⛩11)─1─火山列島における最古の神「大穴持神」。永遠の命が宿る大樹=御神木と皇室。~NNo.20No.21 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本民族にとって火山は、神様で、ご神体で、信仰の対象であり、崇拝の対象であり、敬虔な気持ち、畏怖の念を抱いた。
 現代の日本人は、宗教を持たず、神や仏を信じない、それどころか嬉々として神や仏を殺している。
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 現代日本には、伝記・伝説・歪んだ神話はあっても真の神話はない。
 つまり、自然及び科学を無視して意図的に作られた無意味な安全神話が転がっている。
 その証拠が、東日本震災における福島第一原子力発電所事故である。
 日本には、如何なる安全神話も存在せず、日本列島には安全なところはどこにもない。
 根拠のない各種安全神話を日本に当てはめて信じる事は有害で、くだらない安全神話を信じて安心すると「死」を招く。
 その証拠が、東日本震災における大津波であった。
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 2021年5月15日号 週刊現代「今日のミトロジー 中沢新一
 大穴持(オオナモチ)神の復活
 このところ日本列島とその周辺ではオオナモチ神の活動が活発である。
 そのメッセージを読み解くことが、日本の未来を開くであろう
 火山列島
 日本列島のような、地質的に危うい場所に築かれた文明というのも、あまり類例がない。ヨーロッパ文明にせよ中国文明にせよ中東文明にせよ、ほとんどの大文明は、盤石な土地の上に築かれている。ところが、私たちの日本列島は、流動するマグマの上に乗って揺れ動いている大地の上にある。
 地質的にも、この列島は比較的脆弱である。地球物理学者たちは、日本列島がユーラシア大陸から崩れ落ちてくるデブリ(堆積土砂または残骸)が集まってできあがった列島であり、それがなんども折れ曲がったり、くっつきあったりした末に、ようやく今のような形に落ち着いてきたことを、あきらかにしてきた。
 おまけに列島がお腹をさらしている太平洋の海底は、地底マグマの影響でつねに拡大を続けているために、ユーラシア大陸のほうにたえず押しやられている。そのせいで、周りにはいくつものプレートが集まってきて、その境目のあたりが擦れあったり、せめぎあったり、崩れたりを続けている。日本列島はそのためにしょっちゅう、地震津波や火山の噴火に見舞われている。
 だから日本文明の中で、堂々として揺るがない『盤石な大地』という概念が育ちにくかったのは、当然である。古代からこの列島は、龍蛇や大鯰の背中の上に乗っていると想像されてきた。龍蛇はしじゅう体をくねらせながら動いている。大鯰の体はぬめぬめと滑りやすく、その背中に乗っかっている列島は、つねに滑落の危険にさらされている。
 日本人はこの不安定な大地の上に、その文明を営んできた。そのせいだろうか、ここでは確実な真理を打ち立てようとする情熱が芽生えることは稀で、堅固な論理よりも、揺れ動く情緒のほうが好まれてきた。今日、日本文化の独自性と言われていることの多くは、そのあたりから発生している。
 列島最古の神
 こういう列島の上に、数万年前から人は住み続けてきた。旧石器時代縄文時代弥生時代と、そこに住む人たちの生活やものの考え方も、変わってきた。しかし揺れ動く大地は変わらなかった。そのためであろう、火を吐く山々を抱え、つねに揺れ動く、この列島の大地に与えられた神の名前も、変わらなかった。その荷見の名前は『オオナモチ』、漢字で『大穴持』と書かれた神でsる。
 8世紀の記録に、オオナモチという神の名前が登場してくる。この頃、南九州では海中火山の噴火が相次ぎ、その報告を受けた奈良の朝廷は大慌てで、猛威を振るうこれらの火山神を、正式な神の仲間に列することで、怒りを鎮めようとした。『大隈の海中に神ありて、島を造る。その名を大穴持の神と曰ふ。ここにいたりて官社となす』(778年の記録)。
 大きな穴を持つ神=オオナモチは、文字どうり噴火口を持つ火山の神である。この神はすでに縄文人でもよく知られていた。例えば駿河湾から富士山麓に入植していった縄文人は、富士山が噴き出した溶岩流の最先端に接するように、神への遥拝所である『神籬(ひもろぎ)』を作っている。彼らは富士山そのものを『大きな穴を持つ神』とみなし、その穴から流れ出てくる溶岩を、力の源泉としてお祀りしていた。
