🎑48)49)─1─東アジアにおける近代の夜明けとは、和製漢字の日本文化圏を受け入れる事であった。1900年~No.115No.116No.117No.118 @ 

日本語を作った男 上田万年とその時代

日本語を作った男 上田万年とその時代

「国語」の近代史―帝国日本と国語学者たち (中公新書)

「国語」の近代史―帝国日本と国語学者たち (中公新書)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本・中国・朝鮮の西洋的近代化は、日本国語の和文調口語体運動と和製漢字造語のお陰である。
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 宮脇淳子「日本は支那文化圏に属するとか昔は誤って語られていたが、今の支那は紛れもなく日本文化圏に抱合されている」
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 近代以前の東アジアは古典漢字の支那文化圏であったが、近代以後の東アジアは和製漢字の日本文化圏である。
 古典漢字の支那文化圏と和製漢字の日本文化圏は別物である。
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 日常会話の日本語は外国人でも話せるが、歴史・文化・宗教・伝統・習慣の日本国語は日本民族日本人だけが話す。
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 同様に、日本人が外国語を話しても誤訳を犯す事が多多ある。
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 明治の日本は、現代の日本のようにグローバル化で「洋魂洋才」で日本を変革する事は命取りと考え、ナショナリズムから「和魂洋才」で近代化する為に西洋を見習い真似ても日本民族・日本国家の本質を守ろうとした。
 それが、日本国語と外国語の均整をとった語学教育であった。
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 江戸時代に生まれ明治に生きた日本人が賢かったのは、英語・独語・仏語など西洋語を公用語に選択せず、新たな造語を作って日本国語に編入した事である。
 東アジアの近代語の75%近くが和製漢字である。
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 日本の強み・底力・凄技は、日本国語にあった。
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 週刊文春「文春図書館 斉藤孝
 近代日本語が生まれたドラマ
 『日本語を作った男 上田万年とその時代』山口謠司
 私たちは今話すように自由に日本語を書いている。SNSでおしゃべりやつぶやきを文字にしている。これは当たり前のことか。『そうではない』とこの本は教えてくれる。
 明治時代になってもなお書き言葉の主流は文語体であり、手紙は候文であった。各地の方言は強烈で、『共通の日本語』は成立していなかった。『すべての国民のための言語』=国語が何としても必要だ。と国語学者上田万年は考えた。
 言文一致運動での二葉亭四迷や山田美妙の功績は周知のことだが、上田万年の名はあまり知られていない。この本は、万年の人生をタテ糸に、近代日本語成立のプロセスを丹念に見ていく。四迷、漱石円朝らがヨコ糸となり、国語としての近代日本語という織物が鮮かに立ち現れてくる。
 明治41年の臨時仮名遣い調査委員会で、森鴎外は歴史的な仮名遣いの維持を主張する。話す通りの音で表記しようとする『新仮名遣い』を主張する万年らと対立する。
 鴎外の『舞姫』は『石炭をば早や積み果てつ』で始まり、文語文の名文が続く。一方、漱石の文体は『吾輩は猫である。名前はまだ無い』と話すように書かれる。仮名遣いはまだ旧仮名遣いでも、文体自体は現代と変わらない。漱石の日本語の文体が主流となり、現代の私たちの文体となっている。その『吾輩ハ猫デアル』の文体は万年なしには生まれなかった。万年がベルリン大学で学んだ比較言語学が新しい日本語に影響を与え、昭和21年の『現代かなづかい』の告示へとつながった。
 言語が国をつくる。万年のこの信念が近代日本語の推進力となった。今、日本語は柔軟であり、かつ世界のあらゆる知を消化できる消化力を備えている。日本語がこの地上から消えることがあれば、本来の意味での日本人も消えるだろう。私たちは日本語を通して感性を養い、思考力を培っている。言語は人をつくるのである」
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 日本国語の近代言語としての骨格を作ったのは、明治期の文豪達や知識人達であった。
 夏目漱石正岡子規森鴎外らは、日本国語を、中華文化人間性を排除した漢文調文語体から日本文化独自の情感溢れる和文調口語体に作り替えた。
 福沢諭吉中江兆民西周新島襄らは、読書する一般人でも分かりやすい様に全体の意味や感情を考慮して翻訳・意訳し、新造語を作った。
 日本国語の流れる様な柔らかい美しさは、普遍的な宗教、哲学、思想で合理的に作られたのではなく、自然鑑賞と人間観察の中から情緒的に生まれた。
 それ故に、日本国語はローカル言語であってグローバル言語ではない。
 日本が近代化の一環として行った和文調口語体運動と和製漢字造語が、中国と朝鮮の文章を激変させた。
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 前島密は、徳川慶喜に「漢字御廃止之儀」の建白書を提出し、国家の近代化には国語改良運動が必要であると提言した。
 「国家の大本は国民の教育にして其教育は士民を論ぜず国民に普からしめ之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を用ひざるべからず」
 庶民に高度な教養を身に付けるには 国語の発達がするに漢文漢字を廃止する
