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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
伝統神道は、縄文人の自然(精霊)・妊婦(女性)・祖先(人神)崇拝に行き着く。
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近代宗教学において、日本神道は最低位の自然崇拝神話宗教であってキリスト教のような最上位の唯一絶対神啓示信仰宗教ではない。
宗教は人間の世界ではなく自然の中で人間によって創られ、人は神によって創られるのではなく、神こそが人によって創られる。
その為に、人類史において数多くの宗教が民族とともに消滅している。
つまり、人の歴史とは宗教の歴史である。
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天皇の宮中祭祀は、神話に基づく正統な世襲制における一子相伝の秘技である。
日本天皇は日本民族である。
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2023年12月号 WiLL「朝三暮四 加地伸行
道に聴きて〔そのまま〕塗(みち)に説(と)くは、徳を〔自分から〕之(こ)れ棄(す)つるなり。『論語』陽貨(ようか)
〈道に・・・説くは 受け売りするのは無責任。
徳を・・・ 自分で不道徳となる。〉
安倍晋三元総理の無念の死から時が流れ、もう3ヶ月を超えた。人の心もやや落ち着いたが、事件の大因であった宗教問題について論じ始めつつある。
……。
……旧統一教会の宗教性を深く掘りさげず、日本のおける明治維新以後の諸宗教について大雑把に概説して、それで終わっている。
しかも、一神教(例えばキリスト教)のような『信ずる宗教』と、多神教(日本列島に根づく諸宗教)のような『感ずる宗教』の重要性を大切にせよという。
そしてこう結論する。引用すると〈『感ずる宗教』に内在する可能性に着目し、日本人の最も深いところに流れている宗教、すなわち祖先の前で身を慎んで暮らす道徳観の重要性を、改めて考えるときが来ているのではないだろうか〉と。
老生、唖然とした。祖先を大切にして敬(うや)まい、その祭祀を怠(おこ)たない──この祖先崇拝は、日本だけではない。東北アジア(中国・朝鮮半島・日本等)全体において共通する宗教ではないのか。その宗教性を理解できておらず、『道徳観』と誤解までしている。
あえて記そう、キリスト教派は、宗教には序列があると独断し、まず一神教(キリスト教など)、次に多神教、次いでシャーマニズム(霊降ろし)等、最下は山や海などを崇(あが)める自然崇拝、とされている。
要するに、キリスト教徒らは自分らが最上位だという理屈。その屁理屈を最高の真理と思いこんだのが、欧米留学をした明治の日本人たちだった。彼らは、帰国後、この宗教ランキングを日本全国に説いて回ったのである。
それがいつのまにか宗教学のイロハとなり、純情な日本人インテリ(欧米崇拝派)が日本国中にそれをさらに広めていった。
そうして明治以来のキリスト教派の〈宗教学〉に、現代日本の宗教学者の大半が、いまだに従い、鸚鵡(おうむ)返ししている。情けない。
学者と称するならば、要(かなめ)は自分の頭で考えろ。と言うと、お前はどうなんだ、と来るだろう。待ってました、こうだ。
根本は〈宗教の定義〉である。数百を超える定義群があるが、ほとんどがキリスト教的。絶対者を置き信ずる。みな似たり寄ったり。
そこで老生、こうした。方法論が第一であると。そこで宗教のみが扱える対象以外を除いていった。例えば、数計算法とか、生物飼育とか、ダンスとか・・・と。すると残った領域は唯一、すなわち死のみであった。そこで老生、こう定義した。『宗教とは死および死後の説明者である』と。
となると、諸宗教間において上下などはなくなる。また人間は自分にとって最も納得できる『死および死後の説明』を選べる。
もちろん、その背景に歴史があることは言うまでもない。東北アジアにおいて、人々に対して最も納得のいく〈死および死後〉の説明は、祖先の存在、そして祖先から続く自己との関係であった。すなわち、己の存在の背後に長い生命の歴史があり、その〈生命の連続〉を信ずることによって、生きてあることの意味や価値を大悟(だいご)する。その様式化されたものが〈祖先崇拝〉である。そしてこの祖先祭祀についての理論づけしたものこそ、〈儒学〉なのである。当然、儒教は宗教であり、東北アジアの人々の精神を形成してきた。
