🕯102)─1─氏神神社と崇敬神社。戦後民主主義教育による神殺し、祖先神殺し、宗教的家破壊。~No.221No.222 ⑳ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
 日本人といっても、日本民族と日本国民とは違う。
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 戦後民主主義教育とは、自由と民主主義を子供に教える事であったが、その実態はキリスト教価値観とマルクス主義価値観・共産主義価値観で教育を支配する事だった。
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 神社本庁 氏神崇敬神社について
 氏神崇敬神社について
 全国の神社については、皇祖こうそ天照大御神をお祀りする伊勢の神宮を別格の御存在として、このほかを氏神神社崇敬神社の二つに大きく分けることができます。
 氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子と称します。
 元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この血縁的集団を氏子と呼んでいました。現在のような地縁的な関係を指しては、産土神と産子という呼称がありますが、地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。
 これに対して崇敬神社とは、こうした地縁や血縁的な関係以外で、個人の特別な信仰等により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。神社によっては、由緒や地勢的な問題などにより氏子を持たない場合もあり、このため、こうした神社では、神社の維持や教化活動のため、崇敬会などといった組織が設けられています。
 氏神神社崇敬神社の違いとは、以上のようなことであり、一人の方が両者を共に信仰(崇敬)しても差し支えないわけです。
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 神社本庁 よくあるご質問(FAQ)
 目次
氏神さまについて
■神棚のおまつりの仕方について
■先祖のまつりについて
■新築・引っ越しをしたら
■その他のご質問
 氏神さまについて
 「氏神さま」って何ですか?
 氏神さまとは、ご自身がお住いの地域の神社(氏神神社)のことで、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子と呼びます。
→もっと詳しく 「氏神崇敬神社について」
 「氏神さま」と「産土神社」と違いはありますか?
 神社のことを「氏神さま」「産土さま」「鎮守さま」と呼ぶことがあります。古くは、氏神は同じ氏族が共同で祀った祖先神を、産土神は人々が生まれ育った土地の守護神を、鎮守神は国や地域、寺院、王城などの場所を守護する神のことを言いました。しかし、これらの神様は時代の変遷とともに、同じ意味に使われるようになりました。
 こうした地縁や血縁的な関係以外で、個人の信仰により崇敬される神社を「崇敬神社」と呼びます。
→もっと詳しく 「氏神崇敬神社について」
 氏神さまは産まれた土地の神様ですか?それとも、今住んでいる土地の神様ですか?
 氏神うじがみさまは、ご自身がお住いの地域の神社のことですので、いま暮らしている土地の神様が氏神さまといえます。出生地の神様も「崇敬神社」として大切にお祀りしては如何でしょうか?
 自分の住んでいる地域の「氏神さま」を知るにはどうしたらよいですか?
 氏神さまは、ご自宅に一番近い神社の場合が多いので、最寄りの神社を訪ねて神職にお尋ね戴くのがよいでしょう。神社に神職が常駐していない場合は、お住いの都道府県の「神社庁」にご相談ください。
→もっと詳しく 「神社庁一覧」
 神棚のおまつりの仕方について
 神棚はどこに設置したらよいですか?
 神棚は南か東向きを基本として、清浄な場所に設けます。家族全員が拝みやすく、大人の目線より高いところに設けるのがよいとされています。住宅事情等により、神棚が設置できない場合は、タンスや書棚などの上を清潔にして、そこにお神札をおまつりするのもよいとされています。
→もっと詳しく 「お神札のまつり方」
 たくさんお神札があって、すべて納めることができません。
 お神札の数が増えて、宮形にお納めすることができなくなったときや、宮形に入らない大きさのお神札は、宮形の横に丁寧に並べておまつりしましょう。
→もっと詳しく 「お神札のまつり方」
 会社に神棚を設けたいのですが、どのようにしたらよいですか?
