🌈18)19)─1─日本文化としての「香り」。香道。線香。蚊取り線香。線香花火。〜No.35No.36No.37No.38 ② 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 天皇下駄論。人智を超えた面倒な事・どうにもならない事・始末におえない事は全て天皇に任せて預けてなかった事にする。
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 日本民族は、生真面目が苦手で、ふざけて遊びたがる。
 後白河法皇。『梁塵秘抄
 遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
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 2020年12月号 Voice「日本文化 舘鼻則孝
 日本人の柔軟性と神仏習合
 『半沢直樹』と歌舞伎
 ……
 昨今、韓流作品が評価されていますが、私は『半沢直樹』のような作品も堂々とした『日本作品』として、その娯楽性や芸術性が世界でも評価されてほしいと願っています。
 4代目市川猿之助氏は、3代目から『スーパー歌舞伎』を引き継ぎ、伝統的な歌舞伎に新たな要素を吹き込み続けています。その精力的な活動をみて、私は日本人が備えているある種の『拘(こだわ)りのなさ』を感じます。もちろん、それは悪い意味ではない。『拘り』という言葉は本来、『ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちがとらわれる』などの意味です。
 コロナ禍以降、日本人の『同調圧力』について語れる機会が増えたように思います。議論自体を否定するつもりはありませんが、私はむしろ日本人とは、何事にもとらわれない心、柔軟性という特性を備えていると感じます。日本の代表的伝統芸能である歌舞伎は、時代の変化に対応しながら、ときにはフォーマットを変えて強(したた)かに生き残っています。多くの日本人に愛されていて、世界からも評価されている。その土壌のような役割を果たしているのが、日本人の柔軟性ではないでしょうか。
 仏教も神道も残った
 私は以前、『香(こう)』を作品づくりのテーマに掲げました。大陸から伝わった香木の文化は、日本という土壌で独自に進化を遂げて、『香道』というかたちで大成しました。そして現在では、原料のほとんどはインドや中国に依存しているにもかかわず、文化としてもっとも成熟させているのは日本であり、中国の僧侶が日本の香を使用しているという話があるほどです。
 詳細は私が先の展覧会でコラボレーションした松栄堂のホームページをご覧いただきたいのですが、仏教儀礼の一つとして伝来した香が奈良、平安、鎌倉、室町、そして江戸という時代を経(へ)て『道』として確立し、線香というかたちで大衆化した。その過程は、私は『日本らしい』と感じずにはいられません。
 なぜ大陸よりも、日本で『香』が発展したのか。あえて俗っぽい表現をするならば、私は『横槍(よこやり)が入らなかった』点が、理由の一つに挙げられると考えています。何事も絶対的な指導者がいたり、一つの確固(かっこ)たる理念が存在して収斂(しゅうれん)されたりすると、『いや、それはやり方が違う』『その手法は認めない』というように守破離(しゅはり)でいうところの『破』が許されません。その一方で、島国という地理的な特性も備わっている日本においては、物理的にも横槍が入る余地は少なく、文化や思想が独自の発展を遂げやすい環境だったのではなかったでしょうか。
 香が伝わるきっかけにもなった仏教伝来に関しても、当時より神道派の物部氏と仏教派の蘇我氏の対立はあっにしても、それは『神道か、仏教か』という二択ではなく、『神仏習合』という共存のかたちに落ち着きました。そうして令和の時代にまで続き、いまを生きる私たちは除夜の鐘を聞いた後に初詣に行く習慣を自然に受け入れている。あらためて考えれば、この柔軟性は驚異的とすらいえます。
 この記事を書いている最中にも、フランスの学校教育の現場において、宗教風刺画をめぐる痛ましい事件が報道されています。そうした宗教対立について議論するのは本意ではありませんが、いまこそ日本人の柔軟性は、それはある種の寛容さとも表現できるかもしれませんが、再評価すべき局面を迎えているのではないでしょうか。
 ……」
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 日本文化と中国文化・朝鮮文化とは違う。
 縄文時代は先住民文化。
 弥生時代は客人(帰化人・渡来人)文化。
 奈良時代は豪族(大王家)文化。
 平安時代は王朝=朝廷(皇室・公家)文化。
 鎌倉時代仏教文化
 室町・戦国時代は武家文化。
 江戸時代は庶民文化。
 明治・大正・昭和時代は資産家文化。
 平成時代はオタク文化
 令和時代は・・・。
 日本民族は、ごく有り触れた日常の些細な出来事の中に興味を持ち魅力を見いだすと文化にし、それを究める為の純粋精神修行・求道の「~道」に引きあげる。
 それは、唯一絶対的排他的不寛容価値観ではなく、多種多様な共存共生の相対的寛容価値観の確立である。
 全てのモノに価値を持たせて存在を認め居場所を与える、それが日本民族の日本文化であり、日本文明であった。
 それを可能にしたのが、天皇の御威光という皇室神話であった。
 日本には、1000年以上続く神社仏閣建設=宮大工など匠の技を受け継ぐモノ作りの老舗が存在する。
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 中川政七商店の読みもの
 2019年11月24日
 香道を京都で体験。日本三大芸能のひとつ「香りを聞く」習い事の魅力に迫る
様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」。今回は茶道、華道と並ぶ日本の三大伝統芸能「三道」のひとつ、「香道」の体験レポートをお届けします。
 香道とは?日本最古の御香調進所「薫玉堂」で学ぶ
 JR京都駅から北へ徒歩15分ほど。浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺前に本日体験にお邪魔する薫玉堂 (くんぎょくどう) さんがあります。
 お店に入った瞬間から全身を包むやわらかなお香の香り。
 桃山時代にあたる1594年創業の薫玉堂さんは、本願寺をはじめ全国の寺院へお香を納める京都の「香老舗」です。
 店内には刻みの香木 (こうぼく) やお線香、匂袋をはじめ、お寺でのお勤めに使う品物まで、ありとあらゆる種類の「香りもの」が並びます。
