⛩18)─1─大嘗祭=式年遷宮。皇室典範。〜No.34No.35 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 皇祖神である女性神天照大神は、現天皇・皇族・皇室の血の繋がった家祖・祖先である。
 天照大神は、実在した人間ではく作られた理想的女性神である。
 天照大神の治める高天原は、日本中心神話の中にある神の国で、死んだ人間たとえ天皇皇后などの皇族であっても昇天できない血と死を完全排除した神聖な聖域である。
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 旧皇室典範とは、王権神授説・社会契約説・西洋的近代法律でもなければ儒教天帝説でもなく、有史以来、受け継いできた伝統の文化・宗教を基とした家訓・遺訓、家法・祖法を近代的に明文化した家内法であるがゆえに、国家の憲法とは別格の法律とされた。
 皇室の祖先達は、2000年間に経験した事を叡智を、血の繋がった天皇と皇族達を誡(いまし)める為に「しきたり」としてまとめて残した。
 現代日本人は、悪臭を放つ穢れた心ゆえに「畏れ」を知らず、事の良し悪しが分からず神聖を踏みにじり、傲慢にも自己満足的に神の裔の天皇・皇室を穢して俗物化しようとしている。
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 皇室の伝統とは、朝廷・宮中の内で伝承されてきた門外不出の誡(いまし)め・しきたりをまとめた家訓・遺訓、家法・祖法である。
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 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
 皇室典範 こうしつてんぱん
 皇室に関する重要事項を定めた法律。旧「皇室典範」は、1889年(明治22)大日本帝国憲法と同時に制定され、同憲法とともに日本の最高の成文法であった。したがって、成文憲法は形式上、大日本帝国憲法皇室典範の二つに分かれ、皇室に関する規定はすべて皇室典範に組み入れられた。その結果、帝国議会は皇室に関する事項については、まったく関与することができなかった。このように、成文憲法が二元化した結果、あらゆる成文法は、宮務法(皇室典範およびそれに基づく皇室令)と、政務法(憲法およびそれに基づく法令)に分かれ、皇室典範は宮務法の基本法として、もっぱら天皇によって改廃された。
 第二次世界大戦後、旧皇室典範は廃止され、新「皇室典範」(昭和22年法律第3号)が日本国憲法と同時(1947年5月)に施行された。名称をそのまま残したが、神道儀礼部分を削除して簡素化され、普通の法律と同じく国家の統制が及ぶことになった。内容は皇位継承、皇族の範囲、摂政(せっしょう)、成年・敬称・即位の礼、皇族が結婚するときの手続き、皇籍離脱皇室会議の仕組みなどについて定めている。皇室典範は現在、皇室経済法とともに特殊の法域として皇室法を形成している。[池田政章]
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 2019年11月13日14:22 産経新聞天照大御神から伝わる重要祭祀「大嘗祭」はこのように行われる
 平成の大嘗祭に臨まれる上皇さま=平成2年11月22日、皇居・東御苑
 皇位継承に伴う重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」は、稲作を中心とした日本社会に古くから伝わる収穫儀礼に根ざした儀式だ。戦国時代の前後に中断した時期もあったが、江戸時代に再興され、現代まで受け継がれてきた。近代には「庭積(にわづみ)の机代物(つくえしろもの)」と呼ばれる全国の特産品などもお供え物に加わり、国民との接点も広がった。大嘗祭天皇陛下は国民の命の源である自然の恵みに、深い感謝を示される。(篠原那美)
 拝礼のため悠紀殿わきの帳殿へ進まれる上皇后さま=平成2年11月22日、皇居・東御苑
 皇祖神・天照大神から伝わる収穫儀礼
 毎年11月、宮中では「新嘗祭(にいなめさい)」が行われる。天皇が新穀を神々に供え、自らも口にし、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安寧を祈る重要祭祀だ。特に即位後初めて行うものが「大嘗祭(だいじょうさい)」で、一世一度の儀式とされる。その起源はどこまで遡れるのだろう。
 日本最古の歴史書古事記」と「日本書紀」には、皇祖神の天照大神や古代の天皇が「新嘗の祭」を行ったとする記述がある。宮内庁大嘗祭を「新嘗の祭」に由来すると説明。これらの歴史書が編纂された奈良時代より前から伝承されてきた収穫儀礼に根ざした儀式としている。
 7世紀半ばまで、毎年行われる新嘗祭大嘗祭との区別はなかったが、7世紀後半の第40代天武天皇、41代持統天皇のときに区別されるようになったという。以後、大嘗祭は重要な即位儀礼として歴代天皇に継承されてきた。