これが加地学説。果たして山折某はそうした拙論を読んだのか。『感じる宗教』などというチャチな感想を出す前に、例えば老生のそれこそ生命を懸けた研究結果を精読してから宗教について発言すべきであろう。
古人曰く、道に聴きて〔そのまま〕塗(みち)に説(と)くは、徳を〔自分から進んで〕之(こ)れ棄(す)つるなり、と。」
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神道とは、日本列島で乱婚を繰り返した混血・雑種の日本民族が生み出した世界的に非常識な民族神話宗教で、その源流は数万年前の旧石器人(ヤポネシア人)・縄文人(日本土人)と数千年前の弥生人(渡来人)・古墳人(帰化人)の宗教観・自然観・死生観・人生観に辿り着く。
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日本神道の祭祀を正しく受け継いでいるのが、皇室の宮中祭祀・高天原神話・天孫降臨神話つまり天皇神話である。
が、反宗教無神論のリベラル左派は信仰の自由と政教分離の原則で天皇の祭祀を否定し私的行事として国事行為から切り離した。
縄文時代の宗教祭祀は、明治以前の宮中祭祀など伝統神道の大半の源流であるが、明治以降の新興神道は縄文時代を源流とせず、ましてや戦後の新興神道は縄文時代とは切り離されて縄文人の心、志、思い、気持ちは絶無である。
その証拠が、利権、利益、金儲けとエコ・テロリストやマイノリティ・ファシズムなどの反宗教無神論・反天皇反民族反日本的イデオロギーによって古の神々が鎮座する自然が破壊されている、つまり日本人の手で「神殺し」が行われているのである。
それは、現代日本人の天皇観・皇室観にもあらわれている。
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天皇の正統性とは、民族中心神話を唯一絶対の根本根拠として、最高神である女神・天照大神に血で繋がる男系父系子孫という世襲血統の事である。
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数万年前の旧石器時代・縄文時代の正統な宗教性は、現皇室の宮中祭祀に遺って受け継がれている。
民族神話には、正統性があっても正当性はない。
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中世キリスト教会は、絶対神の福音を日本に広めて日本国をキリスト教国に生まれ変わらせるべく、日本国内を改宗日本人で満たす為に異教徒日本人を奴隷として海外に売り、その売上金を神聖な使命である布教活動に使っていた。
何故か、キリスト教国では当たり前に行われていた領主・地主や富豪・豪農からの寄進・喜捨・寄付金・免罪符金などの資金援助が異教国日本では得られなかったからである。
それ故に、キリスト教原理主義は異教国日本で非人道的宗教侵略を行っていた。
日本民族にとって、中世キリスト教の行為は「大きなお世話」どころか「とんでもないいい迷惑」であった、それ故にキリスト教を禁教とし、キリシタンを弾圧した。。
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キリスト教の誕生は、イエス・キリストが人々の原罪を背負って処刑された西暦(グレゴリウス宗教暦)から導かれている。
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反宗教無神論のマルクス主義が成立したのは、1847(弘化4)年にマルクスとエンゲルスがプロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った時とされている。
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旧陸軍大将・今村均氏は、中国共産党が60年安保で荒れる日本の日教組、日本共産党、反天皇反民族反日的日本人らに対して日本転覆のカギは「皇室と神社とより隔離」にあるとの指令を出した事を公表した。
「中共の対日工作員である陳宇氏は、我が共産党員である日教組の幹部である赤津益三氏に対し、暗号電報により、6月1日『われわれは、この度の諸君の勇敢なる革新運動に敬意を表する。しかし貴国の革新は、民族をして、皇室と神社とより隔離せしめない限り、その実現は至難と思う』というような指令を打電した」(『修親』昭和41年1月号)。
