🌈73)74)75)─1─江戸時代の好奇心は海を越えた。~No.124No.125No.126No.127No.128No.129  ⑭ 終わり。

好奇心と日本人 〔多重構造社会の理論〕
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本人の好奇心は、日本に豊をもたらしたが、同時に不幸・不運をも招いた。
 日本人の好奇心とは「パンドラの箱」であった。
 つまり、日本の幸福と幸運は開く事ではなく閉ざす事、籠もる事で得られた。
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 現代日本の歴史は捏造され、歪曲され、改竄されてウソが多く、本当・事実は少ない。
 歴史において真実は一つではなく、そもそも歴史に「これが真実だ」などはない。
 現代日本の歴史、戦後の日本の歴史にそれがハッキリと言える。
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 2020年10月4日号 サンデー毎日「今こそ。読みたい
 『好奇心と日本人 多重構造社会の理論』 鶴見和子

 藤原書店
 『見たい』『知りたい』という情動が活力になっていた時代があった
 評者 川本三郎
 好奇心とは何か。未知の海外の文物に対する好奇心もあれば、身近な動植物に対する無償の好奇心もある。
 『見てはいけない』『開いてはいけない』と禁止されながらつい見てしまい災厄を招く好奇心もある(まさにCuriosity killed the cat)。
 この人間の基本的な情動である好奇心を学問の対象にした面白い本。1972年に出版された本の復刊になる。
 著者(1918~2006年)は比較社会学者だけに、好奇心を広く日本文化、歴史のなかに置いてとらえてゆく。
 『日本人は好奇心の強い国民である』という。
 たとえば1542年、種子島に漂着したポルトガル人によって火縄銃を初めて見た日本人は驚き、興奮し、彼らを好感を持って迎えたという。
 またフランシスコ・ザビエルは、日本人は他の民族よりはるかに好奇心が旺盛で知識欲に富んでいると書き記している。
 幕末に日本に来たイギリスの外交官アーネスト・サトウもまた日本人は外国人に対しつねに好意的であったと記している。
 なぜ日本人は好奇心が強いのか。著者はさまざまな観点からその理由を探ってゆく。
 島国で外界と距離があったから未知のものに興味を持ったこともあるだろう。
 一木一草(いちぼくいっそう)に神が宿ると考える多神教の国だから、外からのものも容易に受け入れてしまうこともある。
 日本の歴史は開国と鎖国の繰り返しだった。そのため幕末になって外国と接した時、それまで抑えられていた好奇心が一気にほとばしる出た。日本の近代化はこの爆発的好奇心の結果だとする見方も興味深い。
 鎖国の時代にも海外に飛び出した人間がいる。漂流民。彼らは海難事故に遭い、やむなく国禁を破り、外国を知った。
 ロシアで長く暮らすことになった大黒屋光太夫アメリカに渡ったジョン万次郎。
 彼らはあふれ出る好奇心で異国の文化を眺め、観察し、帰国後、それを豊かに報告した。彼ら好奇心あふれる漂流民が徳川の鎖国体制に風穴を開けた。
 副題にある『多重構造社会』とは少し分かりにくいが、日本にはさまざまな集団、組織が切り離され、閉鎖的な社会、タテ社会を作っている。その社会を揺るがす力が、漂流民に象徴される好奇心だという。
 言葉の問題も面白い。
 日本語は容易に外来語を取り込んでゆく構造を持っている。
 『日本語の語彙の中で、約4割が中国語からの外来語、1割がその他の外来語』『わたしたちの使っていることばの半分は外来語だということになる』
 しかもこれは戦前の数字。現代は外来語がもっと増えているだろう。これも日本人の好奇心のあらわれ。
 小さなことだが『ズベ公』はポルトガル語スペイン語のespada(スベタ=トランプの零点札)に公が付いた言葉だとは、はじめて知った。
 近年の日本の社会は好奇心が弱くなっているのか、内向きになっているようだ。海外留学する学生も減っている。
 おまけにここにきてコロナ禍で、ますます外に出てゆかなくなってゆく。
 好奇心が弱まると社会の活力がなくなるのではないか。」
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 日本列島には、四季折々に変化する実り多き自然と雑多に多発し甚大な災害をもたらす自然はあっても、閉鎖空間であった為に好奇心を満たす高度な文化・技術が乏しかった。