 そもそも「香道」とは、室町時代の東山文化のもとで花開いた茶道や華道と並ぶ日本の三大伝統芸能のひとつ。薫玉堂さんでは香道を気軽に親しめるようにと、定期的に体験教室を開かれています。
 教室はまず座学からスタート。お店の方が直接講師になって、お香の種類や歴史を学ぶことができます。
 お香の歴史は4000年前のエジプトから?
 伺ったお話によると、お香のもっとも古い記録は4000〜5000年前のエジプト文明までさかのぼります。出土した当時のお墓の中に、遺体の保存状態をよくするためのお香が敷き詰められていたそうです。
 現代ほど入浴の文化も設備もなかった時代には、香りはいわばエチケット。香木 (こうぼく。芳香成分を持つ樹木) を粉末にしたものを体に塗る習慣もあったそうです。仏教が広まると、その修行やお勤めの中で用いられるようになりました。
 日本で初めて文献に登場するのは、なんと日本書紀。590年代、推古天皇の時代に淡路島に流れ着いた香木が聖徳太子に献上された記録が残されています。
 そもそも、香木とは?
 一般的に言う「香料」には、植物の花、実、根、葉、樹を用いるものからじゃ香 (ムスク) など動物由来のものまで幅広い種類があります。
中でも樹木から採れる「香木」は原産地が限られ、古くから珍重されてきました。
 白檀 (びゃくだん) や沈香 (じんこう) という名前を聞いたことがある人は多いかもしれませんが、どちらも香木の種類を指します。
 沈香ジンチョウゲ科の木が熟成されたものですが、特定の地域にのみ繁殖するバクテリアが偶然に作用して初めて香木になるため、白檀も沈香も、日本では産出されないそうです。
 沈香の中でも有名な伽羅 (きゃら) は、なんとベトナムでしか採れないのだとか。現代でも価格が金よりも高いと聞いて驚きました。
 現存する日本最古の香木、蘭奢待 (らんじゃたい) は現在も奈良・東大寺正倉院に保存され、国宝を超える宝として「御物(ぎょぶつ)」とも呼ばれています。実物には織田信長明治天皇が一部を切り取った跡が残されているそうです。
 なぜ香りは「聞く」のか?
 座学の最後に講師の方から伺ったのが、なぜ香りを「聞く」というのか、というお話です。
 「香道では香料の中でも香木の香りを聞きます。聞香 (もんこう) とも言います。
 『聞く』という言葉には、身体感覚を研ぎ澄まして微妙な変化を感じ取る、聞き『分ける』という意味合いがあります。心を沈めて、瞑想し、思考する。そうして香りを楽しみます。
 今日体験されるのは香りを聞きくらべる『組香 (くみこう) 』のうち、3種の香りを比べる『三種香』です。
 3種類の香木をそれぞれ3つずつ用意して打ち混ぜて、取り出した3つの香りがそれぞれ同じものか違うものか、当てていただきます。
 聞香を行う部屋を香室 (こうしつ) と言います。部屋に入ったら心を落ち着けて、聞いた香りを頭の中で具体的にイメージに起こすことが大事ですよ。『ああ、一昨日食べたプリンに似ているな』とかね (笑)
 こうしたゲーム的な要素を持っているのは、三大芸能の中でも香道の特徴です」
 最後には楽しみ方のアドバイスもいただいて、いよいよ体験に向かいます。
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 <取材協力>
 薫玉堂
 京都市下京区堀川通西本願寺
 075-371-0162
 https://www.kungyokudo.co.jp/
 文:尾島可奈子
 写真:平井孝子
 着付け協力:大塚呉服店
 *こちらは、2017年11月4日の記事を再編集して公開しました。
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 ウィキペディア
 香道(こうどう)とは、沈水香木と言われる東南アジアでのみ産出される天然香木の香りを鑑賞する芸道である。近年、文化の復興が目覚ましい中国や韓国などで「中国香道」「韓国香道」などと「香道」という文言を使用しているが、「香道」自体は日本独自の芸道である。香道は禅の精神を大事にし、礼儀作法・立居振舞など約束事の多い世界であり、上達するにつれ古典文学や書道の素養も求められる。しかし、香道の原点は何よりも、香りそのものを楽しむことにある。 香道においては香を「聞く」と表現するのが正式であり、「嗅ぐ」という表現は不粋とされる。香木の香りを聞き、鑑賞する聞香(もんこう)と、香りを聞き分ける遊びである組香(くみこう)の二つが主な要素である。香木は生き物、その一つ一つに魂が宿ると考え、この稀少な天然香木を敬い大切に扱う。大自然の恵み、地球に感謝し、そして彼らが語りかけてくる事を聞き取らなければならないと考えるのである。
 歴史
 日本書紀によると、香木は推古天皇3年(595年)に淡路島に漂着したといわれる。日本香文化の源流は古代インドから中国をへて、仏教と共に入り、香木が焚かれるようになることに始まる。平安時代になると、宗教儀礼を離れて、香りを聞いて鑑賞するようになり、薫物合せ(たきものあわせ)などの宮廷遊戯が行われた。この宗教の香・貴族の香に鎌倉時代以降の武士の香、そして禅の教えが加わり、茶道・華道・能などとともに室町時代に誕生、婆沙羅大名はじめ一部上流階級の贅を極めた芸道として発展する。なかでも香道は、それら中世芸道のエッセンスを凝縮した文化として洗練度を高め、当時としては非常に稀少な東南アジア産の天然香木を研ぎ澄まされた感性で判別するという、独自の世界を構築するにいたる。この頃、それぞれに異なる香りを有する香木の分類法である「六国五味」(りっこくごみ、後述)なども体系化された。
 慶長11年(1606年)頃から徳川家康による朱印船貿易が行われるようになるが、主目的は極上とされた伽羅の買い付けに絞っており、香道の用材として必要としていたからである。
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 香文化と香道
 香文化と香道仏教とともに祈りの香として日本に伝えられた香の文化。
 香が伝えるものを心で聞き取るということから、「香を聞く(聞香・もんこう)」という言葉と行為が生まれ、広まります。
 香の伝来からおよそ千五百年の時を重ね、室町時代の終りの頃から、香は芸道の形(香道)を作り始め、江戸時代に「香道」は現代に伝えられる基本の形を整えていきます。
 香の歴史
 推古三年(595年)淡路島に漂流した一本の流木を島人が火にくべたところ、喩えようのない芳香が立ち上がり、島人は驚愕します。
 その流木は都へと運ばれ、推古女帝に献上され、摂政の聖徳太子がこれは稀有の至宝「沈香」であると教えたそうです。
 香文化は、仏教と共に「祈りの香」として伝わり、広まってゆきます。

