🎑25)─3・A─原日本語は縄文人言語ではなく内モンゴルの西遼河流域言語であった。トランスユーラシア語。~No.64  

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 日本人の生後1年以内乳幼児の99.5%近くに蒙古斑が出現する。
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 キーワードは、言語学の「言語転移」である。
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 2022年3月20日号 サンデー毎日「日本人・日本語の起源が判明した!
 日本はいつ、どこから来たのか。日本語の起源は──。謎の解明につながる論文が昨年11月、英科学雑誌『ネイチャー』に載った。9000年前、今の中国にある『西遼河』という川の流域に住んだ農耕民が日本人のルーツだという。論文の共著者に聞いた。
▶11ヵ国の考古学・言語学・遺伝学研究者が5年間研究
▶起源は9000年前、中国北部『西遼河』流域にいた農耕民
▶沖縄の住民・言語の起源も定説とは違う結論
 マーク・ハドソン博士
 ──私が子どもの頃、日本語、朝鮮語トルコ語モンゴル語は『アルタイ語族』に属す言語と学んだ覚えがあります、今回の論文ではどう説明したのですか。
 マーク・ハドソン 私たちはそれらの言語をアルタイ語ではなく、ユーラシア大陸を横断する形で分布する言語連合『トランスユーラシア語』と捉えています。名付けたのはこの研究の代表研究者、私が所属する独マックス・プランク人類史科学研究所のマーティン・ロベーツ博士(言語学)です。
 トランスユーラシア語の特徴の一つは、『目的語の次ぎに述語がくる』という点です。私たちの研究所を中心に日本、韓国、ロシア、米国など11ヵ国の研究者で構成する国際研究チームが約5年かけて研究しました。その結果、日本語の起源につながるトランスユーラシア語の話者は9000年前、今の中国内モンゴル自治区にある『西遼河』という川の流域に住んでいた農耕民と突き止めたのです。
 ──今まで分かっていなかったことをどのように明らかにしたのですか。
 ハドソン 今回の研究は考古学・言語学・遺伝学の3分野から探究したことが大きな特徴です。今まではそれぞれの分野でアプローチしていたため、決定打に欠けました。3分野から、〝三角測定〟することで、包括的な結論を導き出すことができたのです。
 具体的に言うと、トランスユーラシア語に含まれる現在と過去の98言語を調べたところ、耕作に関する言葉、特に『キビ・アワ(millet)の種子』や『キビ・アワのかゆ』などの語彙(ごい)に共通点があることが分かりました。一方、コメに関する語彙に共通点はありませんでした。食料の生産と保存に関する『発酵』『粉砕』、定住を示唆する『クルミ』『ドングリ』『クリ』、家畜の『豚』『犬』といった語彙にも共通点がありました。
 考古学的には、西遼河流域で新石器時代の9000年前、キビ・アワの栽培が始まったことがことが分かっています。キビ・アワ農耕文化とトランスユーラシア語は農耕民の移動と共に徐々に広がり、5500年前の朝鮮半島、5000年前に今の極東ロシア沿海地方に伝わりました。
 ──定住生活を送っていた農耕民がなぜ移動したのですか。
 ハドソン 人が一ヵ所に定住すると、家畜との接触やゴミなどさまざまな要因から移動生活する集団より死亡率が高くなることが分かっています。しかし、出生率が死亡率を上回る集団は人口を増やせます。
 トランスユーラシア語に含まれる言語は『キビ・アワのかゆ』を意味する語彙に共通点があると話しました。そこから考えられることは、話者の集団がキビ・アワのかゆを食べ、離乳食にも利用していたことです。赤ん坊が離乳食を食べるようになれば、母親は授乳する必要がなくなり、次の妊娠や出産に備えられます。つまり、キビ・アワのかゆを食べていたことは、農耕民の人口増加と密接に結びついていると考えられるのです。
 水稲(すいとう)を育てるには水田を整える必要があり、それを農耕する集団は移動しにくいものです。しかし、キビやアワは農耕が難しくなく、移動しやすい。そうしたことも農耕技術や言語の伝播にプラスに働いたと考えています。
 朝鮮半島縄文人がいた証拠
 ──西遼河流域を出た農耕民は5500年前、朝鮮半島に移動し、その後、日本列島に移動したのですね。
 ハドソン 大きな枠組みでいえば、そうです。しかし、非常に面白いことに。農耕民が日本列島に入ってきたのは2900年前です。2600年間も朝鮮半島で足止めされました。なぜかはまだ分かっていません。
 実は縄文時代朝鮮半島と日本列島の間に人の交流があったことが、数多くの研究で明らかになっています。日本は地理的に孤立していたのではありません。
 具体的には、韓国にある新石器時代貝塚、東三洞(トンサムドン)遺跡(釜山広域市影島{ヨンド}区)から日本列島の縄文土器や黒曜石が出土しています。九州から出土したのと同じ漁具も見つかっています。それらのことから、縄文時代に人々の交流があったことがうかがえます。
