🏯69)70)─1─百姓一揆で、罷免された老中や勘定奉行、改易された大名。百姓一揆の首謀者は磔。~No.131No.132No.133No.134 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 モース「日本に貧乏人はいるが、貧困は存在しない」
 日本の貧乏人は、西洋の貧困者とは違って、貧しさを苦にする事なく、よく笑い、よく踊り、よく歌い、日々に満足し幸福に見えると驚いていた。
 子供も伸び伸びと遊び、町全体が子供の楽園のようであったと関心した。
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☆百姓は神として祀られ、サムライは仏として葬られた。
 二宮尊徳報徳二宮神社)「諸職業中、また農をもって元とする。なぜならば、自ら作って食い、自ら織って着るという道を勤めるからだ。……すなわち、農民は国の大本であるから賤しいのだ。……全国民がみな役人となったらどうだろうか。必ず立ち行かなくなる。兵士は貴重だが、国民がことごとく兵士になれば、同様に立ち行かなくなる。全国民がみな工になるならば、必ず立つことができない。商となるのもまた同じだ」 
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 中江籐樹「農工商は力を労して養う事とし、士より上は心を労して人を治るを事とする故に、明徳を明らかにして仁義を行うが士の所作なり」
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 自己責任として、百姓一揆で百姓は磔、武士は切腹
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 百姓は、領主・武士を欺いて財を成し、面従腹背でしたたかに生き抜いていた。
 ・百姓一揆で改易された大名          … 金森頼錦。屋代忠位。加々爪直清。本多忠央。
 ・百姓一揆の処理に失敗して罷免された老中   … 本多正珍。 
 ・同上同様に改易された若年寄         … 本多忠央。 
 ・同上同様に改易された勘定奉行        … 大橋親義。 
 ・同上同様に免職のうえ閉門させられた大目付  … 曲淵英元。 
 ・同上同様に免職のうえ蟄居させられた郡代   … 青木次郎九郎。 
 百姓は、是々非々をハッキリとさせ、決して大名や領主の悪政や無法や約束違反を許さず、泣き寝入りする事なく非合法である一揆を起こし命を張って理不尽と戦った。
 我慢に我慢をし、堪えに堪えたが、堪忍袋の緒を切った時、決して、事なかれ主義的に「なあなあ、まあまあ」と有耶無耶にはしなかった。相手が「御上」であろうとも、誰であっても、道理が通らない理不尽は決して許さなかった。
 日本の百姓は、人間以下とされた大陸の奴隷や農奴ではなかったし、権利のない下層階級とされた都市部の貧困層でもなかった。「祖先を神」とする氏神信仰(現人神信仰)から、成り上がりの武士と対等意識を持ち、謙っても、「御無理ごもっとも」とした盲目的な従属意識に縛られる事を嫌った。
 大名以上に百姓から名指しされた現場の武士・侍は、幕府の裁定で処罰を受けて家禄を召し上げられて追放されるか、さもなくば切腹させられた。武士の人口は、総人口の5%で、約260年で減る事はあっても増える事はなかった。
 お城勤めの武士は、自分で生計を立てる町人や百姓から、何時の時代でも「穀潰し」と嫌われていた。
 武士・侍とは、大陸的特権階級ではなく、絶えず「死」を覚悟した島国的身分である。身分の中では、最高位として強力な権力を持った特権階級のように見られるが、臨戦態勢を強いられた不自由な身分であり、家禄は減らされても増える事がなかった。
 武士・侍は、領地を統治していたが、何をやっても許される支配階級ではなかった。
 江戸時代に百姓一揆が、全国で3,200件以上起きていた。幕府は、世を騒がす原因として百姓一揆を禁止していた。一揆を起こせば、正当な理由があっても一揆の首謀者は処刑された。だが、日本独自の「喧嘩両成敗」の原則から、一揆を誘発した責任から当事者とされた現場の武士は処分され、悪くすると切腹を命じられた。百姓一揆で処刑された首謀者の多くが「義民」として崇められ、地元民は「神」として神社で祀った。大名や領主は、一揆・騒動を恐れて苦々しく思っても、神社で神として祀る事を禁止できなかった。百姓は「神」として神社に祀られ、切腹させられた武士は罪人として寺に葬られた。
