⛩47)48)─1─地鎮祭・上棟式は日本民族の伝統的宗教儀式である。~No.111No.112No.113No114 ⑨

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 地鎮祭上棟式とは、日本神道独自の「畏れ身を慎む怨霊信仰」であり、怨霊を御霊に換える「穢れを払う言霊信仰」である。
 ローカルな民族宗教において、大地を「血と死で穢す」事が最も忌むべき禁忌とされた。
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 グローバルなキリスト教において、大地を祝福し恩寵・恵みを与えるのは天地創造の創り主・全知全能の神・生と死を司る唯一絶対神のみである。
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 中華儒教は、正義の勝利と天子の統治を正当化する為に人もしくは牛を生贄として殺し血を大地に注ぐ儀式を執りおこない、団結を強化する為に生贄の血を飲み肉を食らう血盟儀式=義兄弟儀式を行った。
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 1. 式典の歴史 (地鎮祭上棟式の歴史)
 建物を建てる時には、どんな人でも、末永く持つ堅牢で安全な家が建つことを願うものです。また、そこにこれから住む家族の、健康や幸せをもたらせてくれる家である事にも、祈らずにはいられません。
 その素直な気持ちから、古くから建築工事中の各時期に、式典を設け工事の安全と建物の末永い神の加護を祈ります。
 特に地鎮祭の歴史は古く、持統天皇期の日本書記にはその記述があり、既に行われていたようです。地鎮祭は単に神事だけでなく、仏教の寺院でもそれに該当する儀式が行われていたと推測されています。というのも東大寺金堂や興福寺金堂などから、地鎮祭の際に土地の神様に捧げて埋める「鎮物」(しずめもの)が出土しているからです。
 地鎮祭が実際に建築儀礼として認められ広く普及していったのは、江戸時代後半になってからだと考えられています。
 また、上棟式は、平安時代初期から行なわれ、中世に盛んとなり、居礎(いしずえ)、事始め、手斧始め(ちょうなはじめ)、立柱、上棟、軒づけ、棟つつみ等、完成まで の建築儀式が数多くありましたが、江戸時代になって、これらの建築儀式を代表する形で、上棟式だけが行なわれるようになりました。
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 1. 式典の歴史 (地鎮祭上棟式の歴史)
 式典とページのタイトルをしたのは、地鎮祭上棟式、定礎式、竣工式(落成式、除幕式、火入れ式)、式の銘で工事の節目では祭儀が行われるところから、それらをすべて含めての表現するためです。
 建物を建てる時には、どんな人でも、末永く持つ堅牢で安全な家が建つことを願うものです。また、そこにこれから住む家族の、健康や幸せをもたらせてくれる家である事にも、祈らずにはいられません。その素直な気持ちから、古くから建築工事中の各時期に、式典を設け工事の安全と建物の末永い神の加護を祈ります。
 特に地鎮祭の歴史は古く、持統天皇期の日本書記にはその記述があり、既に行われていたようです。地鎮祭は単に神事だけでなく、仏教の寺院でもそれに該当する儀式が行われていたと推測されています。というのも東大寺金堂や興福寺金堂などから、地鎮祭の際に土地の神様に捧げて埋める「鎮物」(しずめもの)が出土しているからです。
 地鎮祭が実際に建築儀礼として認められ広く普及していったのは、江戸時代後半になってからだと考えられています。
 また、上棟式は、平安時代初期から行なわれ、中世に盛んとなり、居礎(いしずえ)、事始め、手斧始め(ちょうなはじめ)、立柱、上棟、軒づけ、棟つつみ等、完成まで の建築儀式が数多くありましたが、江戸時代になって、これらの建築儀式を代表する形で、上棟式だけが行なわれるようになりました。
 地鎮祭上棟式、竣工式などの式は『神をお迎えし』『神に依る加護を賜り、加護を祈る』『神をお送りする』という三つが流れになっています。そのうち、『神をお迎え』の儀式と『神をお送りする』儀式はどのケース(地鎮祭上棟式、竣工式)でも共通のものです。
