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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
縄文時代は平和な時代で、弥生時代は戦争の時代であった。
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日本の歴史は、中華世界の中国や朝鮮の歴史に比べて戦争は少なく、人殺しなどの犠牲者も少なかった。
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2022-09-18
🔯19」─1─なぜ、古代人は“人間”を生贄に捧げたのか?その意外な理由。~No.59No.60
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『縄文文明の環境』 安田喜憲 著 吉川弘館
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国際交流と平等社会
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戦争のない世界
力の文明の時代は終わった
ギリシアの博物館を見た。陳列ケースには目をうばう金属製品が展示されている。だが大半は剣や楯、鎧あるいは槍先といった、戦争のための武器である。その武器の多さと立派さが、まさに人類文明の発展を物語るといわんばかりである。
おびただしい人を殺すための道具。その数の多さと豪華さは、富の象徴であり、文明発展の所産であるとこれまで人々は思いこみ、信じて疑わなかった。たしかに、人類の歴史は、一面において戦争の歴史でもあった。戦いに勝った者にのみ、人類史をリードする権利が与えられた。自らの民族と文化を守るためには、戦争に勝たねばならなかった。強い者・勝者にのみ繁栄の資格が与えられたのである。
ギリシアから西ヨーロッパへと受け継がれた西洋文明の歴史は、一面において闘いの歴史でもあった。梅原猛氏(『日本文化論』講談社学術文庫、1976年)はそれを『怒りの文明・力の文明』と位置づけた。
世界はこの『怒りの文明・力の文明』によって汚染され、人々はあらそってそのまねをした。『怒りの文明・力の文明』は光り輝きに満ち、人々はこの文明の力を借りて、闘いに勝てば、無限の発展が約束されるかに錯覚した。明治以降の日本の富国強兵政策あるいは現代の発展途上国のいくつかの軍事大国化政策は、この錯覚にもとづいている。
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人を殺す武器のない世界
日本の縄文文化は、金属器をもたない。1万年という気の遠くなる長い間続いた文化である。その縄文文化を飾るのは、おびただしい縄文土器と、貝や骨の装飾品、木製品、それに魚や動物を捕獲するための石製品である。どこの博物館をさがしても、人を殺すための武器はみつからない。
日本の歴史には、人が集団で人を殺しあうことがめったになかった世界があった。しかも1万年もの長きにわたって続いた時代があったのである。それが縄文時代である。
防御施設のない建造物
集落の配置や建物の構造にも人が殺しあわない世界がよくあらわれている。縄文時代の集落は、外敵にそなえる防御施設をもたない。環濠や堀に囲まれた弥生時代の集落とは、根本的に相違している。弥生時代の集落は、堀や土塀によって、何重にも外敵の侵入にそなえていたことが、明らかとなっている(佐原真『大系日本の歴史1』小学館、1987年)。
だが縄文時代の集落には、人々が集まる広場はあっても、外敵から身を守るための堀や土塀はない。……。すでに述べた青森県三内丸山遺跡からは直径30メートルにも達する巨大な竪穴住居が発見されている。……。
巨大なクリの木を伐採、半截(はんせつ)し、運搬する。そして整然と配列し建造物を構築する技術を縄文人は有していた。もし、彼らが外敵の侵入にそなえるため、柵や堀が必要であったら、それを作ることは、容易であったろう。しかし、それがない。このことは、縄文時代は、外敵の侵入にそなえる防御施設は、必要でなかったことを示している。
縄文の世界こそ夢の世界
縄文時代の集落は、小高い丘の日当たりのよい南向斜面に、多くが立地する。その集落は外に向って開放的であり、広場を共有する。個々の竪穴住居も炉を中心として家族の共有空間で成り立っている。これに対し、弥生時代以降、特に明治以降、現代の建築に特徴されるように、集落は外に向かって閉鎖的となる。共有の広場は徐々に姿を消し、個々の住居は高い壁で囲まれた。ただでさえ小さな家の中は、さらにいくつかの小さな空間に分断され、家族共有の空間さえも失われている。そうした居住空間からは、平和共存の未来の世界はうまれない。
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自然との共存の世界
