⛩96)─2─仏教伝来と中国由来疫病感染爆発。疫病対策としての火葬。正史『日本書紀』と皇国史観。~No.211No.212 ⑲ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本列島は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが頻発する複合的災害多発地帯であった。
 庶民はわずかな収入で貧しく、重税・労役・兵役に苦しめられ、災害で被害が出ても朝廷=中央政府国司=地方役所そして神社や寺院からの助けや支援はなく、運が悪ければ野垂れ死にする定めであった。
 日本列島は、地球上で最悪な地獄のような世界であった。
 日本の美しい自然とは、命を生む以上に命を奪う冷酷、冷血、非情、残酷が本性であった。
 日本は相反する2面が一体で、それが豊穣の和魂・御霊と厄災の荒魂・怨霊であり、本音と建て前は関係ない。
 言霊は、地獄のような日本の自然から祈る言葉として生まれた。
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 日本民族日本人の特性・体質・性格・性質は、数万年の間、絶滅に近い複合的災害多発地帯で生き残る中で形成さ、時間は一秒でも、寸法は1ミリでも、細部まで細心の注意を払う、一寸も気を抜かない、約束は口約束でも命を賭けて守る、戒めや定めや法(法律)は遵守するなどなどは、苛酷な複合的災害多発地帯で生活する事で身に付いた。
 それは、死と隣り合わせで生きる事である。
 そして、世界の異常とされる、信仰心もなく如何なる宗教にこだわらず全ての神や仏を拝むという無宗教性はこうして生まれた。
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 日本民族日本人と大陸系の中国人や朝鮮人とは全く違い、それ故に幾ら話し合ったところで分かり合う事はありえない。
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 数多くの人の命を奪った疫病は、中国大陸や朝鮮半島から日本列島へと人の移動と共に上陸したのであって、日本から中国や朝鮮への逆はなかった。
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 幾度も甚大な被害をもたらす複合的災害多発地帯日本に、適応したのが柔軟な日本神道、日本仏教、日本儒教などで、適応できなかったのが硬直なキリスト教、大陸仏教、イスラム教、中華儒教そして共産主義マルクス主義などであった。
 甚大な被害をもたらす複合的災害多発地帯では、宗教やイデオロギーなどの教条主義原理主義は生まれないし、たとえ生まれたとしても無力であった。
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 日本人の祖先は、特に皇室は「日本国と日本人子孫の為に良かれと想い」命を賭けて祈り戦ってきた。
 子孫である現代日本人は、顔も見た事もない祖先が頼みもしないのに勝手にやっておきながら、それを「恩に着せられるのは大迷惑だ」と嫌っている。
 それが反天皇反日的日本人達である。
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 2020年7月号 正論「編纂から1300年『日本書紀』に学ぶ国難突破の処方箋
 久野潤
 現代にも通ずる指針
 昨年は令和改元という、誠にめでたき佳節(かせつ)であった。平成改元の折は自粛ムードを、当時8歳の小学生であった筆者も覚えている。この度は打って変わって、大変なお祝いムードで皇位継承そして元号の根拠でもある『日本書紀』編纂(養老4年=西暦702年)から1300年という年を迎えている。
 しかし、現存する我が国最古の正史『日本書紀』1300年にあたって、世間の盛り上がりは8年前の『古事記』1300年と比べてもイマイチと言えよう。
 …… 
 たとえば昨今の東アジア国際関係を見るにつけ、隣国の行動についての本質は『日本書紀』に描かれた時代から何も変わっていないことに気付く。ところが戦後の日本人は、その意義の一角から『日本書紀』を失うことで、国家の重大局面においても〝想定外〟だらけになり、そして日本人としてとるべき行動・心構えも忘却してしまったかのようではないか。これは、今回のような感染症拡大に際しても当てはまるのである。
 伊勢の神宮創建の由来