 全体としてみると、なんだか大変なように思えますが、最初と終わりは共通ですから、一度地鎮祭で経験すれば、上棟式や竣工式でも不安はありません。違うのは、神を迎えて地鎮の儀か上棟の儀かあるいは竣工の儀の違いです。それぞれの違いを把握しておけば、恐れる必要はありません。
 もう少し言えば、『神をお迎え』の儀式と『神をお送りする』儀式はどのケース(地鎮祭上棟式、竣工式)でも共通のものです。
 つまり最初と終わりは共通のものです。宮司さんは、そこのところを心得ていて儀式をとり行っていくだけのことです。
 ■ 仏式の式典もある
 これまで、紹介してきたものは、神道式のものですが、地鎮祭上棟式には仏式もあります。私も一度ですが、仏式の地鎮祭が行われるのに参加したことがあります。(下の図)
 正式には、仏式の場合は、地鎮祭とは呼ばず「起工式」と呼んでします。しかし、その意義は神仏両者とも何ら変わりはありません。
 即ち、工事の安全と末永く住むことが出来る住まいへの願い、そして建てることが出来ることへの神仏への感謝です。
 神道式では祭壇となるところが、本尊をまつります。玉串の奉天ではなく、焼香台が設けられます。その他の形式では、地域や宗派により様々です。
 画像出典:仏式地鎮祭は藤井工務店 サギョウニッシによりました。
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 キリスト教では。
 父なる神は、天地を創り、大地を創り、特別でない有り触れた土・塵・芥(あくた)を捏ねて人を創り命・魂を埋めて生き物とした。
 人は、土から生まれ、死んで土に還る。
 父なる神は、人はもちろん大地、土地、土・塵・芥を祝福している。
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 ゆかしき世界
 HOMEブログの目次宗教日本の地鎮祭を知って、欧米の外国人が連想したことは?
 2019.10.29
 日本の地鎮祭を知って、欧米の外国人が連想したことは?
 きょう(2019/10/28)、ラジオ番組で地鎮祭のことを話していた。
 これは新築や改築などの工事を始める前に行う儀式で、土地の神様に「この土地を使わせていただきます」という挨拶と「工事が無事に終わりますように」というお願いをする。
 この他にも地鎮祭には、「新しくできる建物に3つの宝を招く」という意味もあるらしい。
 {この3つの宝とは『健康』、『財産』、『和合(わごう)』のことです。『和合』には“親しみ合うこと”、“仲良くすること”という意味があります。
 ニッポン放送のラジオ番組「スズキ・ハッピーモーニング 鈴木杏樹のいってらっしゃい」}
 話はかわって、2013年に兵庫県で新築を建設中、作業員がいたずらで玄関の基礎部分にドラえもんの顔を描いたところ、見学にきた家主に見つかるという“事件”が起きた。
 「精神的苦痛を受けた」と激怒した家主は裁判へ訴える。
 訴えられた建築メーカー側は、「落書き部分は完成後に見えなくなる予定だった」と反論。
 この話をアメリカ人したら、ドラえもんの絵を描いたという部分で大笑いして、裁判へ訴えたという部分で「ええっ!」と驚いていた。
 くわしいことはこの記事をどうぞ。
 日本人とアメリカ人の感覚の違い。”ドラえもん落書き訴訟”から。
 このとき地鎮祭の話をして、アメリカでも同じような儀式や行為があるか聞いたら、「そんなもん、聞いたことねえよ」と一蹴されてしまった。
 ただ世界中の移民が集まるアメリカは宗教のデパートでもあるから、自分の知らないところでそういうことをする人がいるかもしれない、と言う。
 ただドラえもんではなくて、ハーケンクロイツを描いたら問題になると話していた。
 このあと別のアメリカ人やイギリス人、トリニダード・トバゴ人などの外国人とホームパーティーをしたとき、彼らキリスト教文化圏の人たちに「ドラえもん落書き事件」の話をしてみた。
 みんな同じ反応で、「それはジョークの範囲内。裁判へ訴えるほどのことではない」とあきれる。
 ついでに日本で行われる地鎮祭の話をして、それについて聞いてみたら、これもみんな「そんな宗教儀式は知らない」という。
 キリスト教と家を建てるという行為にはまったく関連がないらしい。