 会社の事務所などに神棚を設ける場合も、ご家庭の場合と同様の考え方で結構です。神棚の設置にあたっては、氏神神社等の神職に相談し、お祓いをしてもらうのもよいでしょう。
 先祖のまつりについて
 家庭での先祖まつり
 神道ではご先祖さまをどのようにおまつりするのですか?
 家庭での先祖のおまつりは、神棚とは別に御霊舎みたまやで行います。これは仏式でいう仏壇にあたるもので、祖先の霊が鎮まる霊璽れいじを納めるところです。初めておまつりするときは、まず氏神神社等の神職に相談をしてみましょう。
→もっと詳しく 「祖先のおまつりについて 祖先のおまつりの仕方」 
 お供えはどのようにしたらよいでしょうか?
 神棚へのお供えと同じく、お米、お酒、塩、水等をお供えします。おまつりされている方の、生前の好物をお供えするのもよいでしょう。
 神道にもお盆やお彼岸はありますか?
 神道でもお彼岸やお盆にご先祖様をお迎えします。「お彼岸」や「お盆」の文化は、仏教・神道の垣根をこえた日本の風俗習慣に基づいているからだと考えられています。
→もっと詳しく 「祖先のおまつりについて お彼岸とお盆について」 
 お身内の方が亡くなられたとき
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 2000年5月13日 日本共産党 しんぶん赤旗氏神信仰をどうみる?
 〈問い〉 日本共産党は、氏神信仰をどうみていますか。また、地域の神社の祭事などの経費を町内会で集めることについてはどうですか。(長野・一読者)
 〈答え〉 日本共産党は、神社神道(しんとう)をふくむ宗教について、その信教の自由を全面的に保障する立場を早くから明らかにしてきました(第十二回党大会第七回中央委員会総会決議「宗教についての日本共産党の見解と態度」、「自由と民主主義の宣言」など)。また、綱領には、「党は、信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をめざす」ことを明記しています。
 氏神とは、もともと氏族をまもる祖先神や守護神のことですが、後に土地の住民をまもる産土神(うぶすながみ)として、また鎮守(ちんじゅ)の神とも呼ばれて信仰されてきたものです。これが、戦前の国家神道のもとで、天皇家氏神である伊勢神宮を頂点とする組織に再編され、地域の住民はすべて、その土地の氏神の氏子(うじこ)とみなされて、天皇崇拝と軍国主義に利用されました。ですから、氏神信仰については、素朴な習俗、慣習の側面とともに、こうした歴史的側面があることも見る必要があります。
 また、町内会には、当然、信仰にたいする考え方の違う人たちが参加しており、そこで集めた費用を特定の宗教(神社)に支出して、その宗教行事である神社祭礼の費用に使うことは、信教の自由を侵すことになります。神社祭礼も、他の宗教が宗教行事をおこなう場合と同じように、その神社の信者としての氏子なり崇敬者なりが、主催・関与するのが当然であり、それへの協力は、住民の自由意思によるべきだと考えます。(豊)
〔2000・5・13(土)〕」
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 HOME > 知識・作法 > 神主が教えるスピトリビア > 巫女と神主の違いは? 檀家と氏子って何? 意外と知らない神社の基礎知識
 知識・作法
 神主が教えるスピリチュアルトリビア【第15回】
 巫女と神主の違いは? 檀家と氏子って何? 意外と知らない神社の基礎知識
 2012.01.17 火
――神社に参拝するときは、何よりも失礼がないようにするのがご利益への第一歩。ただ、参拝のルールやしきたりは意外と知らなかったり、年中行事の多くが神社と深くかかわっている、なんてこともあまり知られていなかったりします。神社について知っているようで知らないことを、神主さんや神職者の方に教えていただきましょう。
 【第15回 お寺と神社、神主と巫女違い】
■檀家制度と氏子制度
 いわゆるお寺には「檀家」という制度があります。檀家とは、布施などの経済的援助を持続して行い、特定の寺院に所属する家のことで、お寺はその家の葬式・法事などを行います。同じように、神社には「氏子」がいます。本来は氏神を祭っていた氏族の子孫の意味でしたが、時代が移るにつれ氏神を祭る地域に住む人が神社を参拝するようになり、共同の祖先神をまつる人々を「氏子」と呼ぶようになりました。