 『日本書紀』が伝える最初の国家レベルの感染症の事例は、2000年以上前の第10代崇神天皇の御代にさかのぼる。当時は御世替わりごとに遷都しつつ、その皇居内で天神地祇(てんしんちぎ)すなわち天上界と日本本土の神をお祀りしていた。それぞれを天照大神(あまてらすおおみかみ)と日本大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)が代表する恰好である。崇神天皇5年(干支で換算すると西暦紀元前93年)疫病が発生して民の過半数が犠牲となり、翌年には『百姓(ほほみたから)流離(さすら)へ、或いは背叛(そむくもの)有り』(以下、『日本書紀』訓読は小学館『新編日本古典文学全集』シリーズ参照)という事態に陥った。
 ……
 仏教受容を機に『和の国』へ
 『日本書紀』で次に疫病の記述が見えるのは、まさに神道にもとづく祭祀が危機を迎えたかのような時期においてである。第29代欽明天皇13年(552)、朝鮮半島百済より仏像や経典が献上され、これが我が国への仏教公伝となる(『上宮聖徳法王帝説』など異説あり)。この外来宗教受容までの道のりは、教科書などで知られる通り平坦ではなかった。欽明天皇が群臣に下問したところ、天皇の政治を補佐する大臣(おおおみ)の蘇我稲目は、諸外国はみな仏を礼拝しているから日本もならうべきだと主張。しかし朝廷で軍事を担当する大連(おおむらじ)の物部尾輿中臣鎌子が、外来のものを信仰すれば日本古来の神々の怒りを招くとして仏像の礼拝することを断念される(藤原鎌足を輩出した中臣氏は、祭祀を担当する氏族であった)。
 試しに仏像を与えられた稲目は私邸に安置し、自ら修行も行い、寺院まで建立した。疫病が起こったのは、この時である。国中に蔓延し、しかも長引いたため若死にする人が『愈(いよいよ)多(おほ)く、治療(をさめいや)すること能(あた)はず』という惨状となった。これを見て尾輿・鎌子が改めて仏像を廃棄すべきと欽明天皇に奏上し、仏像は難波(なにわ)の堀江(現・大阪市の大川)に流し捨てられた。ところが、風もないのに皇居に大火災が起こったという。外来宗教をむやみに導入してはいけないという一方で、仏教を排斥することも神々は許さなかった、あるいはそのように解釈するよう望まれていることがうかがえよう。
 次いで第30代敏達天皇14年(585)、稲目の子で大臣の蘇我馬子が病気となった。馬子は仏像を礼拝し延命を願ったが、再び国中で疫病が発生する。この時は尾輿の子で大連の物部守屋や中臣勝海らが、先代から疫病が已(や)まず民が死に絶えようとしているのは、蘇我氏が仏教を信仰しているからに違いないと奏上。敏達天皇もこれを認めたため、守屋自身が指揮して蘇我氏の寺を焼き討ち、焼け残った仏像はやはり堀江に捨てられた。すると今度は雲もないのに大風が吹き、大雨が降った。さらに今度は悪性の天然痘で亡くなる者が国中に満ちあふれ、敏達天皇や守屋までが罹患した。そこで馬子は『三宝(さむぽう)』(仏教)の力に頼らねば治癒は難しいと上奏し、敏達天皇も馬子個人による仏教信仰を認めた。2年後に守屋と馬子との政争で敗死したのち、仏教は国家的に受容されることになる。
 『三宝』と聞いて、読者も推古天皇12年(604)制定の『十七条の憲法』第二条における『篤く三宝を敬(うやま)へ』を想起するのではないか。これは我が国へのあらゆる外来宗教伝来以前の信仰である神道の存在を自明のものとしたうえで、仏教との調和をもとめるものだ。同憲法第一条には、調和すなわち『和』を貴ぶべきと書かれているのは周知の通りである。
 ここで注意すべきは、蘇我氏による仏教受容の主張が、その教義解釈によってではなく『諸外国はみな仏を礼拝しているから』という理由であったと伝わっていることである。現代で言えば(雑駁{ざっぱく}ながら)グローバリゼーションあるいはTPP推進派のような立場となろうが、国際社会において国境のさまざまな垣根を必要以上に下げるリスクは多くの論者が警鐘を鳴らしてきた。現下の武漢ウイルス国別感染者数で、『グローバリゼーション発祥地』(エマニュエル・トッド)であるアメリカと、『大航海時代発祥地』ともいうべきスペインやイタリアが上位に入っているのが象徴的ではないか、ひりがえって最終的に日本で仏教が受け入れられたのは、往事(おうじ)の東アジア国際社会の趨勢が理由なのではなく、古来の神道と調和できたからに他ならない(その逆の例が、戦国~江戸時代におけるキリスト教であろう)。往事の度重なる疫病の発生・蔓延は当時、外来宗教を受容する際にも和の精神をもってせねばならないという神意と受け止められたことだろう。
 やがて日本が今次の武漢ウイルスを克服したところで、社会的な人間関係がギクシャクし、政治の場では悪者探しばかり行われ罵詈雑言が飛び交う国家になり果てていればどうであろうか。『日本書紀』に描かれた先人たちが、疫病を和の力で乗り越えたことにも学ぶべきである。
 疫病蔓延中にも隣国の脅威