 また、今回の研究では、韓国の欲知島({ヨグジド}慶尚南{キョンサンナム}道統営{トンヨン}市)から出土した古人骨の遺伝子を新たに分析しました。その結果、『欲知島の人骨から得た遺伝子の95%近くは、縄文人の人骨から得た遺伝子と共通する』というものでした。欲知島人に遺伝子をもたらした縄文人朝鮮半島で暮らしていた人だったのか、それとも日本列島からやって来た人だったのか。欲知島人から得られた遺伝子だけでは分かりません。
 しかし、これまで日本にだけ存在したと考えられてきた縄文人朝鮮半島で暮らし、現地人と混血していた可能性が明らかになったのです。
 ──縄文時代の日本列島にキビ・アワ農耕文化が入ってもおかしくなかったのに、そうならなかったということですか。
 ハドソン 縄文時代の日本列島に暮らした人々は大豆や小豆を栽培していました。農耕文化がないわけではなかったのですが、キビ・アワ農耕文化が入ってきたという証拠はありません。一度は入ったものの、定着しなかったという可能性も考えられます。
 ──では、2900年前にどのように入ってきたのですか。
 ハドソン 農耕文化と言語の伝播が起きたのは、西遼河流域からだけではありません。今の中国の黄河流域では『シナ・チベット語』と呼ばれる言語が生まれ、5900年前ごろから拡散が始まりました。トランスユーラシア語が東西に伝播しながら南に広がらなかったのは、シナ・チベット語圏がすでにあったからでしょう。
 新石器時代の後、世界は青銅器時代を迎えます。この時代は〝紀元前のグローバル化時代〟でもありかした。中国では元々あった稲作に加え、西方から小麦や大麦が伝えわりました。その結果として生まれたコメ・小麦・大麦の農耕文化と、キビ・アワ農耕文化は3500年前、遼東半島(今の中国遼寧省)付近で混じり合い、朝鮮半島に伝わりました。その複合農耕文化が日本に伝わったと考えていたでしょう。
 農民にとって、一つの作物に頼ると不作のリスクが高まるものですが、複数あればリスクが減ります。大陸と気候が大きく異なる日本列島だからこそ、農耕文化が伝わるのに時間を要したのかもしれません。
 日本で『言語転移』が起きていた
 ──その時にトランスユーラシア語に含まれる言語が日本列島に入ってきたのですか。
 ハドソン それまでなかった作物の農耕が始まったということは、それを栽培した人々が大量に移住したと考えられます。農耕技術だけが伝播したのではなく、人の移動をしめしているのです。その際、『原日本語』ともいうべき言葉も持ち込まれたと考えられます。
 ──縄文人が話していた言語はどうなったのですか。
 ハドソン 縄文人が使っていた言語は、2900年前に外から入ってきたトランスユーラシア語の一つ、原日本語にすっかり置き換わったと考えられます。言語学で『言語転移』と呼ぶ現象です。
 縄文時代の人たちが話していた言葉がどんなものだったかは分かりません。おそらくアイヌ語縄文時代の言語を受け継いでいたのでしょう。現在の日本語には縄文時代の言語に由来する語彙はほぼ残っていないと考えていいでしょう。
 19世紀の北海道を想起してください。明治時代になるまで、北海道の大半はアイヌ民族が住む土地でした。今、北海道の地名にはアイヌ語に由来するものが多くありますが、アイヌ語を話せる人は少なく、日常的に使う人がいる言語とは言い難い。日本語への言語転移が起きたのです。
 技術水準が高い集団が入ってくると、その集団が使う言葉に置き換わる現象が世界各地で起こっています。2900年前の弥生時代、高度な農耕文化の担い手たちが日本列島に大量に入ってきたことで、言葉の転移が起き、それが今の日本語になったと考えられます。
 これは日本語と日本人に限ったことではありません。全ての言語や文化は長い時間をかけて、他の言語や文化との相互作用と混合を経て、今の形になったと考えるべきでしょう。
 ──今回の研究では沖縄に関しても新たな発見があったそうですね。
 ハドソン 私が発掘に立ち会った宮古島の『南嶺(ばいぬみね)の長墓遺跡』(沖縄県宮古島市)から出土した先史時代の人骨のDNA(デオキシリボ核酸)を調べたところ、その100%が縄文人と共通する遺伝子だったのです。
 宮古島沖縄本島と台湾のほぼ中間にあり、従来は南方から人々がやって来たと考えられていました。先島諸島宮古島列島と八重山列島)から出土する土器は台湾の土器と似ていて、縄文土器は発見されていません。また南方の文化と重なる貝でできた斧(おの)も見つかっています。
 つまり、縄文文化の痕跡はありません。それにもかかわらず、宮古島から出土した古人骨の遺伝子は縄文人と同じでした。これまでの南方説を覆す発見です、縄文文化とじゅ文ゲノム(全遺伝情報)は必ずしも一致していないことが分かったのです。