 オオナモチという神の名前は、縄文時代から日本列島の広い範囲で知られていたと思われる。火山の神名から生まれたオオナモチは、そのうち大地そのもの、列島そのものの神の呼び名に変化していった。地震が起こっても、それは大地の神オオナモチが体を揺すったからであると解釈されるようになった。とりわけヤマト朝廷の影響力に対抗していた、イズモ系の人たちは、先祖以来の伝統を尊重して、オオナモチを彼らの重要な神とした。
 イズモの国では、大地の神オオナモチと、その大地の上にできたクニを統治する神オオクニヌシ大国主)は、一体とみなされた。オオナモチはときに憤怒を示す神だが、オオクニヌシは温和な優しい神である。イナバの浜でいたずらものの白兎を助けたのはオオクニヌシ=ダイコク様は、もとをただせば噴煙をもうもうと上げて、火の灰を降らす火山神なのである。日本列島に住んだ最古の神の名は、こうしてイズモ神話の中に保存されて、今日に伝わった。
 よみがえる異教の神
 オオナモチの神は、もともとヤマト朝廷系の神々とは異質な、いわば『異教の神』なのである。太陽神アマテラスにたいしては、暗黒の大地に潜む神であり、その意思は自然の暴威としてしめオオナモチの存在は、長いこと忘れられていた。ところがそのオオナモチが、阪神淡路大震災から東日本震災をへて、日本人の心に大きな影を落としはじめているように、私は感じるのだ。
 日本人はあらためて、自分たちが日本列島という危うさを抱えた大地の上に、生きていることを痛感し、いまはまた新型コロナウイルスが象徴する自然力の侵入に、翻弄されている。日本人の無意識を規定してきたミトロジーの体系を、いまこそ大転換する時が来ているのではなかろうか。なにかが火山列島に暮らす民に、オオナモチへの目覚めを促すことによって、新しい時代に備えよと、信号を送っている。」
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 出雲国風土記
 大穴持命(おおなむちのみこと)
 大穴持命とは、出雲を中心に国土を開拓して国家の基礎を築いた「国造りの神」であり、「大国主オオクニヌシ)」の名でよく知られています。なお、出雲大社主祭神であり、出雲では最も崇敬されている神です。
 『記紀』においては、「葦原中国平定」で天津神に国譲りするまでは葦原中国(地上)における主神であり、今でも全国には大国主を祀る多くの神社が点在しています。
 『出雲国風土記』においては、「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」と呼ばれる最も神格の高い国津神として扱われており、出雲国に多大な影響を与えた神として、数多くの説話が記されています。 
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 大穴持神社(おおなむぢじんじゃ)は、鹿児島県霧島市国分広瀬にある神社。式内社で、旧社格は県社。神紋は「五七の桐」。通称を「オナンジサア」。
 祭神
 現在の祭神は次の通り。
 主祭神
 ・大巳貴命(おおなんじのみこと/おおなむちのみこと、大国主命
 相殿神
 ・少彦名命(すくなひこのみこと/すくなびこなのみこと)
 ・大歳神(おおとしがみ、大歳命)
 ・住吉大神
 ・霧島大神 - 昭和22年(1947年)に現在の広瀬公民館の地から遷座・合祀。
 祭神の人格神をオオナムチ(オオクニヌシ)に比定する説は、奈良時代宝亀9年(778年)に遡り、『延喜式神名帳でも「大穴持神社」と見える。出雲地方を起点とするオオクニヌシ信仰が鹿児島まで及ぶことを示す神社として紹介されることもある。現在は医療の神・まむし除けの神として信仰される。
 歴史
 創建
 創建は不詳。社記では天平年間(729-749年)の創建とする。元は後述の神造島に鎮座したが、島崩れにより現在地に遷座したとする伝承がある。
 『国分諸古記』・『神社仏閣帳』では、当初は奥州津軽山に鎮座したとし、日向国串島、大隅国福瀬之渡、福島村を経て小村の当地に鎮座したとする伝承を記す。
 概史
 『続日本紀』では、古代の大穴持神社に関して次のように見える。
 ・天平宝字8年(764年)12月是月条 - 大隅国薩摩国境で起こった噴火によって3島が出現。
