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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ルネッサンス第2波は、江戸時代の日本で生まれ、明治時代頃からさざ波のように世界へと静かに広がっていった。
戦後の日本、現代の日本人には関係ない事である。
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古代から日本を霊性・神性で守ってきたのは、唯一、日本の統一を成し遂げたヤマト王権の大王=天皇と民族宗教=神道であった。
それが、天皇の国事行為である「祈り」の真の意味である。
それ故に、大和王朝の天皇と民族宗教を否定する反宗教無神論・反天皇反民族反日本の日本人達。
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『教養として知っておきたい「宗教」で読み解く世界史』
宇山卓栄 著 日本実業出版社
「序文 宗教地政学」
──宗教勢力の攻防が歴史の本源
♦国家以前に宗教がある
古来、支配者はその支配のツールとして、領土、資源、技術の3要素を掌握しました。領土を拡大し、物的・人的資源を獲得し、優れた技術を習得し、経済や軍事で、他者よりも優位に立とうとします。
これら3要素は目に見えるハードツールですが、これ以外に、目に見えないソフトツールとして強大な威力を持つのが宗教です。人間は個人、部族、民族の単位ではバラバラな存在ですが、宗教によって思考や思想を共有し、1つの価値理念に向かって協働することができます。
宗教のもつ協働作用は人々を統合するために使われると同時に、他勢力を自勢力に取り込むにも使われました。協働作用は内にも外にも有効に機能しました。協働作用をうまく使いこなした支配者は栄え、使いこなせなかった支配者は滅びるというのが歴史の一般原則です。
歴史上、有能な支配者は領土を拡張すること以上に、宗教を拡張することに力を注いで協働者を増やし、実質的に彼らを被支配者として取り込んでいきました。その意味において、宗教勢力の攻防こそが歴史の本源であり、国家の攻防は、それが表面に現われた現象的にすぎないのです。国家以前に宗教があるといえます。
キリスト教はローマ帝国の統合に利用されました。……
……
今日、イスラム教徒の数は世界的に増え続けており、今後、半世紀以内に、キリスト教徒の世界人口を超えると見られています。イスラム教徒が移民となって、キリスト教地域に押し寄せていますが、ヨーロッパの保守派たちは自分たちのコミュニティが破壊されるとして、イスラム教徒移民を排除すべきと訴え、支持を拡げています。
♦宗教は公然性を伴った工作と支配のツール
キリスト教の宣教師たちは世界各地で布教を行い、信徒を協力者(内通者)にして情報を得たり、内乱を起こさせたりしていました。宣教者布教によって人々を救済するという建前を説いていましたが、実質的に、侵略の先兵として工作活動を公然と行いました。
一神教であるキリスト教は自らを絶対化し、異教の存在を許しません。邪宗に捕らわれている異教徒を解放することは崇高な使命であり、凶悪な侵略とはされなかったのです。
イエズス会の宣教師で、日本にもやってきたアレッサンドロ・ヴァリニャーノは1582年、マカオからフィリピン総督宛に手紙を送り、以下のように言っています。
『東洋における征服事業は霊的な面だけではなく、それに劣らず陛下(スペイン王フェリペ2世のこと)の王国の世俗的な進展にとっても益するものである。それらの征服事業の中で最大のものの1つは、閣下(スペインのフィリピン総督のこと)のすぐ近くにある、このシナを征服することである』
ヴァリニャーノはまず中国を征服すべきと言っています。当然、日本も征服すべき対象に入っていました。ただし、日本は、軍事力が高く、規律統制が取れているため、征服は難しいというのが宣教師たちの一般理解だったようです。
彼らの野心を、豊臣秀吉は当時の国際情勢の正確な認識に基づいて見抜いており、伴天連(バテレン)追放令を出しています。徳川家康もまた、キリスト教の布教を許可しませんでした。一方で、商業国家オランダの情報を把握し、交易を許可し、商業的利益のみを確保しました。
明治政府は開国とともに、キリスト教の布教を黙認しましたが、それに対する防御策として、日本古来の天皇を中核とした神道を事実上の国教とし、国内のナショナリズムを称揚しました。
♦中国、東アジアの宗教地政学
凶悪な侵略性を有していたのはキリスト教だけではなく、中国の儒教ももちろん、そうでした。儒教は中華思想と結び付き、その受容を対外的に強制しました。そうした宗教侵略に、最も侵されて、中国の属国になっていたのが朝鮮でした。
