⛩10)─1─琉球の縄文人(原日本人)は南海から日本列島の神奈備・神体山を目指した。~No.18No.19 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 琉球縄文人は、現代の琉球人と日本民族にとって共通の祖先である。
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 2021年7月1日号 週刊新潮「Book ノンフィクション
 評者 角幡唯介
 『アースダイバー 神社編』 中沢新一 講談社
 歴史を解読し、紡がれる 原日本人の壮大な物語
 この本は思考の力で精神の始原(しげん)を探求してきた中沢人類学のひとつの総決算ではないだろうか。本書をめくりながら、私は地図をもたずに日高山脈を登ったときのことを思い出していた。地図がないということは、この先に山があるのかも不明、という極端な状況のなかで登るということである。そこに突然見事な姿の山があらわれると、人はその威容に愕然とし、目の前に存在ごと組み込まれる。それは未来を予期し、情報を得たうえで確認する山とは全然ちがう、裸の山だ。はじめて日本列島に到着した原始の人が富士山を見たときの経験に、これは近いのではないかと思った。
 聖地の由来を象徴から読み解くこの本によれば、舟で列島にたどりついた縄文人は、各地の円錐形の山を神奈備として祀り、麓に住んだという。彼らの心性では大地の奧にひそむ不可視の力はときに雷や蛇となり立ち上がる。その現場がや、山であり、こうした創造の物語は彼らの故郷である南方の神話にも語られている。そしてそれがわかるののは、諏訪、出雲、大神(おおみわ)など列島各地に今も残る神社の古層に縄文の世界観が埋め込まれているからだという。
 神社には縄文古層、弥生中層、歴史時代以降の新層が折り重なる。表向きは新層しか見えないが、神話、古文書、祭祀の対象となる遺物などを慎重に分析することで見えない古層が露出するというのである。
 古層を解説し、紡がれてゆく原日本人の壮大な物語はじつにスリリングだ。まるで縄文弥生の原始の人々蠢(うごめ)きが、自然との関わりから生みだされる思考が、見えてくるようである。でもそれだけではないはずだ、と思える。こうした古層は何も土地や神社だけでなく、われわれ一人一人が山や自然に触れた折に何気ない感受の仕方にも秘められていて、その各々の古層と土地の古層は確実に共鳴しているだろうからだ。日高で見た裸の山のように。」
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 日本列島は、神の島として多様な神話の宝庫であった。
 日本民族は、数多の神話に囲まれ、八百万の神々と共に生きてきた夢想家・夢追い人・船乗り・旅人であった。
 日本民族のローカル宗教は自然神崇拝ではあるが、大陸におけるアニミズムの精霊信仰や地母神信仰とは根本からして違う。
 日本民族は、地産地消として、目の前で農耕漁労と狩猟採取をおこない山海の珍味を活きの良い新鮮な状態で火を使って調理し、神々に感謝して「ありがたく」食べ、その亡骸を心を込めて「丁重」に葬っていた。
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 日本列島に上陸したファースト日本民族日本人は、南方・琉球・長江から流れ着いたのであって北方・西方・朝鮮半島黄河から渡ってきたのではない。
 南方系海洋民の子孫である日本民族は、小さな手漕ぎ丸木舟を操船し、石器時代縄文時代から日本海を主要航路として日本列島を中心に広く住み乱婚を繰り返しながら生きてきた。
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 人は、生きる為にランドマークを目指す。
 海洋民は、山のある島(火山島)か平坦なサンゴ島を目指す。
 大陸で、草原の民は山・川を目指し、砂漠の民は森林とオワシスを目指した。
 海洋民と砂漠の民に似た所がある。
 例えば、蛇は、海洋の民と砂漠の民にとって神聖な生き物で、草原の民にとって邪悪な生き物であった。
 何故、蛇を生命の象徴として神聖視したのか、それは人が生きていけない海の中や砂漠でも逞しく生きていたからである。
 海洋民と大陸民とでは、山の意味が違う。
 当然、日本民族朝鮮人とでは「神奈備」は別物で、先に意識したのは日本民族であり朝鮮人は後である。
 中国の山は反権力、反権威、反儒教、反皇帝として、道教の仙人が住む霊山、仏教の逃避地、梁山泊の盗賊の巣である。
 朝鮮には、道教はない。
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 神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とは、神道において、神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁した領域のこと。または、神代(かみしろ)として自然環境を神体(しんたい)とすること。万葉集においての表記は7つ(22首、23例)ある。
 神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域や、神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や神体山を、また特徴的な岩(夫婦岩)や滝(那智滝)がある神域などをさす。神籬と磐座の総称でもある。依り代となる森林や岩などがない「神奈備野」もある。
 概要