 ・天平神護2年(766年)6月5日条 - 「大隅国神」が新島を造り震動がやまず、人民の多くが流亡したので、物をめぐみ救済した。
 ・宝亀9年(778年)12月12日条 - 神護年間に島を造った神の名は「大穴持神」であり、官社とした。
 出現した3島については、隼人港沖の辺田小島・弁天島・沖小島に比定する説が一般的であった。しかし火山学的にはそれらは奈良時代の噴火で生じたものではないとされ、実際の3島は桜島付近に所在したがその後に海没したとする説が挙げられている。
 延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では大隅国囎唹郡に「大穴持神社」と記載され、式内社に列している。
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 2021年6月号 Hanada「コンパラティスト 一比較研究者の自伝 平川祐弘
 六十の手習い
 御神木
 雨森信成は神社仏閣にまつわる説話を語ることによって、日本の宗教文化を西洋人観光客に知らせようとした。近年の東京は外国人観光客に知らせようとした。明治神宮では神前結婚で結ばれる青い目の新郎新婦もいる。売店に置くために『What is Shinto? 小泉八雲のみた神の国、日本』というブックレットを私どもが日英両文で2018年に書いたものも、この明治の忘れられた先覚雨森にみならってのことだ。共著者の牧野陽子さんの英文は達意(たつい)でおだやかで見事だが、私も理のあるところを平明に主張した。以前にフランス語で一冊『日本人とは何か──西洋作家の解釈した神道』を書いたせいか、英文も気楽に書けた。問題は私が以下で述べる御神木にまつわるような感情を内外の読者も共感してくれるかどうかである。
 村の鎮守の杜(もり)は、そこに代々の村人の命が宿る一隅で、その杜に畏敬の念をおぼえるのが日本人の神道的感覚だろう。都会にあっても御神木といわれるほどの老樹は、その界隈の人々には、やはり永い命の象徴であるだろう。樹齢が数百年を越すような大樹が根をおろしている町では、朝夕その樹を眺めるだけでも住む人は慰められる。ふだんは忙しさに取りまぎれて、見ていながら見えないでいる人も、その樹が枯れて倒れた時は、そこにぽっかりと空いた空虚さを感ずるだろう。ある朝、見なれた樹がない。そんな淋しいことはない。
 それと同じことは連綿と続く天皇家についてもいえる。私たちが皇室におぼえる共感は、実は政治的なものであるより、それがいつまでの続く民族の永生(えいせい)の象徴であるから有難いものではあるまいか。その日、御神木について私はそんな感じを受けていただけに、年が明けて1月7日に昭和天皇崩御された時は、わが国で真に品格のある老樹がついに倒れられてしまった、という淋しさをおぼえた。」
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 連綿と続く天皇家の正統性は、民族中心神話・血の神話・Y遺伝子神話にある。
 天皇の正統性は、最高神である女性神天照大御神の子孫で、神の血を直系長子として受け継ぐ男系父系の万世一系の家族・一族ののみに存在する。
 神の血を正しく受け継がない女系母系には、正統性はない。
 政教分離の原則で、民族(ローカル)が数千年の歴史で受け継いできた宗教・伝統・文化を排除して、ここ数十年の歳月による世界(グローバル)が認める普遍的価値の憲法・法律で即位を承認する玉座には正当性はあっても正統性はない。
 日本民族の歴史・文化・伝統・宗教は、数万年前の縄文時代石器時代に繋がっている。
 現代日本人の時間とは、1946年から始まり、1980年代後半に定まったに過ぎない。
 つまり、現代日本には正当はあっても正統はない。
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 神木(しんぼく)とは、古神道における神籬(ひもろぎ)としての木や森をさし、神体のこと。また依り代・神域・結界の意味も同時に内包する木々。御神木とも称される。
 一般的に神社神道の神社、神宮の境内にある神体としての木や神聖視される木、その周りを囲む鎮守の森や、伐採をしないとされる木を指す。
 この他、神社の所有地、民間の所有地にあって民間伝承などの特別な謂われのある木を指す。神社の造営に当たってその木材となる植林または自生する特別に伐採された木を指す場合もある。