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「武士は食わねど高楊枝」
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 日本の文化とは、野暮ったいが、洗練された、素朴で、さらりとした、身分低い百姓・町人の庶民文化であった。
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 日本の氏族社会とは、中国や朝鮮のような余所者を完全排除する閉鎖的血族ではなく、赤の他人でも出入り自由な開放的地縁であった。
 日本の養子は、血がつながっていなくても、出身はもとより家系や家柄や地位や身分に関係なく、その人物のみで受け入れた。
 故に、祖先を人神とする祖先神・氏神信仰が発達した。
 日本は、世界でも珍しい祖先神・氏神崇拝を持った民族である。
 日本の民族宗教は、血のつながり・絆を拠り所として、親兄弟や祖先などの身内を人神として崇めている。
 地域の祖先神・氏神をムラの鎮守に集めて、氏神様として地域の神社に祀っていた。
 日本民族は、人神を大切に守ってきた。
 人神は、日本人だけではなく、外国人をも平等な客人神(まろうどがみ)として祀った。
 祖先神・氏神信仰において、日本人の神でも外国人の神でも同じ人神として公平にそして平等に崇拝した。
 だが、反宗教無神論マルクス主義者は、祖先神・氏神信仰は「人民のアヘン」「搾取の元凶」であるとして破壊しつつある。
 人神崇拝を否定するキリスト教もまた、祖先神・氏神崇拝を絶対神への冒涜であるとして完全否定している。 
 人の命は、祖先神・氏神として祀られている幾百万人の祖先から受け継ぎ、幾百万人の子孫に伝える大事なものである。
 自分の命も、他人の命も、その重大な使命が義務付けられている。
 命を大事にして、祖先から子孫に伝える使命を果たしたものを祖先神・氏神として祀った。
 命を伝えられず非業の死を遂げた人の霊魂が、命の絆が断たれた事を恨んで荒れ狂う事を恐れて神社を建て、怒りを静めて穏やかになる様に祭りを行って祈った。
 命は自分一人の命ではないし、勝手気ままに不健全に酷使する権利はなく、粗末に扱って良いものでもない。
 親は、子供が祖先神・氏神になれるように躾けて育てる義務が、祖先から与えられている。
 子供は、祖先神・氏神として祀られる親や年寄りをその時が来るまで面倒を見る義務がある。
 子供の養育を放棄する事は、数千万人の祖先神・氏神への冒涜である。
 親や年寄りの面倒を見ないのも、数千万人の祖先神・氏神への冒涜である。
 人を傷つけ殺す事は、数億人の祖先神・氏神への最大の裏切りである。
 数億人の祖先神・氏神から伝えられた「命」を奪う事は、当然、重大犯罪である。
 それが、命を神聖化して大事にする日本民族民族宗教である。
 命の重みに対して、貴賎は存在しない。
 日本の集団主義とは、祖先神・氏神信仰に基づく「和」精神で、持ちつ持たれつの補完共生・隣保互助で地域共同体を守ろうとする事である。
 現代日本は、個人の身勝手を個人の完全な自由として許し、豊かな人間関係を破壊し、地域社会を崩壊させている。
 子供達は主張する、「人をなぜ殺してはいけないのか」と。
 祖先神・氏神に興味がない子供が大人となり、命に価値を見出さないままに子供を産んでいる。
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 ヴェルナー「江戸はいわゆる百万都市でありながら、まったくヨーロッパの大都市とは比較できない」
 ヴェンセスラオ・デ・モラエス「西洋の寺院の鑑賞から得た観念を素養にして、大理石や花崗岩の荘厳さだとか、信者や好事家だけんの注意を惹くにすぎない記念物だとかを、この日本で見ようとしてはいけないだろう。この日本国民の感情では、なによりも、自然に対する、自然なる創造の調和に対する、えも言われぬ歓喜があらゆる事物を支配している。神は庭を求める。建築家は先ず何はともあれ注意して、気持ちのいい場所を選び、樹木が茂って、流れがあって、あたりの展望のよい美しい位置に目をつける。寺や社は第二の問題なのだ。幾何学的な表現が西洋と日本との宗教建築の異なった特徴を一層はっきりさせてくる─すなわち、西洋の寺院の姿だと、地上を離れて天に突っ立つ垂直線─信者の熱狂の図表的象徴─が主であるし、日本の寺院では、水平線が特に好まれるが、それは土地や自然なる創造やに対する愛だとか、運命に安んずる悟りとかを示すものだ」(『日本夜話』)