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2023年2月号 WiLL「東医即妙 死後の世界 岡田明三
死後の世界
死後の世界があるとすれば、われわれ人類は『肉体的な死』をむかえたあとも精神は来世で生きつづけ、『精神的な死』はむかえません。仏教では『極楽浄土』という死後の世界が想定され、人間の精神的な『生』が拡張されました。
仏教にかぎらず、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教・・・いま話題の旧統一教会でも、死後の世界が語られています。人間は弱い生き物なので、何かにすがります。そうして宗教は、前世・現世・来世がを語り、『現世のおこないによって来世が幸せになりますよ』と、現世で苦しむひとびとの救いになってきたわけです。
……
しかし、人類にとって『死』は永遠の謎で、最先端科学をもってしても解明することはできません。
東洋医学発祥の地・中国において、儒教の始祖・孔子が弟子から『死』について問われ、次のような言葉を遺しています。
『いまだ生を知らず、いずくんぞ、死を知らん』
生きていることも十分に理解していないのに『死』についてわかるはずがない──孔子はきっぱりと断言しています。孔子のいうとおり、『死』のことなど誰にもわからないのですから、何よりも大切なのは『生』のほうでしょう。」
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2022年1月1日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「「神道とは何か」は説明できない?神道の枠組みは境界が曖昧な理由とは!?【図解 神道】
「神道とは何か」は説明できない?神道の枠組みは境界が曖昧な理由とは!?【図解 神道】
© ラブすぽ
神道は明確な定義ができない
神道は、古代から続く日本固有の信仰です。なんだ、ちゃんと説明できているじゃないか、と思われるかもしれませんが、実は右の文は「ちゃんとした説明」になっていないのです。たとえば、「古代」とはいつのことをいっているのでしょうか。弥生時代でしょうか、縄文時代でしょうか、それとも日本列島に人が住むようになって以来ということなのでしょうか。また、「固有」とはどういうことでしょうか。外来の要素をまったく含まないということなのでしょうか。しかし、神道には海外から来たとされる神も信仰されています。
そもそも一口に神道といっても、朝廷で行われてきたものと、各地の神社で行われてきたもの、庶民の間で信仰されてきたのでは、さまざまな点で違いがあります。また、時代によっても大きな変化がありました。もちろん、時代によって変化したのは神道だけではありません。どの宗教も何らかの変化を経ています。しかし、仏教やキリスト教などは、神道ほど説明に苦労はしません。
仏教やキリスト教には開祖がいるからです。ですから、仏教は「釈迦が説いた教えに基づく宗教」、キリスト教は「神であるイエスが人々に伝えた教えに基づく宗教」といった説明ができます。しかし、神道には開祖はなく、日本各地で自然発生的に成立したものが、大和朝廷の発展に伴って統合されていったのです。その過程で外来の要素も取り込まれました。ただ、はっきりしていることは神道はいつの時代も日本人の心の拠り所となってきた、ということです。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』監/渋谷申博
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』
著:渋谷 申博
「神道とは何か」は説明できない?神道の枠組みは境界が曖昧な理由とは!?【図解 神道】
© ラブすぽ
「神道には教義がないって、本当なの?」「八百万の神々の中で一番偉いのは、誰?」「鳥はいないのに、なぜ鳥居というの?」神道の起源から日本の神様、開運神社のご利益まで楽しくわかる!古代から伝えられてきた日本の心──神道。その奥深い世界を57項目の素朴な疑問からズバリ解説します。「祭りを行なうのは生命力を更新するため」など、知っているようで知らなかった初耳学が満載!かわいいイラストや図解を交え、はじめての人でも神道の基礎知識がわかり、神社参拝が楽しくなるエンターテインメント雑学教養本です。」