 明治政府が成立するや、前島密は「国文教育ノ儀ニ付建議」を提出し、「国字と定め、古来の教育法を変じ、新教育法を以て、論理、物理、法理等より日常万般の事に至るまで、其仮名字なる簡易の国字を以て教育する」事を提言した。
 近代的国民国家が成立する時、国家を1つにまとめる為に、全国共通の言語と文字が欠かせなかった。
 明治政府は、国語政策に介入し、国民意識の統一、国民文化の高揚、西洋文物の吸収の為に国語・国語改良運動を始めた。
 国語発達の為に、新たな日本語を創作して中央・標準語に定め、地方の方言や旧表記を学校教育から排除した。
 明治33年4月に、国語調査機関が設置され、前島密ら7名が国語調査委員に任命された。
 8月 小学校令が公布され、同施行規則により「仮名の字体」、「字音仮名遣」、「千二百字漢字制限」が実施された。
 明治35年3月 「国語ニ関スル事項ヲ調査ス」る機関として国語調査委員会が設置され、加藤弘之委員長ら12名が委員に任命された。
 明治41年5月〜12月 臨時仮名遣調査委員会は、仮名遣いの改定を行った。
 大正2年 国語調査委員会に廃止された。
 大正10年 臨時国語調査会が新たに設置された。
 大正11年 臨時国語調査、常用漢字表、1,962字。
 大正13年 臨時国語調査、仮名遣改定案。字体整理案。
 大正15年 臨時国語調査、漢語整理案。
 昭和5年(〜11年) ローマ字の綴り方について審議する為に臨時ローマ字調査会が設置された。
 昭和6年 臨時国語調査、常用漢字表ノ修正、1,858字。
 昭和9年12月 臨時国語調査会廃止。
 昭和10年3月 文部大臣は、新設された国語審議会に対して諮問した。
 1,国語の統制に関する件。
 2,漢字の調査に関する件。
 3,仮名遣の改定に関する事。
 4,文体の改善に関する事。
 昭和12年9月 政府は、臨時ローマ字調査会の綴り方についての提言を受けて、内閣訓令で訓令式のローマ字綴りを制定した。
 昭和13年 国語審議会、漢字字体整理案。
 昭和14年 国語審議会、仮名遣改定ニ関スル件。
 昭和15年11月 政府は、国語の調査と標準語の普及を目的として、図書局内に国語課を独立させた。
 昭和16年2月 政府は、戦時体制下で、国内に於ける国民精神の奮起、国民教育の向上、国外に於いて東亜共栄圏の共通語にする為の日本語教育を、「重要なる国策」と位置づけ「国語・国字ノ整理統一ニ関スル件」を閣議で申し合わせた。
 1,文部省に於いて国語・国字の調査研究並に整理統一を促進し内閣及各省はこれに協カする事。
 2,前項に依り整理統一せられたる事項は閣議の決定を経て内閣及各省速に実行する事。
 国語審議会は、国語・国字の整理統一作業途中であったが文部省の答申を受け、字数、2,669字の「標準漢字表」を中間報告として提出した。
 文部省は、国語改善の施策の為に各省庁の意見を取りまとめた。
 昭和17年 国語審議会、標準漢字表ー常用漢字・準常用漢字・特別漢字の三種類からなる、計2,528字を制定した。
 新字音仮名遣表。国語ノ横書キニ関スル件。
 7月 文部大臣は、国語審議会に新たに追加して、国語の横書きに関する事を諮問した。
 12月 政府は、「各官庁に於ては別冊標準漢字表に照応して今後の用字に考慮を用ふる事」と閣議で申し合わせた。
 昭和21年 日本人は世界平和に貢献する為に日本語を止めて西洋語を話すべきであると、訴える有識者が増えた。
 GHQは、英語を公用語にする為の国語改革を求めた。
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 人類史に於いて。国民が使用する言語や文字は、国家権力が国民の意思に関係なく決定する。
 日本人が支配者であれば日本語を、アメリカ人が支配者であれば英語を、中国人が支配者であれば中国語を。
 日本が分割占領されたら、日本国の言語地域は日本語・英語・中国語・ロシア語の四つの地域に分かれていた。
 ドイツがドイツ語を維持できたのは、ドイツ語がグローバル語として世界中に広がっていたからである。
 日本国語が極東の狭い地域でしか使われないローカル語である以上、国際化・グローバル化において消滅する弱少民族言語の一つである。
 キリスト教価値観で世界を画一化・単一化するという文明的神聖なる使命によって西洋語がグローバル言語・文字と定められ、数多くのローカル言語・文字が民族宗教や地域文化は消滅した。
 世界史として。自分の言語や文字で世界を文明化しようとする異常な意欲を燃やすのは、西洋と中国であった。
 西洋はキリスト教で、中国は中華思想で、世界の中心に立とうとする。
 大陸史に於いて、西洋と中国はグローバル化を起こす二つの目である。
 ゆえに、グローバル的なドイツがグローバルのプレイヤーになれても、ローカル的な日本はグローバルのプレイヤーにはなれない。
 若しグローバルのプレイヤーになりたければ、日本脳・日本民族文化・日本民族宗教などを表現する日本国語を消滅させて、中国語か西洋語などのグローバル言語を受け入れるべきである。
 だが。自然災害多発地帯で生きる知恵として、2000年以上の年月をかけて祖先が編み出したローカル言語・日本国語は容易くは消滅しない。
 日本国語を捨てられるのは、自然災害多発地帯という以上環境から脱出できた時だけである。
 日本国語は、自然災害多発地帯と一体である。
 日本国語言語以外で、自然災害多発地帯という自然環境と文化と宗教を説明できる言語は存在しない。
 日本国語は、自然を表現するローカル言語として優れた特殊性を有しているが、人間を表現するグローバル言語からみれば拙い言語の一つに過ぎない。
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 日本は、異言語民族によって直接占領を受けず、異言語を公用語にした事はなかった。
 大陸諸国は、異言語民族による直接占領を受け、異言語を公用語とした事があった。
 大陸の諸王国は、王位継承権を開放して、軍事力や経済力のある異言語民族の王家から王族を迎えて自国の国王とした。
 日本皇室は、皇位継承権を閉鎖して、異言語民族王家から王族を受け入れた事がなかった。
 大陸の諸王家は、他国の王族に王位継承権を与えていた。


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