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 平安時代。ムラの百姓は、荘園に納める年貢を律令(法)が通用しない無法地帯を通らねばならなかった為に、血縁関係にある村人から腕力のある者を武装させて守らせた。
 大農地を所有する大百姓は、武装した村人を一族郎党として束ね、別の村との領地争いをして勢力を拡大した。
 百姓という下層民の中から、武士は誕生した。
 大陸史的常識である階級闘争史観が主張する様に、サムライと百姓は搾取する側とされる側という階級差別で対立する関係ではなかった。
 サムライと百姓は、職業的身分によって分かれていても、支配する者と支配される者といったハッキリした上下関係ではなく、持ちつ持たれつの補完関係にあった。
 曖昧で偏見意識が薄い日本社会は、厳然と越えられない身分格差のある中国や朝鮮の社会とは構造が全く異なり、別物である。
 百姓上がりのサムライ・武士は、騎士でもないし、紳士でもないし、当然貴族でもない。
 サムライ・武士は、百姓と同根である。
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 戦国時代までの中世一揆は、「揆を一にする」、つまり民衆や武士や僧侶をまとめて団結をもたらすものである。
 江戸時代の近世一揆は、百姓が大名に対する反抗であった。
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 年貢を納める百姓は、総人口の約85%である。サムライは、約5%である。
 大名は、百姓一揆を起こして幕府からの叱責を受けるよりも、財政危機を招く恐れのある百姓の逃亡を恐れていた。
 だが、百姓が流入する領地の大名にとつては、空き地が開墾され年貢が増加する事につながる為に、むしろ他藩からの移住を歓迎した。
 大名は、欧米や中国・朝鮮の王侯貴族の様に、放蕩三昧の自堕落の生活を送る為に、理不尽な重税を領民に課せば、百姓は勝手に逃亡した。
 幕藩体制下では、庶民の旅行の自由はもとより、百姓の転居の自由も認められていた。
 サムライ・武士は、百姓に逃げられないように、年貢を納める百姓の顔色をうかがい、愛想を尽かされれないように、迎合してご機嫌を取る事に汲々としていた。
 よって、日本の指導者に求められたのは、国際常識としての強力なリーダーシップではなかった。
 日本人が唯一、無条件で敬愛してきたのは、サムライ・武士ではなく、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)のみであった。
 強大な武力を持ち、莫大な財力を持ち、絶大な権力で支配者となり、生殺与奪の権を行使して君臨しようとも、大陸の城塞都市住民の様に命令一下で従順に従う事はしなかった。
 日本人が従ったのは、神話の世界に生きる天皇一人のみであった。
 サムライ・武士は、領地と領民を守る為に敵と戦い、戦いの中で死ぬ事を運命付けられていた為に城の中で生活していた。
 だが、血を流す事を穢れとして嫌っていた天皇家は、堅固な防壁を持たず、無防備な板塀に囲まれた、金銀財宝に無縁な質素な屋敷に住んでいた。
 日本人は、天皇の住まいを大陸的に宮殿や王宮と呼ばず、島国的に御所あるいは皇居と呼んで馴れ親しんだ。
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 黒田如水「神の罰より主君の罰恐るべし。主君の罰より臣下と領民の罰恐るべし」
 大名は、家中はもちろん、それ以上に領内を鎮める為に領民から心服を得る為に細心の注意を払って慰撫した。
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 日本は、先進諸国の中では珍しく、祖先を等しく神として祀る民族宗教を守っている。
 祖先が、善人であろうとも、悪人であろうとも、殺人者であっても、盗賊であっても、血のつながった自分の祖先である以上は分け隔てなく神として祀った。
 祖先を神と崇める日本人は、如何なる神をも敬虔に奉り、全ての神々が目の前に鎮座しているものとして敬った。
 信仰心篤い日本民族日本人は、民族宗教として祖先神との絆を大事にした。
 反宗教無神論の現代人は、血がつながっていようと、命がつながっていようとも、信仰的な全ての絆を裁ち切り、如何なる神をも無意味無価値として否定している。