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2023年1月2日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「神道の始まりは、いつ?神道発祥の歴史は謎に包まれている理由とは!?【図解 神道】
ラブすぽ の意見
神道の始まりは、いつ?神道発祥の歴史は謎に包まれている理由とは!?【図解 神道】
© ラブすぽ
古代のことが謎だらけで、よくわかっていない
神道が古代から続く日本人の信仰であることは、誰もが認めることでしょう。しかし、古代といってもいろんな時代があります。日本人の信仰なのだから、日本人が日本列島に住むようになったとき、というご意見もあるかと思います。現在の考古学の成果によると、旧石器時代後期には、日本列島に人が住んでいたことがわかっていますので、この説に従えば、神道の起源も旧石器時代後期以前ということになります。
残念ながら旧石器時代後期の遺物は少なく、当時の人々がどんな精神生活を送っていたのか、詳しいことはわかっていません。しかし、海外の事例なども考え合わせると、死への恐れや死者への追悼に基づく信仰はあったものと思われます。では、それが神道の起源なのでしょうか。
もしそうだとすると、旧石器時代後期に続く縄文時代の信仰も神道の祖先ということになります。土偶や土面、石棒、過剰なまでの装飾が施された土器などが縄文時代の信仰の特徴ですが、これらはわれわれが知る神道とはだいぶ違うように思われます。問題は縄文時代と弥生時代の間に起こった文化的断絶をどう考えるかです。
弥生時代の信仰には穀物の神霊に対する信仰や、鏡・剣を祭祀具とすることなど、神道との共通点が多くみられます。縄文人の信仰は弥生人にも引き継がれて神道に流れ込んでいるのか、縄文文化を駆逐した弥生文化とともに神道が成立したのか。かつては後者の説が有力でしたが、近年は前者の説も注目されてきています。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』監/渋谷申博
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』
著:渋谷 申博
神道の始まりは、いつ?神道発祥の歴史は謎に包まれている理由とは!?【図解 神道】
© ラブすぽ
「神道には教義がないって、本当なの?」「八百万の神々の中で一番偉いのは、誰?」「鳥はいないのに、なぜ鳥居というの?」神道の起源から日本の神様、開運神社のご利益まで楽しくわかる!古代から伝えられてきた日本の心──神道。その奥深い世界を57項目の素朴な疑問からズバリ解説します。「祭りを行なうのは生命力を更新するため」など、知っているようで知らなかった初耳学が満載!かわいいイラストや図解を交え、はじめての人でも神道の基礎知識がわかり、神社参拝が楽しくなるエンターテインメント雑学教養本です。」
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2023年2月号 WiLL「日本人の宗教観 小名木善行
12月になるとよく引き合いに出されるのが日本人の宗教観です。どういうわけか日本人は、12月25日にはどこの家庭でもクリスマスをお祝いし、大晦日になるとお寺さんに除夜の鐘をつきに行き、明けて元日になると初詣に行きます。クリスマスはキリスト教、除夜の鐘は仏教、初詣は神道です。いったい日本人の宗教観はどうなっているのかと、外国人にはとても不思議に思えるのだそうですが、多くの日本人は平気です。
どうしてこのようなことになるのかというと、日本人にとって昔ながらの神道は、神様になる道だからです。人は死んだら神になる。家の守り神となり、村の守り神となり、国の守り神となるというのが、実は縄文以来の日本人の思考です。縄文以来というのには、はっきりとした理由があって、縄文時代の集落の遺跡は全国に何万とありますが、その多くが集落の真ん中に墓地があります。これは生者と死者が共存していたことを表します。人は霊(ひ)が本体、肉体はその乗り物であるというのが、その思考です。ですから亡くなると、肉体は滅んで土に還りますが、魂(霊)は村の守り神となると考えられてきました。仏教ではなくなると三途(さんず)の川を渡って極楽浄土へと旅立ちます。そのため葬式は別れを告げる告別式です。死者は旅装束(たびしょうぞく)でお棺に入ります。ところがどういうわけか日本では、旅立ってしまったはずの方の御霊(みたま)がお位牌に入って家の仏壇に納まります。これは仏教に神道の考え方が重ね合わせって生まれた日本独特の習慣です。
