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供養は、サンスクリット語のプージャーまたはpūjanā(プージャナー)の訳で、仏、菩薩、諸天などに香、華、燈明、飲食などの供物を真心から捧げること。
日本の民間信仰では、死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多い。これから派生して、仏教と関係なく、死者への弔いという意味で広く供養と呼ぶこともある。また動物等に対する供養、さらには針供養や人形供養のように生き物でない道具等に対する供養もある。
物品などの供養
真珠貝供養塔(三重県志摩市)
日本では、生き物でない物品も、単にごみとして廃棄するのでなく、供養の対象とする例がある。使った道具への感謝を表すほか、人を撮影した写真や人に似せた人形、他人との縁を示す手紙や名刺、携帯電話、故人の思い入れがある遺品の整理時などが対象になる。仏式の供養のほか、神社でお焚き上げされる場合もある。また寺社への手続きを代行する企業も登場している。
物品以外にも炎上したSNSの画像や発信など情報の供養も行われている。
針供養 - 淡島神社や淡島神を祀る寺院で行われている。
鋏供養
鏡供養
眼鏡供養 - 葛城神社
写真供養
表札供養
仏壇供養 - 仏教においては仏像や位牌などを焼却する儀式は「浄焚式」と呼ばれる[13]
経典供養
印章供養
人形供養 - 淡嶋神社
茶道具供養 - 茶筅など
怪獣供養 - 円谷プロダクションでは厄払いとして始まった。
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付喪神、つくも神とは、日本に伝わる、長い年月を経た道具などに神[要出典]や精霊(霊魂)などが宿ったものである。人をたぶらかすとされた。また、『伊勢物語』の古注釈書である『伊勢物語抄』(冷泉家流伊勢抄)では、『陰陽記』にある説として百年生きた狐狸などが変化したものを「つくもがみ」としている。現代では九十九神と表記されることもある。
概要
「つくもがみ」という言葉、ならびに「付喪神」という漢字表記は、室町時代の御伽草子系の絵巻物『付喪神絵巻』に見られるものである。それによると、道具は100年という年月を経ると精霊を得てこれに変化することが出来るという。「つくも」とは、「百年に一年たらぬ」と同絵巻の詞書きにあることから「九十九」(つくも)のことであるとされ、『伊勢物語』(第63段)の和歌にみられる老女の白髪をあらわした言葉「つくも髪」を受けて「長い時間(九十九年)」を示していると解釈されている。
『付喪神絵巻』に記された物語は次のようなものである。器物は百年経つと精霊を宿し付喪神となるため、人々は「煤払い」と称して毎年立春前に古道具を路地に捨てていた。廃棄された器物たちが腹を立てて節分の夜に妖怪となり一揆を起こすが、人間や護法童子に懲らしめられ、最終的には仏教に帰依をする。物語のなかで語られている「百年で妖怪になる」などの表現は厳密に数字として受け止める必要はなく、人間も草木、動物、道具でさえも古くなるにつれて霊性を獲得し、自ら変化する能力を獲得するに至るということを示しているのであろうと解釈できる。
「つくもがみ」という存在を直接文中に記している文献資料は、『付喪神絵巻』を除くと、『伊勢物語』の古注釈書に「つくも髪」の和歌の関連事項としてその語句の解釈が引かれる以外には確認されておらず、その用例は詳細には伝来していない。『今昔物語集』などの説話集には器物の精をあつかった話が見られたり(巻27「東三条銅精成人形被掘出語」)、おなじく絵巻物である『化物草紙』では、銚子(ちょうし)などが化けた話、かかしが化けた話などが描かれているが、「つくもがみ」といった表現は見られない。江戸時代の草双紙などにもほとんど「付喪神」という表現は使われていない。
小松和彦は、器物が化けた妖怪の総称としての「つくも神」は中世に最も流布したものであり、近世には衰退した観念であった。幕末になり浮世絵の題材として器物の妖怪は再浮上したものの、それは「つくも神」の背景にあった信仰とは切り離された表現だった、と考察している。
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『付喪神絵巻』(つくもがみえまき)は、日本に伝わる絵巻物。付喪神記、付喪神、付喪神絵、付喪神絵詞(つくもがみえことば)、付喪神縁起絵巻、非情成仏絵巻(ひじょうじょうぶつ えまき)などの題でも呼ばれている。崇福寺(岐阜県岐阜市)などに所蔵されており、いくつかの伝本が確認されている。多くは上下2巻の構成となっている。