 「カンナビ」は「神並び」の「カンナラビ」が「カンナビ」となったとする説や、「ナビ」は「隠れる」を意味し「神が隠れ籠れる」場所とする説がある。もっとも後者は、上代特殊仮名遣いの発見により否定されている。
 神奈備アニミズムでもあり、自然への感謝や畏敬や畏怖の体現であるが、神の住まう神域や、常世(とこよ)と現世(うつしよ)の端境、または、その常世と現世をわかつ結界や、禁足地なども意味する。
 自然を手付かずに残す事例として、自然環境の保護の観点からも重視され、里山やその周囲の文化として貴重であり、固有の土壌細菌の発見が新薬の開発のきっかけとなることがあるほか、世界中の自然環境学の研究者などが、研究に訪れる場所でもある。
 現在の神社神道の神体は「社(やしろ)」であり、神奈備とはいわない。神社神道も本来は日本で自然発生的に生まれた原始宗教といわれ、自然崇拝や精霊崇拝を内包する古神道から派生して現在に至る。現在の神社には、主たる祭神の尊(みこと)とは別に、「自然」という神体が存在するのが常で、神体として注連縄が飾られた社とともに、境内の内外に神木や霊石や鎮守の森の湖沼や滝などの神体が存在する。古い神社では、拝殿や本殿もなく、自然の神奈備そのものを祭神として祀るところもある。
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「神奈備」の解説
 神奈備 かんなび
 古代において神霊の鎮まる場所で、小山や森のような所と考えられる。神名樋、神名火、甘南備などとも書く。「かんなび」の語義については、(1)神の森の転訛(てんか)、(2)神並び、(3)朝鮮語ナムNamu(木)からおこり、神木の意、(4)神隠(かんなば)りの意など、古来種々の説があるが、(4)の説が妥当と考えられる。「かんなび山」の名称をもつ山は諸国にあったが、大和(やまと)の三輪山(みわやま)(奈良県桜井市)がもっとも著名である。このほか大和(奈良県)、出雲(いずも)(島根県)に多いため、出雲系の神を祀(まつ)ったものであろうとする説が有力である。大場磐雄(おおばいわお)は、この山容が円錐(えんすい)形または笠(かさ)形の美しい姿をして目につきやすいので、神霊が宿るにふさわしいものと考えている。
 [亀井正道
 三輪山
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 神体山(しんたいさん)とは主に神道において神が宿るとされる山岳信仰神奈備(かむなび・神々が神留まる森林を抱く山)の山をいう。
 また、「霊峰」とも呼ばれ、霊峰富士とされる富士山が代表的なものである。また峠や坂という小さな峰も神域や神が宿る場所とし畏怖畏敬された。
 概略
 文化人類学アニミズム論によれば、人類は生と死という現象を客観的に捉え、それを自我や意識に合わせた観念として「命」という認識を作り出し、生き物や自然の山河や岩や木々にも命や神や霊が宿ると考えた。日本でも同様に、神道、特に縄文時代以前からある縄文神道といわれる古神道では、大きいものや長いものや古いものに、より位の高い神が宿ると考えた。
 フィリピンのアカ族が信仰するピナトゥボ山
 その代表的なものが山や峰峰(連峰)であり、特徴的な大きな山には特に神が宿るとされ、これを山岳信仰という。山岳信仰は日本に限らず世界中にあり、ケニア南部のマサイ族やキクユ族は神が座する山としてキリマンジャロを信仰し、その他にはチベットシェルパ族はエベレストを、中国雲南省のナシ族(納西族)は玉龍雪山を、オーストラリアのアナング(アボリジニ)はウルル(エアーズロック)をそれぞれ神が宿る、神の山として信仰している。
 日本では神奈備(かんなび)といわれるものが、山岳信仰の一つの形である。古くは神奈備は磐座(いわくら)・磐境(いわさか)とともに、普通の山だけでなく、火山や森を抱かないいわゆる裸山や禿山も信仰の対象としたが、神奈備は木々や森林を抱く、集落に隣接する山として、鎮守の森や神籬(ひもろぎ)に変わっていき、磐座は夫婦岩などとともに岩・奇岩や巨石・奇石として霊石になり、現在では神籬と合わせ神社神道玉垣の原型とされる。
 これら古神道の信仰された場所に、現在の多くの神社神道の「社(やしろ)」が建立され、祭神は自然そのものから「尊」(みこと)といわれる人格神に取って代わっていった。このことは古代の神社の多くが神体山信仰(神奈備)に起源があり、その根拠として、神社の建築様式では基本的に「鳥居→社殿→神体山」という序列があり、参拝者の後方に神体山がある場合にも参道を考慮するとこの序列が成立するとする説からもうかがわれ、他の説もあるが、池辺弥が、古くから大規模集落にみられる祈祷や祭礼の場所としての古神道の神殿から、仏教思想の影響により、神社の本殿に神が鎮座するとする「神常在思想」が発生したとすることなども、古神道の場所に神社が建立された、とする説明に合致する。また景山春樹は古墳や塚と同様に祖霊信仰に始まり、やがて山そのものを信仰する自然神道的な形態に変遷し、後に山中の祖霊神に農耕の神の観念が重なっていったとする。
 後世には古神道山岳信仰が、密教禅宗道教陰陽道)と習合した、修験道での登拝も活発化した。
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 草原の民にとって蛇は、魔物か悪魔の使い魔として嫌われ、見つけたら殺していた。
 ネズミを捕食する蛇、キツネ・オオカミ・猫、鷹・フクロウなどの肉食動物を、宗教的理由で殺す事がペスト蔓延の原因となっていた。
