🎑84)85)─1─折り紙。~No.181No.182No.183No.184 @ ⑰

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の折り紙は、平安時代に公家が贈答品に高価な和紙で包んで贈った風習から始まっ
た、日本独自の包む文化が生まれた。
 和紙が高級品で貴重であった為に、繰り返し使えるモノとして木綿布の手拭いが普及した。
 工芸品による文化は、その土地で生産される特産品から生まれる。
 包む文化でる折り紙は、幾ら折り曲げても破れにくく丈夫な、薄く、柔らかく、張りがある和紙が生産できたからである。
 現代韓国は、民族独自の文化が皆無な状態である為に、ウリジナル運動として日本文化の全が朝鮮半島所縁・韓国起源であると嘘をつき、架空の「我が国発祥」という捷報を巨費を投じて大々的に国際的宣伝している。
 「折り紙は、植民地時代に日本人が自分達の文化だと偽って世界に広めた」
 日本人は、自分を大きく見せて偉ぶるという自己自慢が苦手で、正当であっても事実を伝えるという事がヘタであった。
 宣伝戦・情報戦・謀略戦に於いて、相手に配慮して自己主張ができない日本人は、他人の主張を認めず言い分を全く聞こうとしない中国人や韓国人・朝鮮人にはかなわない。
 韓国文化・朝鮮文化は、ローカルな日本文化とは違ってグローバルな中華文化の模倣が多い。
 紙文化は、日本だけではなく、中国でも、西洋でも、紙のある国や地域には必ず独自の文化として存在する。
 茶道や華道にしても、世界中にお茶は有り、地球上に花は咲いている。
 文化は、発祥地や起源が問題ではなく、そこに流れている心・哲学・精神としての民族性でる。
 文化が生まれる最大の要因は、自然環境や風土をどう感じて生きて死ぬかである。
 そこに、優劣などは有りはしない。
 日本文化が特殊で高度で優れているわけではない。
 文化は、自慢するものではなく、淡々と語るものであり、クドクドと美辞麗句をもって高邁に語るものではない。
 文化は、祖先が産みだした伝統芸術である。
 文化を継承しているからといって偉くもない。
 人によって文化は変わり、ローカルな日本文化を棄ててグロバールなアメリカ文化や中国文化で取り入れて生活する日本人はいる。
 文化にせよ文明にせよ、継承する人間や愛する人間がいなければ消滅する。 
 文化や文明が消滅しても人類は残る、それが人類史である。
 時代が進めば、日本文明も日本文化も消滅する事も有りうる。
 それだけの事、である。
 日本文明や日本文化が2000年近く継承されてきたのは、それを愛し継承してきた日本民族日本人がいたからである。
 伝統は、受け継がれた歴史である。
 現代日本に於いて、古き日本の伝統は継承者・後継者・跡継ぎが少なくなり消えつつある。
 ローカルな日本文明・日本文化・日本語文化は、グローバルな流れに飲み込まれて消滅する運命にある。
 韓国の嘘に嘘を重ねた無い物ねだりの横取りウリジナル運動は、世界の画一化・単純化というグロバール時代では時代の流れに逆らう愚かな事である。
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 紙とは、手紙・書簡等の情報伝達及び書物等の知識・知恵の蓄積保存としての単ある道具であった。
 油絵など美術芸術に用いられる紙は、折りたたみができない厚紙であった。
 日本は、薄紙を開発して、折り紙文化を生み出し、水彩絵の具で絵を描き折り畳んで荷物の間に押し込んで持ち運んだ。
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 2010年 日本は、打ち上げた宇宙ヨット「イカロス」に、世界で初めて折り紙の技術を転用した。
 空気のない宇宙空間でロケット・エンジンを使わず航行するには、太陽光の圧力を利用するしかなかったが、打ち上げ時から巨大な帆(一辺14メートル)を広げたままではロケットに取り付ける事は不可能であった。
 そこで、折り畳んで打ち上げ、宇宙で広げるという折り紙の技術が採用された。
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  旧題名。ユダヤ系国際穀物商社・抗日中国人連合と資源輸入国家日本との食糧戦争。
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 二つのブログを、五つに分けて建設する。
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 1964年 美術評論家の勝見勝は、東京五輪を開催するに当たって、世界で始めたピクトグラム(人絵文字)を作成した。
 勝見は、ピクトグラムは人びと生活に役に立つとの考えから、ピクトグラムを創り出したデザイナー達に著作権放棄を求めた。
 デザイナー達は、創作報酬として大金が入るにもかかわず、「世の為、人の為」、世界に広まれば少しでも人びとの生活が便利になると考え、勝見の呼びかけに答えてピクトグラム著作権を放棄した。
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 旧題名。ユダヤ系国際穀物商社・抗日中国人連合と資源輸入国家日本との食糧戦争。
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 日本を代表する日本画家や洋画家や彫刻家も、戦争勝利の為に創作活動に没頭し、戦争画ではない作品で得た収益の一部を航空機、軍艦、戦車の建造費に充てるべく献金した。、
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 昭和14年 横山大観「(戦争画を描く上での信念)我が日本は東洋平和の聖戦の為に陛下の臣民の多数が生死を超越して赤化の支那と戦って居ります。日本に於ける忠臣の表範たる大楠公七生報国の念を以て戦って居るのであります。是れこそは強く正しき我が大和魂の発露でなくて何でありましょう。此の魂こそは古来日本の天地に澎湃(ほうはい)として漲(みなぎ)っている正気であります。美術に於いても亦同じく此の正気の顕現せられたる作品のみが我国に於いては独り尊ばれるのであります」(『日本美術の精神』) 
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 昭和18年12月15日号 アサヒグラフ梅原龍三郎。『年々北京に行ってますが、その都度思うことは、数千年にわたる文化を滅ぼした民族の弱さということです。東洋文化の源流を成した誇りを捨て去った姿は哀れだと思うのです。それを思うと、私は日本に生まれたことを心から幸福だと思っています。われわれに出来る御奉公は、いい絵を描く以外にはない。』」
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 戦後の画壇を支配した左翼系画家は、戦争画を戦争賛美として犯罪的作品として否定し、如何なる価値も認めず社会から葬った。
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