朝鮮各地に、儒林(ユリム)というものがありました。儒林は表向きは儒学者たちが集う儒教教育機関でしたが、その実態は中国(明・清王朝)の出先機関でした。儒林は中国のスパイを養成し、中国文化を賛美するように洗脳教育を人々に施しました。
李氏朝鮮時代、儒林の数は増え続け、19世紀には、全国に680もの儒林が存在していました。中国の後ろ盾をもつ儒林は各地において、事実上、地方行政を取り仕切っていました。そして、朝鮮の支配層は儒教的な価値観に基づいて、中国に従属することこそが美徳であるとする事大主義に拘泥(こうでい)していました。
アジアの現在の情勢に目を転じてみると、中国共産党がウイグル人のイスラム教やチベット人のチベット仏教に対し、苛烈な宗教弾圧を加えています。彼等にとって、宗教こそが中国に抵抗する最後の砦です。これを失えば、中国に服属する以外にありません。
中国共産党は宗教のもつ協働作用、その結束の強靱さをよくわかっているので、宗教の封殺を最優先事項とし、残忍極まる手法で徹底しています。
彼らのやっていることは宗教文明の絶滅政策です。宗教や民族の異なる勢力を、自勢力の支配領域に組み込むとき、歴史上の国家は共存共栄の協調政策を取りました。イスラムのオスマン帝国がキリスト教徒やユダヤ教徒に対し、信仰の自由を認めたことなど、その典型例です。宗教寛容が失われるとき、必ず、激しい内戦が起こり、被弾圧者は分離独立していきます。
中国は宗教や民族の異なる地域を何の根拠もなく支配して、それらを不法に弾圧しています。本来、中国の支配が及ぶべきではない独立文化圏はウイグルやチベットだけでなく、図のように、内モンゴル自治区(チベット仏教)や雲南(少数民族の仏教)などにも及びます。
♦宗教は安全保障に直結する
宗教は古今東西、公然性を伴った対外工作と支配のツールとして、政治的に利用されました。宗教は安全保障問題に直結する重要政治課題です。日本人の多くが宗教を個人の内心の問題と考える傾向がありますが、そのような性善説的な認識では、悪意に満ちた国際社会の中で生き残ることはできません。
宗教は対外脅威と結び付きやすく、そこから、目に見えない形で社会が侵食されていきます。
中国人が北海道などの日本の土地を買い漁っており、こうした領土の侵食は、見ればわかりますが、宗教を媒介にした心の侵食は目に見えないので、いっそう恐ろしいのです。
私自身の経験でもこんなことがありました。国会議員の選挙の手伝いをしていると、ある集団が現われて、ポスター貼りやビラ配りを協力してくれ、演説会場では、会場設営の椅子並べや荷物運びを手際よくこなした。ずいぶんと選挙に慣れている連中だなと思い、彼らに、あなたはたちは何者なのかと問いました。某国に本部を置く宗教団体でした。国会議員の中には、こうした宗教団体の支援を受けている者が与野党問わず、少なくありません。
中国には、宗教への外国勢力の支配の排除を規定した法律があります(Chapter1参照)。しかし、日本には、こうした法規制がなく、丸腰状態です。宗教を対外脅威と捉える認識が根本的に欠落しています。
宗教は工作と支配のツールであり、支配者の政治的便宜性に寄与するものです。本書では、各宗教の歴史的な攻防と地政学上の展開を追っていくことで、その本質(とくに一神教)が巧妙な詐術と強奪の覇権力学によって、徹頭徹尾、貫かれたものであることを暴いていきます。
『宗教は救済』などという従来の性善説から脱却しなければなりません。そして、宗教が内在させる凶悪性を直視することによってのみ、われわれ日本人が対外的な宗教覇権にどう対応していくべきかという道が見えてくるのです。
第1部 東アジア
─中華秩序の脅威─
Chapter1
中華の膨張に誰が屈し、誰が屈しなかったのか
【コア地域=中国】儒教文化による中華思想
……
Chapter2
儒教が覆い隠した属国の哀れ
【a地域:従属】朝鮮の儒教
……
Chapter3
神道と天皇を中核とした日本文明の独自性
【b地域:対抗】日本神道
♦神道というリアリズム
日本は歴史的に、キリスト教徒の数が人口の1%を超えたことがありません。現在でも、カトリックとプロテスタントを合わせて100万人程度です。日本には、キリスト教系のミッション・スクールも全国に数多くありますが、その卒業生の多くもキリスト教徒にはならないのです。
キリスト教は16世紀に日本で布教されます。宣教師フランシスコ・ザビエルは日本人に布教するのは難しいと書き残しています。日本人の知的水準は高く、ザビエルら宣教師は質問攻めにされたといいます。
日本人は『全知全能の神』という表現に食らいついて、『全知全能ならば、なぜ、苦しんでいる人間が多くいるのに救わないのか?』『全知全能の神がなぜ、悪を退治することができないのか?』『あなた方はあなた方の神を信じる者だけが救われるというが、それならば、その神を信じていなかった我々の祖先はどうなるのか?死んでしまった人は改宗することもできない』などと問い質し、宣教師たちを大いに困らせたようです。
