🏞92)─2─庶民(金上侍)・下級武士から成り上がったお奉行様。~No.379No.380No.381 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ツンベルク「まったく異論のない判決が出ている。法律書も世界で一番薄いだろう」
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 江戸中期の随筆家で俳人の神沢杜口(1710〜95年)は、御家人や下級武士から才能・才覚で勘定奉行大目付町奉行に大出世した者、百姓や町人や漁師などの身分低き者が金銭で武士となり異例の出世した者の話しを、多く書き残した。
 ムラの名主や組頭は、江戸初期は世襲制で特権階級であったが、中期以降はムラ人の推薦か入れ札で選ばれていた。村政の監査役である百姓代も、長百姓や本百姓の中から選ばれていた。
 西川如見「一生主君におそれ仕へて心の暇なく名利を第一として人の目をおどろかし、厳めしき振る舞いをたのしみとせんよりは、ただ此町人こそ楽しけん」
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 真っ当(正常)な庶民であれば、誰も武士に成りたいとは思わなかった。 
 武士は、西洋の騎士とは違っていた。
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 ・川路聖謨…父吉兵衛は、甲斐国の身分低き庶民で、御家人株の御徒を買って幕臣となり、内藤吉兵衛と名乗った。聖謨は幼名を弥吉といい、90俵3人扶持(石高105石に相当)の川路三左衛門の養子となる。勘定奉行外国奉行
 ・井上清直…川路聖謨実弟幕臣井上新右衛門の養子。江戸南町奉行勘定奉行外国奉行
 ・神尾春央…伊豆国三島の百姓出身。700俵の御家人徒士の株を買って下級幕臣となる。勘定奉行
 ・根岸鎮衛相模国若柳村の百姓の子供。幕臣根岸衛規の養子となる。江戸南町奉行勘定奉行佐渡奉行
 ・松田伝十郎…越後国の貧農の子。幕臣松田伝十郎の養子となる。箱舘奉行。
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 ウィキペディア
 士農工商または四民は「国中のすべての人びと」といった意味合いの儒学的表現である。日本では、近代になり江戸時代の身分制度を意味すると捉えられるようになったが、1990年代頃から実証的研究が進み、同時代的に現実に施行された制度ではないと理解されるようになった。
 身分移動
 江戸時代の職業は世襲が原則とはいえ、百姓(本百姓)・町人の間では職業(身分)の移動は比較的容易であり、武士の士分の下層(徒士)や卒の足軽との身分移動もあった。ただし、武士の士分の中層・上層(侍)には身分移動は一部を除いてはほとんどなかった。身分移動の手段としては、以下の方法が採られた。
 養子縁組・婿養子(婿入り)
 御家人株の買得。
 武家奉公人からの登用。
 用人としての雇用。渡り用人。新渡戸稲造の祖父もこれを使い藩の人間に戻り、用人として仕えるようになる。
 帰農。
 幕末・明治維新以降、佐幕側についた侍(藩士)は豪商や庄屋に婿養子(婿入り)した者もいた。徒士足軽と百姓上層(本百姓)との間にある程度の流動性があることに着目し、この階層を(「身分的中間層」徒士足軽、本百姓)と呼ぶ考え方もある。この他、百姓が苗字帯刀の特権や「士分格」という格式を得ることがある。しかし、この特権・格式は必ずしも武士化ではない。また、士分とその他の身分の間の通婚は禁じられていたが、養子縁組によりこれを回避することができた。
 このような身分移動を根拠に、江戸時代にある種の「自由」を見る考え方もあるが、身分制度は、枠組みとしては強固であり、個別の事例において、ある程度の流動性を前提にした柔軟性を有するシステムと評価される。身分移動の存在は、身分制度の弛緩や形骸化を意味しているわけではない。個別の事例をもとに、身分制度の強固さを否定しようとする論説も存在するが、それは誤りである。
 差別用語としての「士農工商
 「士農工商穢多非人」の語は江戸時代には存在しなかったとされており、明治7年(1874年)に初めて使用されて以後、昭和初期の融和教育の中で頻繁に使われるようになったと考えられている[誰によって?]が[16]、「士農工商○○」(○○の部分には「芸能人」「予備校生」「アナウンサー」などの語が入り、しがない身分を自嘲的に表現するのに使う)との表現は部落差別の深刻さを茶化すことにつながるという主張から、1980年代以降は部落解放同盟の糾弾を受けるようになり、放送禁止用語として扱われている。具体的には、以下の糾弾事例がある。
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 日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教イスラム教の絶対神でもない。
 お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
 日本民族は、お天道様崇拝者である。
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 現代日本では、反宗教無神論で、神殺し・仏殺しそして祖先(祖先神・氏神様)殺しが進行している。
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 トライイット
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 身分別の人口の割合 幕末のごろ
 総人口約3,200万人
 百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
 江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
 一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
 その次に多いのが7%の 武士 です。
 3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
 町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
 そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
 公家・神官・僧侶、その他1.5%。
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 江戸時代は庶民の時代で武士の時代でなく、武士道は社会の片隅で世の中の道徳ではなかった。
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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
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 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
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 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
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 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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