、歴史ブームが続いていますよね。中世や戦国時代、城郭などのブームがあります。歴史にたいする興味の持ち方として、ブームから入ってもいいのですが、僕はひねくれているので、「あの足軽はどこで連れていかれてどうやって死んだのか」「戦場のまわりにいた農民の人たちはどのような影響を受けたのか」といったことが気になるので、民俗学者をしているんだと思います。
 大雑把に言えば、私たちの先祖はどうやって暮らしてきたのかということです。そういうことを考えるときに、宮本常一の『日本民衆史』は、ものすごく重要な仕事だと思います。
 〈『日本民衆史』は宮本にとって『風土記日本』と『日本残酷物語』で追いもとめた日本の民衆の歴史を、自分ひとりでさらに掘り下げようとしたものだった。こういった持続的な問題意識は、第七巻にもかかわらず最初に刊行された『甘藷の歴史』からもうかがえる。甘藷(サツマイモ)の日本への伝来は、近世初期のことだが記録は少なく、栽培面積も全耕地面積の二〇分の一足らずで、農業史に占める部分もごくわずかだった。しかし、甘藷が土地の乏しいところや、急傾斜地に住む人びとの生活を変えていった力は大きかった。また救荒作物として備蓄食料として重宝された。宮本は、一植物、一食料にすぎない甘藷を双書の第一回配本にすることで、ふだんは意識されることのない甘藷の歴史を世に問うたのだった。〉(『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』より)
 「大きな歴史」のあいだにも「庶民の歴史」の営みがあって、たとえば城郭をつくるときには庶民の労役があり、戦争をするときには庶民の生活が損なわれたりした。
 歴史ブームやロシア・ウクライナ戦争などで歴史に興味を持つのはいいことですが、プーチンやゼレンスキーなど為政者の思考や行動だけではなく、生活している人びとを写し鏡にして何が起きているかを見なければいけないと思っています。
 町おこし・地域おこしの先駆け
 ――最後に、畑中さん自身は宮本常一の思想のどういうところに惹かれるのでしょうか? 
 畑中 ここまで語ってきたように、宮本の重要性はいくつもあるのですが、やはりフィールドワークによって培われた民衆史や民衆観を実際に世の中に反映させていったことは魅力的だと思います。たとえば、時代に先駆けて町おこし・地域おこしのような取り組みを、学者の立場からおこなってきました。
 〈宮本の民俗学がほかの民俗学者民俗学と際立って違うのは、フィールドワークの成果が実践に結びついていったことである。戦中・戦後の大阪府下での農村指導をはじめ、新潟県山古志村(現・長岡市)、同県佐渡の宿根木などでは、民俗文化財をどのように生かしていくのかを考えて、いわゆる「地域おこし」(町おこし、村おこし)の先駆的な活動をおこなった。また、瀬戸内海に浮かぶ山口県周防大島で生まれた宮本は、「離島」が抱える本土との格差を埋めるために尽力し、民俗学者としての説得力と粘り強い活動により離島振興法を成立に導いている。〉(『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』より)
 宮本自身が「世間師」であるので、人が出て行って困っていたり文化が活性化されていなかったりする村落共同体でいろんな産業と文化を興して、共同体が潤うことに貢献するような役割も担っていました。
 民主主義であったり公共性であったり、現在進行形でわたしたち直視しなければいけない数々の問題について、宮本常一は着目し、取り組んでいました。「庶民の歴史」を通じて、現代に生きる人びとにも得るものが多くあり、あたりまえとしている価値観や物事の見方を問いなおすことができます。『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』を読むことで、宮本民俗学はいまも生きているということを知ってほしいです。
 現代新書編集部
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 7月13日 MicrosoftStartニュース TABIZINE「【世界地理トリビア】「河」と「川」の違いは? 見慣れた川に関する意外な豆知識
 旅を愛するTABIZINE読者にとっては大切な知識、世界の地理に関するトリビアを紹介する連載です。今回は、川に関する知識を紹介します。水が流れる「カワ」には「河」と「川」の2つの漢字がありますが、この違いはなんでしょうか?