 「氏子」は、その神社の周辺に住み、お参りしていれば誰でもなれますが、一般的に、誕生や転居等の際、「氏子入り」という儀式を経てなるとされてきました。「お宮参り」をもってこの儀式と代えることも多いそうです。最近では氏子の募集を広く行っており、「崇敬会」という会員組織に入会することも可能です。
 また、氏子が参加する代表的行事といえば毎年の例祭ですが、この祭りを宮司とともに取り仕切るのが「氏子総代(うじこそうだい)」です。
 氏子総代は、神社の祭礼にあたって神職に協力したり、氏子や参拝者のお世話をしたりすることもあります。氏子のうちの徳望が篤い人物の中から宮司が選任することとなっている場合が多いようです。
 神輿が有名な神田明神の氏子地域は広範囲に渡り、日本橋人形町まで神田明神の氏子地域に当たります。氏子にはお祭りのはっぴが支給され、神輿を迎えるそうです。
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「氏子」の解説
 氏子 うじこ
 氏神(うじがみ)を信奉する人々のことであるが、氏神の変遷に伴って、現在では神社の信仰圏を形成する人々をさす。古代の氏神は氏長(うじおさ)を中心に春秋の二度にわたって祭りが営まれていた。その祭祀(さいし)を支持する一族すべてが氏人(うじびと)として参加していた。その祭祀集団が自然に血縁的な関係になっていたので、そこで祀(まつ)られる氏神が一族つまり血縁集団の崇拝する神ということになっていたと考えられる。それゆえに氏神ともよばれていたのであろう。つまり古代の氏人は氏族すべての者をさし、それがそのまま氏神の祭祀集団を構成していたのである。現在使われている氏子という名称は、平安末期から中世にかけて文書に出てくるようになる。そして、それまでの氏人にとってかわり、中世以降に氏神の祭祀構成員を意味するようになった。氏神の内容そのものが、古代の氏神からしだいにムラの守護神とみなされるようになると、産土神(うぶすながみ)や鎮守神と同一視されるようになり、氏子そのものも一定地域に即した地域的な祭祀集団を意味するようになった。
 現在は氏神とかお宮といえば神社を対象としている。それを信奉する氏子は地域的に限定されるので、同じ地域に二つ以上の社(やしろ)をもつことはない。ただいくつかの村落がまとまって郷として機能している場合には、自らの属するムラの氏神と郷の氏神との二重氏子という形をとることになるが、通例はいずれかに力点が置かれているものである。とにかく、今日的にはムラの神として機能する氏神はムラという一定の地域の守護神として存在しており、氏子はその地域における祭祀集団ということになっている。そしてなんらかの形でその祭祀に関与することになるのである。
 ところで、どのような氏神でも、氏子中(うじこじゅう)からとくに世話役として氏子総代が選出され、その管理、運営にあたる。氏神がムラの物事いっさいの中心であるような土地柄では、ムラ寄合(よりあい)を兼ねた氏子寄合などで選出されることになる。一定の任期をもつ輪番制であったりするが、社の清掃、神主の世話、祭礼の運営の責任者となる。また、もともと氏神の祭りに専業の神職が必要だったわけではない。神主などの神役は、氏子のなかから出ていたのである。それが日常生活の複雑化や祭祀形式の多様化に従って、専門の担当者を必要とするに至ったのである。それ以前の、氏子が交代で祭祀を営む形態は、宮座(みやざ)における一年神主や頭屋(とうや)などにみることができる。宮座というのは、伝統を守って祭祀を執り行ってきたもとからの氏子集団が、新しく転入した人々に対して特権的なものとなったときに称するものである。座ともいうが、氏神を中心にした関係からとくに宮座とよばれている。こうしたものとは本質的に異なるが、氏子間に共通した風習もみられる。たとえば、東京近郊の大鷲(おおとり)神社の氏子はその名にちなんで卵はもとより鶏肉も食すことはないという。また、切り口が天王神社の紋に似ているというのでキュウリは食べないといったような食物禁忌を伝える事例は各地に残っている。