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 縄文人は、日本列島を中心として、南は琉球、北は北海道・北方領土南樺太・千島列島、西は朝鮮半島南部に住み、東シナ海日本海ベーリング海を主要航路として小さな手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 一部の縄文人は小さな手漕ぎ丸木舟で、カムチャツカ半島ベーリング海を経てアラスカ・北米太平洋岸北部まで移動していた。
 縄文人は、南北アメリカ大陸の北方アジア系先住民(マイノリティ)と血の繋がりがある。
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 南方海洋民系日本民族と西方草原の民系中国人、朝鮮人・韓国人とは、別系統のアジア人つまり別人である。
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 日本民族は、人として数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
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 6月29日13:31 MicrosoftNews 時事通信「世界最古、サメに襲われた遺体発見=3000年前、日本で―英大学
 © 時事通信 提供 海を泳ぐホホジロザメ=2010年8月、オーストラリア南部ネプチューン諸島沖(AFP時事)
 【ロンドン時事】人間がサメに襲われるニュースが世界各地で後を絶たない中、国際的な研究チームが、世界最古のサメに襲われた犠牲者の遺体を発見した。英オックスフォード大が発表した。3000年以上前、場所は日本の瀬戸内海だという。
 24日付の発表によると、この遺体が見つかったのは岡山県の津雲貝塚。遺体には少なくとも790カ所のギザギザの傷が付いていた。
 研究チームはサメの研究者の助けを得て、考古学と法科学の手法を組み合わせて遺体がサメに襲われたと特定。紀元前1370年~同1010年の間に死亡した成人男性と結論付けた。
 研究によれば、この男性は仲間と一緒に釣りをしているところをサメに襲われたとみられ、遺体はその後すぐに回収され、埋葬された。歯形の特徴などから襲ったのはイタチザメかホホジロザメの可能性が高い。
 論文共同執筆者の独マックス・プランク研究所のマーク・ハドソン博士は声明で「この発見は古代日本に新たな視点を提供するだけでなく、考古学者が先史時代の集落の生活における劇的なエピソードを再現できたまれな例でもある」と意義を強調した。」
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 6月30日 MicrosoftNews 京都新聞「サメに襲われた最古の人骨、京都大で発見 英国学生が確認、京大研究者「しまった、そうだったのか」
 約3千年前にサメに襲われた痕跡が確認された人骨。いくつもの三日月型の傷が見える(30日、京都市左京区・京都大)© 京都新聞社 約3千年前にサメに襲われた痕跡が確認された人骨。いくつもの三日月型の傷が見える(30日、京都市左京区・京都大)
 サメに人が襲われた最古の直接証拠が、岡山県貝塚で発掘された約3千年前の人骨にあった-。そんな研究成果を、京都大などが30日発表した。掘り出されて約100年、千人を超える研究者が目にしてきた人骨からの新発見。英オックスフォード大から京大に来ていた大学院生アリッサ・ホワイトさんのお手柄で、京大の研究者は「傷があることは知られていたが、誰も深く探究しなかった。サメのかんだ痕と言われ『しまった。そうだったのか』と思った」と苦笑いする。
 航海の開始以来サメによる被害はあったとみられるが、これまで直接証拠としては、プエルトリコで発掘された千年前の人骨が世界最古だった。今回の発見は、2千年ほど記録をさかのぼることとなる。日本国内における先史時代での捕食による死亡例としても、初めての確認となるという。
 当該の人骨は1919年に津雲貝塚で見つかった。右脚や左手の部分は欠損している。35~45歳の男性で、身長は当時の縄文人としては標準的な158センチ。発掘時の写真からは、ほかの遺体と同じように屈葬されている様子が分かるという。人骨は京大が保管し、多くの研究者が見られる状態だった。
 京大理学研究科の中務真人教授によると、ホワイトさんは2017年ごろ人間同士での闘争について関心を持ち京大にある人骨を調べていた。その中で同研究科が保管していた当該の人骨を見て、人間が原因の傷にしてはしつようで、傷のタイプが似通っていることに疑問を持った。英国に帰ってからサメの専門家らとも研究を続けた後、同じ方向に走る傷の形状などから、サメのかんだ痕だと判断した。解析すると、全身で約800に及ぶ傷が残っていることも分かった。下半身に傷が多く肉の多い部分が狙われたとみられる。
 襲ったのは、ホオジロザメかイタチザメと考えられるが、サメの歯は回収できなかったため特定には至らなかった。中務教授は人骨が埋葬された背景について「遺体は漂着した可能性がある一方、仲間がサメから取り返したのかもしれない」と推測する。研究成果は、米学術誌にこのほど掲載された。」
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アースダイバー 神社編
増補改訂 アースダイバー
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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