🌈44)45)─1─明治の頃。日本人の教養といえば漢詩を作り、西洋語を話す事であった。~No.85No.86No.87 ⑥ 

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 日本の庶民は、東洋(中国・朝鮮)や西洋の人民や民衆・大衆とは違っていた。
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 2022年3月13日号 サンデー毎日五木寛之のボケない名言
 閑愁盡處暗愁生(かんしゅうつくるところあんしゅうしょうず)──夏目漱石
 明治の頃、日本人の教養といえば漢文、漢詩であった。文人墨客(ぼっかく)のみならず、政治家も、実業家も、軍人も、学生も、漢詩を作り、詩吟をうたった。
 漢詩人という職業があり、伊藤博文なども有名な漢詩家にレッスンを受けていた。彼はハルビンで暗殺されたときも、漢詩人を同行させて、車中で添削を受けていたといわれている。
 〈万里の平原南満州〉ではじまるその詩は、〈更に行人をして暗愁を牽(ひ)かしむ〉で終わっていた。
 ここで出てくる〈暗愁〉という言葉に注目したのが国文学者の小島慶之さんである。
 当時、幕末から明治にかけて大流行したのが『暗愁』という語だったという。
 奈良、平安の頃からあった漢語だが、明治期に注目を浴び、猫も杓子(しゃくし)もそれを使った。
 漱石も幾度となく〈暗愁〉を漢詩に用いている。
 学生時代の詩に、〈客中客を送り暗愁微(かすか)なり〉というのがあり、のちに〈閑愁尽くる処暗愁生ず〉という詩文も書いた。
 また外国留学に旅立つときには、〈滄溟(そうめい)を破って暗愁を掃(はら)わんと欲す〉という詩文を残した。
 国家と国民とが一条となって坂の上の雲をめざしたこの国の青春だったと、明治は語られている。そういう明治の時代に、坂の下の露のように重くよどんでいた暗愁があったことを忘れるわけにはいかない。」
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 明治初期の政治家・官吏・軍人らは下級武士や庶民の貧困階級出身者が多く世襲でもなく、現代日本の裕福家庭出身の高学歴な政治家・官僚・学者・法律家とは違っていた。
 伊藤博文は、貧しい小作人の子であった。
 山県有朋は、武士階級の最下層である足軽出身であった。
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 日本国語で使用する文字で、中国伝来の漢字・漢語は男性で支配階級の特権文字で、漢字を崩して考案された平仮名は日本の独自の文字として女性や下層民が使う卑賤文字であった。
 教養ある公家達は、女性が使う平仮名を使って和歌を詠み、紀行文・物語・散文・随筆
などを書いた。
 日本の記述文学は、女性的文学である。
 女性や下層民が使う卑賤文字を日本文字=日本文化までに高めたのは、皇室の和歌詠みと空海の功徳説法であった。
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 カタカナは、蘭学・蘭書など西洋学・西洋書籍が大量に翻訳され、知的好奇心で海外に興味を持った人々が書物を読む事によって広まった。
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 アルファベットは、ラテン文字ヘブライ文字アラビア文字など広く使われている。
 西欧キリスト教文明圏で使われている文字は、ローマ字のラテン文字で紀元前10世紀に成立したフェニキア文字に由来するギリシャ文字が源流となっている。
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 文明・文化の独立とは、独自の言語と独創的文字を持つ事である。
 それが、バベルの塔における隠れた寓話である。
 人類の文化的多様性は、バベルの塔で多種多様な言語が出現した事から始まった。
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 複数文字を使用する多様性の濃い日本国語は、単一文字使用である漢字の中国語やハングルの韓国語=朝鮮語とは異なる言語である。
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 原日本語は、縄文人言語ではなく内モンゴルの西遼河流域言語であった。
 トランスユーラシア語。
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