 氏子としての承認を受ける機会であるが、赤子が誕生して忌み明け後の初宮参りを、氏子入りとするのが一般的である。赤飯などを携えて神社に参る。その際に、赤子をつねってでも泣かせて氏神にその声を聞いてもらうなどという事例が顕著である。氏子入りが同時に地域社会の一員として承認されるという儀礼でもある。土地によっては7歳になってようやく氏子入りするという所もある。そうした土地ではそれまでは神の子だからといった解説がなされている。また、嫁入りなどの際に氏神を訪れるのも、氏子への加入と同時に、その共同体の一員として承認を求める初宮参りと同様の感覚からきているものであろう。なお、誕生や婚姻に伴う氏子入りだけでなく、他所からの移住によって氏子入りが必要となることもある。ムラに移住するときには、そこでの共有財産の使用権などが絡んでくるので、氏子入りが同時にムラ入りや株入りを兼ねることになる。
 昨今の都市部のように転住が頻繁に行われるようになると、氏神と氏子との結び付きがどうしても希薄になる。そのうえ、場合によっては氏子入りする神社が兄弟姉妹の間でも異なるという現象が生じてくる。したがって、氏子ならば当然の義務とみなされていた氏神への奉仕も、有志の寄付金に象徴されるような形で求めざるをえなくなっている。さらには、管理や運営をめぐって、地元民と移住者との対立が生じることもある。
 [佐々木勝]
 [参照項目] | 氏神
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「氏子組織」の解説
 氏子組織 うじこそしき
 地域社会の守護神あるいは産土神 (うぶすながみ) として祀られている氏神を,氏子である村人が共同で維持するために構成した組織。祭礼などを通じ,一つの集団としての団結強化をはかるうえで大きな役割を果した。組織総代に村落の有力者が就任することにより,階層的支配の機能も果した。また近畿地方などでは,氏子のなかから神を祭祀する宮座を発達させてきた地域もある。氏子組織は地域組織と一体化している場合が多いが,都市化による転入者の増加によって,両者の組織を分離する地域も出てきた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 同じ東洋・アジアといっても、日本固有在来種の氏子・氏神神社とインド発祥外来種の檀家・菩提寺とは根本的に違う。
 両者とも、古代儒教や古代道教などの中国発祥古代思想の影響を強く受けているが、中国共産党統制下で古代中国を否定する現代中国とは無関係である。
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 宮中神道である子孫による氏神神社伊勢神宮)と神社神道諸派神道である崇敬者と一般参詣者による町内会神社・地域神社、産土神社、鎮守神社とは違う。
 全ての神社の神様に正統性を保証し、神聖不可侵の神秘性や神性・神格を与えているのは宮中神道である。
 憲法・法律は、宗教法人として神様や仏様の合法的正当性を認めるが、神聖不可侵の神秘性、神性・神格、仏性を保証しない。
 日本では宗教における正統性と正当性とはハッキリいって違い、正統性には魂・霊魂があるが、正当性には魂・霊魂はない。
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 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
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 現代日本人とくに反宗教無神論を持つ高学歴な知的エリートや進歩的インテリは、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力さらには価値観、人生観、倫理観、死生観、死後観などがなく、当然の事ながら民族の歴史・宗教・伝統・文化が理解できず嫌いである。
 現代日本では、反天皇反民族反日本勢力であるマルクス主義者・レーニン主義者・共産主義者そして一部のキリスト教徒などによる神殺し、仏殺しそして祖先殺しが進んでいる。
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 日本には、グローバルな奴隷制度はなかったが、ローカルな日本人奴隷はいた。
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 戦国時代を生きていた民衆は、合戦の度に乱取りで捕まった女子供を、各地の奴隷市で日本人商人に大金で売り、日本人商人は買った日本人を中世キリスト教会・イエズス会などの宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