人が死んで神様になるという考え方は、ある意味たいへんに合理的なものです。死んだあとに子や孫たちから『ああ良かった、やっと逝ってくれたよ』と言われるようでは、迷惑がかかります。子や孫たちから『爺ちゃん、ずっと俺たちのことを見守っていてね』と頼られるくらいのお年寄りになりたいものです。これを『かんながらの道』といいます。詰めて神道です。つまり神道とは『神になるための道』です。
神様になることが目標なのですから、そのため、日本人は仏教であれキリスト教であれ儒教であれ、良い教えであればすべて取り入れます。このことは大学受験に例えるとわかりやすい。大学受験には志望校合格への道があります。その道をできるだけ真っ直ぐに進んでいくために、数学ならこの先生、英語ならこの先生、歴史ならあの先生と良い教師に付き、できるだけ良い参考書や問題集で教えを受けます。ですから文字を見れば神道は〝神になる道〟であり、仏教、儒教、キリスト教などは、いずれも、そのための〝教え〟とわかります。
もともと日本に宗教という言葉はありません。宗教という言葉が生まれたのは幕末のことです。幕末の翻訳家たちが、英語の『レリジョン(Religion)』を訳して造語したのが『宗教』です。江戸時代までなんと呼ばれていたのかというと、仏教であれば『宗門、宗派』等であり、神道であれば『かんながらの道』です。『宗』はおおもと、『道』はそのまま道ですから、仏教ならおおもとへの帰結、神道なら神とつながる道です。つまり『かんながらの道』が人の道であり、そのための教えを仏教や、儒教で学んできのです。明治以降はそこにキリスト教も加わるようになりました。
人が正しい生きる道が人道です。人道が大切であることは万国共通の常識です。人道は教えではありません。これが宗教による教えと神様になる道の違いです。
さて大晦日は、もともとは歳神様(としがみさま)をお送りし、明日からはじまる新たな1年のための新しい歳神様をお迎えする準備をするたいせつな日です。ただびんやりと紅白歌合戦を観て過ごすのではなく、家族で道や教えを話し合いながら、新たな歳神様をお迎えする佳(よ)き日にしたいものですね。」
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2023年1月3日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「八百万の神の国/日本には家の中にも神様がたくさんいる!代表的な神様とは!?【図解 日本のしきたり】
ラブすぽ の意見
八百万の神の国/日本には家の中にも神様がたくさんいる!代表的な神様とは!?【図解 日本のしきたり】
© ラブすぽ
家の中を守る神様たち
大昔から日本には、たくさんの神様がいると考えられてきました。山の神様、海の神様をはじめとする自然に宿る神様。稲や田、またそれらを耕す道具に宿る神様。言葉にまで言霊といわれる神様が宿ります。暮らしの中で行なわれてきたしきたりの中にいつも神様がいるように、日常の中でも神様がいつも私たちに寄り添っています。
日本の神様は実は万能ではなく、それぞれに得意分野を持っています。そうした神様たちが持ちつ持たれつ、協力し合いながらお守りしてくれると考えられています。以下は、家の中にいる代表的な神様です。
© ラブすぽ
『図解 日本のしきたり』はこんな人におすすめ!
・お正月飾りは何のためにするのか? ・初詣に行く新年のならわしはなぜあるのか?
・運気を上げる日本のしきたりには、どんなものがあるのか?
と感じている方には大変おすすめな本です。
「運気を上げる」をキーワードに、「春」「夏」「秋」「冬」の1年を通して行われる暮らしの中のしきたりと、成長や長寿などを祝う「通過儀礼」のしきたり、結婚や葬式などにまつわる「冠婚葬祭」のしきたりを解説していきます。また、しきたりの「そもそも」と、古来より受け継がれてきたしきたりの変化、地域色、慶事と弔事のしきたりなど、「しきたり七不思議」的な視点で読者の興味を喚起します。日本人ならぜひとも知っておきたい日本のしきたりを図解でわかりやすくまとめて紹介!
