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お茶を飲む習慣は世界中にあったが、高度な文化まで高めたの日本だけである。
茶道は、日本の固有文化であって朝鮮とは無関係である。
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2022年7月13日11:30 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「日本人は「生物多様性」のど真ん中に生きている 茶道の文化から「命のつながり」が見えてくる
小西 雅子 2022/07/13
© 東洋経済オンライン 豊かな生物多様性に根付く文化、茶道にもさまざまな影響が感じられます(写真:hirorin/PIXTA)
茶道は、「茶を飲む」という日常の行為を「道」に高めた日本文化です。お茶を点てるという行為は、禅や瞑想につながるものとして、慌ただしい日常の中、孤独な決断を迫られる企業経営層にもファンが多くいます。
茶道は、季節感を何より大切にしますが、それは高温多湿のアジアモンスーンがはぐくむ生物多様性の宝庫と実は深く関係しています。今回の記事ではその関係をひもといていきたいと思います。
(© 東洋経済オンライン 小西雅子 茶箱「雪」のお点前 東京杉並区の茶室「星岡」にて(c)WWF Japan
季節感をこよなく愛する茶道
茶道は、ひとことで言うと、和やかで清らかな心を込めて、客人にお茶を点てていくことです。お茶を点てる人を「亭主」と言いますが、亭主がお茶事を開催するときには、季節やテーマを考え抜いて、茶道具や花、掛け軸などを整えていきます。いわば「季節感」というストーリーを味わいながらお茶を楽しむ時間を作り出します。
茶道の空間やお道具には、簡素なわび・さびの中に、無限の自然が再現されていますが、その原点は日本の高温多湿な四季で息づく多様な植物や生物です。私たちが当たり前と思っている日常は、豊かな生物多様性に支えられているのです。
私は気候変動やエネルギーを専門とする政策提言に従事する仕事をしていますが、実は幼いころから茶道家の母に師事して、裏千家茶道や小原流華道の家元教授という別の顔を持っています。
海外を飛び回る生活ですが、日本の季節の移り変わり、梅雨の走りに雨に打たれる小さな草花や、初秋に冴え冴えとした白い月などを見ると、魂が震えます。そのお茶の中には、季節感、ひいては日本独自の生物多様性がいかに息づいているか、改めて見ていきたいと思います。
まずはお茶事に欠かせないのが茶花です。茶花とは、茶室の床(とこ)に生ける花のことで、千利休の教えに従って、「花は野にあるように」と自然の中に咲いている本来の姿のように「投げ入れ」ていきます。四季折々の自然の風景や移ろいを表現しつつ、茶会の趣向や茶席の雰囲気との調和も考えて選ばれます。
随所にたっぷり盛り込まれる季節感
© 東洋経済オンライン はないかだ(c)Masako Konishi
その1つとして私がこよなく愛する茶花、「はないかだ」をご紹介します。花が葉っぱの筏の上に乗っているように見えるので、「花筏」と言います。
実際には親指程度の葉の上に、ほんの小さな粒で、よく見ないとわからないような小さな美です。しかしこんな小さな美に気づく心、季節感を心で感じること、こういったスト―リーが私たちの心を震わせるのではないでしょうか?
© 東洋経済オンライン (c)WWF Japan
もちろん床の間にかけられる掛け軸や、お茶碗などのお道具にも季節感がたっぷり盛り込まれています。
壮大な生命の環が織り成す「生物多様性」
© 東洋経済オンライン 蛍の描かれた茶碗(c)Masako Konishi
© 東洋経済オンライン 遊び心でカエルが描かれた茶碗も!(c)Masako Konishi
これらのすべては私たちが昔から親しんできた生物ですよね。しかしこれらのホタルもカエルも日本中で減少しつつあります。今日の私たちが当たり前に思っている梅雨の季節のカエルやホタルは、子どもたちの世代には身近にあるのでしょうか?