内容は、康保のころ(964年-968年)年末の煤払(すすはらい)の日に捨てられた古い道具たちがつくもがみ(付喪神)となって人間を襲い享楽を尽くすが、護法童子や尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)、如法尊勝大法といった密教の法力によって調伏されてしまい、悪行への反省から出家して真言宗をまなび、深山で修行したのちに成仏するという物語作品である。
成立
室町時代に成立した物語であると考えられており、現存作品のうち最古とみられる崇福寺に所蔵されている絵巻物は、16世紀のものである。崇福寺本は内題に『非情成仏絵』とあるが、物語冒頭にある「付喪神」についての文から『付喪神絵巻』と一般に呼ばれる。
三条西実隆の日記『実隆公記』の文明17年(1485年)9月10日の記事に「於御学問所付喪(裳)神絵上下拝見」とあることから、それ以前(15世紀)にも存在していたと考えられているが、現在確認されている絵巻物と同一内容であるかははっきりしていない。寛文6年(1666年)に頼業という人物が写しとったという奥書きのある原本の「摸本」も複数確認されている(国立国会図書館、京都大学附属図書館所蔵本など)。これらは図の構成や描写などが崇福寺のものとは異なっており成立過程は異なると見られている。
付喪神
日本において、古い道具が変化したものを広義につくもがみ(付喪神)と呼ぶのは、この絵巻物の冒頭にある「陰陽雑記云、器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すといへり」という詞書きによるものである。しかし『陰陽雑記』という書籍は確認されておらずその正確な出典および字義は不明である。
付喪神という表記が出て来るのはその冒頭のみで、詞書き中では「妖物」「妖物ども」「化生のもの」「器物の妖変」などの呼称のみが使われている。また、それらの姿は「男女老少の姿」(人間のかたち)「魑魅悪鬼の相」(鬼のかたち)「狐狼野干の形」(動物のかたち)などをとっていると表現されている。
非情成仏
道具たち(非情物)は深山での修行の結果、因徳本生王如来・長寿大仙王如来・妙色自在王如来・法界体性王如来という名で成仏する。
この物語の主眼は真言宗の説く「草木非情 発心修行 成仏」(命あるものが発心修行して成仏できるのであれば、どうして山河草木瓦石瓶盆など命のない物にそれができないといえるだろうか)という教えを示しており、下巻の内容は特に仏法的なものでほぼ占められている。本文中に「吾宗」(われわれの宗派という意味)という言葉が登場しており、国文学者・平出鏗二郎 などは真言宗の僧侶によって文章が編まれたのではないかとしている。
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弔いスタイル
京都の針・櫛・数珠・陶器・茶筅 供養イベント一覧
2019-05-21
大切に使っていた物には「付喪神(つくもがみ)」が宿ると信じる日本人の精神を象徴するイベントが、京都では数多く開催されています。
人に対してだけでなくお世話になった物も供養したいと思うのは、日本人の「弔い」の精神の現れですね。
今回は、職業や趣味などでお世話になった道具を供養するイベントをご紹介します。
針供養
虚空蔵法輪寺
虚空蔵法輪寺(こくうぞうぼさつほうりんじ)は通称「嵯峨の虚空蔵さん」として親しまれています。
法輪寺での針供養は、皇室で使用された針をご供養せよとの天皇の命により始まったといわれています。
現在でも毎年12月の針供養の際に、皇室からお預かりした針のご供養をしています。
針供養当日には、一所懸命働いてくれた針に休んでもらおうという意味を込めて、蒟蒻に使用済みの針を刺して供養します。
櫛供養
櫛供養は安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)にて「櫛まつり」の時に開催されており、使い古した櫛やかんざしに感謝を込めて供養するお祭です。
安井金比羅宮には昭和36年9月に境内北側に久志塚(櫛塚)が建立されました。
櫛塚には女性の髪の美しさを引き立てる櫛を祀っており、女性の美容美顔美髪にご利益があるとされています。
