🕯107)─1─高野山・奥之院の墓所・墓碑は身分・地位そして生前の所業や敵味方は関係なし。~No.231No.232 ㉑ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の民族宗教は、神仏を祀る崇拝宗教であって絶対神の福音に従う信仰宗教ではない。
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 日本人は、日本民族は、死ぬと生前の身分、階級、地位、家柄、出自を問わず、上下関係もなく、等しく仏として弔われ神として祀られる。
 日本民族は、中国や朝鮮とは違って「罪を憎んで人を憎まず」を信じている。
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 2021年9月号 WiLL「石平が観た日本の風景と日本の美
 高野山・奥之院で教わったこと
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 高野山と奥之院を初めて訪れたのは神戸大学の留学生時代。大学院のゼミ旅行で高野山に登り、そして龍神温泉に泊まった。われわれ一行は壇上伽藍(だんじょうがらん)から奧之院までずっと徒歩で散策したが、高い山の奧にこんな広大な『仏教都市』が存在していることに驚いた一方、奥之院を歩いた時に受けた感動は今でも記憶に新しい。延々と続く参道の両側には、千年の大樹や数えきれないほどの墓碑、五輪塔が並び、自分と周辺の人間をみな、厳粛にして清らかな異世界に包み込んでいったのである。
 その頃、日本史に関する初歩的な知識が多少備わっていたから、日本の歴史人物の多くがこの奥之院に墓所や墓碑を持っていることに目を見張った。武田信玄から上杉謙信織田信長から柴田勝家豊臣秀吉に徳川家、浅野内匠頭に四十七氏、日本の歴史をつくった驚天動地の人物たちは、ここで静かに眠っているではないか。
 参道を歩く途中で指導教官の教授が、私をつかまえて話しかけてきた。
 『石平君、分かっているかな。日本は実に面白い国って。歴史上お互いに戦い合った敵同士でも、ここでは一緒に眠っているのよ』と。
 教授にそう言われてみると、『なるほど、そうだったのか』と思った。確かに、あの武田信玄上杉謙信は生前、例の川中島周辺で5回にもわたって熾烈に戦った。しかし今、奥之院にある武田信玄の墓から歩いて数分の距離に、上杉謙信の霊屋(たまや)がある。この2人の霊は聖なる空間を共有しながら、戦うことはもはや永遠になく。
 後(のち)に調べてみると、生前において敵同士あるいは仇同士であった人物が同じ奥之院で眠っているケースは、何も武田信玄上杉謙信にかぎったことではないことがわかった。
 『謀反人』として織田信長を殺した明智光秀は、殺された信長と同様に奥之院にお墓を持っており、関ヶ原の戦いに敗れ、家康に処刑された石田三成のお墓は、家康の十男である徳川頼宣の墓からかなり近い距離にある。
 歴史上、不倶戴天の仇敵同士でも、弘法大師がお開きになったこの真言宗の聖なる霊域では、生前の怨念や憎しみを超えて『平和共存』して仲良く眠る。このような不思議な光景は日本仏教の懐の深さを表すと同時に、その背後にある日本精神の懐の深さの表れでもあろう。
 真言宗の教えはそもそも、弘法大師が中国大陸から日本に持ち帰ったものであるが、私の出身国の中国の文化的伝統において、敵味方を分け隔てなく、包み込むような精神はありない。むしろ、仇敵のお墓を破壊し、死体まで暴く。これが中国式の戦いの流儀である。だから仏教が中国にあったにしても、奥之院のような憎しみや怨念を超えた聖地は中国に存在しない。
 そういう意味で、同じ仏教でも日本仏教は中国仏教とは違うし、同じ儒教からの影響があるにしても、日本人が理解している儒教と本場中国の儒教は実は、別々の文明と文化を持っているのである。
 これは、中国出身の私が日本の聖地である高野山・奥之院で学んだこと、感じたことの一つだが、これからも時々、自分の心の癒しのために高野山に登り、奥之院の聖なる空間に溶け込んでいきたいものである。」
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 ウィキペディア
 金剛峯寺は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院。正式には高野山金剛峰寺(こうやさんこんごうぶじ)と号する。
 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの盆地状の平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。
 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、金剛峯寺山号高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。

 奥之院
