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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2017年2月2日号 週刊新潮「藤原正彦の管見妄語 ユーモア大国
浮世絵が面白いと初めて思ったのは、数年前のローマにおいてだった。古代遺跡や中世寺院ばかりを女房に連れ回され、いささか退屈していた私は、通りがかりに浮世絵展が開催されているのに出くわし飛びこんだ。展示されていた葛飾北斎や歌川(安藤)広重は、モネ、セザンヌ、ゴッホなど印象派やポスト印象派に多大な影響を与えた巨匠だから、会場は大いににぎわっていた。そこに展示されていた広重『名所江戸百景』の一つに、渡し船に座っている客の目線で、船頭の毛ずねごしに羽田沖を遠望するものがある。まず構図の斬新さにたまげ、ついで一本一本描かれたすね毛に笑ってしまった。やはり広重もので、画面の左半分を埋める巨大な鯉のぼりと、遠くの小さな鯉のぼりとの間から、極小の富士がのぞいている画も、大胆な構図の中に微笑がある。浮世絵の自由奔放な独創性とユーモアに感嘆している人々を見ながら、私はほとんど民族的昂揚を抑えきれなかった。
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先週、表参道の太田記念美術館に、歌川広景(ひろかげ)展を見に行った。江戸末期に活躍した歌川広景は広重の弟子で、『江戸名所戯尽(どうけづくし)』くらいしか描いていないらしいく、私も名を知らなかった。この広景が師匠の名をパクったばかりか、絵までをパクるのだ。師匠や北斎の絵に出てくる場所や構図を拝借し、それを戯画に仕上げる。道端の開放的な厠(かわや)で用を足すお侍を、3人の従者が路上に片膝を立て鼻をつまみながら待っている。そば屋の出前が犬に足をかみつかれ、思わず放り出したざるそばが盛装のお侍の頭に飛んでくる。私の隣で見ていた老婦人が笑い声をあげた。私のお気に入りは、にわか雨にあった3人の男が、一本しかない破れ傘でどうにか雨をしのごうと、傘をさした1人を2人で肩車して歩いている絵だ。妙案と思ったが、担ぎ役の1人の苦しそうな表情と、傘の破れの真下でびしょ濡れになったもう一方がうらめしそうに見上げるところは、私もつい笑ってしまった。
浮世絵には名所絵、美人画、役者絵、風俗画、動物絵などもあるが、これらに見え隠れするペーソス、諧謔、揶揄などは大ていユーモアをまぶして描かれている。文学でもユーモアなら源氏物語や今昔物語にもあるし、西洋でもチョーサーやシェイクスピア以来ある。ところが絵画では、宗教画から発達してきた西洋画にユーモアを感じたことはほとんどない。日本には、落語、漫才、狂言もあるし、講談や歌舞伎もユーモア満載だ。我が国はユーモア大国だったらしい。浮世絵を見ていると、江戸時代の人々の微笑、失笑、苦笑い、照れ笑い、含み笑いなどが目に浮かんだり、時には辺りから笑い声や歓声が沸き上がってくる。そうして、この底抜けの笑いと喧騒の中に入り込みたくなる」
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2016年3月7日 産経ニュース「【科学〜歴史地震研究】江戸の庶民は「鯰絵」で震災を乗り越えた
江戸末期の庶民の地震に対する意識がうかがえる「鯰絵」=さいたま市大宮区の埼玉県立歴史と民俗の博物館(草下健夫撮影)
昔の日本人は震災をどのように受け止めていたのか。江戸時代末期に描かれた「鯰絵(なまずえ)」から、その一端がうかがえる。ナマズが地震を起こすとの考えから作られた刷り物で、安政江戸地震(1855年)で多くの庶民に親しまれた。
ナマズは地震直後は被害の元凶として登場し、懲らしめられる。しかし、復興のため大工など職人の仕事が増えると、富をもたらす存在として、ときにはユーモラスに描かれるようになる。
埼玉県立歴史と民俗の博物館は、単独施設で最多の155種類を所蔵する。加藤光男学芸主幹は「当時の人々も、ナマズが地震を起こすという説を真に受けてはいなかった。しかし、そう捉えることで沈んだ気持ちを晴らし、災いを精神的に乗り越えようとしていた」と話す。」
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浮世絵は、世界美術史・絵画史に記載されるべき芸術である。
欧米諸国で芸術・美術・絵画など美的なものを愛好し保護したのは、王侯貴族や教会、資産家や知識人といった上流階級のみで、庶民の下級階級には無縁であった。
下層階級の楽しみは、低料金のいかがわしい演劇・オペラであった。
日本では、被支配階級である天皇・皇族や公家、寺社仏閣、町人や百姓などの庶民で、支配階級の幕府や大名などの武士・サムライは無骨をよしとして美的なものには無縁であった。
天皇や公家は「雅」を探求し、庶民は「粋」を競った。
武士・サムライは、無教養に「無骨」に固執し、芸術・美術・絵画に勤しむのは軟弱と嫌い怠け者か変人として軽蔑した。
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家臣にとって、主君が政(まつりごと)を疎かにして芸術・美術・絵画に現を抜かしてくれる事は、浪費して藩財政を悪化させない限り反対はしなかった。
日本の指導者に求められるリーダーシップとは、政治に強い関心を持たず関与せず、家臣を指図せず、家臣が出して結果に責任を取る事である。
責任の取り方は、家臣に責任を押し付けて切腹を命じるか、自分が責任を取って引退して家督を譲るかである。
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浮世絵が飛ぶように売れたのは、江戸・京・大坂などの幾つかの大都市だけの事で、地方では差ほどでもなかった。
浮世絵を好んで買ったのは、大都市に住む中間層的庶民であり、地方の百姓は生活費を切り詰める為に買う事はなかった。
浮世絵文化とは、日本を代表する民族文化というより、限られた町人の趣味嗜好に過ぎなかった。
歌舞伎俳優の錦絵・浮世絵は、町家の娘・女性に売れた。
美人画の錦絵・浮世絵は、町家の独身男性に売れた。
そこには、芸術性が高い春画や枕絵も含まれる。
浮世絵・錦絵は、地方の百姓に関係のない、中央の町人文化である。
地方で浮世絵・錦絵を楽しんだのは、財力のある名主・庄屋や豪農などの大地主だけである。
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林綾野「西洋が日本ブームで沸き立つ中、浮世絵と出会ったゴッホは大の日本ファンとなる。色彩や構図、その全てに魅了された彼は、夢中で浮世絵を買い漁り油絵で模写までした。
35歳の時、パリから南仏のアルルに移ると、陽光溢れるかの地を『日本のようだ』と思い込む。日本への憧憬を胸に、北斎や広重を意識しながら風景を描いては心躍らせた。
1890年、ゴッホは37歳で亡くなる。すると今度は、白樺派を筆頭に日本でゴッホ人気が沸騰。佐伯祐三など多くの画家が終焉の地オーヴールを訪ね、彼に想いを馳せた。
ゴッホと日本には、そんな敬愛を交わした深い縁があるわけだ。……それにしても、南仏に日本を重ね見るゴッホの想像力の逞しさには驚くおかない」
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