キリスト教の人為的な一神教体質に、多くの日本人が違和感を抱いたということであり、神という絶対存在を振りかざす高圧的姿勢にも馴染めなかったのでしょう。イスラム教については、日本人の信者は1万人程度しかいません。
古来、日本人は、現代のわれわれが考える以上にリアリズムを大切にする精神性をもちます。日本人独自の信仰である神道は汎神論で、自然のすべてに神が宿ると考えます。自然や動物など、われわれの周りに身近に存在する実在を通して神的なものを見るのです。一神教のように人為的に作り出された絶対神を信用しません。
日本人は自然や動物を友として、大切にします。日本の昔話には、犬や猿、鳥といった多くの動物が登場し、人間との愛情の絆を結びます。大陸の人々は動く物を何でも捕らえて殺して食べますが、日本人には考えられないことです。
よく、欧米人たちの教会建築と比べて、神社が宗教建築として粗末だと感じるようですが、神道的な世界観では、自然そのものが神の空間であり、教会のように、それを石の人工物で囲うことはありません。神社は自然なる神を表象した象徴空間にすぎず、その指向対象は自然全体です。表象は質素で簡潔であればあるほど、自然体であればあるほど、人工的な虚飾を避けることにより、神的なものの同化が達成されるのです。
神道は一神教の神の偉容を人々に見せつけるような演出行為をせずとも、その世界観を実在によって表象することのできるリアリズムに満ちた世界観を有しています。
また、神道は宗教なのかという疑問もあります。「religion(宗教)」という言葉が「宗教」と訳され、日本に入って来たのは明治時代です。欧米的な「religion(宗教)」という概念には、図3-1で神道にはないものとして挙げた各種の人為性が本源的に含まれます。神道には、こうした人為性がまったくなく、その限りでは宗教としても呼べません。それは宗教というよりも、信仰であり、日本人の精神文化の累積としての哲学や世界観であるといえます。
〈図3-1 神道の特徴〉
人為的成文がない‥‥聖典、教義、戒律がない
人為的組織がない‥‥教祖、制度、教団がない
↓
「religion(宗教)」という概念では捉えることができない
♦血統の神性と天皇の権威
日本は独自の神道とい宗教文化をもち、その最高祭祀者である天皇を戴くことによって、古来、大陸の中国王朝と対抗しました。
日本の君主は東アジア諸地域に対し、自らの優位性を示すためにも、中国への臣従を意味する『王』の称号を捨て、自ら『天皇』を名乗ったのです。中国の儒教的な華夷秩序に組み込まれることを日本は拒絶しました。
こうした経緯から、欧米人も『天皇』は中国の『皇帝』と対等の称号と考え、『キング』ではなく、『エンペラー』と呼んでました。……
天皇家の始祖は天照大神とされます。天皇は神ではありませんが、『神の子孫』という神話を包摂(ほうせつ)する存在です。神話を信じるかどうかは信仰の問題ですが、神話のストーリーが天皇家発祥に結びつけられていること自体は事実です。
……
初期天皇の実在・非実在を証明することは困難ですが、祖先が神様でるという文脈を天皇家が背負っていることは事実であり、その文脈(本当かどうかは別として)とともに血統を守り、126代もの天皇を脈々と受け継いできました。天皇は人として生まれながら、神に最も近い存在と歴史上、見なされてきました。
天皇は神に国の繁栄と国民の幸福を祈り、人間世界を代表して神を祀る最高祭祀者であり、神と人間との接点になり得る霊的な存在として信仰され、この霊統を継承することが重要な使命とされます。
日本では、源平の武人政権から徳川の江戸幕府に至るまで、世俗権力が天皇の権威に挑み、その地位を侵すことはありませんでした。それは天皇のもつ神性の血統が尊重されたからです。中国の皇帝が強大だとしても所詮、俗人(俗権)にすぎず、その地位は簡単に簒奪されました。
♦天皇を中核とする神道
天皇家の祖神である太陽神・天照大神をはじめとする自然神を日本人は信仰し、神々を祀るために神社を各地に建立しました。これが神道です。
日本人は農耕民族であるため、自然によって生かされているという意識を強くもち、自然を神として畏敬し、崇めました。そして、これらの自然神を祀る存在が天皇であり、天皇を中核として神道による自然信仰が普及しました。緩やかにつながる神々と人間との間の仲介者として、天皇が存在するのです。
一口に神道といっても、時代とともにその姿を大きく変えてきたため、神道とはいかなるものか、現代人には分かりにくくなっている面があります。そこで、神道の歴史を簡単に振り返っておきましょう。