シリーズ累計250万部を突破した「図解シリーズ」の読みやすさ
図解シリーズは、右側に文章、左側に図解で解説という形で構成されているので、本が苦手な人にも理解しやすい内容です。
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図解シリーズには、健康・実用だけではなく大人の学びなおしにピッタリな教養のテーマも満載。さくっと読めてしまうのに、しっかりとした専門家の知識を身につけることができるのが最大の魅力です!
気になる中身を少しだけご紹介!神が依る桜で運気アップ!“お花見”
桜の開花予想から満開までが連日ニュースで報道されるほど、桜の開花はかなり重要な関心事となります。桜の開花が宣言されると今度は満開予想に続き、北上する桜前線を追います。それほど日本人にとって特別な花である桜。日本最古の歌集『万葉集』にも桜の美しさを詠んだ歌が納められ、奈良~平安時代には桜は人々を魅了する花だったことがうかがわれます。しかし花見が広く庶民の楽しみとなったのは、江戸時代になってから。八代将軍・徳川吉宗が飛鳥山(現在の北区)や隅田川の土手(墨田区)などに桜を植樹し、江戸庶民たちが弁当持参で花見に出かけ宴会を楽しむようになりました。桜の代名詞であるソメイヨシノや、花見団子が登場したのもこの頃といわれています。
一方農民たちの間では、春の農作業の前に田の神様を迎える花見が古くから行われていました。春に山から降りてくる神様が田の神様となり、桜に依ると考えられていたからです。桜の「サ」は田の神様を、「クラ」は神様の座る場所の「御座」を意味し、桜は神様の依りしろとされました。花の咲き具合でその年の稲の豊作を占い、満開の桜に豊作を祈願しました。農民にとっての花見は、稲の実り具合に関わる大切な年中儀礼だったのです。そしてこれこそが、花見をするルーツともいわれます。桜の季節にはぜひとも花見をしてその年の吉凶を占い、運気アップにつなげましょう。
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1月7日に七草がゆを食べるのはなぜ?ヘルシーなしきたり“七草がゆ”
「七日正月」ともいわれる1月7日は、五節句のひとつ「人日の節句」です。6日の夜から7日の朝までを「六日年越し」「六日年取り」と呼び、正月七日の朝には7種類の若菜を炊き込んだ七草がゆを食べます。若菜の生命力を体の中に取り入れて、無病息災を祈りました。七草がゆは、中国の官吏が昇進の決まる1月7日に薬草の若菜を食べて立身出世を願ったのがそもそもの始まりといわれています。それが日本に伝わり、平安時代に宮中行事として行なわれるようになりました。当時は七草を汁に入れて食べるならわしでしたが、やがてかゆに入れて食べるようになり、江戸時代には幕府の公式行事に取り入れられました。一般家庭に七草がゆの風習が広まったのもこのころです。
6日の昼に七草を摘んで、7日の朝の朝食として食べられました。春の七草は地域で多少異なりますが「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草」と和歌で歌われるこれらが一般的です。七草を調理する際には、できるだけ大きな音を立ててまな板をたたき、刻むのがしきたり。お囃子まであるそうです。実はこうすることで七草の栄養価を引き出し、余すことなく体内に取り入れる効果も。青葉の少ない冬場のビタミン補給と、お正月のごちそうで疲れた胃腸をいたわる先人の知恵の詰まった七草がゆで、体の中の健康パワーをチャージしましょう。
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日本のしきたりについてもっと知りたくなる興味深い内容が満載!
★春のお彼岸は、あの世とこの世が大接近!?
★お中元は神様へのお供え物だった!
★最強の月パワーお月見(十五夜)
★大晦日は寝ずに歳神様を待つ!?
などなど気になるタイトルが目白押し!