 現代の日本人は、自分だけは完全無欠な心ある善人であろうとして、殺人や強盗をした犯罪者であれば、如何に自分の祖先であっても容赦なく憎悪と軽蔑で切り捨てた。
 戦後のマルクス主義平和教育は、「家」から独立した「個」を確立する為に、「絆」で家に拘束する祖先は無用であると教えている。
 祖先神信仰の象徴が、祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)である。
 故に、祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)がいなくなれば祖先神信仰も消滅する。
 祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)がいなくなれば、全国の神社からも日本民族の神々がいなくなり、神社は無神の無意味で無価値の粗末な建造物となる。
 日本の神々を神聖な神として神格を与えるのは、祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)のみである。
 女系天皇には、その資格はない。
 故に、民族中心宗教を葬ろうとする反宗教無神論者に女系天皇擁立派が多い。
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 百姓の神社は、土地を守る重要な神社として、神の血を引く子孫(氏子)とその周囲の者によって大事に守られた。
 百姓は、氏神信仰の為に、地元に縁のある公家の公称である氏族の「姓」を名乗り、此所で自分勝手に武家の私称である家名の「苗字」を名乗った。幕府や大名は、一揆などの面倒を避ける為に、百姓の苗字使用を禁止せず黙認した。
 幕府は、1801年に「苗字・帯刀禁止の御触書」を出したが、幕政に貢献した百姓や町人に苗字帯刀を許し、才能を生かせる役職を与えた。
 諸大名でも、藩政に寄与した身分低い者に感謝の意をもって苗字帯刀を与え、才能ある者は一代限りとして家臣に召し抱えた。
 ムラ人は、人と人の「絆」を大事にし、苦楽を共にする仲間として助け合い庇い合い慰め合いながら生きていた。それが、神社を中心とした信仰心であった。
 時折、お家を取り潰され浪々の身の上になった元藩士は、町人以下の貧しい境遇ゆえに百姓の神社を荒らして憂さを晴らした。神社を守る百姓は、神を恐れぬ所業と軽蔑し、罰当たりとして差別して村から追い出した。追い出された食い詰め武士は、「閉鎖的な村」「排他的な村人」「無教養な百姓」と罵詈雑言を投げかけて軽蔑し、腹いせに後ろ足で砂をかけて立ち去った。
 町人・百姓文化社会の日本は、「義民」を称え、
 王侯貴族文化社会の欧米は、「義賊」を称え、
 読書教養人文化社会の東アジアは、「義兵」を称えた。
 幕府や各大名は、大事な収入源である百姓を「生かさず、殺さず」に保護し、米には年貢・税(5公5民もしくは3公7民)を課したが、それ以外の農作物には原則的に無税とした。災害が起きて百姓が流民となっては税収が減る為に、家宝や家財を売って被災者を救済した。救済に失敗すると、百姓は容赦なく一揆を起こし、幕府に直訴して大名を困惑させた。武士にとって、百姓ほどしたたかで始末に負えない手合いはいなかった。
 大陸では、財政が苦しくなれば領民に重税を課し、それでも駄目ならば他国領を侵略して略奪した。よって、封建領主は領民の生活には関心が無く、災害があっても救済しなかった。被災民を救済するのは、キリスト教会の役目とされた。
 島国と大陸では、庶民への関心度には温度差があった。
 日本には、中国や朝鮮の様に悪政を行い重税を課し私腹を肥やす貪官汚吏は少なかった。
 日本は、中国や朝鮮ほど悪政や暴政は少なく、腐敗もしていなかった。
 当然、排他的にして非寛容な唯一絶対価値観が支配する、西洋の様な雲泥の差のある貧富の格差も無かった。
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 日本の百姓は、過酷な天災続きの島国で、閉鎖的なムラで、猫の額ほどに狭い農地で、悪戦苦闘しながら、朝早くから夜遅くまで、働きに働き続けて、生きて働く事のみを喜びとした。 
 百姓や職人は、農産物や生産物が買い手に喜んでもらえる事を「無上の喜び」として、客に喜んでもらえる為に工夫に工夫を凝らして働いた。
 百姓と職人は、人や自然や働く事、全ての物事に感謝していた。
 神道的百姓は、農作物の「タネ」と同じ様に死や死後の世界が理解できなかった。
