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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本民族の伝統文化の源泉は、列島空間に充満している花鳥風月・虫の音そして苔と良い菌が醸し出す1/fのゆらぎとマイナス・イオンという空気エネルギーである。
その空気エネルギーは、中央・都市ではなく地方・田舎に濃く漂っていた。
それは、生から死、死から生への絶える事のない現実の「移ろい」であり、絵空事の空しい理想の夢や希望ではない。
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2020年7月16日号 週刊文春「東洋美術逍遙 橋本麻里
『地方の時代』のエネルギー
『奇才──江戸絵画の冒険者たち──』
『江戸絵画って、いま人気があるんでしょう』。確かに伊藤若冲や曾我蕭白は、2000年代に入ってから、美術展では引っぱりだこの絵師になった。辻惟雄『奇想の系譜』(美術出版社、1970年)が火をつけた江戸絵画ブームはなお続いているが、いわゆる『奇想の絵師』たち(『奇想の系譜』に取り上げられたのは、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長澤蘆雪、歌川国芳)が代表する範囲は限られている。だが、江戸開府の1603年から大政奉還の1867年までの264年、江戸、京都、大坂、そして日本全域で描かれていた絵画には、驚くほどの多様性があった。描き手も、プロフェッショナルの絵師からお坊さん、地方の名士に至るまで、さまざまなバックグラウンドを持っている。
江戸東京博物館を皮切りに、山口県立博物館、あべのハルカス美術館と巡回する『奇才──江戸絵画の冒険者たち──』は、何番煎じかの『奇想』展ではない。地方でしか知られていない絵師から、時代を代表する大御所まで、それぞれ流派や時代の粋を超えようと、必死に試行錯誤した35人による、『新しい表現』を集めた展覧会だ。
展示を、京、大坂、江戸に加えて諸国、の4つのパートで構成される。1番人数が多いのは、最後の『諸国』パートだ。桃山時代以前は、絵を習うのも、絵の注文主がいるのも、ほぼ京、大坂に限られた。だが幕府が江戸に移ると、御用絵師を務める狩野派が大挙して京から江戸へ移動。さらに各藩でも幕府に倣って狩野派の絵師を抱え、その指導を受けた絵師が城下に育った。
また木版印刷が盛んになり、出版業が育つと、『北斎漫画』もような、見本となる絵を収めた、『絵手本』が普及する。そして流通する情報量の増大と経済発展は、各地方に、尖鋭的な表現を求める趣味・教養と経済力を持った注文主をも育てた。それまでの絵画史にはない、『地方の時代』はこうして始まったのだ。
信州・小布施に葛飾北斎を招いたことで知られる豪商・高井鴻山は、実は自らも筆を執り、奇怪な妖怪の絵を多数描いたかと思えば、濃厚な色彩の花鳥画も残している。一方、土佐藩の家老職・桐間家に絵師として仕え、後に贋作事件に巻き込まれて野に下った絵金の、芝居絵屏風も凄まじい。怨念で悪相となった累(かさね)が歌方姫の振り袖に歯を立てる場面に、直訴(じきそ)に向かう佐倉宗吾が、涙を振り絞って妻子と別れを惜しむ場面。歌舞伎の名場面を、泥絵具と呼ばれたどぎついほどの色合いで描くスペクタクルは、今日日(きょうび)の週刊誌も顔負けだ。あるいは長崎の片山楊谷描く虎の、硬さを物理的な刺激として感じられるほどの、毛描(けが)きの妙。黒や金茶の毛だけでなく、胡粉で描いた白く長い毛が、タワシのような剛毛の質感を見事に表現し、よくある画題であるにもかかわらず、見たこともない虎を現出させている。どこまでもありきたりではない、江戸時代の絵師と注文主が共に求めた、『奇=新』の多様さを、ぜひ会場で実感してほしい。」
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現代日本は、多種多様にして多元や多義の流動性を持って変化する地方・田舎を失い、柔軟性なく硬直した中央・都市となって衰退していく。
その証拠が、2019年の愛知トリエンナーレで展示された「昭和天皇の写真を燃やして灰を踏みにじる画像」を代表的現代日本アートとしている事である。
メディア・報道機関は、表現の自由で全面的に擁護していた。
国民世論も、反対・批判は少数で、賛成・支持が多数であった。
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日本人は、天皇の中で昭和天皇を最も嫌い、戦争犯罪者と告発し、天皇の戦争責任を追及し、天皇の戦争犯罪を糾弾している。
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昭和天皇は、親ユダヤ派で、人種差別反対派で、戦争反対の平和主義者で、歴史的人道貢献に深く関与し、日本人や朝鮮人のテロリストに最も命を狙われていた天皇であった。
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日本の近代化が成功し理由は、中央・都市が「田舎者」と軽蔑し馬鹿にし差別した地方・田舎にあった。
日本のような地方・田舎は、世界では珍しい。
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江戸は、中期までは街道・峠の時代だったが、後期は海運の時代であった。
海運が盛んになると、より多くのヒト・モノ・カネの移動が増え、同時に中央・都市から地方・田舎に文化が伝播され独自の文化を生み出した。
つまり、日本は方言の数ほど特色ある文化が華開いていた。
中央・都市の才能はあるが収入が乏しい文人や浮世絵師達は、地方・田舎の文化に飢えた豪商・豪農を頼って流れていった。
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日本の基盤を力強く支え、日本民族日本人の心・精神を平穏に安定させてきたのは、地方・田舎の空気エネルギーである。
何時の時代でも時代を切り拓く日本のイノベーションは、豊かで物が溢れる中央・都市ではなく貧しい物がない地方・田舎から起きていた。
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