ほかにも、つい誰かに話したくなるようなトピックが満載!知ってそうで知らない、また知ってはいるけど意味までわからない、また意外な風習などを集め、楽しく学べるよう、親しみやすいイラスト図解でお届けします。日本人ならちゃんと知っておきたい「しきたり」や「文化」など知識がビジュアルでまるわかり!
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 日本のしきたり』
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 日本のしきたり』
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「運気を上げる」をキーワードに、「春」「夏」「秋」「冬」の1年を通して行われる暮らしの中のしきたりと、成長や長寿などを祝う「通過儀礼」のしきたり、結婚や葬式などにまつわる「冠婚葬祭」のしきたりを解説していきます。また、しきたりの「そもそも」と、古来より受け継がれてきたしきたりの変化、地域色、慶事と弔事のしきたりなど、「しきたり七不思議」的な視点で読者の興味を喚起します。日本人ならぜひとも知っておきたい日本のしきたりを図解でわかりやすくまとめて紹介!」
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3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
縄文時代 1万2000年~2000年前
数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族・アイヌ民族は生まれていない。
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日本土人である縄文人(ヤポネシア人=旧石器人の子孫)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土、南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海(縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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日本神道の中には、数万年前の旧石器人(ヤポネシア人)・縄文人(日本土人)と数千年前の弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)の宗教観・死生観・人生観・自然観が深層に含まれ、その後の時代によって多くの人が往来する事でインドの仏教、ペルシャのゾロアスター教、中東のユダヤ教、中国の儒教・道教・その他、原始キリスト教・キリスト教、アラブのイスラム教など数多くの宗教に影響を受けている。
それ故に、多神教の日本神道は全ての宗教や如何なる文化をも分け隔てせず差別する事なく寛容に受け入れていた。
人が崇め信じるは神や仏は尊い、と言う事である。
仏教や儒教は同じでも、日本と中国や朝鮮とは全然違う。
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日本民族・琉球民族・アイヌ民族は、数万年前の旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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死生観・人生観・自然観・宗教観は、神道的仏教的な日本と儒教的道教的な中国や朝鮮とは全然違う。
反宗教無神論のマルキシズム、ファシズム、ナチズム、レーニン主義、毛沢東主義は、中華儒教に似ている。
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日本民族は、自分の為社会の為世の為にならないと判断した宗教やイデオロギーを日本から排除してきた。
それが、中華儒教、中世キリスト教、共産主義であった。
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日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
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日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
日本の世襲とは、そういう意味である。
日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造の絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
その象徴が、最高神である女性神・天照大神を祀る天皇家・皇室である。
日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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「今亡き両親や両祖父母などの全ての祖先を神と祀る人神信仰」からすれば、全ての日本民族は神の子孫、神の子である。
その象徴が、神の裔・天皇陛下である。
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人は、二人の両親から産まれてくる。
日本民族の祖先な数は?
日本人の命が尊いわけ。
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祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
14世代前では、8,192人。
23世代前には、419万4,304人。
25世代前では、1,677万人。
27世代前では、1億3,422万人。
だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。
30世代前には、5億3,687万912人。
40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
100世代前の、祖先の人数は?
指数関数的な増加。
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祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
それが、命の重みである。
そして、日本の家である。
昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
この世は、生きるに値する。
命は、等しく尊い。
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日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
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祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
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日本民族の言霊信仰とは、民族中心神話に基ずく自然崇拝であり、宗教的精神的な自然への畏怖つまり畏れと敬い事である。
それは、数千年前の弥生時代・古墳時代から断絶する事なく繰り返されてきた正統世襲男系父系天皇による一子相伝の宮中祭祀、さらには数万年前の石器時代・縄文時代からの日本民族が受け継いだ自然の精霊と生命の永遠に対する崇拝宗教につながっている。
日本民族の伝統宗教とは、精霊崇拝宗教、八百万神の神話宗教、祖先祭祀宗教であって、信仰宗教、啓示宗教ではない。
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小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
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