このとき彼らは、「私たちの国なら、ホームウォーミング・パーティーをする」と話す。
 新しく家を建てたり引っ越しをしたときには、お祝いとしてその家や部屋で、みんなが食べ物を持ち寄ってパーティーを開く習慣が欧米にある。
 ホームウォーミング・パーティーアメリカのドラマでも見たから知っていたけど、地鎮祭の話を聞いた外国人がまさかこのイベントを思い浮かべるとは思わなかった。
 ドラえもんの話からハーケンクロイツを連想したこともそうだけど、これはボクにとってはかなり意外な展開。
 でも日本人にはない、欧米人らしい発想と思う。
 キリスト教文化圏の国で、地鎮祭と同じような儀式をするという人にはひとりだけ会ったことがある。
 きょねん京都のゲストハウスで出会ったイタリア人の女の子から、イタリアでは家を建てる前にカトリックの神父を招いて土地を清めてもらうことがあると聞いた。
 たしかに「清めの儀式」というとカトリック的で、アメリカやイギリスのプロテスタントならこんなことはしないだろう。
 台湾人とタイ人からは、地鎮祭のような儀式をするという話を聞いたことがある。
 「土地の神様」という発想はキリスト教イスラーム教などの一神教にはないけど、アジアの多神教ではありそうだ。
 日本人はハロウィンやクリスマスなどのキリスト教の宗教行事を、日本風イベントに魔改造してしまう。
 だから逆に、キリスト教徒の日本人が家を建てる時には、地鎮祭キリスト教式でするのだろうか?と疑問に思ったら、そういう例があった。
 そんな地鎮祭に参加した一級建築士がブログにこう書いている。
 {私も地鎮祭キリスト教式は初めてでした。但し地鎮祭とは呼ばず、地の霊を鎮めるという考え方は無いので、あえて言うなら起工式と呼ぶとのことでした。
 キリスト教式の起工式(地鎮祭)}
 一番大事なことは家主の意思という。
 「人が中心」という日本人の信仰がよくあらわれている。
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 一級建築士の「住宅のヒントと秘訣」
 注文住宅を考えたら「住宅の考え方が180度変わる」住宅勉強会やセミナー、他では聞けない住宅や建築がわかるブログ。
 キリスト教式の起工式(地鎮祭
 2007年08月24日 16時24分46秒 | 建築家の日記
 みなさん、こんにちは。ミタス一級建築士事務所の清水煬二です。
 本日は、地鎮祭でしたが、いつもと異なるのはキリスト教の牧師さんに行って頂いたのです。「神主さんではなく、牧師さんでもよろしいでしょうか?」と事前に施主からの質問がありました。もちろん良いですし、地鎮祭はしなくても良いのです。その家をお建てになる方の考え方が一番大切です。
 お子様がいらっしゃれば、一生にそうあることではないので、この機会に写真を含めて記念にという考え方もありますし、形式的なことは必要ないという考え方でも良いのです。どちらでも良いという方には、後で後悔しないようにやっておいたらいかがですか?とお答えしています。
 結婚式はともかく、私も地鎮祭キリスト教式は初めてでした。但し地鎮祭とは呼ばず、地の霊を鎮めるという考え方は無いので、あえて言うなら起工式と呼ぶとのことでした。
 私が考える地鎮祭は、これから工事のスタートにあたり、入学式や結婚式のように気持ちを新たに区切りを付けて態度で表し、工事中の安全や完成後の皆さんの幸せをみんなで願うというものです。今回も、私はそういうことを心の中で祈りながら参加させて頂きました。
 賛美歌を歌い、お話があり、それは結婚式でも同じですから予想していたのですが、鍬入れもあったので少し驚きました。
 「鍬入れはやらなくても良いのですが、工事業者さんが不安がるといけないから。」ということで、簡単に行なわれたようです。
 特に細かい決まりはないので、牧師さんの考え方で細かい部分は変わるようです。
 地面に聖書を埋めるという方もいらっしゃるそうです。
 賛美歌は、3曲唱いましたが、良く知っている曲は大きな声で唄えますが、知らない曲は、小さな声で一瞬遅れるような感じで唱ってしまいます。工事業者の人たちは、ほとんど固まっていました。(笑)
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 日本民族の伝統的宗教儀式の正統性は、唯一正統な神の血筋・血統である男系父系天皇が一子相伝として主宰する宮中祭祀を模倣している事である。