櫛まつりは、13時開始の神事と14時開始の時代風俗行列巡行に分かれて行われます。
数珠供養
数珠供養は赤山禅院にて11月23日に行われます。
大阿闍梨*による加持祈祷、珠数のお焚き上げをしお世話になった数珠を供養します。
*三密:仏教用語。 主として密教でいわれ、身・口(く)・意の三業(さんごう)のこと。手に印を結ぶ身密、
陶器供養
陶器供養は千本釈迦堂大報恩寺(だいほうおんじ)にて陶器市の期間中に開催されます。
本尊釈迦如来の方便化身とする地天尊を迎え、日常の生活に欠かすことのできない「せともの」類を祀り、家内安全や健康増進を祈ります。
陶器業界発展のための祈願法要も行います。
茶筅供養
興聖寺(こうしょうじ)の茶祭りにて、茶筅のお炊き上げを行い、茶の発展に尽くした栄西禅師・明恵上人(みょうえしょうにん)・千利休ら3人の茶祖への感謝を示し、宇治茶の隆盛を祈る行事です。
筆供養
筆供養は「筆の寺」と呼ばれる東福寺正覚庵(とうふくじしょうかくあん)にて行われます。
東福寺正覚庵は、鎌倉時代(1290年)に奥州伊達家4代当主・伊達政依(だて まさより)が開基しました。
江戸時代には使い古した筆を供養する「筆塚」が築造され、書家 川浪青漣、日本画家 西山翠嶂、日本画家 西山英雄、大形筆塚などの筆塚があります。
版下供養
京都広告懇話会*が広告原稿や印刷の元である版下に感謝するため、毎年本能寺で開催しているのが版下供養です。
現在はデジタル制作が中心のため、広告データの入ったディスクなどを収める方が多いとのことです。
デザインの下絵や小さい頃に読んでいた絵本なども供養の対象となります。
古本供養
古本供養は京都古書研究会が母体となって実施する「秋の古本まつり」の一貫として行われています。
供養は法要のみ行われ、役目を終えた本は燃やさずに次の読み手に受け継ぐことで供養される仕組みです。
カード供養・名刺供養
カード感謝祭
カード感謝祭は期限切れや使用済みのカードに感謝し、カードによる様々な災いから身を守るお祭です。
カード型お守り発祥の地である市比賣神社(いちひめじんじゃ)で行われます。
「ハッピーカード」というカード型のお守りが女性を中心に人気で、境内に「カード塚」が存在します。
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公益社
葬儀の公益社トップ 葬儀の知識 きっと役立つ!葬儀の知恵袋 ゴミにするのはしのびない……処分しづらい「物」の供養について
生前整理や遺品整理を進める中で、数の多さから作業が大変といわれているのが衣服や書籍などです。その一方で、写真や寝具、手帳など、数が少なくても思い出深く、なかなか手放すことができないものもあるでしょう。そのような場合には、「物」を供養するという方法があります。物はどこでどのように供養できるのか、その方法についてお伝えします。
処分しづらい物は供養されてきた
生前整理や遺品整理をしていると、中には処分するにはしのびないものが出てくることもあるでしょう。特別な思い出があって捨てにくい、故人が毎日のように使っていたから処分するのがためらわれるなど、ゴミとして処分することに抵抗を感じるようなものです。
古くから、日本では物に持ち主の思いが宿ると考えられ、物の供養がおこなわれてきました。特に人形は、身代わりに災いを引き受ける役割を持つとされる場合もあり、役目を終えるときには捨てるのではなく、感謝の意味を込めて今も供養され続けています。
そのほかにも、針供養や包丁供養、着物や帯の供養、くし供養など、さまざまなものが供養されています。近年では、ご縁を感じさせる写真や手紙、名刺などに加えて、パソコンや携帯電話の供養を希望する人が増えつつあるようです。
処分に悩むものの種類が変わっても、そこにある思いに変わりはありません。捨てるのが難しいと感じるものについては、供養してからの処分を検討しましょう。
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小さな葬儀
葬式の事なら「小さなお葬式」 小さなお葬式のコラム 雑学 物にも魂が宿っている?様々な「物」の供養について
物にも魂が宿っている?様々な「物」の供養について
様々な物に対する供養があることをご存知でしょうか。
供養とは仏や菩薩、諸天などに供物を捧げることを指し、仏教で使われている言葉です。例えば人形やぬいぐるみなど、愛着のあるものをそのまま捨てるのはなんだか偲(しの)びないと考える人も多く、神社や祭りごとで供養を行うことがあります。