 中部山岳国立公園
 © TABIZINE 提供
 「河」は固有名詞だった
 中国・黄河
 © TABIZINE 提供
 最初は「河」の字から。漢字辞典を調べると、語源として「水の流れ+型」を意味すると書かれています。言い換えると、直角に曲がる水の流れを意味する漢字になります。
 この「河」、もともとは黄河を表す固有名詞でした。世界地図を持っている方はぜひ、黄河を地図で探してください。渤海から指でなぞっていくと、西安の手前、潼関(とうかん・トンコワン)でほぼ直角に曲がっています。
 この特徴を表現した「河」が、黄河の固有名詞としてかつて使われていたのですね。この「河」は次第に、大きな川や水路を意味するようになり、河川、運河などの形で利用されるようになります。
 <「河」はもともと中国の黄河に対する固有名詞であったが、のちに普通名詞化した>(小学館日本大百科全書』)
 ちなみに、中国北部の川を「河」と書き、南部の川を「江」と呼ぶそうです。世界史や地理のテストで、黄河と長江の位置を選べと言われたら、北が「河」、南が「江」と考えればいいのですね。
 和語「カワ」は水の供給源の意味
 菊池渓谷
 © TABIZINE 提供
 小学館日本大百科全書』によると、先ほど紹介した「河」と、一般的に利用される「川」の漢字には、厳密な区別は存在しないそう。
 では、それらの漢字の訓読みをあてがわれた「カワ」という和語は何から来ているのでしょう。
 同じく小学館日本大百科全書』によると、水の供給源の総称を日本人は「カワ」と呼んだそう。言い換えれば、わき水や泉も「カワ」でした。
 逆に、現代人が考える川は、流れる水源だったため「流れガワ」「走りガワ」と区別して呼んだみたいです。
 ちなみに、その水源の水を導いて貯蔵する施設と場所を「ヰ(イ)」「ヰド」と呼びました。身近な言葉にもいろいろな歴史や意味があるのですね。
 世界には、逆流する川がある
 中国・銭塘江
 © TABIZINE 提供
 一般的なイメージとして川は、上流から下流に一方通行で流れ下るイメージがあります。もちろん、その通りではあるのですが中には、大変な勢いで逆流する川もある様子。
 例えば、中国の浙江(せっこう)省の杭州湾に流れ下る「銭塘江(せんとうこう)」では、大潮の時には海水が逆流し、観光客の見せ物になります。
 そう聞くと何か、穏やかなさざ波が水面を静かにさかのぼっていく様子を想像するかもしれません。しかし、1年の中で最も逆流が激しくなる秋は、激しい逆流が堤防を乗り越え、川岸に群れる見物客に大波のように降り注ぎます。
 中国駐大阪観光代表処によれば逆流する波の高さが9mに達した年もあったそうです。その激しい逆流の様子を見れば容易に察しがつきますが、過去には死傷者も出ました。
 ちなみに、銭塘江は「江」ですから中国の南部の川になります。これでもう、地理や世界史のテストで困りませんね。
 以上、川に関するトリビアを紹介しました。銭塘江のように、川の荒れ狂う姿はなぜか、人を引き付ける部分があるように思います。
 しかし、自然のエネルギーは人間の想像を容易に超えてきます。荒れた川にはくれぐれも、興味本位で近付かないほうがいいですね。
 [参考]
 ※ 漢字源 - 学研教育出版
 ※ 銭塘江の逆流現象「一線潮」鑑賞に2万人 浙江省海寧市 - Xinhua Japanese
 ※ 日本語教育能力検定試験によく出る「語彙」のまとめ - 日本語教育能力検定試験まとめ
 ※ 銭塘江の大逆流 - 中国駐大阪観光代表処
 ※ 中国・銭塘江で潮流が逆流する自然現象「海嘯」 - TBS
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