縄文時代は、人間同志が集団で殺しあうことのなかった世界であった。同時に、縄文時代は自然と人間が共存した時代でもあった。縄文人は、自己と他人に命の尊さをみつめたのみならず、自然界の木や草、動物のなかにも命の尊さをみつめていた。おそらく自然界の生きとし生けるものの命にひそやかな畏敬の念を感じ、命の尊さを実感していたがゆえに、人間同志も殺し合いをすることがなかったのであろう。縄文時代の集落が外に向って開放的であったように、縄文人は、自然との間にいきいきとした交流をつちかった。縄文時代は、生きとし生けるものが、夢をもてる時代であった。それを、開放的な集落の構造が、端的に物語っている。現代人が忘れているもの、それは自然の中で、生きとし生けるものとの命の交流である。それをとりもどすことさえできれば、学校でのいじめや殺人事件もなくなり、動植物の保護もより容易になるにちがいあるまい。
ミノタウロスの悲劇をくりかえしてはならない
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人が人を殺しあう世界から平和共存の世界へ
日本人は近代の開幕とともに、人が人を殺しあう力の文明を西洋から導入した。外敵の侵入を防ぐため周囲には分厚い壁をめぐらし、門を鉄の扉のようにがんじょうに作られる。内部はいくつもの小部屋にしきられ、カギがかけられるようになっている。それは、戦争であけくれた力の文明、西洋の世界で必要とされた建造物である。『力の文明』の世界では、建造物もまた、殺し合いと外敵から自分を守るための道具であった。戦争に備えるための道具として西洋の建造物は発展した側面がある。
こうした力の文明の伝統の上に立脚した現代の文明は、異なる文化や異なる民族、異なる宗教をもった人々がこの小さな地球の中で、平和共存をめざさなければならない21世紀の人類の未来を担う文明としては、きわめて不向きである。力の文明、西洋の文明のなかから、人が人を殺しあわない平和共存の世界はみえてこないのである。
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日本民族の祖先である縄文人(日本土人)は、1万年近く戦争、強奪のない秩序がよく保たれていた平和な時代を生きてきた。
その為、日本人の特徴とされる「性善説で、人を疑わず信じ騙されやすいというお人好し」は、数万年前の旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)から受け継いできた民族のDNAである。
それ故に、性悪説で、強欲と快楽の為に人を殺し、自己愛と自己利益の為に人から盗み、ウソ偽りを並べ立てて人を蹴落として不幸にしても恥じない中国人や朝鮮人とは違っていた。
日本民族が、中国人や朝鮮人を嫌うのはこの為である。
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同じ日本人と言っても、昔の日本民族と現代の日本国民は別人のような日本人である。
何処が違うかと言えば、中国人化・朝鮮人化しているかどうかである。
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縄文人は、墓地(死)を広場(生)とし、墓地広場に集まって宗教的儀式を執り行い集会を開いていた。
そして、墓地広場の周囲もしくは墓地広場のすぐ隣に竪穴住居を建て集落(ムラ)をつくって集団生活をしていた。
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中国人や朝鮮人を人間に近いチンパンジーに例えるなら、日本民族はさしずめボノボである。
現代の日本人をイエロー・モンキーというのであれば、それはボノボからチンパンジーに成長したということになる。
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京都御所が、反宗教無神論・反天皇反民族反日本の敵の攻撃から天皇や皇族を守る為に高い城壁や深い堀といった防御施設がないのは、縄文人の平和を愛する遺伝があったからである。
この点でも、日本と中国・朝鮮とは全然違う。
つまり、日本は無防備な平和集落都市であるのに対し中国・朝鮮は難攻不落の軍事要塞都市であった。
世界的古代文明とは後者を指す為に、縄文文明は古代文明として認められない。
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縄文時代とは、自然を崇める崇拝宗教時代であり、不寛容排他的な信仰宗教のキリスト教や宗教否定の科学万能イデオロギーのマルクス主義とは無縁であった。
徳川時代約260年間。3代将軍家光の治世で起きた島原の乱(1637~38年)以降で日本国内外で日本を揺るがすような戦争は起きていない。
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同じ日本人と言っても、現代の日本人と昔の日本民族と違いう。
昔の日本民族は縄文人の子孫であったが、現代の日本人は縄文人の子孫とは言い難い。
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