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 ところが、室町時代に転機を迎える。戦乱や朝廷の困窮などを理由に、1466年の第103代後土御門天皇を最後に、大嘗祭は221年間、中断した。
 再興したのは江戸時代、第5代将軍、徳川綱吉のとき。当時在位していた第112代霊元天皇は譲位を申し出て、後を継ぐ東山天皇の即位に際し、大嘗祭の復興を幕府に強く望んだ。
 当時の幕府は、国内統治に儀礼を重視しており、1687年、東山天皇大嘗祭の挙行を認めた。続く中御門天皇の即位の際には行われなかったが、その次の桜町天皇から現代まで続いている。
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 明治以降の大嘗祭では、亀の甲羅を用いた占い「亀卜(きぼく)」で決まる悠紀(ゆき)地方、主基(すき)地方の新穀だけでなく、「庭積(にわづみ)の机代物(つくえしろもの)」と呼ばれる農産物や海産物も供えられるようになった。
 特に大正以降は全国から特産品が寄せられ、令和の大嘗祭では、47都道府県から3~5品ずつ野菜や果物、海産物の干物などが供えられる。
 大嘗祭にむけ各地から特産品が納品
 皇室文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功氏は「庭積の机代物は自然の神々から賜る食べ物の豊かさを示す。大嘗祭は国民生活に不可欠な『食べ物の祭り』でもあることに注目してもらいたい」と話している。
 最も神聖なご装束
 数ある宮中祭祀のうち、大嘗祭が重い儀式とされているのは、天皇陛下のご装束からもうかがえる。
 陛下は大嘗祭の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」に臨むため、まず身を清める「廻立殿(かいりゅうでん)」に向かうが、その際に「帛御袍(はくのごほう)」を身につけられる。「即位礼正殿(せいでん)の儀」の10月22日朝、これに先立ち、宮中三殿で行われた儀式で着用された白い束帯だ。
 完成した「大嘗宮」を報道陣に公開
 陛下は廻立殿に入ると身を清める潔斎をし、最も神聖な白い「御祭服(ごさいふく)」に着替えられる。この御祭服は精練されていない絹「生絹(すずし)」で仕立てた装束で、陛下が自ら、「神饌(しんせん)」と呼ばれる新穀などのお供え物をささげる大嘗祭新嘗祭のときにだけ着用される特別なものだ。
 皇后さまは白い十二単姿、皇族方は即位礼正殿の儀で着用した古装束の上に、清浄を表す「小忌衣(おみごろも)」を身につけて臨まれる。
 大嘗祭で供える麻織物「麁服」 調進の人々「立派な物ができあがった」
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 儀式は14日、各地の特産物「庭積の机代物」を供えるなど準備が整えられたうえで、午後6時半に陛下が東側の「悠紀殿(ゆきでん)」に入られるところから始まる。
 14日に「大嘗宮の儀」 儀式の詳細は「秘事」
 皇后さまは「帳殿(ちょうでん)」、男性皇族は「小忌幄舎(おみあくしゃ)」、女性皇族は「殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)」でご拝礼。その後、神饌を準備する「膳屋(かしわや)」から新穀などの神饌が悠紀殿へと運び込まれる。陛下は悠紀殿内の内陣の御座に座り、「采女(うねめ)」と呼ばれる女性らの手伝いを受けながら、神饌を自ら供えられる。続いて拝礼し、五穀豊穣と国家安寧を祈る御告文を奏上した後、ご自身も米、粟、神酒を口にされる。
 西側の主基殿でも日付が変わった15日午前0時半から、同様の祭祀が行われる。
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 11月13日16:00 産経新聞「14日に大嘗宮の儀 儀式の詳細は「秘事」
 報道陣に公開された大嘗宮=13日午前、皇居・東御苑(桐山弘太撮影)
 皇位継承に伴う一世一度の重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が14日、皇居・東御苑内に建設された大嘗宮で始まる。皇室行事として、天皇陛下が新穀を神々に供えて自らも食し、国と国民の安寧や五穀豊穣を祈られる。
 主要部分は例年の「新嘗祭(にいなめさい)」などと同様、公開されず、宮内庁は儀式の詳細については「秘事」を理由に明らかにしていない。平成時には儀式が「天皇が神格を得る意味合いがある」との学説から宗教色を問題視する指摘があったが、同庁はこの学説は否定している。
 14日は午後6時半から、大嘗宮の「悠紀殿(ゆきでん)」で、まず「悠紀殿供饌(きょうせん)の儀」が行われる。侍従が三種の神器のうち剣と璽(勾玉)を悠紀殿内の台の上に置いた後、陛下が殿内に入られる。陛下は栃木県高根沢町で収穫された米と粟、新穀で造った白酒・黒酒などを供え、御告文を読んだ後、自らも新穀と神酒を召し上がる。悠紀殿供饌の儀は午後9時過ぎに終えられる見通し。
 続いて15日午前0時半から午前3時過ぎまでは悠紀殿に隣接した「主基殿(すきでん)」で「主基殿供饌の儀」が行われ、陛下が京都府南丹市の新穀などを供えられる。