 故に、神道には、死後の世界としての天国も極楽浄土も存在しない。
 百姓と職人は、働いて生きる事のみにこだわっていた。
 日本は自然災害が絶えない絶海の孤島であったが、百姓は逃げ出さず、歯を食いしばって、留まって働き続けていた。
 百姓は、天皇中心の土地神話を信じていただけに、土地にしがみつき、土地を捨てようとはしなかった。故郷を愛するが故に、祖国を捨てようとはしなかった。
 百姓は、農作物を与えてくれる土地に根ざして生きていた。
 百姓は、人と人の絆、子孫と祖先神との絆を大事にして、集団主義でみんなと共に頑張って生きて働いていた。
 百姓はお互いに、助け合い、庇い合い、慰め合い、、励まし合い、癒やし合いながら、集団で、みんなと一緒に生きていた。関心を持ち、心を通わせ、寄り添った。ゆえに、みんなと一緒に、楽しみ喜びには心の底から笑い転げ、苦しみ悲しみには心からな涙を流し声を殺して泣いた。
 百姓は、集団宗教として、人を神として祀るムラ神社の回りで生きていた。それは、家宗教でもあった。
 それは、キリスト教の隣人愛による自己犠牲とは無縁であった。大陸の様な。自分一人と絶対神との「個」人的契約による個人宗教ではない。
 普遍宗教は、人や自然をけっして神として祀らない。同様に、功績のない、徳のない、優れた所のないごく普通の人を聖人・福者・賢者とはしない。
 日本の閉鎖性の強い集団的ムラ信仰は、日本独自の宗教である。
 村の和を乱す者は、葬儀と火事以外の全ての縁を切って村八分にした。
 大陸では、村の掟を破った者は、一家皆殺しにするか、家・土地・家財すべてを没収して村から追放するか、見せしめに家族全員を村所有の奴隷として扱き使った。
 大陸には身分として奴隷がいたが、日本には売買できる奴隷はいなかった。
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 百姓は、強かで、お上の言う事を畏まって拝聴しているように見せながら、本気で聞いてはいなかった。
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 パオロ・マッツァリーノ「江戸から明治・大正期までの日本人は、地べたに座ったりしゃがんだりする動作を全て土下座と言ていました。地べたに胡座をかいて坐るのも、いわゆるうんこ座りも全て土下座です。だからそもそも、土下座に謝罪のイメージはなかったのです」
 「現代人がイメージする土下座、正座をしておでこを地面に付ける動作で謝罪の意を表す習慣が日本で始まったのは、昭和初期からです。一般庶民に定着したのは戦後の事だと思われます」(『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』)
 謝罪する為に土下座をしたり、目上の者に絶対服従を示す為に土下座したりする行為は、昭和に入ってからと言われている。
 日本人が土下座好きになったのは、昭和になってからである。
 明治初期に行われた明治天皇の巡幸において、沿道で歓迎する庶民は土下座ではなく立礼で迎えた。
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 百姓は、負けて死ぬ事を知っていたが、行動を起こさずにはいられなかった。
 祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)を祀る伊勢神宮を守ったのは、身分低い百姓であった。
 百姓と天皇は会った事が無かったが、心と心でつながっていた。
 百姓と天皇には、目には見えない「絆」があった。
 百姓と天皇は、切っても切れない関係にあった。
 天皇が百姓を支配し、搾取し、虐待していたわけではない。
 百姓など社会の底辺を生きる者が、天皇を守ったのである。
 万世一系男系天皇(直系長子相続)は、百姓らによって守られてきた。
 天皇が、神懸かり的呪いで百姓を精神的に支配していたわけでもないし、洗脳していたわけでもない。 
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 日本の神々を平等に祀るのは、祭祀王である神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)の公務であり、女系天皇にはその資格はない。
 神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)の神性を否定する者は、日本の民族中心宗教である祖先を神とする祖先神・氏神信仰を否定する者である。