 日本人は、人間ではなく商品であった。
 白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として世界中に輸出して金儲けしていた。
 現代の日本人は、捕らえた日本人を奴隷として白人キリスト教徒奴隷商人に売って大金を手にした民衆の子孫である。
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 日本列島は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代で起きた甚大な巨大災害で幾度も絶滅しかけたが、日本列島から逃げ出さず、日本列島に踏み留まって生きてきた。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
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 氏神神社氏神崇拝・氏神信仰とは、日本民族の血の繋がり命・魂(霊魂)、心・精神、志・気概、気持ち、身体を祖先から受け継ぎ子孫に残す事である。
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 日本民族の祖先であった日本土人縄文人は、墓地を中心に置いて集落を造り、墓に向かって祭祀を執りおこない、死体と共に、死者を見詰めて生活していた。
 日本土人縄文人にとって、生きる物は全て死に、死ぬ事によって蘇りが約束されると信じていたからである。
 死とは、分かれる辛さはあるが、忌み嫌うべきものではなく、新しい肉体と命を与えられて家族・村人の中に生まれる事であった。
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 日本神社は、氏神の子孫の氏子、氏神神社の町内会・地域の住民、崇敬者、一般参拝者の4者で支えられているが、そこに祭祀や崇拝はあっても信仰は存在しない。
 皇室神道であれば、氏子とは最高神の女性神天照大御神の血筋・血統の万世一系の男系父系天皇家旧皇族旧宮家であり、町内会・神域とは日本列島であり、崇敬者は日本民族であり、一般参拝者は日本国民である。
 皇室神道の正統性は、八百万の神々を生み神格を与えてた天皇神話・高天原神話・天孫降臨神話・民族中心神話・諸神話などの日本神話である。
 日本の宗教とは、畏れ・畏敬・敬虔・崇拝の祭祀宗教であって信仰・絶対服従の契約宗教ではない。
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 氏神信仰とは、今を生きる子孫が命と血、魂と霊魂の繋がった実の祖先を神として祀る人神崇拝である。
 仏教は、実の祖先の魂と霊魂を仏として弔う。
 祖先に善人がいようと悪人がいようと、等しく、分け隔てなく無条件で祀り・弔う。
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 氏神・氏子崇拝のルーツは、数万年前の石器時代ヤポネシア人(石器人)、縄文時代の日本土人縄文人)まで遡る。
 そして、同種同族である琉球民族の御嶽(うたき)やアイヌ民族のカムイに共通性、類似性がある。
 日本神道氏神・氏子祭祀は、中華儒教の祖先崇拝とは全然違う。
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 ウィキペディア
 氏神は、日本において、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のこと。同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士を氏子(うじこ)という。現在では、鎮守(ちんじゅ)ともほぼ同じ意味で扱われることが多い。氏神を祀る神社のことを氏社という。
 本稿では、氏神・鎮守・産土神・氏子などについて記述する。
 概要
 氏神
 本来の氏神は、読んで字のごとく氏名(うじな)の神であり、一族一統の神であった。古代から、その氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった。例として、中臣氏は天児屋命・建御雷神、忌部氏天太玉命、宇佐氏は八幡神物部氏須佐之男命・経津主神、三輪氏は大物主神諏訪氏建御名方神、安曇氏は綿津見神を祀る。