 もう一つの発見は沖縄への人の流れです。沖縄本島で出土した近世(17~19世紀)の人骨を分析したところ、縄文人との共通するDNAは約20%でした。現代沖縄人とほぼ同じです。今まで『北海道と沖縄にかつて多くの住んでいたのは縄文人、本州、九州、四国は弥生人』という考えがありましたが、そうではないことが分かったのです。中世(グスク時代、11~15世紀)になって、九州から『本土日本人』が琉球列島に移住し、言葉も伝わりました。琉球語アイヌ語とは異なり、日本語と同系統である理由もはっきりしました。中世になって琉球列島に移住した人たちが言葉を持ち込んだのでそう。ここでも言語転移が起きています。
 ──2900年前に原日本語とキビ・アワ・コメなどの農耕文化を持つ集団が日本列島に入り、その集団が1000年前に琉球列島に移住したということですか。
 ハドソン 今、判明している情報をつなぎ合わせると、その仮説が最も有力です。しかし、研究は緒に就いたばかりです。これから古人骨のDNA解析が進めば、日本人はもとより、他の民族の移動経路がもっと詳しく分かるはずです。現時点で言えることは、日琉語族(構成する言語は日本語と琉球諸語)、朝鮮語族(朝鮮語や済州{チェジュ}語など)、テュルク語族(トルコ語ウズベク語)、モンゴル語族、ツングース語族(満州語など)にはトランスユーラシア語という共通の祖語があり、その話者だった農耕民が散らばって各地の言葉・文化に発展していった。日本列島では2900年前に朝鮮半島から渡ってきた渡来人=弥生人が原日本語と農耕文化を伝えたということです。研究が進めば、もっと細かい人々の移動が見えてくるでしょう。
 構成/ライター・角山祥道」
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 人類の誕生と大移動。
 日本人の祖先はアフリカのサルで、人種差別における蔑称(差別用語)であるイエロー・モンキーは正しい。
 日本民族は、漢族中国人や朝鮮民族朝鮮人韓民族韓国人とは繋がりの薄い別種・異種のアジア人である。
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 600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジーボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
 10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
 数万年前 台湾・揚子江流域など東南ユーラシア大陸に住んでいたホモ・サピエンスが、日本列島にたどり着き、上陸したて住み着いて石器人(ヤポネシア人)となり、長年住み続けて縄文人(日本土人)となり独自の文化を生み出し特種な文明をつくり出した。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州南部地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島へ移住してきた。
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 弥生系渡来人が大量に移住する事で、弥生の大乱が勃発し、日本国内で殺し合いが起きた。
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 古墳系帰化人が大量に移住する事で、長く続いた弥生の大乱は治まって殺し合いは激減し、日本列島に幾つかの王国が割拠する共生時代となが、中華帝国(中国)や朝鮮半島諸王国への危機感が強まり、諸王国の一つであった奈良のヤマト王権が日本を統一した。
 正統性世襲男系父系天皇制度(国體)もここに完成した。
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 朝鮮半島は、人・道具・動物が西北⇄東南に移動する為の何な変哲もない単なる陸地回廊でしかなく、それ故に半島発祥という独自のモノは少ない。
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 縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 日本民族は、縄文人の子孫である。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 日本民族日本人は、漢族中国人や朝鮮民族韓民族とは血縁は薄く、必ずしも同種・同文・同族とはいえない。
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 日本人は、特別な人間ではなく、特種な才能・能力などはなく、ことさら言い立てるほど賢くもなければ優れても秀でてもいない。
 平凡な才能・能力しか持たないごく普通の有り触れた人間、強いて言えばすぐ人に騙されるお人好しで、「ビクビク、オドオド」する気が弱く怖がりの臆病である。
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