 仏教論争に端を発した政争はいったん蘇我氏の勝利に終わったが、その後専横を極めた蘇我氏は第35代皇極天皇の御代、皇極天皇4年(645)乙巳(いっし)の変で中大兄皇子中臣鎌足らに粛清される。ここに始まる一連の政治改革が大化の改新と呼ばれるが、その皇極天皇重祚(譲位したのち再び即位)した第37代斉明天皇の御代に、『日本書紀』で再び疫病の記録が見える。斉明天皇6年(660)朝鮮半島百済が唐・新羅連合軍の攻撃で滅亡し、百済王子を擁立する遺臣たちが日本に救援を求めた。斉明天皇百済救援を命じ、さっそく瀬戸内海に面する難波宮(現・大阪市中央区)へ行幸して新羅征討の軍備を始めた。ところが前線目指して集結途上の軍船が、あらぬことか夜中に前後逆さにひっくり返っていたり、天にも届くほどの蝿の大群が標高1,500メートル以上の小巨坂({おおさか}現・岐阜─長野県境の神坂峠)を越えて西へ向かったりと不吉な前兆が続く。それでも斉明天皇は翌年早々に朝倉橘広庭宮({あさくらたちばなのひろにわのみや}現・福岡県朝倉市)に遷幸(せんこう)した。ところが、近くの朝倉山の木を木材にしたことで神の怒りを買って宮殿が倒壊し、さらに宮中に鬼火が現れて役人や近侍の多くが病気で死んでいった。同年7月には斉明天皇崩御し、百済救援は頓挫。翌月難波へと戻るその柩を、大笠を着た鬼が朝倉山上から見下ろしていたと伝わる。
 天智天皇2年(663)、第38代天智天皇は再び百済復興のため日本海を越えて出征したが、白村江の戦いで大敗している。斉明天皇の命まで奪った先の疫病は、隣国に与する何者か(鬼)の妨害であったのか、はたまた出征の時期ではないとの神からの警告であったのか。いずれにせよ当時から、大量の亡命者流入や疫病といった日本側の非常事態を斟酌(しんしゃく)してくれるほど東アジア国際情勢も甘くなかったということになる。
 武漢ウイルス感染拡大のさなか、本年1~4月における中国公船の領海侵入は延べ28隻で、尖閣諸島沖の接続水域侵入にいたっては381隻にのぼり、過去最多を記録した昨年の同時期286隻をはるかに上回るペースとなっている。(5月17日付『時事通信』)。先人たちが疫病への対応中にも警戒を怠らなかった時代と同じく、中国は日本からのマスク大量支援などといった善意に応じる国ではないのである。
 『日本書紀』の教訓を取り戻せ
 ここまでの話を、単なる昔の日本人だけの作法なのだと笑い飛ばすわけにはいかない。武家社会成立後に仏教が庶民に浸透してゆき、特に江戸時代は幕府により儒学が公式の学問とされ、仏教が統治の一翼を担っていたため、『日本書紀』にもとづく価値観・歴史観がある面では失われかけた。しかし同じ江戸時代にいわゆる国学が興り、幕末の国難を乗り越える際にその精神を取り戻したおかげで、国家の再統合による近代化にも成功している。これは権力者による政策のみならず、国民一般の〝下からの力〟なくしてはなし得ないことであった。そのクライマックスが、神武天皇による建国から2600年の節目にあたるとされた昭和15年(1940)の紀元2600年奉祝であろう。これは戦後、その根拠となった『日本書紀』否定と相まって、軍国主義の産物であるように評価される事が多い。しかぢ当時の大日本帝国陸海軍も、たかだか数十~百年レベルのイデオロギー次元を越えて、自分たちの建国以来2000年以上の歴史を背負って戦っているのだという矜持をもっていた。
 大東亜戦争期、たとえば前出の天照大神伊勢の神宮)や日本大國魂神({やまとおおくにたまのかみ}大和神社{おおやまとじんじゃ})がそれぞれ戦艦『伊勢』そして世界最大の戦艦『大和』の艦内神社として分霊されお祀りされたことも象徴的である(艦内神社については、拙著『帝国海軍と艦内神社』祥伝社、平成26年参照)。また当時の日本人の多くも、『日本書紀』に記されたことをかならずしも字面だけ教条主義的な信奉していたわけではなく、何より古代から継承され続けてきたことの方を尊いと考えていたのではないか。國學院大學出身の特攻隊員であった山口輝夫海軍少尉の遺書(抜粋)にも表れているだろう。

 実に日本の国体は美しいものです。古典そのものもよりも、神代の有無より、私はそれを信じて来た祖先たちの純心そのものの歴史のすがたを愛します。美しいと思います。国体とは祖先たちの一番美しかったものの蓄積です。実在では、我国民の最善至高なるものが皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身を以て守ることを光栄としなければなりません。(北川衛編『あゝ特別攻撃隊徳間書店、昭和42年より)

 現今の歴史教育の影響で、日本人が昭和天皇による昭和21年(1946)元日の詔書、いわゆる『人間宣言』で『古事記』『日本書紀』の神話から解放されたと考えるのは大いなる誤解である。