 概要
 神籬・磐座信仰(いわくらしんこう)という自然崇拝も古神道の一部であり、神や命や自然に対する感謝や畏怖・畏敬から、環境が変わる場所にある象徴的なものを、木に限らず神体とした。この古神道から数千年を経る中で、形式や様式が器としての神社や内面としての祭礼が、外来の宗教の影響または独自に確立され、神社神道などになっていった。
 神の居る場所は、社(やしろ)といわれる神道の神殿に移っていったが、日本に数万ある神社は、もともとは、この古神道における神籬のある場所に建立されたものがほとんどであり、そのことから境内に神籬としての神木や磐座としての霊石(岩)やあるいは碑や塚が存在し祀られている。また古神道神社神道は、ある部分では共存し不可分でもあるため、神社によっては社を持たず、神木をそのまま神体として祀っているところもあり、また、神社はなくとも自然そのままにある神木が多くの信仰を集めている場所もある。
 先端がとがった枝先を持つ常緑樹が、神が降りる依り代(玉串)として神事に使われることも多い。玉串として最も一般的なものはサカキ(榊)だが、関東以北では植生上サカキが自生しないため、ヒサカキ(姫榊)やオガタマノキ(招霊木)を用いることもある。一般に玉串は神前に供えるために伐採された枝を示し、神木は大地に根を張ったままの状態を言う。
 依代
 神依木(かみよりぎ)、勧進木(かんじんぼく)等は神の依り代とされ、しめ縄などで特別扱いされている。社殿の無い神域などでは御神体として扱われている。ナギやモチノキ、スギなどが多い。
 この他、伊勢神宮の神宮スギなど景観維持や、荘厳さを醸し出すために依り代とは別に特別視された木などを神木扱いにしている場合もある。山などで仕事をする物にとって、山の神の依り代として目立つ木を一時的に神木とし、祀る場合もある。
 神社神道における儀式で使われ、サカキやナギによって作られる御幣も神籬というが、もともとは、古神道における自然にある神木の代用としての、簡易の依り代である。
 神域・結界
 古神道において神籬は、神の宿る場所としての神域、または常世(とこよ)と現世(うつしよ)の端境と考えれ、恐れ敬った。そして人や現世にあるものや、常世に存在する神やまたは、現世にとって禍や厄災を招くものが、簡単に行き来できないように、結界として注連縄をはり、禁足地とした。現在でも沖ノ島など社や神木や鎮守の森だけでなく島全体が禁足地になっているところも多くある。招福したい時を一定の期間だけ設けて、神木などの結界を解き神を招くという儀式や祭礼を行うところもある。
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 日本民族は、数万年前の旧石器人から始まり、縄文人弥生人倭人、日本人と、血・肉体、命・志・精神、魂・霊魂など全ての面において、途切れる事なく、途絶える事なく、一系・一色の単一で繋がっている。
 が、現代日本を支配する、同調圧力・場の空気・空気圧・空気、悪しき言霊は異系・異色の別物である。
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 無宗教で神を信じない科学至上主義者の現代の日本人と、崇拝宗教を持って神仏を大切に崇めていた自然至上主義の昔の日本人とは、相容れない別人のような日本人である。
 そして、現代の日本人は民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力は乏しい、もしくはない。
 現代日本人は、歴史が嫌いであり、日本文明も日本文明も無縁である。
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 日本民族は、自然を神として崇め、自然災害を神の怒りと恐れ、神を怒らせない為に自然を大事にし、神の徳(惟神の道)に従って生きてきた。
 日本民族は、社会の中心に人ではなく自然を置き、太古から変わらない姿のままで自然を保存し、その疑似的存在として里山をムラ総出で手入れをして維持した。
 それが、生まれた土地での産土神崇拝であった。
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 日本民族の歴史とは、民族中心神話=日本神話と血の神話=高天原神話つまり日本書紀古事記である。