 つまり、義民・百姓をムラの神として祀る日本民族日本人ではない。
 キリスト教徒及び反宗教無神論者である左翼・左派のマルク主義者は、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)を憎み、日本民族中心宗教を完全否定する。
 現代日本では、反宗教無神論の国際派日本人が急増し、戦前の反省として教育の場から宗教は排除された。
 日本人の若者の間で、宗教に対する拒否反応が広がりつつある。
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 江戸時代に、百姓一揆は、全国で約3,200件おきていたといわれている。一揆は、藩内の一地域の村に限定されたものあったが、同じ問題を抱えると広域化して他藩にも波及した。特に、飢饉などの天災が発生すると急増した。
 同時に、江戸や大坂などの町に被災民が殺到して乞食・非人・賤民などの河原者といわれた最下層が急増した。
 幕府や藩は、各地でお救い小屋を立てて彼等を収容した。
 飢饉が去りムラの生産活動が再開されるや、被災民はムラに帰り、各地に溢れていた乞食や非人は 減少した。
 身分卑しい乞食・非人・賤民らは、改心する事で普通の庶民にもどり、被災民らと共に地方に移住て小作人として野良仕事に勤しんでいた。
 小作人は、大陸の人権無き奴隷とは違って自由な身であった。
 当然、朝鮮のカネで売買できた人間以下の白丁や奴卑とも違っていた。
 小作人の中には、幸運に恵まれ、艱難辛苦の末に金を蓄えて田畑を購入して、普通の百姓になった。苦境に有る村役や藩は、「背に腹はかえられない」として、その智慧を借りに訪れた。もし、成功すれば、武士待遇として、苗字帯刀が許された。だが、失敗すると、不満を持った百姓が一揆を起こした。
 日本の身分とは、中国や朝鮮とは違って流動的であった。
 いずれにせよ。農耕漁労の日本人は、汗水たらし重労働をする生産活動に喜びを感じ、働かず、他人からの炊き出しのおこぼれで生きる事を「恥」としていた。
 昔の日本人は、東アジア世界の高度な教養を持つ知識人の様な生き方を否定した。
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 日本にある全ての神社に格式を与えるのは、現人神とされた万世一系男系天皇(直系長子相続)の重要な宗教行事であった。
 日本人の神を、日本民族の神として承認できるのは、男系天皇(直系長子相続)と「血のつながり」のある祖先神・天皇霊のみである。
 天皇霊及び男系天皇の神性と神霊的血盟を経ない神は、民族宗教の神とはされない。
 つまり、正統な日本の神とは認められない。
 それゆえに、天皇は全国の民族神の社殿前に謙り畏まって拝礼する義務があった。如何に天皇といえども、祖先神・天皇霊と一体になった神々をおろそかにする事はできない。
 その宗教的義務の為に、天皇は、一般の国民以上の激務を強いられている。
 反天皇主義者日本人は、天皇の真摯な祈りを、頼みもしない事で「ありがた迷惑」として否定し、「馬鹿なやつ」と嘲笑っている。 
 だが、処刑された百姓を神として祀る神社は、明治に入るやその多くが廃社となって姿を消した。
 明治において、外圧に屈した日本政府は禁教とされたキリスト教の布教を許可した。そして、仏教界を中心に国家神道創設運動が盛んに行われていた。
 全国の由緒ある神社の多くが、仏教界の指導による統廃合で消滅した。
 江戸時代には、人口3,000万人で20万社以上の神社があった。現代では、1億2,000万人の人口に約8万社の神社が残るのみであった。  
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 キリスト教会は、信仰の自由を根拠に、全ての神社を否定している。かって、普遍宗教の一神教的絶対価値観から、信者に対して多神教的相対価値観の民族宗教である神社(軍神を祀る靖国神社護国神社など)への参拝を禁止している。
 そして、異教徒・天皇への敬意を払う必要はないと切り捨て、神の裔・天皇の宗教的国事を絶対神の普遍的律法に逆らう悪魔的行為として断罪している。
 唯一絶対神のみを認める普遍宗教は、ごく普通の祖先・人を神として祀る事は悪魔信仰として完全否定している。
 一神教の絶対価値観では、人は神にはなれないとされている。