原初時代、日本人は自然現象や自然物の中に人知を超える威力、呪力、神聖さを感じ、その対象を神と呼び、畏怖し崇拝しました。このような自然崇拝から神道は成立してきたと考えられています。当時、社殿はなく、神聖と見られる岩場や森、山などを祈りの場としました。神を祀る社殿が立てられるようになるのは、仏教寺院が本格的な建造されはじめる飛鳥時代以降のことです。
古代においては、『稲作の王』たる天皇が執り行なう祈年祭(きねんさい)、月次祭(つきなみまつり)、新嘗祭(にいなめ)を中心とする神祇({じんぎ}天の神と地の神)祭祀の体系が神道の中心でした。701年に制定された大宝律令で神祇の祭祀を管轄する神祇官が置かれます。律令制の成立以前には、地方の首長が自分たちの神々を祭祀していましたが、律令制下では首長に代わって天皇が神祇官を通じ、直接的に全国の神々を一括して祀る体制(律令神道)になりました。
律令制の実質が失われる10世紀以降、天皇が律令政府と神祇官を通じて行っていた国家的な神祇祭祀という意味での神道は変容していきますが、天皇による神祇祭祀はそれ以後も綿々と伝承され、現在に至ります。天皇を中核として伝承されてきた人々の自然への畏敬と感謝の念こそ、神道の本質なのです。
♦神道・仏教・儒教のミックス宗教文化
包容力のある神道は様々な思想を取り込んで変容・発展していきます。仏教の隆盛を受けて、奈良時代には早くも、神道と仏教の混淆({こんこう}神仏集合)が始まります。鎌倉時代には、仏や菩薩(本地{ほんじ})が日本の衆生(しゅじょう)を救うために、日本の神の姿で現れる垂迹(すいじゃく)という思想(本地垂迹説)が広がります。以後、様々な神道説が興ってきます。
鎌倉時代には両部(りょうぶ)神道や伊勢神道が、室町時代には吉田神道が興り、江戸時代に入ると儒教の影響の強い儒家神道、垂加(すいか)神道が成立。江戸中期から後期には、国学者たちによって、古代の神道に復することを主張する復古(ふっこ)神道が成立しました。
天皇を戴くことにより、中国王朝に政治的に対抗した日本ですが、中国発祥の儒教文化をその他の中国文化とともに柔軟に受け容れてきました。日本は『儒学を受け容れたが、儒教を受け容れなかった』といわれることがありますが、そんなことはりません。儒学(道徳的部分)も儒教(宗教的部分)も今日に至るまで、日本人の骨髄に染みついています。儒教(宗教的部分)が受け容れられなかった勘違いされているのは、その祖先崇拝の祭祀が仏教祭式に組み込まれ、日本人の儒教的な志向が見えなくなってしまっているのが原因です。
また、儒学(道徳的部分)については、それが年功序列など日本人の生活・社会全般に染みついていることはいうまでもありません。
儒教は6世紀、日本に伝わります。7世紀、天武天皇が構築した統治制度(律令制)に、身分制などの儒教的要素が組み込まれました。
江戸時代の17世紀に、儒教の一派である朱子学が幕府公認の学問(官学)とされます。一方、民間では、神道や仏教が信仰されていました。神道・仏教・儒学の三者が渾然(こんぜん)一体となった宗教文化が根付いていたのです。今日でも、こうしたミックス宗教文化は根強く残っています。
文化人類学者の梅棹忠夫は、著書『文明の生態史観』(1997年)で、従来の東洋と西洋という区分を否定し、第一地域と第二地域という区分を提唱しました。西ヨーロッパと日本は第一地域で、広大なユーラシア大陸部分は第二地域となります。
第二地域においては、中心部として、富が集積し、早い時期に帝国(たとえば中華帝国など)が成立しますが、それらは制度などに問題を抱え、瓦解します。一方、周縁に位置する第一地域は外部からの攻撃を受けにくく、中心部から文化を輸入することによって、ゆっくりと安定して発展する、と梅棹は主張しています。そして、その発展のなかで、固有の文化が形成されていきます。
神道を基盤とする日本文明はまさに梅棹が述べたようなかたちで発展してきたのです。
♦神道と日本の近代化
明治時代に入り、新政府は天皇を中心とする新国家体制を整備し、日本固有の神道によって、国民の精神文化をまとめていこうとしました。新政府は神道を国家権力の保護のもとに置き、事実上の国教としました。
1868年、明治政府が樹立されてすぐ、それまで、神社に入り込んでいた仏教を取り除くために、『神仏分離令(神仏判然令)』が発布されます。
いまでは考えられないことですが江戸時代まで、神社に仏像が祀られていました。宗教に関し、アバウトなところが日本人のよいところでもあり、悪いところでもあります。こうしたアバウトさが幸いして、日本は中国や朝鮮のように、宗教文化の因習に囚われることなく、スムーズに近代化を達成できたともいえます。
『分離令』によって、明治政府は仏像を神社から撤去され、神社行政を司る神祇官を設けるなどして整備し、神社神道を『国家宗祀(そうし)』としました。
様々な祭祀の対象をもつ神社が 日本各地にありますが、明治政府は天皇家の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点に立つ本宗(総本山)と位置づけました。