 中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰する者を「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称する。
 鎮守
 鎮守(ちんじゅ)は、その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のことである。平安時代以降になると荘園制が形成され貴族や武士、寺院などの私的領地が確立され、氏族社会が崩壊し氏神信仰は衰退する。荘園領主達は荘園を鎮護する目的でその土地の守護神を祀るようになる。これが鎮守である。室町時代の頃に荘園制が崩壊するとその信仰も衰退し、氏神に合祀され今日に至っていることが多い。
 産土神
 産土神(うぶすながみ)はその者が産まれた土地の神であり、その者を一生守護すると考えられている。生涯を通じて同じ土地に住むことが多かった時代は、ほとんどの場合産土神と鎮守は同じ神であった。ただし、現在は転居する者が多いため産土神鎮守神が異なる場合も多い。
 この氏神信仰は七五三などで見ることが出来るが、子供のお宮参りは本来氏神にお参りして、その土地の一員になることを認めてもらうための儀式の一つだった。
 氏子
 通常、氏神と氏子という関係は、生家の氏神や地元にある神社にて氏子入りをすることにより生じる。お宮参りが産土神(うぶすながみ)という、生まれた土地の神に対して行われる様に、多くの場合において、産土神氏神とすることが多い。
 お宮参りと氏子入りの儀式は必ずしも同一ではないが、前述の通り、氏神産土神の区別がなくなって以降、お宮参りが氏子入りを意味する場合が多くなった。よって、お宮参りにおいて、氏子である証明の氏子札を授与されることが一般化している。一方で代々に渡って氏神を崇敬したり祭事に従事したりする家系でない者は、お宮参りをただ慣例的に行っている場合が多く、氏子の意識や自覚を持たない場合も多い。
 また、婿入りや嫁入りにより、改めて婚家の氏神に氏子入りの儀式をする場合も多い。最近では、祭事に従事する人口も高齢化し、祭事に加わる氏子も減っているためか、氏子の務めである神事祭事と崇敬への取り組みも形式的となっているが、神棚に神璽や氏子守を納め、家中でお供えすることに留めることも多い。
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 1月31日20:00 MicrosoftNews クロワッサン「お寺との違い、お勧めの時間帯、氏神様とは? 知っておきたい神社との付き合い方。
 イラストレーション・砂川ちさき 文・田村幸子
 神社開運コンサルタントの白鳥詩子さんに教わる、”神社のトリセツ”。知っておきたい心構えや礼儀作法とは?
Q.神社とお寺は、そもそもどう違うのですか。
 神社は神様をお祀りしている場所で、お寺はご先祖の御霊(みたま)をお祀りしているところ。大きな違いはそこにあります。
 なぜ、〝寺社〟と一緒にしがちなのか。それは10世紀初頭から明治元年まで存在した「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」に由来します。
 それまでは神社とお寺が同じ敷地に混在していました。しかし、明治新政府の政策で「神仏分離令」が施行されました。その名残が東京の浅草寺や愛知の豊川稲荷です。神社にお参りすると「ご利益がある」という人がいますが、実は「ご利益」は仏教用語。神社では「ご神徳」というのが正しいのです。
Q.神社に参拝するのに、お勧めの時間帯、 避けたほうがいい時間帯はありますか。
 神様のパワーがもっとも強まるのは、朝。それも日の出から7時台までがよろしいでしょう。朝8時を過ぎると、人々が動き始めて生活音が聞こえてきます。その前の静寂に包まれた時間に神社にお参りすると、気持ちも清々しいし、神様に願いが届きやすいように感じます。
 私が京都から上京してきたころのこと。毎朝、開門と同時に明治神宮にお参りしていました。大きな神社には開門があって、だいたい日の出の時間帯です。