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 人権派弁護士は、政教分離の原則で、国家・政府はもちろん地方自治体の地元神社(たとえ百姓一揆で祭られた百姓神社でも)への関与に猛反対している。
 反戦平和市民団体は、神社は侵略戦争を賛美する宗教施設であるとして、如何なる公共機関も関与する事を差し止める為に裁判所に訴えている。神社への寄附金はおろか、祭りに際しての献花さえも、公金から支出する事は違法行為であると国民世論に訴えている。
 左翼・左派のマルクス主義者日本人は、反宗教無神論から、各地の神社を天皇制度を維持する元凶であるとして否定する。
 科学的教育として、家庭はもちろん、子供の周囲から、あらゆる宗教性を排除した。
 彼等は、日本神話を基にした「神の裔」を認めない。日本の八百万の神々を殺し、神社をギリシャ神話の神殿のような廃墟にしようとしている。
 神への信仰も、人への信頼も、命への尊厳も、死者への敬意も、科学的ではないとして完全排除した。
 反天皇派勢力は、日本を国際基準で国際化する為に、日本から民族的なもの全てを消滅させようとしている。
 「何でも貴い」という曖昧な神道的信仰生活や、「何でも御座れ」という個性薄き神社的宗教文化の破壊である。
 彼等の日本破壊の思惑は、徐々に青少年の心の中に滲透し、日本の都市化と共に天皇と皇室への民族的尊崇や愛着は薄れつつある。
 今や、日本からあらゆる「絆」という「絆」が消滅しつつある。
 そして、集団における仲間内という心の「温もり」がなくなり、一人しかいないという個の孤独感で「寒々」とした空虚で心の荒廃は進行している。
 それが、紛れもなき、現代日本の世相である。
 今や、先祖が大事に守り、祖先から大切に受け継がれてきた日本神話(天皇心神話)の神々が、イデオロギーという名の反宗教無神論によって殺されようとしている。それは、イズムと宗教の戦いである。
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 神道的素養のある日本人の祖先は、上下関係のない平等な神である。
 氏神・祖先神を持つ日本民族日本人は、氏子として神の子孫である。
 神の裔である万世一系男系天皇(直系長子相続)は、天皇神・天皇霊を祀るがゆえに、氏神・祖先神と氏子の象徴として「現人神」とされていた。
 日本民族とは、祖先・人を神として敬い祀り、そこに道徳や良心やまごころの本を求める特殊な民族である。
 大事なのは、自分と祖先と子孫の家・家族・家庭の「絆」とされた。
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 相手を非難する傲慢な者は、反対している相手の全ての事を調べて理解しているのが常識である。もし知らないというのなら、それは陰険でおぞましい犯罪者である。
 そうした犯罪者で、宗教家、教育家、評論家などの社会的地位のある高度な知識人を信用するべきではない。
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 上杉鷹山(松岬神社の祭神)
「1,国家は祖先より子孫へ伝え候 国家にして我私すべき物にはこれ無く候
 1,人民は国家に属したる人民にして 我私すべき物にはこれ無く候
 1,国家人民の為に立てたる君にて 君の為に立てたる国家人民にはこれ無く候」
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 日本人の本性は、百姓根性として臆病と怯懦(きょうだ)である。
 弱い者にはとことん強く、弱い者を思う気持ちもなく、傲慢となってイジメ殺すほどの嫌がらせを繰り返す、悲しいほどに厭らしさを心に秘めている。
 強い者にはとことん弱く、長いものには巻かれろ式に、「ご無理ごもっとも」として、権力者に媚びへつらい、上役に阿諛追従し、ひたすら頭を下げまくる。
 自我の未成熟な日本人は、自尊心なく、自己主張せず薄気味悪い愛想笑いを振りまいている。
 小心者の日本人は、他人との揉め事から逃げる為に、他人と争わず、議論をせず、すぐに謝って物事・問題を有耶無耶に処理しようとする。
 全ての事を明らかにせず曖昧なままに放置し、無かったものとして洗いざらい「水に流し」て忘れ去った。
 日本人とは、深く考えようとしない、思慮分別のない単純バカである。



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