 その詔書では『朕(ちん)ト爾等(なんじら)国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依(よ)リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非(あら)ズ』、すなわち皇室の根拠として、神話だけでなくてその歴史上一貫して国民との信頼関係が重要であることが述べられ、また天皇が神の子孫であるということも否定されていない。にもかかわず、戦後の日本人は自ら『日本書紀』を、その貴重な教訓ごと封印してしまっていたのである。
 ……1300年後これだけ見た目が変わり果てた社会においても、変わらず皇室が存在し、間違いなく皇位継承が行われ、『日本書紀』に記された神々が全国の神社でお祀りされ続けているからである。
 ……本稿で悠長な精神論ではなく、異形の感染症対応に追われる現場の方々をも無にしないための、日本再生への実践的提言と受け取られることを切に願う。」
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 日本の死体の葬り形は、地域によって土葬・風葬・水葬であったが、仏教の布教によって大陸から火葬がもたらされた。
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 中国大陸や朝鮮半島から日本列島への難民の急増で、疫病が蔓延し、夥しい数の日本人が病死した。
 疫病感染爆発地帯となった日本に仏教が伝来し同時に火葬がもたらされ、病死・変死した死体は疫病対策として火葬にした。
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 火葬は、中国や朝鮮との国交を鎖した平安時代以降は下火となった。
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 日本民族日本人は、疫病が蔓延する中国や朝鮮を穢れた土地と嫌い、疫病を持ち込む中国人や朝鮮人を穢れた人間と嫌悪し、差別し、排除し、国交を断絶して、神々が住まう浄き日本に足を踏み入れる事を禁止した。
 それが、国を鎖(とざ)した皇国史観の大本である。
 現代日本は、不寛容にして排他的な皇国史観を否定し、中国人や朝鮮人の入国を認めている。
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 日本に逃げてきた人々には2種類いた。
 天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた帰化人。
 天皇への忠誠を拒否し、自分の為だけに動いた渡来人である。
 疫病蔓延を食い止めて日本人を救ったのは、帰化人であって渡来人ではない。
 日本民族日本人は、命を助けてくれた帰化人に感謝する必要がある。
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 現代日本は、正史『日本書紀』を否定している。
 ちなみに正史『日本書紀』では、女性は男性と同権かもしくは男性よりも上位者とされている。
 日本の最高神は女性神天照大神であり、天照大神は現皇室の祖先神である。
 日本天皇の正統性とは、女性神天照大神を源とする直系の血筋・血統と男系の皇統という民族中心神話・天孫降臨神話・高天原神話である。
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 現代の日本人は歴史力はなく、作り話の理想的時代劇は好きだが事実の現実的歴史は嫌いである。
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 日本には、私欲・俗欲・強欲な政治権力と宗教権威、そして神聖不可侵の清明天皇の御威光が存在していた。
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 日本と中国の関係は、中国戦国時代の呉越の関係ににている。
 日本は呉国で、中国は越国である。
 呉国は越国に滅ぼされた。
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 日本政府は、少子高齢化による人口激減を食い止める為に中国人移民を含む外国人移民約1,000万人計画を進めている。
 中国共産党系中国軍系中国資本と友好的日本企業は、日本国土や日本企業を購入している。
 親中国派媚中派日本人は、日本買いをしている中国資本に協力している。