 女系母系天皇には、石器時代縄文時代から受け継がれている宗教的な正統性はない。
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 現代の台湾や韓国には、日本の植民地統治時代に日本独自の宗教・文化・伝統・習慣・風習が持ち込まれて根付いている。
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 反宗教無神論マルクス主義のリベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者が政教分離を貫くのであれば、公共施設を建設する際の宗教行事である地鎮祭上棟式に反対するのが筋である。
 左翼・左派・ネットサハの反天皇反日的日本人達は、神の血筋を正統とする日本天皇の否定し、石器時代縄文時代から受け継がれている民族宗教を破壊し消滅させようと。
 現代の右翼・右派・ネットウヨクそして一部の保守派やメディア関係者も同様である。
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 神社本庁 地鎮祭について
 地鎮祭とは、建物の新築や土木工事の起工の際などに、その土地の神様を祀り、工事の無事進行・完了と土地・建造物が末長く安全堅固であることを祈願するために、おこなわれる祭りです。
 一般には「じまつり」などとも呼ばれ、国土の守護神である大地主神おおとこぬしのかみと、その地域の神様である産土神うぶすなのかみ、またその土地の神々である「此の地を宇志波伎坐うしはきます大神等」をお祀りします。
 地鎮祭は地域によりお祭りの仕方が異なる場合もありますが、基本的な祭儀の流れは神社の祭儀とほぼ同様です。そのなかでも特徴的なこととして三つの行事がおこなわれます。
 一つは祓はらいの行事であり、四方祓しほうはらいの儀と称して、祭場四方の敷地を大麻で祓ったり、半紙と麻を切って作った切麻きりぬさなどを撒き、祓い清めます。
 二つ目は起工の行事であり、刈初かりぞめの儀・穿初うがちぞめの儀と称して、施主・施工者が忌鎌いみかま・忌鍬いみくわ・忌鋤いみすきなどにより、草を刈り、地を穿つ(掘る)所作をおこない、神様に工事の開始を奉告します。
 三つ目は供物の行事であり、鎮物しずめもの埋納の儀と称して、神霊を和め鎮めるために鎮物の品を捧げて、工事の無事安全を祈念します。
 土地の神に敬意をはらい、使用の許しを得て、工事の安全と生活の平安を祈願するという祭りの意味は、まさに日本人の生活習慣における伝統や信仰に基づいたものといえます。
 (『神道いろは』92・93頁参照)
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「地鎮祭」の解説
 地鎮祭 じちんさい
 建築・土木の工事に着手する前、土地の神を祝ってその工事の無事に済むことを祈る祭りをいう。地(じ)祭りともいって、家主、大工、親戚(しんせき)などが集まり、神職に祈ってもらう。岡山県では新たに屋敷をつくったり、新築をするときは神官、法印、民間の祈祷師(きとうし)を招いて地鎮祭を行ってお祓(はら)いをする。ここでは出雲(いずも)大社で祈念し、大社屋敷の砂をもらってきて敷地に撒(ま)いておくと障(さわ)りがないといわれている。福井県三方(みかた)郡常神(つねかみ)では地祭りといって、新築にとりかかるとき土地を塩で清め、東西南北と書いた幣(へい)を立て、方丈(ほうじょう)さんに拝んでもらうという。これを土(つち)祭りともいっている。火災にあった家では土を掘り取って清い山の土と入れ替えることも行われた。新潟県佐渡島では地祭りといって、敷地の四隅(よすみ)と中央にカワラケと神主の書いた呪文(じゅもん)を入れた竹筒を埋め、中央に祭壇を設け、山の物、海の物、神酒、塩を供えて祈祷し、金神除(こんじんよ)けとして幣束(へいそく)を立ててお祓いをする。
 [大藤時彦
 [参照項目] | 建築儀礼
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 ヨムーノ
 地鎮祭って、何のためにしているの?