今回は「物」の供養についてご紹介します。
まとめ
日本にはこれ以外にも箸供養、はさみ供養、鏡供養、財布供養など様々な供養があり、物を大切に考えていることが分かります。
神道では「八百万(やおよろず)の神」というように、どこにでも神がいるという考え方があり、物にも魂が宿るという考え方をしますし、それを付喪神(つくもがみ)としてまつることもあります。「物を大事に扱いなさい」と言われてきたのは、日本に古くから続く信仰が根付いているためと言えます。
こういった考え方はとても尊いものですので、感謝の気持ちだけは忘れないようにしていきたいですね。
株式会社ユニクエスト
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モノ・フラッシュ
携帯やロボット…もの供養で償い 消費社会に罪悪感
2018/7/7
久月が開いた「人形報恩祭」(東京都台東区)
人や生き物ではなくモノを弔う「もの供養」。あらゆるものに魂が宿るという信仰心が背景にあるが、実は広まったのは戦後だ。人形からロボット、メガネ、携帯電話まで。日本特有の事情を探った。
4月26日、千葉県いすみ市の光福寺の祭壇にソニーの犬型ロボットAIBO(アイボ)約110台がずらりと並んだ。今年で6回目となるアイボの供養だ。これまで千台以上の修理を手掛けてきた元ソニーの技術者、乗松伸幸さんが社長を務めるA・FUN(習志野市)が主催している。
乗松さんは「修理」ではなく「治療」と言う。「部品としていわば『献体』してくれるオーナーも多い。アイボの魂をオーナーにお返しする儀式」と話す。
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もの供養で圧倒的に多いのが人形だ。5月19日、東京都台東区の第六天榊神社で久月が開いた「人形報恩祭」。約300体の人形を前に横山久吉郎社長は「人形は家族の災いを背負ってくれる。感謝を込めたい」とあいさつした。
人形供養は平安の昔からある。しかし大きな行事となってきたのは戦後のこと。久月の供養も7回目だ。それでも毎年1割ずつ供養する人形は増えている。横山久俊専務は「人形を飾らない家庭が増え、役割を終えた人形が多くなっている」と分析する。
こうした供養は記念日に行うことが多い。ハサミの供養は8月3日の「ハサミの日」。メガネの供養は1001の形に似ていることから「メガネの日」である10月1日。目の神様として知られる葛城神社(徳島県鳴門市)には1998年に「めがね塚」が建立、毎年供養している。
供養の文化は日本特有だ。日本ケンタッキー・フライド・チキンは74年から毎年「チキン感謝祭」を開く。東は東伏見稲荷神社(東京都西東京市)、西は住吉大社(大阪市)だ。今年で45回目と古い。「世界中で展開しているが供養をするのは日本だけ」(広報部)という。
なぜこうした供養が広がっているのか。背景の1つが高齢化だ。新潟県最古といわれる古刹、国上寺(燕市)では、3年前から郵送で供養を受けている。山田光哲住職は「遺産整理で出てきたものの供養を依頼されることが増えた」と話す。手紙や手作り品、子供が大切にしていたヘルメットを託す母親もいる。
「みんなのお焚(た)き上げ」という供養代行サービスを昨年から始めたクラウドテン(東京・港)。同社の調査では98.6%の人が「供養したいものがある」と答えた。写真やレコードのほか、携帯電話も増えているという。山盛潤社長は背景に「丁寧に手放す精神だけでなく、ゴミとして捨てた時の罪悪感や『罰が当たりそう』という恐れの気持ちがある」と話す。
「メリーさんの電話」という都市伝説がある。少女が古くなった人形「メリー」を捨てる。その夜「あたしメリー。今ゴミ捨て場にいるの」と電話が。怖くなって切るが「今駅にいるの」「家の前にいるの」と電話の度に近づいてくる。そして最後。「今あなたの後ろにいるの」――。
国上寺の山田光哲住職は「本来仏教には罰当たりやたたりという考え方はない」と言う。宗教的な背景というよりはむしろ、戦後の大量消費社会の中で「ものを大切に」という現代的な教訓が、供養を広げた背景にあるようだ。
「お焚き上げ」という言葉の使い方も、時代とともに変わってきた。