 なぜ日の出の時間帯かというと、八百万(やおよろず)の神々の総括神である天照大神アマテラスオオミカミ)が、太陽の神様だから。天照大神様が昇るころは、神社の神様たちも朝の光を浴びてパワーに満ちているのです。おうち参拝なら、日の出の時刻を調べて太陽を拝むのがお勧めです。
 神社にお参りするのを避けたほうがいいのは、黄昏時から夜にかけて。昼と夜の「境」が薄くなるころは、「逢(お)う魔(ま)が時(とき)」。
 魑魅魍魎(ちみもうりょう)がうようよいるので、知らないうちに禍をもらってしまいます。夜に神社にお参りしていいのは、お祭りと大晦日くらい。そのときは、神社の本殿が開いていて神様が守ってくださるから大丈夫なのです。
Q.氏神様を大事にしなさい、とよく聞きます。氏神とはそもそもなんでしょう。どうすれば自分の氏神がわかりますか。
 氏神様とはあなたの先祖を代々守ってきてくださった神様のこと。「氏」とは「姓」のことで、生家の氏をたどるとわかります。
 結婚などで姓を変更した人は変更先の氏を。現在では祖父母、父母と居住地も転じていて、わからない人がほとんど。氏神がわかるのは、神職やその土地に代々暮らしている人だけ。95%の人が氏神様が判明しないというデータもあります。そこで現在は「住居がある場所の土地神を氏神とする」となっています。また、総括神の天照大神は日本国民すべての総氏神様です。
 大切にされるとよいと思う神社は、氏神様と、現在住んでいる土地を守ってくださっている土地神様。そして最後に、この世に生を受けた時から自分を守り続けてくださっている産土神様の3神がお祀りされている3社です。この3社にお参りすることを「三社詣り」と呼んでいます。
 転居したばかりで土地神神社がどこかわからない、産土神社がどこか聞いたことがないという人は、各都道府県の神社庁のホームページにアクセスしてみてください。住所を入力するとわかるケースもあります。
 あなたの人生を変える、氏神・土地神・産土神神社の調べ方。
氏神神社●初代のご先祖様の出身都道府県の神社庁HPへ。
土地神神社●現住所の都道府県の神社庁HPへ。
産土神神社●7歳まで過ごした都道府県の神社庁HPへ。
 それぞれ、都道府県の神社庁HPにアクセスすると、その地域の神社が表示されます(住所で絞り込めるHPもあり)。近くの神社へ出向き神主さんに自分の住所を伝え、この神社が土地神神社ですか、と聞いてみましょう。ご両親や近所の年配の方に聞いてみるのもよいでしょう。
 どうしてもわからない場合は、日本国民すべての総氏神様である天照大神様がお祀りされている近所の神社へお参りすれば問題ありません。
 京都の祇園祭にかかわる神社と所縁(ゆかり)が深い家に生まれた白鳥詩子さんは、物心がついたころからずっと、神社や神様が暮らしの中心にあったそう。
 「神社とそこに祀られている神様のことをもっと知っていただきたいのです。なぜ、ここに神社があるのか、その神様はどの神様の子どもで、どんな経験をされてきたのか。『古事記』を読むとわかります」
 これらの神様や神社にまつわる“基本”をそっちのけで「どうすれば、ご利益がありますか?」「一生懸命お願いしているのに神様はちっともお願いを叶えてくれない、嫌われてるのかな」と相談されてとまどうことも。
 「そもそも神社は、『神様、いつも見守ってくださりありがとうございます』と感謝の気持ちを伝えにいくところ。そのあとで『こんなことを考えています。うまくいきますか?』と問いかける。おみくじを引いて回答や助言をもらうのは、神様との交流であり対話です。
 “基本”をよく理解して、どうすれば神様が喜んでくださるかを考えてお参りすると、願いが神様に届きやすく結果的に叶うのが早まるようです」
 白鳥詩子 さん (しらとり・うたこ)
 神社開運コンサルタント
 神社を守る家系に生まれ、11歳で巫女デビュー。巫女の経験を活かした「正式参拝のお作法を学ぶ神社ツアー」を開催。神社本『神社で引き寄せ開運』(三笠書房)などの著書も多数。
 『クロワッサン』1060号より」
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 ジョイ明日ライフ
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 氏子とは?引っ越ししたらどうなる?なる方法ややめる方法は?
 更新日:2017年9月28日
 町内会や祭りの時に話題になる「氏子」。
 そもそも氏子とは何なのでしょうか?