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 中国や朝鮮から日本に、政争や戦争に負けた優れた学識・教養や秀でた技術・技能を持った敗者・弱者が逃げ込んできた。
 逃げてきた人々によって、インド発祥の仏教、儒教道教、兵法、医術、農業・建築など数多くの技術が日本にもたらされたが、同時に疫病も日本に広がった。
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 日本列島には、民族中心神話・天孫降臨神話・高天原神話が隅々まで息づいている。
 日本民族日本人は、惟神(かむながら、かんながら)の道を心の支えとして生きてきた。
 惟神の道とは、絶対神を信仰する宗教ではなく、八百万の神々を念(おも)い祈る宗教である。
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 日本は、儒教色を薄め仏教色を神道色と混ぜ合わせる事で多種多様化して、脱中華文化の国風文化を生み日本文化に発展させ、古代から中世・近世へと激変を繰り返して西洋色の近代を受け入れた。
 中国や朝鮮は、儒教色単色の一様化を教条的原理主義的に貫き、古代の中華文化から抜け出す事ができず、日本の近代化を真似て古代からいきなり日本色的近代へ変化した。
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 日本が中国や朝鮮と違っていたのは、毒性の強い外来由来を無毒に中和させる柔軟な変換能力(ブラックボックス)である。
 その柔軟な変換能力を証明するのが、外来語の日本国語化・和製新語(漢字・西洋語)・カタカナ化である。
 外来語から日本国語への柔軟な変換能力は、現代の高学歴出身知的エリートから消えつつある。
 その証拠が、2020年の武漢ウイルス対応の後手後手、新型コロナウイルス水際対策の失敗、武漢肺炎蔓延の不手際である。
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 中国大陸・朝鮮半島から日本列島にもたらされたのは、日本人を幸福にする明るい豊・福と同時に日本人を不幸にする暗い貧・禍であった。
 昔の日本人、日本民族の不幸を避ける為に豊や福を断念し、中国大陸・朝鮮半島との人的交流を遮断し自由な往来を禁止した。
 日本と中国や朝鮮の間には、友好関係・善隣関係などはなかった。
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 古代日本にとっての、世界とは中華文明圏であり、諸外国とは儒教諸国であった。
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 日本は、インド発祥の仏教を無条件で取り入れたが独自に発展させ普及させたが、中国発祥の儒教は中華色を消し去り全く別物に変質させて受け入れた。
 毒性の強い外来の宗教・思想・哲学を、日本に厄災をもたらさない無毒・無害な宗教・思想・哲学に変質させる濾過装置が祭祀王・天皇であった。
 日本に悲惨を引き起こす主義主張・イデオロギーが蔓延らなかったのも、神聖不可侵にしてブレる事がない不動の存在として神の裔・天皇がいたからである。
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 不寛容にして排他的なキリスト教共産主義が、日本に受け入れられず排除されたのは天皇がいたからである。
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 現代日本人の歴史理解力では、敗者の滅びの物語を含む倭(やまと)の『古事記』を読めても勝者の正統性を主張する日本国の正史『日本書紀』は読めないし、ましてや北畠親房の『神皇正統記』や徳川光圀が編纂を命じた『大日本史』は理解不能である。
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 現代日本の国内外、特に中国や朝鮮が起因する事件の多くは古代にも似通った事件として起きていた。
 日本が巻き込まれた国際事件で、日本が被害者で中国や朝鮮が加害者と言う事である。
 日本にとって、中国や朝鮮は憧れであったが同時に不吉であった。
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 現代日本には、親中国派媚中派の反天皇反日的日本人が増えている。
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