 香は時を経て平安期の貴族たちによって「遊びの香り」へと発展しました。
 仏前に供えるだけでなく、部屋にたき込めたり衣装にたきしめたりと、香りそのものを楽しむようになったのです。
 さらに「香」は平安貴族たちの知性感性のかたちであり、自己の美意識の表現や身分の証となりました。こうした香のある平安期の雅な有り様については、「源氏物語」や「枕草子」などからも、詳しく知ることができます。

 その後、鎌倉時代からは、武将たちが荒々しい戦の合間の安らぎとして、香と茶を大切な嗜みとし愛好しました。
 武士の嗜好や美意識はさらに香木の価値を求め、一本の香木の賞味やたき比べへと香の愉しみも変化していきました。

 室町時代の後半に登場した八代将軍足利義政は、後に芸道となる香の体系の元を作り、公家の三条西実隆公を祖とする「御家流」、武家の志野宗信を祖とする「志野流」の二大流派がやがて誕生し、香道文化を継承発展させていきます。

 江戸時代に入り豪商や町人の間にも香が広まり、この時代に伽羅は極上品の代名詞となり、江戸文化の中に広まります。
 こうして香は生活文化として、また遊びの文化として、日本の精神文化に欠かせない役割を担ってきました。

 明治時代を迎えると、文明開化の波とともに、日本的な香道は衰微した時期もありました。
 しかしその西洋文化の刺激により、香水香など現代の新しい香文化が芽生えます。

 現在は、日本独自の伝統文化「香道」の真価が見直され、より幅広い"和の文化"として、国際的にも注目を集めており、海外において香席イベントが開催されるなど「新たな香道時代」の到来を予感させています。

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 香は、宗教儀式として使われていた。
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 日本の香りは、香木と香花で、仏教寺院から公家に、武士に、豪商・豪農の金持ちから一般庶民の趣味・嗜みとなった。
 生活の場では、仏壇に供える線香と虫除けの線香など多様な用途で多くの種類がある。
 そして、香りを競う香道に発展した。
 日本文化の~道は、技=奥行きの正統を親から子への一子相伝として世襲制によって受け継がれていく。
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 西洋の香りは、香木と香花などから水・香水を抽出し、教会から王侯貴族に、そして富裕層のエチケットとして広まった。
 西洋の香り文化は、職人による製造方法は企業の商品として受け継がれていく。
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