 引っ越ししたら氏子ではなくなるのでしょうか?
 そんな氏子に関する疑問にお答えしたいと思います。
 そもそも氏子とは?
 古来、氏族ごとに祖先神を祀り、後にそれを氏神と呼ぶようになりました。
 そもそも氏子とは、その氏神の周辺に住み、その神を信仰する者のことを言いました。
 まだ、生まれた土地で生き、死んでいった時代。氏子とは、その村に生まれ、生き、死んでいった「村人」と同義であったのです。
 ある氏神が守る地域で生まれた子供は、その氏神様の神社にて「氏子入り」をすることで氏子となります。
 その後、七五三やお宮参り、そして、収穫を祝い氏神様へ感謝する秋祭りなどへ氏子として参加することで、氏子としてのアイデンティティーを強めていきました。
 それでは、就職や転勤など、住む場所が頻繁に変わってしまう現代において、氏子とはどういった人々を指すのでしょうか?
 現代における氏子とは?
 現在、日本全国には8万もの神社があると言われています。
 そのほとんどを統括する宗教団体「神社本庁」では、それらの神社のうち氏神神社と呼ばれる神社の周辺に住む人を全て「氏子」としています。
 つまり、好むと好まざるとにかかわらず、日本国内に居住する者は全て「氏子」として数えられているということです。
 ちなみに、神社の中には氏子を持たない神社もあります。これは、神社の維持や教化活動の為に「崇敬会」という組織が設けられていて、崇敬神社と呼ばれています。
 崇敬神社はもともと氏子を持ちませんので、この神社の「氏子」になることはできません。
 さて、では、あなたはどこの神社の氏子なのでしょうか?
 ちょっと気になりますよね。
 あなたがどこの氏子なのかは、神社本庁の「神社庁一覧」からお住まいの都道府県の神社庁にお尋ねになるのが一番確実です。
 ⇒神社庁一覧
 ところで、氏子として何かしなければならないことはあるのでしょうか?
 例えば、町内会などの方が、「氏子会費」を徴収に来られることがありますが、あれは支払いの義務はあるのでしょうか?
 厳密に言えば、氏子会費に支払いの義務はありません。
 でも、町内会の一環として行われる左義長などの神道系行事や神社のお祭りなど、地域の交流の場への必要経費だと考えれば、町内会費を払うのと同じような感覚でお支払いするのが良いのかもしれませんね。
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 天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少ない。
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 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
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 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
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 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
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 日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
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 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
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 小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
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 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
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 H・P・ラヴクラフト「人類の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である」
 人類は、恐怖に打ち勝つ為と真理を究める為に宗教を編み出した。
 最強の恐怖とは「死」であり、究極の真理とは「生」である。
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 明治政府は政治の近代化とは宗教の排除であるとして、近代の西洋哲学と啓蒙思想そして儒教を利用して宗教統制・宗教弾圧を行い、国民の廃仏毀釈を黙認し行政の神社合祀を断行した。
 廃仏毀釈の原因となった神仏分離令は、明治元(1868)年に発せら、仏教寺院が持っていた広大な境内と荘園が没収された。
 国家神道は宗教ではなく、神への信仰ではなく神社での拝礼のみであった。
 神道国教化政策の一環として、明治元(1868)年に神仏分離令を発して「廃仏毀釈」が起きた。
 明治39(1906)年 一町村一社を原則に統廃合を行う「神社合祀令」を出し、3年間で全国各地で4万社もの神社が取り壊され、大正2年頃には19万社から12万社にまで激減した。
 廃止された神社の神域は、国庫に納められるか民間に売却され、神の御所として護られていた自然は乱開発で破壊された。
 儒教は、マルクス主義と同様に反宗教無神論であり、宗教弾圧であった。
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 明治後期から大正期にかけて自然主義文学運動が起き、近代の西洋哲学と啓蒙思想キリスト教マルクス主義共産主義が加わり民族の歴史を攻撃排除した。
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