 2021年03月22日更新
 進藤
 家を建てたことのない人にとって、「地鎮祭」はあまり馴染みのない言葉なのではないでしょうか。最近では新築の住宅を建築する際にも、地鎮祭を行わない人や、略式で簡単にすませる人が増えてきています。では、そもそも地鎮祭は何のためにしているものなのでしょうか。
 地鎮祭の持つ意味
 日本には八百万(やおよろず)の神という言葉があり、自然界のあらゆるものなどに神が宿るとされてきました。地鎮祭には、これから家を建てようとしている土地に宿る神様(氏神様)を鎮め、土地を使うことに対する許可を得るという意味があります。日本の神はないがしろにされると怒り、祟るという性質もあるとされていますが、地鎮祭で土地を利用する許可を得ることによって、祟りを防いで工事の安全を祈るという意味もあります。これらの意味から、建築工事を着工する前に地鎮祭は大安の日を選んで行われることになります。一般的には神道の神主を呼んで祝詞(のりと)をあげてもらいますが、実は霊魂の供養などの意味を込め、仏式で行うケースもあります。地鎮祭は神様のためだけの形式的な行事ではなく、家づくりを依頼する施主や施工業者はもちろん、設計者や棟梁、職人などが一堂に会する機会ととらえることもできます。お互いの顔を知っておくことで信頼関係が生まれ、「あの人にまかせたから安心」「あの人のためにいい家をつくろう」と思えるようになるかもしれません。
 やらなきゃダメ?地鎮祭の実態
 地鎮祭は、必ず行わなければならない儀式ではありません。特に最近では施主の意向を反映し、地鎮祭を勧めないハウスメーカーも増えており、都会では地鎮祭をする人が少なくなってきています。ただし昔からある工務店では、地鎮祭を勧めるところが多いようです。地鎮祭にかかる費用は、主に神主への謝礼です。「玉串料」「初穂料」と呼ばれ、神社によって金額が異なり、2~5万円前後が目安。ハウスメーカーによっては、見積もりの費用に地鎮祭玉串料を含んでいる場合もあるので、重複しないよう注意しましょう。お供え物などの儀式に必要なものは、多くの場合神主もしくはハウスメーカーの担当者が用意してくれます。自分で用意するべきものがあるか、担当者に確認しましょう。工事関係者と顔合わせができるため、地鎮祭をすることで良好な関係を築きやすいというメリットはありますが、やらなかったからといって心証が悪くなるということはありません。するもしないも、施主の気持ち次第。ただ、誰もが経験できることではないので、家づくりの記念と考えてやってみてもよいかもしれません。
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 ウィキペディア
 地鎮祭(じちんさい、とこしずめのまつり)とは、土木工事や建築などで工事を始める前に行う、その土地の守護神(鎮守神)を祀り、土地を利用させてもらうことの許しを得る。これには神式と仏式がある。一般には神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもある。鎮地祭、土祭り、地祭り、地祝いとも言う。費用は施工業者(奉献酒や玉串料は施主を含めた関係者)が負担する[要出典]。
 地鎮祭、東京にて
 一般的には、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄で囲って祭場となし、斎主たる神職のもと、建設業者・設計者・施主らの参列の上で執り行う。場合によっては、赤白の横断幕を張ったテントの中で行われる事もある。祭場の中には木の台(案という)を備え、その中央に神籬(ひもろぎ、大榊に御幣・木綿を付けた物で、これに神を呼ぶ)を立てて祭壇(南向きまたは東向き)となし、米・酒・魚・野菜・塩・水等の供え物を供える。また、関西などの特定の地方によっては伊勢神宮近隣の浜から砂または塩を取り寄せ、四隅に置く場合もある。祭壇の左右に、青・黄・赤・白・黒の五色絹の幟に榊をつけた「真榊」を立てる場合もある。この五色絹は五行説における天地万物を組成している5つの要素、つまり木・火・土・金・水を表している。昔は竜柱(祝い柱)を建て、丑寅(北東)と未申(西南)の方向にそれぞれ矢を立てて普請の安全を祈った。
 日本以外では韓国や台湾でも地鎮祭に似たお祓いをすることがある。