また、明治政府は、黒住(くろずみ)教、天理教、金光教などを『教派神道』と公認し、神道を広く国民に宣布するための宣教使の役割を担わせます。
国民は神道に基づく倫理道徳を共有し、その最高祭祀者たる天皇のもと、一致団結して近大改革に邁進しました。こうしたなかで、天皇を現人神と捉え、一部の狂信的な国家主義者が天皇を過剰に神格化したこともあります。
第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が『天皇を神とすることは許さない』として、天皇に通称『天皇宣言』と呼ばれる詔書を発布するように主導しました。どれだけの人が天皇を神と思っていたかは天皇を神と思って居たかは疑問の残るところでもあり、また、昭和天皇自身も自らを神だと言ったことはありませんが、GHQが『天皇が神であることが元凶』と判断していたので、『天皇は神ではありませんよ』と、国民というよりはむしろ、GHQに向けて念押しした形です。また、『人間宣言』という通称は報道側が命名したものにすぎません。
この詔書で、天皇は自らが神であることを否定したかもしれませんが、神話の神の子孫であることを否定したわけではありません。儀式や祭事を行なう神道を否定したわけでもありません。つまり、古来、日本人が形成してきた神道の社会文化や天皇との穏やかな絆は何一つ変わることはありませんでした。」
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旧石器時代(岩宿時代)・縄文時代には、争い・戦争などによる殺し合いのない平和で安定した時代であった。
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神道の源流は、数万年前の旧石器時代(岩宿時代)・縄文時代にある。
天皇の始まりは、数千年前の弥生時代・古墳時代にある。
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森の自然神・精霊への崇拝・祭祀は、中心主体が北方系の森で、副次として南方系の海と山が加わって完成したところに、最後の移住者は平野の西方系(中国の南満州地域)であったが影響は少なかった。
その意味で、日本文明とは森の文明である。
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民族宗教の崇拝・祭祀とは、自然神・精霊への感謝・奉仕・請願・恵であって、自然の支配、絶対神の奇蹟・恩寵への依頼、戦争の勝利祈願ではない。
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父系男系天皇制度と民族宗教は、数万年前の旧石器時代(岩宿時代)・縄文時代、数千年前の弥生時代・古墳時代からの精霊崇拝=自然神話=民族中心神話から生まれてきていた。
日本における全ての正統性はここにあって、人間が作り出した宗教の戒律・律法やイデオロギーの憲法・法律ではない。
それ故に、ある意味で日本の正統性は古く現代にあわず時代遅れと言える。
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天皇と神社は、目の前に広がる冒してはならない神の領域と後ろに広がる俗欲に塗れた人の領域の中間地点・狭間に立っている。
教会で例えれば天皇と神社は玄関で、教会内は神域で生きた人間は立ち入る事はできない神聖な場で、死と血を穢れとして忌み嫌う神と魂・霊魂のみの世界で、現人神である天皇はもちろん高僧・名僧の生き仏であっても立ち入る事はできない。
それが、神道である。
自然で例えるなら、海と陸の間の海辺・浜辺つまり渚(なぎさ)である。
人は海では生きられないように、人は神の世界・神域では生きられない。
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日本民族とは、民族中心神話を源とする民族宗教=自然宗教を信仰ではなく崇拝している日本人の事である。
日本民族の宗教とは、いい加減的な曖昧にして寛容で全てを受け入れる崇拝宗教であった。
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キリスト教会もイスラム教モスクも礼拝堂内部は、絶対神の王国・天国とし贅を尽くし豪華絢爛として威圧的な雰囲気を醸し出し、信者は礼拝堂の椅子に腰かけ司教・司祭などの語る言葉を神の福音として拝聴し祈りを捧げる。
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日本の神社は、神社裏に広がる人(俗人)が入ってはいけない立ち入り禁止と定められた神の世界=聖域(神域・ご神体)と神社前の俗界・俗世の中間に立てられた拝殿である。拝殿を例えれば、教会やモスクの玄関である。