「元カレをお焚き上げ」。ネットの恋愛相談サイトでは「失恋を克服して新しい恋に進むこと」をこう記す。文章を書く行為を自分を客観視するという意味で「お焚き上げの一歩」と表現する人もいる。供養やお焚き上げは「気持ちの整理をして前を向くための行為」(山田住職)だ。現代的ではあるが、案外適切な使い方なのかもしれない。
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共生の意味 問いかける
鎌倉・建長寺の虫塚
昆虫採集好きで知られる解剖学者の養老孟司さんが建てた「虫塚」が、神奈川県鎌倉市の建長寺にある。虫かごに見立てた外観は、建築家で新国立競技場の設計者、隈研吾さんのデザインだ。
「現代人はおびただしい数の虫を殺してきた。『命は大切だ』とよく言われるが、毎日何万匹の虫を車や電車で無意識にひき殺している。その加害者であることに自覚的であろうと思い、虫塚をつくった」と養老さんは言う。
日本人の「もの供養」好きは、「ものにも魂が宿る」という考え方に加え、「一緒に生きてきた仲間という意識がある。生き物は共生しないと絶えてしまう」と話す。もの供養は「共生の意味」を問いかけている。
(大久保潤)
[NIKKEIプラス1 2018年7月7日付]
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J-CASTニュース
経済
携帯電話やプレゼント、軍服... 神社の「もの供養」は人形だけじゃない
2017年09月09日11時00分
日本人ならではの宗教観が背景に
{「月に100件ほどの依頼が寄せられます。人形やぬいぐるみのほかで多いのは、パワーストーンや、亡くなった方の遺品などでしょうか」}
J-CASTニュースの取材にそう語ったのは、結城諏訪神社(茨城県結城市)の山川誠人宮司だ。「勝負事の神様」としても知られ、最近では、県内出身の稀勢の里関が参拝に訪れたこともあるとか。
そんな神社が、「もの供養」を始めたのは「5~6年ほど前から」。元々、多くの神社と同じように「人形供養」を手掛けていたのだが、あるとき知人から、不要になったパワーストーンなどを無碍に捨てられず、困っている人が多い、という話を耳にした。そこで、広く「もの」の供養を受け付けることにすると、全国各地から依頼が舞い込むようになった。
{「日本人は古くから、大きな木や岩など、自然に神様がいると考えてきました。そこから、『八百万の神』というように、ありとあらゆる物にも魂が宿るという宗教観が生まれたのです」}
冒頭に挙げたガラケーの例のように、人それぞれ思い入れのある愛用品を、むやみに捨てることができない、というのは、こうした宗教観によるものだと山川宮司は解説する。
指原莉乃さんのジャージをお焚き上げしたことも
供養するものは宅配で受け付けており、玉串料(供養料)はサイズに応じて3000~1万円だ。公式サイトでは、供養を受け付けるものの例を以下のように掲載している。
{「人形、ぬいぐるみ、アルバム、写真、手紙、年賀状、絵画、掛け軸、おもちゃ、ランドセル、服、印鑑、アクセサリー、電化製品、携帯電話、こいのぼり、はく製、盆提 灯、しめ縄、神棚、仏壇、位牌、だるま、お守り、御札、タロットカード、オラクルカード、パワーストーン等のヒーリンググッズ」}
これだけでも範囲がかなり広いことがわかるが、これ以外でも不要になった愛用品、故人の遺品など、「常識の範囲内」であれば、基本的にはあらゆるものを受け付けている。2016年には「気になるお客サマ」(日本テレビ系)の企画で、HKT48の指原莉乃さんのジャージを「お焚き上げ」した。
{「変わったものもいっぱい来ます。最近では、『旧日本軍の軍服』が送られてきました。理由などは聞いていないので、詳しい事情はわかりませんが......。また、芸能事務所や漫画家の方から、ファンレターやプレゼントをお願いされることもあります」}
確かにファンレターなどは、いろいろな思いが込められていて簡単には処分できなさそうだ。だからと言って、すべてを保管しておくのも難しいだろうし......。
これらの「もの」は社殿でお祓いをし、「長年お世話になりました」と祝詞(のりと)をあげる。その上で、燃えるものはそのまま焚き上げ、燃えないものは専門の業者に回収してもらうという。
ちなみに、筆者のような携帯電話の申し込みも、際立って多いわけではないが「結構ある」そうだ。ボロボロのガラケーを眺めながら、筆者はその「供養」を真剣に考えている。
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