🌈76)─1─日本の地名には多様文化・言霊・神話・物語が詰まっている。~No.130No.131 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2021年7月12日 MicrosoftNews 岐阜新聞織田信長が名付けたとされる「岐阜」が県外にも 県内からの移住が背景
 © 岐阜新聞社 岐阜県外にある「岐阜」の地名(国土地理院地理院地図」)
 © 岐阜新聞社 笠松町の案内標識=三重県松阪市笠松町
 岐阜県内には42の市町村がある。それぞれ歴史的な経緯をたどって今の市町村名になったわけだが、偶然か縁があってか、県外でも同じ地名を見かけることがある。どんな由来があるのだろう。どこにでもありそうな地名だけでなく、本来なさそうな「岐阜」もある。背景にあるのは県民の歴史とのつながりだった。
 まずは、全国の地名と読み方が一覧になった日本郵便の郵便番号データを検索だ。先に県外になかった地名から。多治見、瑞浪、恵那、美濃加茂、土岐、各務原、可児、本巣、下呂関ケ原、輪之内、安八、揖斐川、坂祝、富加、七宗、八百津、東白川、御嵩。東白川は郡名ならあり、美濃加茂も「加茂」に限れば複数あった。それ以外は県外にある。岐阜もある。織田信長命名したのでは? と疑いたくなるほどだ。
 主なところでは、大野や池田は福井県大野市や池田町をはじめとして複数ある。高山も長野県と群馬県に高山村がある。大垣、北方、中津川、川辺、白川といった地名は、字名に多く見られる。山県は長崎県佐世保市に山県町、郡上は滋賀県長浜市に小谷郡上町があった。
 意外なのが、笠松岐南、垂井だ。三重県松阪市笠松町山口県周南市岐南町兵庫県小野市垂井町とある。「角川日本地名大辞典」で由来を調べると、三重の笠松町が地元の神社に傘形の松があったから。山口の岐南町は詳しく書かれていないが地図を見ると「岐山」の名が付く学校や公園が見られるので、それが由来だろう。兵庫の垂井町は湧き水が多い地区といい、県内の垂井と由来が似ている。
 さて神戸。兵庫県神戸市をはじめ、愛知県一宮市神戸町名古屋市熱田区神戸町横浜市保土ケ谷区神戸町などがある。だが、よく見ると読み方がそれぞれ違う。もちろん兵庫の神戸は「こうべ」、県内と名古屋と横浜は「ごうど」、一宮は「かんべ」。さらに「じんご」や「かのと」と読む地区もある。神社由来の地名が多いようだ。
 旧国名でもある美濃と飛騨も各地にある。岡山県津山市美濃町は1603年に美濃国出身の森忠政津山藩主として入り、美濃から大工を連れてきたのが始まりという。京都市下京区美濃屋町は、江戸前期に町を開発したのが美濃屋源右衛門という人物。奈良県橿原市飛騨町は、飛鳥時代藤原京造営のため飛騨国から招集された木工集団「飛騨匠(ひだのたくみ)」が住んだと伝わる。富山県黒部市飛騨と南砺市飛騨屋は、飛騨国出身者が開拓したという説が有力そうだ。
 そして岐阜。実は北海道にある。岩見沢栗沢町岐阜、北見市常呂町岐阜、南富良野町幾寅岐阜。いずれも明治期に岐阜県から開拓者が入った地区だ。ちなみに養老も全国各地に見られるが、北海道浦幌町にも養老がある。ここも開拓が起源で「故郷の養老の滝にちなんで名付けた」という。同じく中標津町には「養老牛(ようろううし)」という地名も。アイヌ語で水に漬けるという意味の「イオロウシ」などに由来するらしい。
 北海道の岐阜に住む人は、今も"故郷"の岐阜県を意識しているのだろうか。電話帳には北見市の岐阜に「不破」の名字。電話口で不破利和さん(72)が「一度だけ母方の本家を訪れたことがあるが、つながりが消えかけている。元々、遠方で開拓移民は故郷に帰れず、付き合いが深くなかったのも背景」と話す。
 窓からオホーツク海が見えるという自宅。曽祖父の時代に北海道へ。父方は現本巣市、母方は現揖斐郡大野町からだった。祖父からは「岐阜県には不破郡があり、不破という名字の人も多い」と聞いていた。
 岐阜県から北海道の子孫への電話。岐阜という地名を残していてくれたからこそ話せたと伝えると、なんだかうれしそうで誇らしそうだった。各地に残る「地名」。それは、その土地の歴史を今に伝えるタイムカプセルなのだ。」
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 地名を姓名に使う日本人がいる。
 一国内、一民族内での姓名の数は、日本は多い方である。
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 日本民族を日本人たらしめているのは、日本国語の言語(音・声)と文字による名前である。
 日本国語の名前は、時空を超え、民族の歴史と民族の足跡を日本列島に刻み込んでいる。
 地名とは、民族の文化・伝統・宗教・歴史そして日本列島の自然、神々の息吹きである。
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 現代の日本人は、民族の歴史・文化・伝統・宗教に関心もなく愛着もない為に、祖先が付けた地名を意味もなく好き勝手に書き換えている。
 日本人は古いモノを大切して護り受け継いできた、はウソである。
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 昔の地名には、正統男系父系天皇を核とした民族中心神話・血の神話が埋め込まれていた。
 つまり、祖先から受け継いできた古い地名は皇室と宗教が一体化している。
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 現代日本人は、平成の大合併で昔ながらの地名を破棄する事で民族の多様文化を破壊した。
 現代日本は、行政などの事務手続き簡略化の一環として昔ながら地名を現代風の地名に変更し、日本国土から石器時代縄文時代から続く民族の文化・宗教・歴史を抹消している。
 由来や縁起を持った伝統的名前を抹殺して国土を無意味な無味乾燥の不毛地帯に変えようとしているのは、反宗教無神論・反天皇反日本のマルクス主義共産主義)である。
 つまり、彼らは民族を表記する地名や氏名・名前に愛着を持たず嫌いこの世・この地上から消し去ろうとしている。
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日本の地名の意外な由来 (PHP文庫)
本当は怖い日本の地名 イースト雑学シリーズ
地名から読み解く日本列島
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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