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日本民族を日本民族たらしめ、日本民族を中国人や朝鮮半島人などの大陸人と区別・差別し、日本民族の人生観・死生観・宗教観から日常の生活や習慣・風習すべてを形成し支配しているのは、数万年前の石器時代・縄文時代から変わる事のない日本列島の自然環境である。
つまり、日本民族とは自然神=自然精霊を尊ぶ自然の民である。
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日本民族は、数万年前に日本列島に住んでいた岩宿人(ヤポネシア人)や縄文人(日本土人)の子孫で、絶え間なく大陸や半島から逃げて来た渡来人と乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種で、単一の純血種ではない。
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日本民族の宗教は崇拝であって信仰ではなかった為に神仏を信じ切る事はできず、唯々、尊い存在として祀り敬い奉り拝む対象でしかなかった。
その分、曖昧、いい加減で、好奇心から、他人が拝み信仰する神仏に興味を持ち自分にも何か良い事が起きるのではないかというすけべ根性から信じてはいないのに一緒になって拝む。
信じていないのに、神社や寺院、教会やモスク、その他の全ての宗教施設に違和感も罪悪感もなく入ってお詣りをする。
信仰している者からすれば、日本人の行為は冒瀆であり裏切り行為であり異端行為であり、敬虔な信者であればあるほど日本人を異端者・異教徒、悪魔教徒として憎み、神の御名によって滅ぼそうとして。
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日本における民族宗教の源泉は、数万年前の旧石器時代(岩宿時代)・縄文時代の森にある。
日本神道は、森の狩人である岩宿人と森の民である縄文人が行っていた自然神・精霊への崇拝・祭祀に、数千年前の弥生時代・古墳時代に渡来した原始道教のタオ思想と6世末~7世紀の飛鳥時代に伝来した仏教が加わってが形成された。
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民族宗教で最高神は、天皇家の祖先神である女性神の天照大神である。
天皇の正統性は、神話上の天照大神の血を正しく濃く引く父系男系の子孫のみに与えられ、母系女系で臣下降下した子孫や血を引かない赤の他人の実力者、権力者、独裁者は排除され天皇に即位できなかった。
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明治維新は、他国の侵略から祖国を守る為に、多国幕藩連合体制から一国中央集権体制への体制転換であった。
軍事侵略に対しては武力として軍国主義政策を、宗教侵略に対しては宗教として国家神道政策を、国民を犠牲にして強行した。
国土と国民を死なせる専守防衛ではなく、国土と国民に犠牲を出さない為に海外に撃って敵国を侵略する積極的自衛戦争を採用した。
天皇・国家・政府・民族(帰化人を含む)を否定し害をおよぼす恐れのある宗教やイデオロギーは、容赦なく弾圧したが他国のような見せしめによる死刑はなかった。
日本は、同盟国はなく、消極的友好国は数カ国あったが、基本的には一ヵ国で孤独に戦っていた。
つまり周囲は皆敵という四面楚歌の状態が、江戸時代後期・明治から昭和前期まで続いていた。
現代日本は、理想的平和主義から近代的天皇主義体制や軍国主義政策を戦争犯罪と否定し、自由・戦後民主主義教育の歴史教育として子供達に教えている。
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日本国・日本民族を近隣諸国の侵略から守ってきたのは、占領されず植民地にもならず奴隷にもならずに済んだのは、海に囲まれていたからではなく、独立した特殊な固有神話を唯一の正統性とする父系男系天皇・血統皇室と女性神の神道があったからである。
重要なのは、心・精神、魂・霊魂、血・血筋であった。
最も恐れたのは、宗教侵略とイデオロギー侵略であった。
宗教統制として、仏教に対して「神仏分離令」(廃仏毀釈)を、神道に対しては「神社合祀令」を行い、新たに宗教性を薄めた儒教的国家神道をつくった。
が、これは祖国防衛を目的とした国家安全保障上の自衛政策であった。
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日本神道において、主神、最高神、最上位神、頂点神、中心神、核神、原神は存在しない。
