🌈17)─1─日本文化の真髄は精神・心・魂を鎮める息の文化である。〜No.33  

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2018年12月20日号 週刊新潮「『深呼吸』は大間違い!
 『肺炎』から身を守る
 『呼吸筋ストレッチ』
 ヒントは『茶道』『華道』・・・『誤飲性肺炎』を防御
 『桶狭間』で『信長』を勝たせた『能』トレ
 『口呼吸』が『認知症』を招く!
 気持ちを落ち着かせるべく深呼吸をする。それが却(かえ)って身体のバランスを崩すことに繋がりかねないというから驚く他ない。信長を桶狭間で勝たせたのは能による呼吸調整法だった、口呼吸が認知症を招く・・・専門家による目から鱗の『呼吸論』。……
 本間生夫
 人間は全く飲まず食わずでも数日は生き延びることができます。しかし、呼吸が止まると数分で死んでしまう。その意味では、呼吸は食事より大事なのです。
 一分間に15回、一日に2万回、一年に730万回。これは凡(おおよ)その数ですが、我々は『空気の出し入れ』を一生に亘(わた)って続けています。呼吸には『良い呼吸』と『悪い呼吸』があり、老化のカギを握っている。
 皆さんは普段、自然に呼吸しているから、その有難さに気づいていません。知らず知らずのうちに呼吸機能が落ち、衰えていくというのは悲劇的です。しかし、呼吸機能はとれーにんによって、ごく簡単に強化することができます。いくら年を取ってからでも遅すぎるということはない。後で触れますが、体調が良くなり、疲れにくくなり、気持ちが安定していくのです。
 今年の7月、『すべての不調は呼吸が原因』(幻冬舎新書)を上梓しました。この記事はそこからエッセンスを抽出した内容となっております。もっと詳しく知りたい方は、拙著をご参照ください。
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 呼吸筋を鍛えるべし
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 人生の成功につきもの
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 源平合戦の『能』の最後の場面には、戦いが終わって夜が明けてくる、その緊張感が手に取るように伝わってくる箇所があります。
 〈春の夜の 波より明けて敵(かたき)と見えしはむれゐる鷗(かもめ) 鬨(とき)の声と聞こえしは 浦風なりけり高松の 朝嵐(あさあわし)とぞなりにける〉
 非常に心地良いリズムです。英語でやっても意味がないんですね。
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 人生の成功に『良い呼吸』はつきもので、アスリートならずとも大事な瞬間の前には呼吸をしっかり整えているものです。呼吸には『不安定な自分』を『いつも通りの自分』に戻す働きがあり、そういった呼吸の力を日本人は経験的によく知っていたのではないでしょうか。例えば、織田信長は勝負所でいつも、能の『幸若舞(こうわかまい)』を舞っていました。
 〈人間50年、 下天(げてん)のうちを比べれば、 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり〉
 本能寺の変で舞ったかは定かではありませんが、桶狭間の戦い前夜に舞い謡ったことは『信長(しんちょう)公記』に記されています。
 去年、私はNHK『歴史秘話ヒストリア』の信長特集に出演しました。たった2,000の兵力で今川義元率いる4万の軍勢を破った、そもとき一体・・・ということですね。信長はいわば勝負曲だった幸若舞で呼吸を落ち着かせ、集中力を高めた。能楽のリズムには呼吸を深くゆっくりと安定させる働きがある。そうすると不安も解消される。番組のディレクターに、『信長って一般には非常に強くて理想的な武将という印象があると思うけど、これを紹介したら、常人と変わらなくて不安ばかりの人間ってことになっちゃうよ』って言ったら、曰く『いや、それでいいですよ』と。
 10年のギャップを克服
 生きるというのは、『息の出し入れ』の繰り返しに行き着きます。呼吸を突き詰めようとしたのは何も信長に限りません。書道、茶道、華道、香道、剣道、柔道、空手道など、『道』のつく文化はどれも呼吸や間合いを大切にしています。
 茶道や華道をはじめ、日本の伝統文化を築いてきた先人は、無駄なものを全てカットしていき、『最後に残るもの=呼吸』をうまく活かしてこその人生だとよく分かっていたのではないでしょうか。
 私は20年ほど前から能を科学的に研究し、自ら『オンディーヌ』というタイトルの能を作り、パリで公演もしました。とても好評を博したものです。面(おもて)をかけ、感情を表に出すことのない能では、観ている人にそれを伝える手段は『息づかい』に限られます。感情の昂ぶりを示す場面では呼吸が激しく乱れる。息づかいだけで『生きること』を表現しようとしているこのになる。この点、能は呼吸を突き詰めてきた日本人の到達点、究極の表現形態だと言えるのかもしれません。西欧のスタイルであれば態度で示すところを能は呼吸で表す。そういった『内的表象』は西欧にはない。だからとてもウケるんです」