 表記は「奥の院」「奥院」などとされる場合もある。寺院群の東端にある奥之院入り口の一の橋から中の橋を経て御廟橋まで、約2キロにわたる参道が続く。日本には古来から川を、この世とあの世の境とするする習わしがあり、橋を渡る事であの世へ渡るとされ、また川を渡る事で穢れを落とすと考えられていた。奥之院では3本の川を渡る三重構成となっており、これら川と橋を渡る事で仏の浄土(聖地)へ至ることができるとされている。中世以降、高野聖による勧進や納骨の勧めにより参道沿いには約20万基を超すともいわれている石塔(供養塔、墓碑、歌碑など)が立ち並ぶ。御廟橋を渡ると空海入定の地とされる聖地となる。一番奥に空海が今も瞑想しているとされる御廟があり、その手前には信者が供えた無数の灯明がゆらめく燈篭堂がある。空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥之院で生きていると信じられている入定信仰があり「死去」「入寂」「寂滅」などといわず「入定」というのはそのためである。
 毎年8月13日に奥之院で萬燈供養会が開催され、一の橋から奥之院までの約2kmの参道を一般参拝者によって約10万本のローソクに灯をともし、先祖や奥之院に眠る御霊を供養する高野山ろうそく祭りが催されている。
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100のストーリーで大人の知的好奇心を満たす和歌山の旅
 高野山 奥之院参道と戦国武将
 高野山空海の御廟を中心とする聖域で、古くから奥之院と呼ばれます。承和2年(835)に没した空海は、今もなお高野山で「入定(永遠の瞑想に入る修行)」していると信じられています。聖域入口の「一の橋」から奥之院へと続く参道は、約1800本もの古木に覆われ、20万基を超える墓石群とともに厳粛で神秘的な時間が流れています。ちなみに、高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっています。これは徳川家康高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるというから驚き。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えました。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れる高野山の懐の深さを体感してみてはいかがでしょうか。
 秘話 1奥之院参道に戦国武将などの無数の墓地図
 奥之院参道には約20万基もの墓が並んでいます。中には武田信玄上杉謙信織田信長豊臣秀吉伊達政宗といった戦国武将の墓も。これは高野山、しいては空海のそばで眠りたいとの先人たちの願いがこめられています。墓石の形とサイズは多種多様で、宗派や敵味方関係なく並んでいます。
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高野山を巡る (TJMOOK)
高野山の秘密 (扶桑社BOOKS)
弘法大師空海と出会う (岩波新書)
空海は、すごい 超訳 弘法大師のことば
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 日本民族は、生前は敵味方として殺しあっても、死後は敵味方ではなくなる。
 何故、世界常識では考えられない宗教的珍事が起きているかと言えば、異民族に侵略、征服され、異民族に支配され奴隷にされなかったからである。
 それが、日本特殊論の初めである。
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 同じ日本人といっても、昔の日本人と現代の日本人は別人のような日本人である。
 同様に、日本民族と日本人が同じとは限らない。
 何処がどう違うかと言えば、それは平和貢献や人道貢献を行ったA級戦犯が祀られている靖国神社問題でり、絶望の淵で死を覚悟したロシア人・ポーランド人の子供やユダヤ人などの弱者に生きる希望を与えた軍旗・旭日旗問題である。
 靖国神社旭日旗を護るか護らないか、それが日本民族と日本人の分かれ目である。
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 日本民族の庶民は、渡来した盤上ゲームで中国の囲碁・碁よりもインドの将棋を好んだが、西洋のチェスは好きになれなかった。
 遊興人口は、将棋が断トツに多く、次ぎに囲碁・碁で、チェスは少ない。
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 日本民族の思考や感情は余りにも特殊な為に、世界の常識からすると理解されないどころか嫌悪され攻撃の対象にされた。
 日本理解不能傾向は、隣国の中国や朝鮮で最も強い為に、イライラさせ、敵意を持たれた。
 それ故に、古代から日本と中国・朝鮮は仲が悪い。
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 日本の宗教風土には、仏教の将棋は馴染みやすく、儒教囲碁・碁やキリスト教のチェスは馴染まない。
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 日本列島に住む人間はもちろん如何なる生物も、この大災害と甚大な被害から逃げられない。
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 日本民族は、石器時代縄文時代に、南から丸木舟を漕いで、南西や西から陸続きを歩いて日本列島に渡って来て定住し、雑居し、乱婚を繰り返して生きてきた。
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