 両儀式には皇后さまをはじめ皇族方がご参列。首相ら三権の長や国会議員、都道府県知事ら約700人が招待されている。
 13日には大嘗宮を報道関係者に公開。また、大嘗宮の安全を祈る「大嘗祭前一日大嘗宮鎮祭」が悠紀、主基の両殿などで行われた。」
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 2019年11月21日号 週刊新潮「『平成の大嘗祭』舞台回しが初めて明かす『秘儀』
 今月14日から翌未明にかけ、皇居では大嘗祭(だいじょうさい)が執り行われる。天皇家に受け継がれる『秘儀』を経て、陛下は名実共に即位したことになるという。
 三木善明
 ……
 税金を伴えば、どんな儀式をしているのか教えるべきだという批判が出る。そうした反応を恐れたのっだと思いますが、個人的には会見で否定したのは少々行き過ぎだったと思います。
 今の時代、天皇陛下に神秘的な色彩を求めるのはよくないという考え方もありますが、決して口外してこなかったからこそ、それが秘儀と呼ばれ、神秘的な伝統という見えないものに対して、人々が想像を膨らませるのは悪いことではありません。
 実際、大嘗祭ではお灯明の灯りしかない暗い部屋で、天皇陛下と介添え役の采女(うねめ)2人が過ごします。毎年行われる新嘗祭(にいなめさい)でも、宮中三殿で同様のことが行われますが、28年間、祭祀でご一緒させていただいた私でさえ、密室の中を見ることは叶いませんから、陛下がどういう所作をされているのかは、知る由もないのです。
 分かっているのは、大嘗祭新嘗祭では天皇陛下自らが御告文(おつげぶみ)を読み上げ、『御親供(ごしんく)』といって直接お供えをされること。その所作は複雑で、練習を重ねていても始めて臨まれる陛下が完璧に覚えることは難しい。そこで、日頃から祭祀を熟知している采女たちがお支えするのです。……
 また陛下は、神々にお供えした神饌(しんせん)と同じ物を召し上がるわけですが、それは『御直会(おなおらい)の儀』と呼ばれ、食事を共にすることで神々から精神的な力を授かる。同じ釜の飯を食べると親しくなる、と言いますが、儀式を通じて陛下も神さまと非常に親しくなるのです。
 人にとっては、この祭祀で天皇が神になるという方もいますが、それはどうでしょうか。あくまで大嘗祭は神々から皇位に対する精神的な力を頂戴する。つまり在位する間の力をいただくと考えればよいと思います。その力が弱まれば、年に1度、新嘗祭でまた大御神から力をいただき年を越す。『復活』、『蘇り』こそが祭祀の本義だと思います」
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 日本民族日本人の宗教とは、血の繋がった祖先・先人を、心・志、魂・霊を込めて家の神・祖先神・氏神として崇め祀るローカルな民族宗教である。
 それは、今、この時を生きている日本人・ヒトの心・魂の中に厳然と存在する、祖先から受け継いでいる命に対する敬虔な崇拝、つまり命賛歌、命崇拝である。
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 天皇制度とは、大統領のような投票の政治制度でもなく、教皇のような信仰の宗教制度でもなく、祖先と子孫を繋ぐ血の世襲制による家族制度である。
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 大嘗祭新嘗祭などの皇室行事を否定する日本人は、伝統・文化・宗教・歴史を共有する日本民族日本人ではなく、無国籍に近い日本人である。
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 日本仏教は、教祖や中興の祖、祖先や家族を仏として信仰していた。
 仏教は、戒律で妻帯を禁止していた為に世襲制ではなく、仏縁で宗門宗派を受け継いでいた。
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 日本神道は、血の繋がって子孫のみが氏子として祖先神・家族神を祀る宗教であり、血の繋がらない他人は拝み祭っても祀る事はできない。
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 天皇神である女性神天照大神は、血筋・血統に繋がる天皇・皇族・皇室の祖先神・家族神であり、日本民族日本人と日本国の最高神である。
 天皇霊である初代神武天皇は、皇統に繋がる天皇・皇族・皇室の祖先である。
 神武天皇は、天照大神の子孫である。
 即位した新しい天皇が、内の正統と外の正当の両面から正式天皇として認められるには天皇神・天皇霊大嘗祭で心の中・体内に受け入れなければならない。
 それが、2000年間、天皇家・皇室に血の男系世襲制として受け継がれた一子相伝の伝統の家文化・家信仰である。
 祖先崇拝において、神道・仏教・儒教道教・その他の日本と儒教の中華(中国・朝鮮)とは根本から異なる。
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