生活文化としての茶道の場は、生物多様性の上になりたっており、茶道は伝統文化の総合。絵画から書道、花、陶芸、漆器、織物から茶室の建築に至るまで、日本に昔からあるさまざまな資源を使って編み出されてきた総合芸術なのです。
そもそも生物多様性とは、地球上の生命、ヒトやトラやパンダ、イネやコムギ、大腸菌、さまざまなバクテリアまで、多様な姿の生物が含まれます。この生きものたちの、命のつながりこそが、「生物多様性」です。これらの生きものはどれも、自分一人、ただ一種だけでは生きていけません。多くの生命はほかのたくさんの生物と直接関わり、初めて生きていくことができるのです。
この関わりをたどっていけば、地球上に生きている生きものたちが、すべて直接的・間接的につながり合い、壮大な生命の環を織り成しています。「生物多様性」は、この地球という1つの環境そのものであり、そこに息づく生命のすべてを意味するのです。
その生物多様性は、今危機にさらされています。とくに20世紀以降の100年間に、私たちは多くの自然資本を使い続け、今や1970~2016年の間に世界の哺乳類や鳥類などの脊椎動物の個体は平均して68%も消失しているのです。
さまざまな資源をもたらす生態系は、非常に微妙な生命のバランスで成り立っており、一度壊してしまうと、人の力では完全な形に戻せません。この流れを変えてゆかなければ、地球の自然環境と生物多様性は、失われ続けてしまいます。
茶道文化にも見られる影響
茶道文化にも影響が忍び寄っています。お茶人は客をもてなすために、お茶事では、炉の置き方を季節によって変えていきます。
写真1:冬は寒いので、畳の中に埋め込んだ炉で、炭をおこして釜をかける(客人は煙草盆の前)© 東洋経済オンライン 写真1:冬は寒いので、畳の中に埋め込んだ炉で、炭をおこして釜をかける(客人は煙草盆の前)
写真2:少し涼しくなる10月は中置き:風炉と呼ばれる畳の上に置くタイプの炉を使って、客人から火を少し離していく© 東洋経済オンライン 写真2:少し涼しくなる10月は中置き:風炉と呼ばれる畳の上に置くタイプの炉を使って、客人から火を少し離していく
写真3:暑い夏は、風炉を客人から遠くの位置に置いて火をおこす© 東洋経済オンライン 写真3:暑い夏は、風炉を客人から遠くの位置に置いて火をおこす
冬は寒い時期なので、客人が暖かいように、釜を客人のそばに置きます(写真1)。一方10月になると中置(なかおき)といって少し寒くなってきたことを反映して、釜を中間の位置に移動させるのです(写真2)。
そして夏は暑い盛りなので、釜は客人から遠くに離して、涼しげな水差し(お茶に使う水がはいっている)を客人側に置きます(写真3)。
しかし、地球温暖化で年々夏は猛暑になり長くなっており、2100年頃には30度以上の真夏日が100日を超えると予測されています。もはや「炉の置き場所」で季節感を表す、というのは、過去の話として語り継がれるしかなくなりそうです。
また季節ごとに営まれるお茶事の1つに、秋から冬に「夜咄(よばなし)」と呼ばれるものがあります。冬にかけて長くなる夜を楽しむために、夕刻から始める茶事で、夜の暗闇の中、ろうそくの明かりだけで、ゆるやかに行われるお茶事です。お客は手燭と呼ばれる手持ちのろうそくをもって茶室に入り、暗闇の中でしめやかに行われます。
これはろうそくの明かりだけで行われるので、狭いお茶室はろうそくの油煙が広がってしまいます。そこで「夜咄の茶事」では、石菖(セキショウ)という茶花を使う、と決まっています。これは菖蒲のようないい香りがする葉で、ろうそくの油煙の広がる室内の空気を浄化すると言われています。これをにおい消しの“炭”に活けるのです。
© 東洋経済オンライン セキショウを炭の中に入れて(c)WWF Japan
とても情緒ある営みですが、昔は多くの川岸などに自生していたこのセキショウも、開発や環境の変化などで減少してきています。こうした昔ながらの植物の多くが、失われていっています。
生物多様性の危機に私たちができること
高温多湿な気候がはぐくんできた多様な生物が息づく日本。季節感をこよなく愛し、大切にする日本文化。茶道のみならず、和食や俳句など、日本の豊かな生物多様性は多くの文化をはぐくんできました。心のふるさとと言ってもいいこれらの文化を大切にしたい、と思う方は少なくないのではないでしょうか。
危機に瀕している日本、そして世界の生物多様性に対して、私たちに何ができるのか、考えていきたいと思いませんか? その最初のステップは以下の3つです。
1. もっとよく地球の生物多様性について知ろう。日本の伝統文化はその宝庫!
2. 普段、生活の中で利用している製品が、どこでどのように作られ、手元に届いたのか、関心を持とう
3. 環境保全と資源を使い尽くさぬよう配慮して生産した木材や食料などを、消費者として選んで買うことも、生物多様性を保全する手段の1つ
今の子どもたちが成人する時代にもこの美しい季節感があってほしいと、心から願っています。
© 東洋経済オンライン 生物多様性スクール 特別企画 「生物多様性と日本文化ー日本の四季、茶道と俳句に見る生物多様性」 (c)WWF Japan」
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日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基、西行、一休、鴨長明、兼好法師、芭蕉、葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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日本民族中心神話において、最高神は天皇の祖先神である女性神の天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ②
日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教やイスラム教の絶対神でもない。
お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
日本民族は、お天道様崇拝者である。
お天道様とは、天皇家の祖先神である女性神の天照大神である。
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トライイット
ホーム社会中学社会中学歴史江戸時代武士による支配
中学歴史
身分別の人口の割合 幕末のごろ
総人口約3,200万人
百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
その次に多いのが7%の 武士 です。
3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
公家・神官・僧侶、その他1.5%。
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江戸時代は庶民の時代で、武士道は社会の片隅であった。
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現代日本人が憧れ持て囃す武士道は、江戸時代後期、ロシアの軍事侵略危機までは存在しなかった。
武士道は、外敵の侵略から天皇・国・民族を守る為に民族主義と愛国心の中から生まれた。
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