日本神話において、伊勢神宮の天照大神(天皇家の祖先神)は最高神ではなく、感情に流されて失敗する事もある未熟な女性神であるが故に、多くの男性神・女性神や客人神(外来神)が正しい行いをするように補佐し教え導いている。それが、天の岩戸神話である。
日本の神々は最初から存在したわけではなく、日本人が誕生する前、遥か以前に、ある日ある時に意味があるのか無いのか分からない状態で突然に生まれてきたに過ぎない。
ここに、官製国家神道は存在しない。
日本神道は、信仰宗教ではない為に狂信性はなく、原理主義、カルト、宗教テロ、その他などの反社会性犯罪性とは無縁であり、生まれないし関連する事もない。
つまり、日本神道とは本来人畜無害な宗教であり、徳川幕府と明治新政府は人畜無害の諸派神道は許したが強烈な宗教は弾圧した。
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キリスト教が誕生したのが西暦0年であり、反宗教無神論のマルクス主義が書かれたのが1847(弘化4)年で、一党独裁共産主義体制がソ連で成立したのが1917(大正6年)で、反天皇反民族反日本のコミンテルン日本支部日本共産党が結成されたのが1922(大正11)年であった。
比べたとき、日本文明・日本神道・日本民族は世界的に最も古い部類に入る。
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日本民族は「面倒くさい」宗教もイデオロギーも好きでく、「敬して遠ざける」が本音であった。
宗教侵略として、中世キリスト教会・イエズス会と修道士会、白人キリスト教徒商人は日本人を奴隷として海外に輸出して金儲けしていた。
イデオロギー侵略として、マルクス主義・共産主義による32年テーゼ。
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日本の近代化とは、ある意味、江戸時代とは違う日本の儒教化で、民族主義運動であった明治維新の原動力の一つであった尊皇・勤皇の国学は学校教育に閉じ込められた。
明治新政府は、徳川幕府同様に宗教統制を行った政教分離政府であった。
日本の近代化とは、表面は西洋的近代主義だが、裏面は朱子学儒教である。
江戸時代の日本儒教とは、官学が幕府公認の朱子学(正統儒教)で、私学が庶民の論語儒教で、幕末では官学(正統)批判の陽明学(異端儒教)など諸派儒教であった。
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現代の日本人(日本市民)と昔の日本人(日本民族)は別人のような日本人である。
何処がどう違うかと言えば、数万年前からの民族の歴史・文化・伝統・宗教・風習・習慣・言語を大切にし護ろうとしているかどうかである。
つまり、手弱女の日本心と益荒男の日本魂(大和魂)を持っているかどうかである。
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歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではなく、日本の戦争は侵略戦争ではなく積極的自衛戦争でった。
日本天皇は、神話が認める神の血筋を正統とする唯一無二の御一人祭祀王として、祖先の女性神に関わる全ての神々に対して日本国の平和と日本民族=日本国民(帰化人を含め)の安寧を祈ってきた。
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反天皇反民族反日本的日本人は、古代から日本国内に存在し、彼らは海外の国際的反天皇反民族反日本勢力と通じ、天皇制度を廃絶し、天皇家を根絶し、日本国を滅亡させ、日本民族を消滅させようとしてきた。
古代から、天皇制度国家日本を助けてくれる諸外国は一ヵ国もなかった。
故に、日本民族は味方してくれる帰化人を唯一の戦友として天皇を現人神と担ぎ上げて一致団結して国内外の敵に対して孤独に戦っていた。
その意味で、中国や朝鮮は古代から敵であって友好国ではなかった。
それが、日本天皇・日本国・日本民族の偽らざる歴史である。
如何に、日本天皇・日本国・日本民族を滅ぼそうとした敵が多い事か。
それは、現代でも変わらない。
天皇と民族を、命を捨てても守ろうとする日本人は2割、日本嫌いで滅ぼそうとする日本人は3割、自分の命が大事で何方とも言えない日本人は5割。
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日本の近代化の目的は、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略から天皇と日本国と日本民族を武力で暴力的に護る事で、国民を犠牲にする軍国主義政策を強権を用いて推進し、皇国史観に基づく愛国主義・民族主義・国家主義を広めた。