 八方塞がりの息苦しい閉塞感から、江戸時代の人々は海外への好奇心は強かったが、その好奇心は、カビが生えたような古臭く分かりきった中国や朝鮮ではなく、幾ら考えても理解できない西洋に対してであった。
 日本人がアジアで関心を持っていたのは、御仏の国・極楽浄土がある天竺(インド・中央アジアガンダーラチベットなど)であった。
 中国の唐(から)とは、隋・唐・南宋であったそれ以外の諸王朝ではなく、現代の中国共産党が死と暴力で恐怖支配する中国ではない。
 日本は儒教の国といっても、日本儒教と中国・朝鮮の中華儒教は水と油に近いほどに違う儒教である。
 それは、仏教においても同様で、日本仏教は南宋までのアジア大乗仏教上座部仏教に通じるところはあっても現代の中国仏教・韓国仏教とは違う。
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 日本列島の外の世界は、強者必勝・弱者必敗、勝者生・敗者死という実力(知能・身体能力)至上の弱肉強食社会であった。
 つまり、世界の常識とは支配者・民衆・奴隷の三層階級社会であった。
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 日本人は昔から海外に対する憧れが強く、海外には極楽浄土・天国のような理想国家がり、日本はその理想国家に比べたら野蛮で酷い国だと信じていた。
 そしいて舶来の品であればどんなガラクタでも優れて素晴らしいモノだと信じ、高価で取引し、財産を傾けて購入して自慢して飾り拝むように眺めていた。
 舶来物に比べて如何に優れた日本産も価値が低いとされた。
 蘭癖大名は他藩よりも先に舶来物を大金を払って購入した為に、藩の財政は赤字となり、領民に対して重税が課せらた。
 領民(百姓)は、大名の外国趣味の為に、重税で貧困を強いられ生活苦から借金が嵩み、娘は家族の犠牲として女郎に売られていった。
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 日本は現代より時代が古くなるほど、日本人の好奇心が旺盛である。
 特に江戸時代は鎖国をしていたが、知識人は海外に対する好奇心が旺盛で外国語が読めないにもかかわず大まかな西洋事情を知っていた。
 徳川幕府は、より詳しい情報を持っていたが公表せず隠匿していた。
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 現代日本の歴史は、鎖国を批判している。
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 鎖国には大きく二つの目的があった、宗教的人種差別を神の御名による正義とする排他的不寛容な一神教キリスト教の排除と海外の疫病を水際で食い止め国内に蔓延させない事であった。
 疫病においては、中国人商人が出入りする長崎の唐人屋敷辺りから幾度も上陸し、京・大阪の西日本の広がり、より毒性と感染力の強い疫病は江戸の東日本まで蔓延して夥しい犠牲者を出していた。
 キリスト教への恐怖は、中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人らによって日本人(女性や子供)が奴隷として海外に売り飛ばされた事である。
 が、民族遺伝病とも言える重度な健忘症の日本人は祖先に起きた忌まわしい出来事を全て忘れ、思い出したくもない記録は残さず不都合な古文書は破棄した。
 日本人を中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人に奴隷として売ったのは、日本人である。
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 日本の庶民(百姓や町人)とは、武士・サムライが嫌い差別した強欲な人間であった。
 日本人は、金持ちになる為に日本人の命を金で売ったのである。
 現代日本人は、そうした強欲非情な日本人の子孫で、その証拠に中国との貿易の為にチベットウイグル内モンゴル・香港などで中国共産党が行っているジェノサイドに関心を持たない。
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 現代の日本人は、死を覚悟した潔い武士・サムライではなく、金に意地汚く生きる事に貪欲な庶民の子孫である。
 その気質は、右翼・右派・ネットサハに色濃い。
 そして、当然の事ながら左翼・左派・ネットサハも武士・サムライの子孫ではない。
 特に反天皇反日的日本人達は、武士・サムライでもなければ庶民でもない。
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