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 日本における無言の感情表現、意思の疎通、コミュニケーションは、世界共有の大陸式ボディー・ランケージ(身振り言語)ではなく、息の緩急をつけた出し入れによる呼吸言語であった。
 呼吸言語は、中国の京劇などの古典演劇や少林寺拳法太極拳などの武芸に通じる所がある。
 日本民族日本人は、言葉による感情表現・意思の疎通・コミュニケーションは下手である。
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 日本文化の「息」とは、科学的論理的な呼吸とは違い、中国や朝鮮にはない呼吸法である。
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 日本民族日本人は、心が折れやすくひ弱でストレスに弱かった為に、殊更に精神力を鼓舞する必要があった。
 その心の弱さを隠す為に、根性・忍耐・我慢などという精神主義を声高に叫んでいた。
 心が萎えやすく自信がない為に、縁起を担ぎ、占いや迷信を信じていた。
 日本民族日本人は、臆病で、怖がりで、心配性である。
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 現代に日本人は、昔の日本人とは別人的な日本人である。
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 日本列島には、花鳥風月プラス虫と水のせせらぎの音、苔と良い菌が生成する空気などで生み出される1/fゆらぎやマイナス・イオンが充満している。
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 自然環境風土は、日本列島と朝鮮半島・中国大陸とでは別世界的に違し、そこで生まれ育った人間も違う。
 よって、日本民族日本人・琉球人・アイヌ人は、漢族系中国人や朝鮮人とは根本的に異なる。
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 息の文化は、1980年代を境に、昔は伝統文化として根付いていたが、現代は消え始めている。
 息の文化を破壊し消滅させてきたのは、「個人、自由、人権」の戦後教育である。
 つまり、日本独自史観を否定したキリスト教価値史観、マルクス主義価値観、中華儒教価値観史観である。
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 日本が、甚大な自然災害などで法秩序が機能しなくなっても公序良俗で社会治安が守られ、無政府地帯・無法地帯・犯罪者横行地帯にならず暴動・略奪、暴行・強姦が起きないのは、伝統的な「息の文化」が日本列島・日本民族日本人にしっかりと根付いているからである。
 阪神淡路大震災東日本大震災の被災地での日本人の身の処し方は、子供でも理解し行動する極普通な当たり前の事であった。
 息の文化は、憲法や法律ではなく、宗教の律法や掟でもなく、哲学・思想・主義主張とも関係なく、それらとは別次元に存在する。
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 縄文時代を入れれば数万年という日本民族の歴史で例外とされているのが、関東大震災朝鮮人惨殺、南京攻略後・シンガポール攻略後の敵性人虐殺などの数例である。
 そして、日本人を奴隷として中世キリスト教会や白人キリスト教徒商人に売った戦国時代である。
 現代日本は、その例外に入るのかもしれない。
 つまり、日本は急速に朝鮮化・中国化しつつある。
 その現れが、キレやすい老人や若者、悪質なクレーマー、あおり運転、イジメ、虐待、感情の制御ができない、SNSの悪質な正義、などなど深刻な社会問題化し始めている心の病・精神の崩壊である。
 そこには、伝統的息の文化は存在しない、というより消滅している。
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 悪しき呼吸で、悪しき言葉を垂れ流す心穢れた卑しい日本人が、実社会やインターネット社会で病原菌・バイ菌のように増殖し、日本を回復不能な状態へ崩壊させる方向へと追い込みつつある。
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 息の文化は日本だけの独自文化であって、朝鮮や中国の文化とは無関係であり、朝鮮や中国には存在しない。
 日本独自の息の文化を形成し成熟させたのは、インド発祥の仏教である。
 インドを出た仏教は、中央アジアや中国を経、各地の宗教・文化・学問・風俗で変化しながら日本に伝来し、日本でさらに変種仏教に変貌して根付いた。
 変種の日本仏教が、息の文化を完成させた。
 日本の息の文化は特段に優れた文化ではなく、甚大な自然災害が多発する日本列島で必要であったから生み出されたに過ぎず、自然災害が少ない中国・朝鮮やその他の大陸地域で通用するとは限らない。
 むしろ、通用しない事の方が多い。
 つまり、日本の息の文化は世界を救わない。
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