 日本において正統性と正当性は別物で、正統性は神聖不可侵で不磨の神話であり、正当性は書き替え可能な創作の物語である。
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 現代の日本人と昔の日本人の違いは、如何なる事態に追い込まれ、如何なる現象に見舞われても逃げずに死を覚悟し死力を尽くして「戦って(戦争をしてでも)生き抜く」という決意である。
 それが武士道であるが、現代の日本人が好み武士道は偽物である。
 現代日本には、まがい物の武士道神話と悪質な言霊そして科学的根拠のない各種安全神話が徘徊して日本人を毒している。
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 日本人の祖先は、勇気ある冒険者、パイオニアに富んだ開拓者、困難に立ち向かう勇者ではなく、優れてもいないし賢くもないし秀でたところもない、数人が漕ぐ手漕ぎの小舟で流れ着いた漂着者に過ぎない。
 雑多の人々が流れ着いて、乱婚を繰り返して生まれた「血が汚れた」混血の雑種民族である。 
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 日本人の祖先は、上陸してきた移住者は少数で、多くは流れ着いた漂着者である。
 日本人とは、日本列島に住む人間の事を言う。
 日本列島に住み着く人間はいたが、日本列島から出ていく人間はいなかった。
 対して、中国大陸も朝鮮半島も目まぐるしいほどに大量の人の出入りが絶えなかった。
 その傾向は、現代でも変わらない。
 その意味で、日本は表面的に多様性がないが内面では複雑な多様性を秘めている。
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 人類史・文明史において、火山・地震・台風・豪雪などの甚大な被害をもたらす災害が複合的に同時多発する最悪な自然環境の日本列島では高度な文明や洗練された文化は生まれづらく、運良く生まれたとしても短命で消え去る宿命を背負っていた。
 その意味で、縄文時代から現在まで残る日本文明・日本文化は地球文明史上の奇跡である。
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 日本文明・日本文化は、中国文明・中国文化、朝鮮文化の亜流でも模倣でもなく、一つの独立した特殊・特異な文明であり文化である。
 日本文明・日本文化は、中国文明・中国文化、朝鮮文化から一部の優れたモノは取り入れ参考にたが、それよりはるかに多い役に立たない・害になるモノは惜しげもなく捨てた。
 事実、日本文明・日本文化の中には中国文明・中国文化、朝鮮文化の痕跡は微々たるものである。
 日本文明・日本文化は、中国文明・中国文化、朝鮮文化に感謝はするが恩義を感じる必要はない。
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 日本民族は、、数万年前から、火山・地震・台風・豪雪などの甚大な被害をもたらす災害が複合的に同時多発する最悪な自然環境の日本列島で逃げ出さず生活してきた。
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 現代日本人は、日本を愛し、日本の自然を大事にしている、はウソである。
 日本を愛し、日本の自然を大事にする民族的日本人は、2割ぐらいである。
 日本が嫌いで、日本文明に興味がなく日本文化に魅力を感じない日本人が3割いる。
 残りの5割は、今を楽しく生きれれば何方でも良いと考えている。
 3割の日本人は明らかにマルクス主義の左翼・左派・ネットサハでリベラル・革新であるが、2割の日本人は民族主義の右翼・右派・ネットウヨクで保守とは限らない。
 外国人移民(主に中国人移民)が増え日本国籍を取得しての本国民日本人になれば、少子高齢化による人口激減によって日本民族は減り3割の人数は加速度的に急増していく。
 マルクス主義の左翼・左派・ネットサハは、反天皇で、反民族で、反宗教無神論である。
 現代日本で、日本民族に愛着を持つ日本人は少ない。
 それは、右翼・右派・ネットウヨクでも同じである。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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