敵とは、ロシア・ソ連・共産主義者、清国・中国、中国共産党・ファシスト中国(国民党)、朝鮮・大韓帝国、キリスト教会・イエズス会などの修道士会とアメリカ系キリスト教会などであった。
特に、日本共産党・マルクス主義者を動かしたソ連・コミンテルンの「32年テーゼ」である。
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日本人の共産主義者・無政府主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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現代日本では、日本民族ではない日本人(渡来人も含む)が増えてきている。
戦後日本・現代日本で静かに浸透しつつある、反宗教無神論・反天皇反民族反日本という空気、暗雲、同調圧力、マイノリティー・ファシズム。
その証拠が、昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートとして認めれ、表現の自由として問題なく全国で公開されている現状である。
その正体は、宗教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教とイデオロギーの中華儒教、マルクス主義・共産主義・無政府主義、その他である。
それ故に、日本民族は憎悪・嫌悪の源、諍いによる分裂と対立を生む、差別的不寛容で狂信性独善性を秘めた信仰宗教と排他的攻撃的そして教条的観念的なイデオロギーを嫌い排除してきた。
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日本民族は、国内外の敵から、民族中心神話で正統性を認められている天皇と宗教を守る為に死を覚悟し命を犠牲にして戦ってきた。
その意味で、古代から反ヤマト王権である反宗教無神論・反天皇反民族反日本的日本人は存在している。
イデオロギーを根拠として人が作る憲法・法律には、摂取選択で可変できる一過性の正当性はあっても、神聖不可侵にして不変な正統性はない。
民族中心神話の源となっている『古事記』や『日本書紀』は、正統性をもたらせる為に作られた民族物語である。
つまり、現代の正統性父系男系天皇制度を正当性母系女系天皇制度に変更し、現天皇家・皇室を廃絶する事は、民族神話・民族宗教を跡形もなく消滅させる事である。
神話に基づく正統性父系男系天皇制度は、日本の御柱であり、心柱・大黒柱である。
それ故に、民族中心神話を信じている日本民族には神の子孫である正統性父系男系天皇を殺して自分が変わって新しい天皇に即位する事はできなかった。
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江戸時代。西洋は、日本を世界の7大帝国の一つと認めていた以上、天皇が「エンペラー」と呼ばれて当然であった。
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日本の民族宗教は普遍的開放的信仰宗教ではなく特殊的閉鎖的崇拝宗教で、教祖はいないし、教義・教理や経典・聖典はなく、布教もない。
神社を支えているのは、神と血縁を持つ氏子、神と地縁を持つ地域住民、神と絆を持つ崇敬者であって、神を信仰する信者や教徒は存在しない。
大神宮や大神社は、全国に支社・末社が、それは布教したからではなく、氏子や崇敬者が勧進したからであり、神社の拝殿・境内は寄進でもない。
日本民族ぬは、帰化人は入るが渡来人は入らない。
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日本民族の心情からすれば、一切の疑問や批判・非難を許さない唯一絶対的な存在、無抵抗で絶対服従をしなければならない権力や権威など端から信じてはいなかったし、時には煩わしいとして拒否し排除して。
それが、宗教では一神教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教であり、イデオロギーでは暴力革命思想のマルクス主義=共産主義・無政府主義であった。
日本民族が一番馴染んだのが、日本神話・日本神道・日本仏教による父系男系天皇制度で、そこには政治権力・宗教権威・富の優位もなく、あるのは無欲な徳の権威と天皇の御威光のみであった。
日本民族の本質は、面従腹背で、納得すれば受け入れるが、納得がいかなければ建前として表面的に従うが本音として裏面的にお咎めを受けるギリギリのところで自分勝手な事をしていた。
それが、百姓の隠し田圃である。
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