 農業における地鎮祭
 農家が中心となって行われる地鎮祭における幟の例
 一般的にその土地の神に対して豊作と農作業の際の事故防止を祈願する。春先は主に豊作と無事故祈願、秋口に行われるのは豊作への感謝(不作においては来年の豊作祈願)と無事故(事故が発生した年は来年の無事故祈願)の感謝を捧げている。一般的に農業関係者等が中心となり行われ、これに関しては宗教的行事というよりも地域の安全祈願も含まれている為に例え「仏教徒」だろうが「キリスト教徒」だろうが宗派関係なく参列するのが一般的であり、例え普段宗教行事に厳しい考えを持つ者もこの行事には関係なく出席している事が多い。会場には町内会館に隣接した社(管理は町内会)や岩にしめ縄を締めた場所等で行われ、その場所には幟が立てられる。
 仏教における地鎮祭
 仏教では、地鎮法、鎮宅法(じちん、ちんたく・ほう)、安鎮法(あんちんほう、安鎮国家不動法の略)、地天供(じてんく)、あるいは俗に地祭り、地堅めの法などともいう。密教の場合は不動明王を本尊として行う鎮宅不動法という儀式があり、堂宇や仏塔、墓碑を建立する前にその土地を結界して、地天を本尊・中心として諸天の天神や、横死した霊魂なども含めて、それらを供養し鎮霊して、永久に障難が及ばないように修する。
 堂宇などの場合、まだ板敷きを敷かずに土壇を鎮める修法を鎮壇法といい、地鎮と鎮壇を個別に修する。なお略式で同時に修する場合もある。壇の中央に五宝や七宝などを入れた賢瓶を埋めて、鎮石と呼ばれる平らな石を置き、再建する場合も決して動かさない。八方に輪や橛(くい)、五玉を埋める。
 日蓮正宗でも「起工式」という形で行われ、本尊の力で土地を清め、工事の安全を祈願する意味合いがある。敷地中央に祭壇を組み、寺院の常住本尊を掲げて住職の導師により読経・唱題の上、鍬入れの儀式が行われる。
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 地鎮祭
オウチーノニュース
 オウチーノ
 地鎮祭って本当に必要?その起源とは?費用や儀式の流れを解説
投稿日 : 2019/10/18 更新日 : 2019/11/05
家を建てる前に、家の安全と繁栄を祈願するために行われる儀式「地鎮祭」。大規模なビルや建物を建造するときはよくニュースなどで見かけることもありますが、個人の戸建ての場合は本当に必要なものなのでしょうか。
 地鎮祭とは?
 地鎮祭(じちんさい)とは、家を建てる土地の神様に、土地の利用を許可してもらうよう祝い鎮める儀式のことをいいます。また、その土地上に建てる建物の工事の安全と家の繁栄を祈願する儀式でもあります。また正式には、「とこしずめのまつり」と呼びます。
 地鎮祭は、とても起源の古いものです。西暦690年ごろ(持統天皇期)にはすでにその記述があり、土木・建築などに伴う祭として行われていたとされています。 しかし地鎮祭が建築儀礼として広く普及していったのは、江戸時代後半になってからだと考えられています。
 土地購入後、家を建てる工事着工前に執り行われるこの地鎮祭ですが、必ずする必要もないようです。
 具体的には何をするの?
 地鎮祭は、必ず行うべき儀式ではなく、逆に地鎮祭を勧めないハウスメーカーもいるほどです。特に都会では地鎮祭を行う人も少なくなってきているようです。ただし昔からある一部の工務店などでは、地鎮祭を勧めるところもあるようです。
 しかしこの地鎮祭、一体いくらほどするのでしょうか。費用は主に神主への謝礼であり、神社によって異なるため、一概にいくらかは断定できませんが、2~5万円ほどだといわれています。続いて用意するものですが、儀式に必要なお供え物は神主もしくはハウスメーカーが用意してくれる場合が多いです。

 いかがでしたか。地鎮祭は必ずやらなければいけないものではないようですが、工事の安全と家の繁栄を祈願するものですし、工事関係者と顔を合わす機会でもあります。良好な関係を築くうえでも、やっておいたほうが安心して家づくりを進められるのではないでしょうか。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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